小説版で勇者がシンシアと薄荷の茎を噛んでるシーンがあったので、そちらからイメージを膨らませています。
空を見上げる。少しばかり日差しが強いが、この老い耄れでも耐えられぬほどではない。南の海から吹きつけてきた風は適度な湿気を含み、汗を蒸発させて体を冷やしてくれる。今日は絶好の旅日和と言える。
「アリーナ! 右!」
「やっ! とぉっ!」
声が聞こえてきて、顔と目を水平に戻す。草原で地中から突然姿を現して奇襲をかけてくる、いたずらもぐらのスコップを姫様が蹴り飛ばす。がら空きになった胴体にマーニャ嬢の蹴りが入り、思わず前のめりになったところを姫様が後頭部に踵を落とす。ずんぐりむっくりとした頭部を地面に叩きつけたところで首にトドメの踏みつけを二人がかりで行い、たまらず魔物は絶命した。
「よし、最初の肩慣らしとしては悪くなかったな」
儂の横で戦況を見ていたバルザック殿が声を上げる。
「姉さん、怪我は?」
「大丈夫。これくらい軽い軽い」
「姫様、治癒は」
「要らない!」
後方で動かずにじっとしていたミネア嬢とクリフトめが前衛の二人に声をかける。
「初戦としてはどうでしたか、ブライの爺様」
「ま、誰しも初めはこんなものであろうよ」
無論、改善点を挙げようと思えば幾らでも挙げられるが、これまでほとんど魔物と相対したことのない姫様に、城と陛下をお守りするべき兵士たちと同じ練度を求める方が無理がある。マーニャ嬢も同じだ。それはバルザック殿もわかっていると見えて、何も言わない。
「これが初戦とはいえ、前衛が二人。それを援護する治癒役が二人に加え、魔法火力に儂とマーニャ嬢、さらに予備戦力としてベホマまで使えるバルザック殿も控えている。身につけている装備品まで含めて考えれば、この辺りの魔物が相手ならば明らかに過剰戦力じゃな。苦戦などしようはずがない」
「だからこそ、今のうちに多少の時間をかけてでも経験を積んでもらいたいところです」
「そうじゃな。あまり先を急ぐとキングレオの一行に追いついてしまうやもしれぬし、の」
軽く水を向けても、むしろ当然とばかりに頷いて見せた。
「あの連中が道中の魔物を間引いてくれるのなら、こちらも安全に進めます。せいぜい囮として利用させてもらいましょう」
ぬけぬけと臆面もなく言ってのけるあたり、やはり一筋縄ではいかぬ相手と見える。クリフトではまだ少しばかり荷が重いか。
「アリーナ姫。疲れはどうだ?」
「全然っ! まだまだいけるよ!」
「そうか。だが、それは気分が昂って興奮しているせいもある。疲れが外に出てくる時はいきなりだ。急に体が重くなり、手足が上がらなくなる。今のうちに水でも飲んで気を落ち着かせておけ」
このようなことはマーニャ嬢は何度も聞かされておるのじゃろうな。既にミネア嬢から水袋を受け取っていた。
「アリーナもちゃんと水を飲んでおいた方がいいわよ。私も踊りの練習に集中している時は気付かないけど、終わった後で急に体がだるくなったりするのよね」
「むっ、マーニャがそう言うなら。クリフト、ボクにもお水ちょうだいっ」
「は、はい、ただいま」
「そっちのはまだ新品でしょ。ボクはさっきクリフトが使ってたのでもいいけど」
「え、ええぇっ!?」
全く、その程度のことで何を慌てふためいておるのやら。たかだか水袋一つでそれほど動転しておるようでは、この先が思いやられるわ。
「やれやれ、仕方のない事じゃて」
「そう嘆かれずとも、クリフトもそのうち慣れるでしょう」
「いかんな、爺になると何事にもせっかちになってしまう」
後ろ手に軽く腰を叩いて応じると、杖をクルリと回して背後に向ける。
「ヒャド」
地中から頭を覗かせていた巨大なミミズを氷塊が打ち抜く。
「お見事です」
「世辞はいらぬよ。おぬしも気付いておったじゃろう?」
「連戦する時の過酷さも今ここで経験させておくべきか、少し迷っていたので判断が遅れました」
「戦った後の休憩で気を抜いている時こそが一番危険じゃからなぁ」
マーニャ嬢は水を含んだ後、干し葡萄なども口にしていた。旅の途中ではゆっくりと寛いで食事をする余裕などあまりない以上、小まめに水と栄養を補給することが自然と身についておる。こういう経験は姫様もクリフトも不足している部分ゆえ。そのうち見習ってもらいたいところではある。
「姫様、どうぞ」
「あ、ハッカ飴! ボク、これ好き! ありがとう、クリフト!」
クリフトが差し出した飴玉を姫様が口に放り込んで頬を緩ませておられる。しかし、クリフトにしては珍しいこともある。あれほど如才なく姫様の好物を用意しておったとは。
「アレもおぬしの入れ知恵か?」
「ちょっとした助言ですよ。マーニャも口が寂しいと言っては干し肉やらチーズやらをよく欲しがるので。アリーナ姫も旅の間に口に含める好物でもあれば何か用意しておいた方がいいぞ、とね」
余計なことを、とは言うまい。姫様も機嫌を良くしておられるし、クリフトも嬉しそうにしておる。儂にとってそれ以上に望ましいことはない。
「ならば礼を言っておく。儂も旅をしておったのは随分と昔のことゆえ、こうして気付かぬこともあろう」
「いえいえ、それほどのことでは」
チラリと横目で窺うと、向こうも儂の方を見ておった。互いに小さく頷き合う。
「ミネアとクリフトも、水は飲んだか? 一息ついたら、そろそろ歩くぞ」
軽く手を打ち合わせて注目を集めながらバルザック殿が言うと、4人がそれぞれ身支度を整え直す。水袋を仕舞い、服装に乱れがないか確認する。
「姫様、初めての魔物はいかがでしたかな?」
「うーん? 思ったより歯応えが無かった、かな? もうちょっと手ごたえがあるかと思ってた。魔物っていうくらいなんだから、オーリンくらいは強いのかな、って」
「ホッホッホ、オーリン殿を基準にすれば、それはそうもなりましょうな」
髭を撫でながら思わず苦笑する。我がサントハイム城の兵士でも、オーリン殿ほどの体躯と力に恵まれた者はどれほどいるか。まさか一人もおらぬとは言うまいが、姫様の稽古相手としてみれば、はてさて。
「次はもっと強い魔物と戦ってみたいな!」
ふむ?
「あ、あの、姫様。あまり危ないことをなさっては、陛下が心配なさいますので」
「クリフトは心配性だね! ボクは強い敵が次々に出てきて欲しいんだよ!」
ふむふむ?
「バルザック殿よ」
「なんでしょうかな、ブライの爺様」
「儂の経験なんじゃが、何故かこういうことを公言しておるとな」
「だいたい次は痛い目を見るという法則でもありますか」
わかってくれているようで何よりじゃ。
「テンペの村で何もなければ良いのじゃがなぁ」
「これは俺の経験でもあるのですが、そういう儚い願いが叶えられたことは少ないんですよ」
「そうじゃな」
草原を吹き抜ける風は爽やかで、広い青空には雲一つ見えなかった。全く、今日は良い旅日和じゃった。