出来ることなら何事もなく済んで欲しかった。いや、そんなことがあるはずもないとわかってはいたが。そもそも『何事もなく』と願う時点で、半ば何かが起きると自分でも予想しているようなものだ。
どこかどんよりとした暗い雰囲気のテンペの村に足を踏み入れた時点で、既に原作ゲーム内の展開が思い起こされる。
お転婆姫アリーナが城を飛び出し、サントハイム城とサランの街の周辺からどこかに移動しようと思えば、道なりに進むとテンペの村に自然と行き着く構造になっている。そして、この村は険しい山に挟まれた一本道の手前に開かれている。この村を抜けなければフレノールの街には辿り着けない。
そして、村の奥には魔物が住み着いて生贄を要求している、というイベントだ。曰く、『若い娘を差し出せ』と。
おそらく最初にゲームをプレイした時は、ここでは魔物の意図など誰もわからない。だが、シナリオを最後まで一通りクリアして、出てきた情報を色々と突き合わせてみると、また別の見方も出来るようになる。
「呪われし村、ね」
「何があったのかしら」
こんな小さな村で魔物に居座られているというのは村の住民にしてみれば悪夢だろう。
手近な村人に挨拶をしたマーニャとミネアが訝しそうにしている。まあ、この村は姉妹にとっては馴染みのない場所だからな。まだ感覚としては他人事に近いのだろう。これがコーミズ村だったならともかく。
だが、当然アリーナやクリフト、そしてブライの爺様にしてみれば話は全く異なる。
「どういうこと!? ボクの国で、なんでこんなことになってるの!?」
「姫様、どうかお静かに」
憤然としているアリーナをクリフトが宥めている。
「ブライの爺様はご存じでしたか? この村のことを」
「……」
長い沈黙の後、爺様は重々しく首を横に振った。
「知らぬ。サントハイム王国内でこのようなことが起きておったとは。儂の不覚じゃ」
「爺様のせいじゃありませんよ。それに今は、誰の責任だとかそういう話をする時じゃないでしょう」
「いかにも。――…いや、それよりも気になることは他にある」
「ええ、不思議なこともあるものです。少なくとも、キングレオの一行はエンドールからサントハイム城まで来る間に、一度はこの村を通っているはずです。そうでなければ城に辿り着けるはずがない。ルーラやキメラの翼を使って飛んできたというなら話は別ですが」
「そんな報告は聞いておらぬな」
「であれば尚更です。道中のサントハイム国内で何かがあったとなれば、知らぬ存ぜぬで口を閉ざすというのは不自然でしょう。向こうが友好関係を望んでいるというなら、何かしらの変事があれば知らせてくるのが筋というもの。でなければ友好国とは言えません」
ブライの爺様の白眉の下の目が据わっている。ただでさえ鋭い目が、今は剃刀のように細い。
「で、儂らより半日やそこら先行しておるはずの連中は、一体どこに行った?」
「もちろん、今頃は山道を登っている頃合いではないでしょうか」
「魔物が隠れ潜んでいるであろう村の奥の森を素通りして、か?」
もちろん、もし今から追いかけて追及しても連中はすっとぼけることだろう。
キングレオの兵士がサントハイム国内のことに首を突っ込むわけにはいかなかった。領内の魔物の被害についてはサントハイムが対処すべきことだ。むしろ、もしこの件でキングレオの兵士に被害が生じていた場合はサントハイムの責任を問うことになっていたかもしれない、ぐらいのことは言うだろう。
「まず、いつから魔物が居着いたのか。それから魔物の要求についても一通り村の長に確認しましょうか」
俺の中では既に疑惑とかいう段階をすっ飛ばして確信するにまで至っているが、それを他の皆に言っても伝わるまい。状況証拠を積み上げて説得力を上げるしかない。
「クリフト、アリーナ姫と一緒に宿屋に。マーニャとミネアも一休みしていていいぞ。俺はブライの爺様と一緒に、村長のところに行って話を聞いてくる」
「ダメ! ボクも行く!」
「姫様が行かれるというのでしたら自分も」
「アリーナが行くなら私も」
「姉さんが行くなら」
あ、これはもう全員ついてくる流れだ。俺は潔く諦めた。
