「静粛に! キングレオ王国使節団、前へ! ……これより、サントハイム国王陛下、ならびにアリーナ第一王女殿下のおなりである!」
謁見の間に響き渡る近衛兵の鋭い声と共に、サントハイムの廷臣とキングレオの使節団が恭しく頭を垂れる。
静まり返った空間に響き渡るのは、二組の足音だけ。
決して急がず、ゆったりとした、それでいて威厳に満ちた足音。そして軽やかな、それでいて品位のある優雅な足音。
最後は王衣の裾を捌く微かな衣擦れの音と共に、一瞬の沈黙が差し挟まれる。
「――頭を上げよ」
静かに息を吸う。吐く。
周囲の廷臣たちと呼吸を合わせ、一斉に、そして音も無く姿勢を正す。この流れが少しでも滞ると、実に見栄えが悪い。
外国からの使節に『見せる』ための儀礼。サントハイムの宮廷が、国王陛下の統治のもとで乱れなく治まっているかを示すための。
「キングレオ王国から遠路はるばるよくぞ参られた」
口火を切った陛下の隣にある王妃の椅子はいつもと変わらず空席のまま。しかし、その脇には王妃の代理として姫様が真っすぐに背筋を伸ばして立っておられる。その姿を視界の隅に入れるだけでも自分の体温は急激に上がってしまう。
こんな窮屈な空気の中には一秒もいたくないと駄々をこねるのが常だった姫様が、よもや自分から同席を望まれるなど、少なくとも自分の記憶ではかつてなかったこと。威厳に満ちた表情を保っておいでの陛下も、内心では張り切っておられるのではないだろうか。
「まずは先王陛下の御逝去には弔意を、そして新王陛下の御即位に祝意を示すとしよう。先王陛下の御代と変わらぬ友誼を引き続き望みたいものだ」
キングレオ王国における政変。名君として知られていた先代の王が病によって死去し、その子が王位を継いだとの知らせ。これ自体は別におかしなものではない。
各国に使節が遣わされ、新たな王の名で変わらぬ友好関係を約束する。知らせを受けた各国が順次、今度は先王への弔問と新王即位に対する祝賀の使節を相手国に派遣する。
そして外交とは諜報でもある。政変によって相手国がどのような変化を遂げたか、国内の街や城の人間を観察し、宮廷の様子を見極める。あるいは見せたくないものがある場合は城の一室に体よく軟禁する場合さえある。それはそれで、よほど秘密にしておきたいことがあるらしいと勘繰られることにもなるが。
「ははっ、サントハイム国王陛下におかれましてはご機嫌麗しく。我が国への多大なるお心配りに感謝申し上げます」
陛下の前に立つキングレオ王国の大臣を称する男が弁を述べる。新王の即位に伴って任じられたという話だが、大仰な身振り手振りが逆に目に付く。少なくとも、初めて謁見する一国の王に対して相応しい態度とは言い難い。目立とうとする個人的な意欲が少しばかり前に出過ぎている、という印象。
「……フン」
微かな鼻息の音が聞こえ、頭を動かさずに横目で窺うとブライ様が鋭い目で使節を睨んでいた。もしこの場で口を開くことが許されていれば、さぞ辛辣な毒舌を聞かされていたことだろう。
大臣、という肩書そのものはサントハイムへの使節として悪くはない。エンドールの次に訪れてきた、というのも外交使節の順路としては当然のものだ。後回しにされたと文句をつけることは出来まい。
問題は中身だ。キングレオ王国の新王が、サントハイム王国への最初の挨拶として送ってきたのが
「うむ。キングレオ王国とは今後も長く睦まじい関係を望みたい」
「さればこそ、我が国としてはサントハイムと末永く友好を結ぶための懸け橋として、アリーナ第一王女殿下とキングレオ新王陛下との婚儀をご提案申し上げたい」
謁見の間の空気が凍り付いた。少なくとも、自分にとっては間違いなくそうだった。
さすがにあからさまに声を上げたり、風に揺れる葦のごとくざわめきが空気を揺らしたりするようなことは無かったものの、誰もが思わず姫様の方に意識を向けるのがわかった。
姫様に対して、なんという暴言を。――…い、いや、外交の場の申し出としては、非礼というわけではない。大国であるキングレオの王妃となるには、それ相応の格式も求められる。サントハイム王家はキングレオのそれに比しても決して見劣りはしない。だが! しかし!!
