「うわぁ、何よこれ。信じられないくらい体が軽いわ。なんだか足元が羽根みたいにフワフワしてる感じ」
明日の出立を前にして、寝る前にバルザックから与えられた服に試しに袖を通してみると、驚きの余り目が丸くなるのが自分でもわかる。落ち着いた色合いの、緑というより若草色に近い長袖の服は、見た目よりも体の動きを阻害しないように出来ていて、トントンとステップを踏んでも床の上に足が残らないイメージ。今なら何もない空気を踏みつけて高くジャンプできそうなくらい。
「こんな服、一体どこから……じゃなくて、なんで私だけ? ミネアは?」
妹の方には、服の代わりに杖が一本。理力の杖、というらしいが。
「それを説明する前に、まず今回の旅の目的を話しておく」
「アリーナの付き添いでしょ?」
「それはサントハイム王を説得するための表向きの口実だ」
バルザックの答えは何気ないものだったが、私は思わず宿の部屋の中で踏んでいたステップを急停止させた。ミネアもミネアで、握っていた杖から顔を上げて頭を巡らせる。
「口実?」
「俺はアリーナ姫ほど純粋でも天真爛漫でもない。腹の中は真っ黒の大人だからな」
そう言ってバルザックが口元を歪めた笑みは、いつもの皮肉めいたそれともどこか違って見えた。意地悪で冷たい目つきなのは相変わらずだけど、その奥にあるのは石のように硬い決意の光。いつか夜中に私が枕元に押しかけた時、暗闇の中で見せたあの目だ。
「俺たちの目的は二つ。一つは勿論、アリーナ姫を護衛して無事に連れ帰ること。だが、もう一つある」
杖を握ったままのミネアと、若草色の服を着た私が同時に身を乗り出す。
「何?」
「何よ?」
「『黄金の腕輪』だ」
その言葉が出た瞬間、部屋の空気が一瞬で張り詰めたのがわかった。黄金の腕輪。お父様と私たちが今も追われる理由となった『進化の秘法』の構成要素の一つ、『増幅器』としてバルザックから教えてもらった錬金術の産物。
「座れ。詳しく説明する」
バルザックが部屋の扉を閉める。私とミネアは寝台に並んで腰かけた。昨日ミネアが綺麗に掃除してくれたばかりの部屋は、たったいま私が脱ぎ捨て散らかした踊り子の服以外は床に何も落ちてない。ミネアは物言いたげに横目で私を見たけど、それには気付いていないフリをする。服を片付けるよりも、今はバルザックの話に集中したいもの。
「前にも話したかもしれないが、『黄金の腕輪』の来歴を軽くおさらいしておく。ずいぶんと昔のことになるが、元々はフレノールの街で作られた。だが、その腕輪を巡っての争いが絶えず、所有した人が何人も死ぬなどということが続いたために、いつしか呪いの腕輪としても知られるようになったという曰く付きの代物だ」
いつもの魔法の授業と同じように、講義するバルザックの声は静かで聞きやすい。昔から私が踊りの練習で疲れてて授業の途中で居眠りしてても怒鳴ったりもしないし、頭を叩いたりもしない。教えたところを繰り返し復習させてくる意地悪くらいはするけど。
「で、今はフレノールの街の南にある洞窟の中に封印されている、という話だ」
「それを取りに行くの?」
「今回は、その予定はないな」
今回は、という言い方に軽く引っかかるけど、今は黙っておく。
「だが、その必要に迫られる事態が起きる可能性もある、かもしれない」
「あるの?」
「正直に言えば、わからん。だが、いざ必要になった時に、ぶっつけ本番でいきなり飛び込むほど向こう見ずにはなれん。舞台に上がる前の練習は必要だろう?」
私は大きく頷く。踊りでも何でも、練習は大事。それはわかる。
「だから、アリーナ姫とお供の二人との連携に慣れる必要がある。今回は、オーリンがいない。そして俺は前に出れない。これがどういう意味がわかるか?」
ミネアが素早く手を挙げた。私も挙げようとしたけど、一瞬遅かった。負けた。悔しい。
「言ってみろ、ミネア」
「つまり、オーリンに代わって前に立つ人が必要。今回はアリーナと、姉さんの二人が前に出て魔物と殴り合うことになる。だから、そのために身躱しの服を用意した」
「正解だ」
褒められて妹は少しだけ得意そうだった。
「なら、マーニャ。俺がミネアとクリフトに理力の杖を用意した理由は何だと思う?」
逆に私には新しい問題を出されてしまう。私はあらぬ方を見やりながら、それっぽく腕を組んでみせて時間を稼ぐ。
「ええっと、その……ミネアは私を殴るのが得意だから、同じように魔物を杖でぶっ飛ばすのよね?」
「へえ。姉さんは私のことをそういう風に見てたのね」
「ち、違うから! 別に、最近のミネアが怖いとか、そんなつもりはないから!」
妹の笑顔が怖い。すっごく怖い。ぐいっと近づいてくる満面の笑顔が怖くて冷や汗が出てくる。
だって、その手にはまだ理力の杖が握られたままだし。その杖の先端には硬くて尖った金属が取り付けられていて、それで殴られたら頭が割れちゃいそうだし。だから、その杖を持ち上げるのはやめて。お願いだから。
「その辺で許してやれ、ミネア」
「バルザック、やっぱり姉さんを甘やかしてばっかり」
「違う。罰として、マーニャはこの旅の間は禁酒だ。一滴も飲むな」
「ぶー!」
妹の冷たい目から逃げたいばかりに、バルザックは私にとんでもない罰を出してきた。フレノールの街は風光明媚で近くを流れる川の水も綺麗で美味しいらしいから、そこで作られる酒も料理も美味しいって聞いて期待してたのに!