「わかった。ただし、あまり大声は出すな。話の腰を折るのも禁止。向こうの話は最後まで大人しく聞け。いいな?」
「うん、わかった!」
返事だけは威勢の良いアリーナを引き連れて村長の家に向かう。この小さな村ではまだしも大きな方の家だ。他の家に比べれば、程度の話だが。
「おお! どこかに怪物を退治してくれるような強い御方がおらぬものか?」
扉を開けた瞬間、妙に芝居がかった大仰な身振り手振りで嘆いている中年男がいた。チラリと目を横に向けると、シクシクと声を上げて啜り泣いている娘が寝室らしき奥の小部屋で涙に暮れているのが見える。
「ねえ! 一体何があったの!?」
さっき俺が言ったばかりの注意など忘れたようにアリーナが真っ先に声を上げる。
「おお! 旅の御方! どうか聞いてください!」
魔物が村の奥の森に住み着いている。魔物は生贄を要求している。生贄は若い娘でなくてはならない。そして、村には若い娘が一人しかいない。
「このままでは、ニーナが魔物に……!」
ああ、そうだな。わかる。わかっているとも。だからアリーナや、マーニャとミネアの方をチラチラと見るな。
「ちょっと質問してもいいか?」
このままだとアリーナが即断即決で身代わりに名乗りを上げそうだったので、仕方なく口を挟む。
「は、はい、どうぞ」
「魔物が居着いたのは最近か? もし昔からのことなら、少なくとも税を取り立てに来た役人に急を知らせることぐらい出来ただろう?」
「い、いえ、その魔物が現れたのは先週か、あるいはせいぜい数日ほど前のことです」
「何故そう思う?」
「先週までは村を通り抜ける隊商が普通に宿に泊まっておりました。ですが数日前に、たまたま奥の森で薪を取りに行った村人が旅人らしき亡骸を見つけまして。どうやらフレノールからサランの街へと向かう途中の旅の吟遊詩人だったらしく、全身が咬み傷だらけの酷い有様で。それで、せめてそれを弔ってやろうとした村人の前に魔物が現れ……」
「生贄を要求してきた、と」
「はい」
俺はブライの爺様に軽く目配せをした後で、さらに質問を重ねる。
「この村に兵士を引き連れた一行がやって来ただろう。そいつらに話をしたりはしなかったのか?」
「いたしましたとも! ですが、他国の大臣を名乗る御方はけんもほろろに聞く耳を持ってくださらず。せめてサントハイムの城にこの事を伝えて欲しいとお願いいたしましたが、なんと帰りは宿に泊まりもせずにそのまま村を素通りしていかれました。おかげで、本当にサントハイムの城に伝えていただけたのかさえ確かめられず……」
おやおや、言質を取られたくなかったにしても、随分とあからさまだな。
「どうか、どうか……!」
「任せておいて! ボクが魔物を退治してあげる!!」
結局こうなったか。俺が止める間もなくアリーナが声を上げやがった。ゲーム通り、と言うべきところなのかね、これは。
「ありがとうございます、ありがとうございます! 村の真ん中にある教会の神父に言っていただければ、手筈を整えていただけることになっております!」
「……」
俺は盛大に嬉し涙を流す村長に醒めた目を向ける。例え相手が自国の第一王女だとは知らなかったにしても、ゲームでもまだ10代のアリーナを自分の娘の身代わりにするという時点でだいぶアレだが、たった12やそこらの子供に魔物の相手を押し付けるというのはどうなんだと言いたくなる。この世界ではその判断が最も賢いとわかっているからこそ余計に腹立たしい。
生贄となる若い女が村長の娘だけという時点で、この村の将来は暗い。ゲームでは道具屋の息子と結ばれて妊娠までしているが、果たして村の人口をこの先も維持できるのかといえば望み薄だろう。その辺りはサントハイムの問題なので深く突っ込むつもりはないが、だからと言って村とは無関係の旅人を身代わりにして知らんぷりとはな。
この調子だと、もし万が一アリーナが失敗したとしても、そのまま素直にニーナを生贄にするとは考えにくい。森には村人を入れず、次の生贄となる誰かが来るまで時間を稼ぐ、ぐらいのことはやりそうだ。もちろん村の当面の生活には支障が出るだろうが、フレノールの街とサントハイムの城を繋ぐ街道が寸断されれば、いずれ城から調査の人員が来るのは確実だ。それまで何とか延命できれば解決の目も見えてくる。この芝居がかった言動も、果たしてどこまで本気なのか疑わしい。