「コホン」
微かな咳払いの音が聞こえて、今度は思わず顔を横に向けてしまう。ブライ様が横目で自分を見ていた。『落ち着け』という無言の声が聞こえた。その目の圧が辛うじて自分に平静を保たせた。
「ほう?」
玉座では、陛下が肘掛けに左の肘をついて緩く握った拳の上に顎の先端を軽く乗せ、僅かに目を細める。
「我が娘を、キングレオに、か」
その声からは何の感情も窺い知れるものではなかった。怒りも、不快も、何一つ。一国の王が自身の感情を素直に表に出すことは許されない。内心を相手に見透かされることは、外交の場においてはただそれだけで弱みとなる。
当の姫様でさえ、内心はともかく表面上は平静を保っておいでだった。いや、あれはもう怒りというのを通り越してしまっている。ただ静かな目で使節を見ているのが、逆に恐怖を煽る。まだしも大声を上げて暴れ出す方がマシだったかもしれないと自分には思えるほどだ。
「はい、陛下。サントハイム王家とキングレオ王家が結びつき、一つの血族となる。世界の西半分を治める共同王国として、共に栄光の
澄まし顔で得意げに語る男の顔が小憎らしい。この場が一切の武装が許されぬ謁見の間でさえなければ、普段は背負っている剣の柄に手をかけていた。
カツン、と隣から微かに杖を鳴らす音。再びブライ様が無言で窘めてくださった。落ち着け、冷静になれと自分に言い聞かせる。
――…仮に。そう、あくまでも仮定の話だ。万に一つ、もしもの話として思考を巡らす。
絶対にありえないことではあるが、姫様がキングレオに輿入れするような事態になったとする。その場合、地理的に二つの国を分断できる位置に存在しているのはエンドールだけだ。逆に言えば、エンドールさえ取ることが出来れば。
キングレオが南西から船で、サントハイムが北西から旅の扉で、二方向から同時にエンドールを攻めればどうなるか。例えばバトランドは屈強な兵士を揃えていることで知られているが、栄えているとは言ってもエンドールは軍事的にはそこまで評価の高い国というわけではない。大国キングレオとサントハイムに同時に攻められても持ちこたえられるかと言えば望み薄だろう。
そしてその場合、サントハイム、エンドール、そしてキングレオと、実に三大陸にまたがる超大国が誕生してしまう。
世界地図を見ても、東側にはこれに対抗できそうな国は存在しない。バトランド、ガーデンブルクは北方の高山地帯に囲まれてそれぞれ地理的に孤立しており、自国の防衛という点ではともかく軍事的な連携は難しい。南東のソレッタは農業国家であり、地理的にも遠い。その中間にあるアネイル、コナンベリー、ミントスはそれぞれ観光、交易、商業を主軸にした街であり、これもまた軍事的には特筆すべきところはない。
つまり、キングレオとサントハイムが手を結んでエンドールを攻略してしまえば、本当に世界を制することも夢ではなくなってしまう。あくまで、一つの可能性として、の話ではあるが。
「なるほど、興味深い話ではあるな」
陛下は落ち着き払って頷いた。だが、これは相槌に過ぎない。これだけでは肯定も否定もしていない。そして陛下は一切の言質を与えようとはなさらなかった。『検討する』とも、『一考の余地がある』とさえ言われなかった。
「それはそれとして、エンドールからも話は聞いておる。貴国の王城で狼藉を働いたという不届き者のことだ」
さりげなく話題の軸足を別の方向に流す。姫様も横目で陛下の方をチラリとご覧になった。
「はい。残念ながら他国に逃げおおせた後はどこに雲隠れしたのか見当もつかず。サントハイム国王陛下におかれましては、かような凶悪犯を見つけられた暁には必ずや捕縛の上で我が国に報せていただければと」
「うむ。法の公平は保たれねばならぬ。
僅かに陛下の声色が変わる。
「王族であれ平民であれ、法は法。身分の上下で法の裁きが異なるようでは国が立ち行かぬ。厳格と公平は法を支える両天秤。どちらが欠けても良いものではない」
「ご賢察、まことに陛下の仰せの通りかと」
キングレオの大臣の態度も少しだけ変わる。警戒の色が目に見えて濃くなる。
「城にて狼藉を働いた罪。それすなわち王族に危害を及ぼしたも同然と心得る。城とは王の体面そのものゆえ。違うかな?」
「……」
「で、あるならば。城にて狼藉を働いた者も、王族に危害を及ぼした者も、等しく極刑に値する重罪。そこに、
謁見の場に沈黙が落ちた。針の落ちる音ですら聞こえそうなほどに重い静寂。陛下の全身から放たれる威厳がそれを強いていた。
「……は、ははは、大変申し訳ございません、陛下。この浅学無知な若輩者には、賢明なる陛下の難解なるお言葉が今一つ理解することが叶いませんで」
額に冷や汗を滲ませながらキングレオの大臣が逃げ口上を打った。
「そうか。いや、こちらこそ失礼した。もし我が城においても大切な娘に無礼を働くような賊が現れたらと思うと、少しばかり平静を欠いてしまったようだ。許されよ」
陛下もあえて追い打ちをかけずにそれを許した。
「これからエンドールに戻って、その後はボンモールに向かわれるのだったか? 城内に部屋を用意させた。長旅の疲れを癒して行かれるが良かろう」
「陛下のご厚情に感謝を申し上げます」
「うむ。下がって良い」
「ははっ」