「騒ぎを起こし、忍び込み、兵を害し、そして最後はコソコソと人目を避けて逃げ出す。まさに夜盗の所業。誅滅すべき賊どもよ」
周囲を睥睨する王子の目には軽蔑があった。憤怒があった。しかし何よりも執着があった。その粘着質な昏い目の色に、マーニャとミネアの顔に嫌悪の色が浮かぶ。
「逃がしはせん。我が城に狼藉を働いた重罪に相応しき罰をくれてやろう。二度と斯様な愚者が現れぬよう、見せしめとしてくれる」
その無駄に大仰で芝居がかった言い回しに感銘を受けている様子の兵士は皆無だった。むしろ内心でうんざりとさえしている兵士すら少なくはなかっただろう。ただ、今この場では王族に反抗する理由は特に何もなかったというだけだった。それに王子が気付いていないという滑稽な事実を、彼は自覚すらしていないのだ。まるで喜劇役者だ。
「錬金術師エドガン、城の牢から脱獄した罪で即刻処刑」
とはいえ、彼は紛れもなく王族であり、その言葉には権威の裏付けがあった。例え投獄そのものが冤罪による不当なものであったとしても、その無実が公的に証明されていない限り、勾留からの脱獄は罪に問われる。その横暴を今ここで指摘したところで意味は無い。それが権力というものだ。あるいは法匪と呼ぶべきか。
「その関係者も投獄し、順次処刑」
誰も何も言わない。このような時に真っ先に言い返しそうなマーニャですら、ただ歯を食いしばって王子の顔を睨みつけるだけだった。どんな言い開きをしても無駄だとわかりきっているからだ。
正義とは、善とは、相手にそれを受け入れる度量があって、はじめて意味を持つ。最初からそれに価値を認めていない相手と相互理解など求めても無駄だ。それを、独善という。
「――…だが」
僅かに声色を改めた王子が視線を一点に定めた。フードを目深に被って顔を隠した青年に、鋭い目を向ける。
「エドガンの弟子、バルザックだな」
「……」
「かつて貴様に差し出してやった我が手を拒んだ狭量を、一度だけは許してやろう」
オーリンと、そしてマーニャとミネアの驚愕の目が集中する。裏でそんな接触があったことすら知らなかったのだから当然だった。
「忌々しいが、貴様の見識は認めざるを得ない。ろくな実験すら出来ていない状況でありながら、貴様は早々に術式の欠陥を指摘していた。コーミズ村から回収させた資料と記録を分析させた術師どもが驚嘆していた。机上の思考実験だけで術式の本質にまで辿り着くなどありえない、とな」
「……」
「その貴様ならば、術式の完成にまで漕ぎ着けられる。資金も設備も全て用意してやろう。報酬もだ。貴様を正式に宮廷錬金術師として任じよう。あの役立たずの小心な臆病者に代わって大臣にもしてやろう。何より、貴様の周りにいる者どもも助命してやろうではないか」
それが間違っても慈悲などではなく、首輪となる人質であることは明白だった。
「助命だけでは足りないな。全員の身柄の解放と、さらに外国への亡命まで認めてくれるのなら一考の価値はあるが」
「……貴様、この私の寛大な申し出に、」
「「「バルザック!?」」」
淡々とした返答に、思わず険悪に唸った王子の言葉を遮るようにオーリンと姉妹の声が同時に響いた。
「やめろ! ここまでの先生の意志を無駄にする気か!?」
「バルザック、やめて! そんなことをしたら父さまが悲しむわ!」
「そうよ! 私たちだって!」
だが、キメラの翼の入った荷物袋をオーリンの手に押し付けるようにして丸ごと渡したバルザックは、そのまま一歩前に出た。
「行け。ハバリアへ。乗船券を買う金も入ってる」
「ダメだ。やめろ。お前だけを残して行けるわけがないだろう」
ローブ姿の肩に手を伸ばしかけた大きな手が、しかし嘲笑の声で止まる。
「逃げる気か。ああ、なるほど、何処からかキメラの翼を手に入れでもしたか。それを使って逃げるつもりか」
王子が口元を嗜虐の笑みで歪めた。
「だが、逃がしはせん。キメラの翼なら、我が手にもある。ハバリアだろうとモンバーバラだろうと、アッテムトだろうと。どこに逃げようともすぐに追いつく」
「……チッ」
微かな舌打ちの音がフードの下から漏れた。バルザックの声が初めて揺らいだ。
「腐っても王族か。複数のキメラの翼を持ってるとまでは思わなかった」
「当然だ。この国の全ては我が手にある。貴様も、貴様の枷となる者どもも絶対に逃がさぬ」
オーリンも一歩前に出た。バルザックの隣に並ぶ。
「俺が突破口を開く」
「よせ、オーリン。俺さえ生け捕りに出来れば、これ以上生かしておく価値も先生からは無くなってしまうんだ。お前が前に出れば、間違いなく先生が狙われる。お前に庇わせるために。そうなったらマーニャとミネアを守る盾が無くなるぞ」
「だが、このままでは――」
「全く、手のかかる弟子たちだ。まだまだ未熟よな」
囁くように小さく言い争う二人の口が止まる。
「図体ばかり大きくなっても、まだ儂が口を出さねばならんのか? コーミズ村で何を学んでおった。儂が教えたことを思い出すがいい」
オーリンに背負われた老人が、小さく笑い声を漏らしていた。
「3年も時間があったのに、一体これまで何をしておった。ハバリアから出る船のことを知っておるのなら、エンドールまで足を運ぶ時間だってあったはず。そうすれば、キメラの翼を使ってエンドールまで直接飛ぶことも出来たであろうに」
一つのことばかりに囚われるな、もっと広い視点で考えろと、弟子の未熟を優しく叱りつける声だった。二人の体が震えた。コーミズ村に引き取られたばかりの頃に、孤児だった二人を何度も叱ってくれた養父の声だった。
「エンドールだと? だが、そこにもすぐに追手を放つぞ。貴様たちの逃げ場などどこにもない!」
それを聞き咎めた王子が怒声を上げる。
「いやはや、殿下。なるほど、確かにエンドールでは儂らが静かに暮らすのは少々難しいやもしれませんな。あの街は大きく、賑やかで、カジノや闘技場まである。モンバーバラとも毛色が違い、儂のような引っ込み思案の老人の肌には合わぬのです」
しかし、エドガンの声は変わらない。まるで物を知らない教え子に教師が優しく講義をするように、諧謔さえ含んだ声が若者を教え諭す。
「ですが、殿下。世界は広いのですぞ。城下の街も、そして城の中にまでも水路が張り巡らされた水の都、スタンシアラ。外界から切り離された深山の奥にある女性ばかりの国、ガーデンブルグ。世界には様々な国があり、街があり、そこに暮らす人々がいる。その中には儂らを受け入れてくれる場所とて、ありましょうとも」
エドガンは静かに手を差し出した。
「バルザック、キメラの翼を」
「は、はいっ!」
王子の顔から、仮面を剥ぎ取られたように一切の余裕が消え失せた。
「逃がすな! その不逞な罪人どもを捕らえよ!!」
怒声というよりも悲鳴に近い絶叫が響き渡る。しかし、周囲の兵士らが一斉に殺到するよりも早く、荷物袋から取り出されたキメラの翼がエドガンの伸ばした手の指先に触れ――
「飛べ。儂らの行くべき場所へ」
その小さな声と共に、純白の閃光が迸った。彗星のように長い尾を引いた光は、そこから城の北の方角へと消えていった。