「――…おい、アリーナ」
村長の家を出た後、俺は自分でもわかるほど低い声を出していた。
「え?」
「ちょ、ちょっと、バルザック? アリーナも、決して悪気があったわけじゃ……」
なんとか妹分を庇おうとしたマーニャを一瞥して黙らせる。
「俺は言ったはずだ。最後まで話を聞け、とな。なんで黙っていられなかった?」
「え、だって、ここはボクの国で、目の前に困っている人がいたら……」
「違う。そうじゃない」
俺は腰を折り曲げ、アリーナと目線の高さを合わせた。
「はっきり言うぞ、アリーナ第一王女殿下。俺は陛下に依頼された。殿下の無事を、だ。困っている人が目の前にいたから助けるのと、そのために自分が身代わりになるのとでは、全く別の話だ。その結果として、もし万が一にも自分が死んだらどうなるか、それをきちんと考えた上での発言だったのか?」
「……」
アリーナの目を覗き込む。俺の目の圧力に耐えきれず、目を逸らす。それが答えだろう。
「クリフトはどうなる? ブライの爺様はどうなる? 大切な姫様を目の前で死なせて、それでも二人が無事でいられると思うのか? それとも、二人には自分と一緒に死んで欲しいとでも言うつもりか?」
「そ、そんなわけ…!」
「その上で、だ。アリーナ、ここで一度はっきりと言っておく。もしマーニャとミネアに何かあったら、
「……っ!?」
顔を真っ青にするアリーナは、小さく肩を震わせた。
「いいか。この世界では魔物に襲われて人が死ぬのは日常茶飯事だ。安全な城の中で暮らしていたお姫様には実感がないかもしれないが。人の死は絵空事じゃない。絵本の中みたいに、めでたしめでたしでは終わらない。もう死んだ人間は帰って来ない。お前は、それを知っているはずだ。もう二度と会えない身近な相手と、二度と話せないことを嘆いている誰かを」
「う、うぅっ……」
「俺は全力でマーニャとミネアを守る。
俺は背筋を伸ばして、小さく鼻を鳴らした。マーニャとミネアの目から逃げるように顔を逸らし、フードを被る。
「もう二度と、勝手に自分の命を軽く投げ出すな。もし、そうしたくなったら、あるいは、どうしてもそうしなくてはならないと思った時は、必ずクリフトとブライの爺様に相談してからにしろ。いいな?」
真っ青な顔をおそるおそる隣のクリフトに向けたアリーナは、生真面目に、そして心配そうに自分を見る目に気付くなり、勢い良く頭を下げた。
「ごめんなさい、クリフト。ブライの爺やも」
「姫様」
「ごめんなさい。もうしません。ボクが悪かった。反省してます。……だから、お願い。この一度だけは許して。この村の人たちも、ボクの大切なサントハイムの民だから」
俺の代わりに進み出た爺様が大切なお姫様の下げられた頭にポンと手を置いた。トレードマークの青いとんがり帽子を外し、赤みがかった亜麻色の髪を優しく撫でる。
「姫様、成長なさいましたな」
「……え?」
「自分の非を認められるようになった。それも、御自分よりも立場が上の陛下に対してではない。儂らのように幼き頃からの付き合いがあるわけでもない。異国の、身分も下の平民からの言葉に耳を傾けられる広い度量を身につけられた」
顔を上げたアリーナが嬉しげに目を細めているブライの爺様に気付くと、蒼褪めていた頬に赤みが戻ってくる。
「だって、今回は……」
「はい、姫様はお間違えになられた。そこは受け入れるといたしましょう。
「その通りです。この不肖クリフト、必ずや姫様の身をお守りいたします」
お供の二人に元気づけられてアリーナが笑みを取り戻す。これで問題はないだろう。
「ねえ、バルザック」
「なんだ」
「さっき言ってたわよね、
「それに
「忘れろ」
「ダメ。忘れてなんかあげないわ」
「それも、この国のお姫様を真正面から呼び捨てにするなんて、あの時のバルザックの顔が怖くて仕方ないから、今夜は夢に見ちゃいそう」
だが。さて、この意地悪な笑みを満面に浮かべたマーニャとミネアをどうしたものだろうか。テンペの村に巣食った魔物よりも手強い難問を前に、俺は内心で頭を抱えた。