「あの、バルザック……さん。自分には明日の準備が」
「別に呼び捨てにしてくれて構わないぞ。俺もそうする。明日からは一緒に旅をするんだ。余計な気を遣っているような場合じゃなくなる可能性だってある。まあ、さすがにブライの爺様を呼び捨てにする度胸は俺にもないけどな」
今日も今日とて城を飛び出しサランの街に足を運ばれた姫様の背中を追いかけると、半ば強引に姫様から引き離され教会の中に引きこまれた。自分の腕を引っ張る力はそれほど強くない。本気で抗ってみせれば振り払えることだって出来そうだ。だが、相手の立場がそれを躊躇わせる。
バルザックさ――バルザックは、伝え聞くところでは姫様の大切な御友人であるマーニャとミネア嬢の義兄、のようなものらしい。一度それを口に出すとマーニャ嬢は奇妙なほどに慌てていたが、とにかく家族のように近しい間柄であることは間違いない。
何より自分のように神学校で正式に魔法を学んだわけでもないにもかかわらず、ベホマを使うことが出来ているという時点で信じがたい。魔法の師でもあるエドガン様はベホマを使えないというのに。つまり半ば独学でそこまでに至ったというのだから、それだけの才能があるのは間違いない。
「では、バルザック。自分に何の御用でしょうか。自分は姫様から離れるわけには」
「わかっている。わかっているが、そのアリーナ姫を守るためにお前が必要なんだ」
それは一体どういう意味か。思わず疑念に満ちた目を無言で向けると、
「バルザック。呼んだか?」
「ああ、オーリン、待っていた。すまんが、そこの扉を開けてくれ」
自分たちがいるサランの街の教会に向かって右側の扉の小部屋に、大柄な偉丈夫がのしのしと入ってくる。バルザックと同じくマーニャとミネア嬢の義兄であるオーリンは、間近でその体を見上げると迫力が凄い。話してみれば朴訥な人柄で好感が持てるのだが、初対面の時は気圧されて正直まともに話すことも出来なかった。
「いいのか?」
「問題ない。サントハイムの国王陛下から直々に『アリーナ姫を頼む』と依頼されている案件だ。サラン武器防具連盟も文句は言わないだろうよ」
お前がそこまで言うなら、と、オーリンが鍵のかかった扉を抉じ開ける。バキッという音と共に鍵が壊れる音が響き、扉が開く。
「クリフト、この先に何があるか知っているか?」
「……」
この人は、一体どこで。どうやって。いや、一体どこまで知っているんだ?
「すまなかったな、オーリン。わざわざ呼び立てて」
「いや、構わないが。他に用はあるか?」
「そうだな、買い物の荷物持ち程度になるが。見ていくか?」
「……そういうことか」
「そういうことだ」
二人の間では、それだけで通じ合うものがあったらしい。ほとんど同時に自分へと目を向ける。
「先に言っておくと、オーリンは普段からサラン武器防具連盟で荷運びの仕事をしていた。武器、そして鎧などは特に重たいものが多い。山積みにしたそれを馬車から店の中まで運び込むのも一苦労だ。だから、オーリンのような力持ちは歓迎される。ま、
「そうだな。サランの人たちは外から流れてきた俺たちを快く受け入れてくれた。だから、別に余計な詮索をするつもりはなかったんだ。
この人たちは。たった三年やそこらで、一体どこまで。そして、どれほどのことを。
「サントハイム城には宝物庫はあっても、きっと隠し部屋とかは無いんだろうな。まあ、未来が見えるのなら、せっかく隠した宝がいつか誰かに見つけられてしまう未来だって見えるだろうしな。そういう意味でも的確な判断だと思う」
鍵のかかった扉の先には階段がある。バルザックが先頭で、次が自分。最後尾にオーリン。階段を上り切ると、教会の周囲を堀のように取り囲む水路を越えて、サントハイム城に近い方向へと橋のように石壁が伸びている。教会の、別棟だ。そして、そこには。
「おや、どなたかな」
「もちろん、客だよ。サントハイムの
店主、というよりは、ここに保管されている武器、防具の在庫を任された管理人、というのが厳密に言えば正しいだろう。
サントハイム王国は国土の広さで言っても、世界でも五本の指に入る列強の一角だと言える。当然、敵も多い。盗賊に狙われることだって。だが、そんな城の目の前で、サントハイム城のお膝元であるサランの街で、あまりに強力な武器や防具を堂々と売っていれば。誰にでも買えるそれを使って、犯罪を起こす人間だって出るかもしれない。
だから、サントハイム王国では、サランの街で表向きに流通を認めている安価な武器や防具の他に、密かに強力な武器や防具を少しずつ仕入れては保管している。いざという時は、これらの強力な装備が城の兵士に配備され、国防の要となってもらうために。あるいは、サントハイムの外に遣わされる急使や、あるいは外交使節の護衛となる兵士の身を守るために使われることもある。
「鋼の剣、バトルアックス、鉄仮面、か。装備できれば強力だが、これほどの重い装備を持てるのはオーリンぐらいか。今回は却下だな」
