テンペの村にある宿屋はサランの街のそれに比べると明らかに小さい。泊まる客の数も、客が訪れる頻度も違うのだから当然か。一つの大部屋に粗末な寝床が幾つか。それで全部である。
村を脅していた魔物が退治され、村人たちは大喜びだったが、それで急に宿の設備が快適になってくれるわけでもない。そしてここで恩を笠に着て宿代を値切るというのも何か違うような気がした。そもそも村に旅人が金を落とさなければ城の役人も税の取り立てもままならないほどに小さい村なのだ。たった6人であっても、きちんと宿代を支払うべきところだ。
その上で、姫様たち女性陣とは天井から大きなボロ布を吊り下げて目隠しとする。たまに隊商などが泊まる時、あるいは珍しく複数の客が泊まって大部屋を区分けする必要がある時などもこうしているらしい。
布越しに小さな囁き声や含み笑いが聞こえてくる。興奮して姫様たちはなかなか寝付けずにいるようだ。何を話されているのか気になるところではあるが、自分には自分の仕事がある。
手帳に今日あったことを纏める。城に戻れば陛下に報告をしなければならない。サントハイムの領内で魔物が村に居座って生贄を要求していたなど一大事だ。
これが城に伝われば改めて村にも調査の手が入り、他の街や村にも兵士が遣わされて状況を把握する必要に迫られるだろう。
「あまり細かくは書こうとするな。要点だけを纏めて、わかりやすく伝わることを心掛けろ」
で、何故か自分の目の前ではバルザックも書き物をしている。
「あなたは何を?」
「お前とは別口で報告を上げる。ああ、お前は見るな。報告の中身にあまり共通点が多いと、事前の談合や口裏合わせを読んだ人間に疑われるかもしれん」
蝋燭の明かりだけで字を書くというのは慣れていないと目が疲れるし、書き間違いがあっても気づきにくい。しかしバルザックは淡々と書き進めている。
「何があったのかは自分が……」
「ああ、詳しい経緯についてはそっちに任せる。だから、俺は
思わずペンを握る手に力が入る。
「どういう意味ですか」
「お前は常に公平な視点を心掛けなければダメな立場だろう。そうでなければ姫様のお傍付きになどなれやしない。私情だの、誰かの立場に偏った視点などを持てば、それだけで王族の立場が崩れるからな」
「……」
「だけど俺は違う。キングレオではお尋ね者だ。エドガン先生を無実の罪で投獄された恨み骨髄、いくら誹謗中傷を書き連ねようが問題にはならん。それが例え
自分はペンと手帳を仕舞い、前のめりになってバルザックに顔を近づける。間違っても姫様たちに聞こえたりしないよう、慎重に口を開く。
「……本当なんでしょうか」
「証拠はない。そもそも証拠を残す時点で策謀とは呼べない。そいつはただの失策だ。だが、キングレオの連中が来るのとを前後して村に魔物が居着き、それを素知らぬ顔で無視して素通りする対応の素っ気なさ。おまけに、わざわざ『若い女』を生贄に要求する魔物の不自然さ。あまりにも奇妙だ」
「奇妙、ですか」
「いいか、生贄に出来る『若い女』はテンペの村に一人だけしかいないんだぞ。じゃあ、そいつを喰ったら、その後はどうする? これで用は済んだとばかりに他の村に移動するのか?」
「それは……」
「わざわざ村長の娘を指名する理由が他にあるなら話は別だ。だけどそうじゃない。最初からニーナという娘を狙ってのことじゃないんだ。なのに『若い女』なんて持って回った言い方をしてるんだ。おかしいだろう?」
バルザックの推理は言われてみればもっともだ。
「じゃあ、『若い女』を狙う理由が他にあったことになる。その理由がお前にわかるか?」
「……まさか」
もう一度、部屋を区切るボロ布に目を向ける。まだ含み笑いが聞こえている。姫様たちは、まだ起きている。
「あえて繰り返すが、証拠はない。あくまで疑惑だ。今のところは。だから、お前の代わりに俺が書く。魔物の裏にキングレオの連中がいるのか、魔物がキングレオの連中を隠れ蓑にしているのか。それはわからん。だが、
冷や汗が頬を伝う。手袋をはめた手の甲でそれを拭い、気を落ち着ける。
「この先のフレノールの街でも、何かあると思われますか」
「何事もなく終わってくれればいいが、虚しい願望だな。そもそも他国の人間が大手を振ってサントハイムの領内を通り抜ける口実なぞ、一国の使節といえどもそう気軽には用意できない。
何でもない事のように淡々と言ってのけるバルザックの印象が、これまでとはガラリと変わる。生贄の身代わりを軽々しく引き受けておられた姫様に太い釘を刺していたこともそうだが、明らかにサントハイムに恩を着せてきている。いや、違う。先だってサントハイムに借りていたものを返しに来ている。
「…身躱しの服と理力の杖の代金も、最初からちゃんと返すおつもりだったんですね。ですが、今はまだ一日目なのですが」
「明日と明後日が何事もなく終わってくれれば楽なんだがな。まあ、その場合は返却の手立てを別に用意しなきゃならんのが悩みの種だが」
先に寝床に入られていたはずのブライ様が低く鼻を鳴らす音が聞こえた。どうやらブライ様も横になられていただけで、まだ寝入ってはおられなかったらしい。
「心にもないことを言っておらんで、おぬしも早く寝ることじゃな。クリフトも夜更かしは程々にせい」
ペンを置いたバルザックは手を洗って寝る準備を始めた。自分も被っていた神官帽を外す。ボロ布の向こうではまだ姦しい囁き声が続いていた。姫様が明日の朝に寝坊なさったりはしないかと、それだけが心配だった。