「話を戻すぞ。この旅でアリーナ姫とマーニャが前衛に立つなら、その二人の傷を癒すのがクリフトとミネアだ。アリーナ姫とマーニャが無傷で敵を倒せるならそれでいい。それが一番だ。だが、傷を受けたのならそれを治す後衛が必要だ。逆に言えば、クリフトとミネアは前に出てはいけない。何故なら、後衛の二人が倒れたら傷ついた前衛も動けなくなるからだ」
「……うん、わかるわ。私は姉さんのためにも前に出ようとする自分を押さえて、後ろで立ち止まらなきゃいけないのね」
真剣な顔でバルザックに向き直ったミネアは何度も頷いた。
「しかし、だ。矛盾するようだが、もしアリーナ姫とマーニャが傷ついて動けなくなったら、一体誰が魔物を倒す? 前衛の二人にトドメを刺される前に、素早く、一撃で敵を倒すだけの火力が必要になる。それも、その場合はアリーナ姫とマーニャが倒せないほどの強力な敵を想定しておく必要がある」
「――あ。だから、そのための理力の杖なのね」
ポツリと言った私の声に妹が振り向く。
「姉さん、それは私が言いたかったのに」
「ミネアはさっき、私よりも先に褒められたじゃない!」
姉妹で顔を突き合わせていると、バルザックが左右の手で私たちの頭をポンポンと撫でた。
「二人ともわかってくれたようで何よりだ。マーニャは前に立って、後ろに魔物を通さない。アリーナ姫が一人で突っ込んでいくのなら、その横で敵の目を惹き付けて的を散らす。メラで牽制しながら、敵にとって目障りで邪魔な存在だと思わせ続けろ」
「任せて。アリーナが主役なら、私はその横で主役を引き立てるバックダンサーね!」
「ミネアは後ろで戦況を見る。必要ならマーニャに指示を出す。メラは単発だ。どの魔物に先制するか、あるいは弱った魔物にトドメを刺すか。一瞬の判断が必要になる。踊りながらのマーニャにその冷静さを求めるのは酷だ。だから、ミネアが考える頭脳を引き受ける。出来るか?」
「やってみる。ううん、違う。そうじゃない。やれるようになってみせるわ」
私たちの答えにバルザックは満足そうに頷いた。
「俺とブライの爺様は必要に応じて援護する。俺のギラと、爺様のヒャド。集団と単体用の魔法火力で敵の数を減らすことで、お前たちの負担を減らす。そうやってお前たちになるべく経験を積ませることが今回の旅の主目的だ。この先の、もっと強力な敵に立ち向かうためにもな」
「強力な敵、って?」
何気なく問いかけた私の目に、一瞬だけ言葉に詰まったバルザックの顔が映る。妙に心苦しそうな、まるで何かを後悔でもしているような。いや、どちらかというと、私たちに何か悪いことでもしてしまったような顔。そんなことあるはずないのに。
昔からこんな顔をしていたことがあっただろうか? それとも、今になって私たちがようやく気付くようになっただけ?
「――…土地が変われば魔物も変わる。思い出せ。モンバーバラの近くとアッテムトの坑道とでは魔物の強さも全然違っただろう」
「あ、うん」
あの頃は私もミネアもまだまだ小さくて、ほとんど全部オーリンとバルザックに任せきりだった。でも、薄暗い坑道を必死になって走ったことは覚えてる。なるべく強い魔物と行き当たらないようにしながら、なるべく姿を隠して、息も潜めて、それでも見つかった時は必死に走って逃げた。もし囲まれたら全滅するかもしれない、ってバルザックに厳しく言われてたから。
「あの頃はまだ二人とも小さかったが、そろそろ戦い方を実地で学んでおくべきだ。とりあえずは、俺とオーリンが助ける必要もないくらいに強くなるのが目標だな」
笑いながら言われたので、ちょっとムッとする。
「見てなさい、すぐにバルザックなんか追い抜いてやるんだから!」
今はまだ届かないけど、昔に比べれば私の背だって伸びてきて、だいぶバルザックの顔も近づいてきた。いつもアリーナの横にいるクリフトぐらいにはすぐ届いて見せる。
「そうだな。早くイオナズンくらい使えるようになってくれ。開始の一発で敵が出てきた瞬間に丸ごと吹っ飛ばせるようになれば細かい戦術なんか要らないわけだからな」
「な……っ!?」
言うに事欠いて、イオナズンって何よ。今の私はイオさえ使えないのに。
「大丈夫だ。マーニャは天才だ。メラゾーマもベギラゴンもイオナズンも使えるようになる」
「お、お、おおおお、お、煽てたって、ダメなんだから!!」
思わず顔に、頭に血が上る。バルザックの顔を見てられなくて後ろを向いた。視界の隅でミネアが笑ってる。悔しい。だって、いきなりこんなこと言われたら平気でいられるわけないじゃない。
「よし。それじゃ今日はここまでだ。明日は寝坊しないように早く寝ろよ」
バルザックは部屋から出て行った。
「姉さん、服……」
「明日! 明日の朝にやるから!」
私は逃げるように寝台に潜り込んだ。顔が熱い。枕に顔を押し付ける。今は、今だけはミネアにも見られたくない。私の、こんな顔は。
次で第一章は終わります