保管されている装備品を見ながら、バルザックは小さく呟いた。
「理力の杖は悪くない。濫用するのは問題だが、いざという時の切り札にはなる。何より身躱しの服はありがたいな。ブライの爺様にも、ローブの下に着てもらえば目立たない」
「バルザック。これらは全てサントハイム王国の国庫によって買い求められたものです。自分の一存で勝手に持ち出すわけにはいきません」
一人で盛り上がっているところに水を差すようで悪いが、これだけは指摘しておかねばならない。なるほど、僅かな手がかりから、このサランの街に普通なら立ち入れないはずの装備品の保管庫にまで辿り着いた洞察力や推理力は賞賛に値する。しかし、これらの装備は強力であるがゆえに高価なものだ。いわば国の財産である。それらを自分が勝手に持ち出すのは横領、すなわち犯罪に等しい。
キングレオの王城で狼藉を働いた犯罪者という話も、これでは少しばかり疑わしく思えてきてしまう。幾ら姫様のためとはいえ、勝手にして良いものではないのだ。
「ああ、なるほどな」
だが、バルザックは不快の色を見せなかった。むしろ、嬉しそうに笑いながら自分の背中をポンポンと叩いた。
「いいな。これからもその調子で、俺が間違っていると思ったら遠慮なくどんどん言ってくれ。お前のそういうところが必要なんだ」
「どういう意味、ですか」
「他意なんかないさ。マーニャとアリーナ姫様は間違っても思慮深いとは言えないからな。ミネアも随分と落ち着いてはきたが、たった11やそこらの子供に頼るわけにはいかないだろう?」
まあ、そのミネアと4つしか違わないお前も子供と言えば子供だが、とまで言われてしまうと、さすがに面白くない。自分は子供として守られたいわけではない。自分こそが姫様をお守りしたいのだから。
ただし、マーニャ嬢についてはともかく、主君に対する誹謗とも受け取られかねない言動については口を閉ざす。間違っても肯定など出来るはずもないし、かといって迂闊に否定しても主君に恥をかかせることになりかねない。雄弁は銀、沈黙こそが金だ。
「ブライ様は?」
「もちろん、いざという時は遠慮なく頼るとも。だが、最初から縋るというのも違う。俺たちに出来ることはやらないとな」
そう言って、バルザックは自分の耳元に囁く。
「アリーナ姫の身の回りの細々とした品はお前が買い求めているんだろう? ブライの爺様は、そういうところは可愛い姫様に甘そうだからな」
「!?」
「金に糸目をつけずにドレスやら宝飾品やらを買い求めていたら、それこそ目玉が飛び出るほどの額になるのは万国共通だ。それに比べたら安いものじゃないか? 何しろ、これは『大切なアリーナ姫の身を守るため』の防具、だからな」
思わず顔色が変わるのが自分でもわかる。その時点で、動揺を面に出してしまった時点で自分の負けだった。
「全てを買い求める必要はない。身躱しの服を3着。アリーナ姫とマーニャと、あとはブライの爺様に。理力の杖を2本。これはお前とミネアに。合わせて14000ゴールドだ。ブライの爺様なら『安物』とか言いそうな光のドレス一着分にもならない」
「……あなたって人は」
「悪いな、クリフト。お前にとってのアリーナ姫がそうであるように、俺もマーニャとミネアを守るためには手段を選ぶつもりはない。サントハイムにとっては迷惑な話だろうが、いずれ借りた分は返すさ」
それを聞いて、少し落ち着いた。今は借りている立場であるという明確な自覚と、いずれ返すつもりもあるというだけ、まだマシだと考えるべきだ。
「では、今回の遊覧に要した出費の一覧は、後日改めて陛下に御報告させていただきますが」
「もちろんだ。旅の途中で遊興だの何だのに無駄な金を使うつもりはないよ。もしかしたらマーニャがフレノールで酒を飲みたがるかもしれないが、そこは俺とミネアで押さえるさ」
「それはどうでしょうか。何しろバルザックはマーニャ嬢に甘いとうかがっておりますので」
「いや、違うぞ。俺はそれほど甘やかしているつもりはない」
そう口では言いつつも、自分がじっと見上げ続けるとあらぬ方に目を逃がすあたりは義妹を甘やかしているという自覚が全くないというわけでもなさそうだった。やられっ放しで終わるのも悔しかったから、それで少しだけ気も済んだ。
「わかりました。今回に限っては自分が支払いを持ちます」
「助かる。オーリン、宿まで運んでくれるか?」
「お安い御用だ」
「クリフト、アリーナ姫とブライの爺様に身躱しの服を忘れずに渡しておいてくれ。お前も理力の杖を装備するのを忘れるな」
「はい。……ですが、あなたは使わないのですか?」
身躱しの服も理力の杖も、使おうと思えば使えそうに見えるのに。
「俺が使っても仕方ないさ。お前たちが使って、せいぜい経験を積んでくれ。将来の為にもな」
この人が何を、あるいはどこまで遠くを見ているのかはわからない。ただ、それが少なくとも姫様にとって害を及ぼすものではないことを神に祈る。