山道を歩きながら両手を青空に突き上げて、大きく口を開けて欠伸をする。昨夜は寝付くのが遅かったから、まだ少し眠い。
「姉さん、お行儀悪い」
「だってぇ」
妹の注意に口元を片手で覆う。隣ではアリーナが全く同じように大きな欠伸をして、「姫様」「ごめーん」と、クリフトに窘められていた。
昨夜はアリーナとミネアと三人で床に敷いた毛布の上に並んで横になって、遅くまで小声でお喋りをしていた。アリーナはお姫様だから、昼間はお城から抜け出したとしても夜には戻らなきゃならなかったし、あんな風に夜遅くまでずっとお喋りするなんて初めてのことで、すっごく楽しかった。
とりとめもなく思いつくままに色んなことを話した。サントハイムの王様のこと、お父様のこと、クリフトとブライのこと、オーリンとバルザックのこと、サントハイムのお城のこと、モンバーバラの街のこと、サランの街のこと、コーミズ村のこと、他にも色々と。
話しても話しても話題は尽きなくて、そのうちにお喋りをしながらウトウトして、気付いたら三人で寝てた。夢の中でもお喋りしていたような気がするくらい。
横目で肩越しに後ろをチラッと見ると、最後尾でバルザックとブライは何も言わずに目だけを見交わし合って小さく苦笑していた。どっちも偏屈な魔法使い気質だから気が合うのかしら、と、どうでもいいことを考える。
身躱しの服のおかげか険しい山道も足取りは軽くて、あくび混じりでもスイスイ進める。アリーナも同じ。生真面目に歩幅を一定にしようとしてるクリフトの方が少し息を切らしてるくらい。
「ミネア、大丈夫?」
「そうね。ちょっと息が切れてるかも。……うん、少し水を飲むわ」
立ち止まって水袋を取り出し、口をつける。少し前までなら「大丈夫よ」とか言って苦しいところを見せまいとしてたのに。今日は素直に苦しいところを隠さない。私は立ち止まってクルリとターン。少し腰を折り曲げて、水を飲む妹の顔を下から見上げる。
「?」
小首を傾げて頭の上に疑問符を浮かべる私の妹は、うん、また少し大人っぽくなった。見た目がどうとかじゃなくて、そんな感じがするというだけのことだけど。
「姉さんも飲む?」
「ちょーだい」
差し出された水袋を受け取って、飲む。一口、二口。ちょっと迷ったけど、もう一口。
「ミネア、干し肉ある?」
「はい」
「あーん」
予想してたみたいに干し肉の切れ端を取り出してた妹に向かって口を開けてみせると、苦笑しながらも食べさせてくれた。
「ねえ、クリフト。ボクも何か欲しいな。昨日のハッカ飴はまだある?」
「ございます」
「あーん」
「!?」
アリーナも私の真似をして口を開ける。硬直したクリフトは真っ赤になっていた。震える手で飴玉をアリーナの口に入れる。その時に手袋の先っちょがアリーナの唇に微かに触れて、火傷でもしたかのように慌てて手を引っ込める。
「し、失礼! いたしました!」
「うん? ボクは大丈夫だけど」
アリーナは全く気にせず、というか気付いてもいないように小首を傾げながら口の中の飴を舐めている。
「ホッホッホッ」
ブライが白い髭を撫でながら笑ってる。私もミネアと顔を見合わせて小さく笑う。クリフトはあんなにわかりやすいのに、アリーナは気付いていないというか、意識さえしてもらっていないというのが可哀想ではあるんだけど。アレは、私たちがオーリンに向けるのともまた少し違う感じ。
「姉さん、どうしよう?」
「見てて面白いから、そのまま放っておきましょ」
変につついて拗らせるのもイヤだから、私は放置一択だ。それはそれとして、からかって遊ぶくらいはするけれど。
「ねえねえクリフト、私にも飴を食べさせてくれない?」
「姉さん」
甘えた風に声を出すと、後ろから妹の理力の杖がコツンと私の頭を叩いた。本気じゃないから痛くはないんだけど、さも痛いように両手で頭を抱えてみせる。
「いったーい」
「遊んでないで、さっさと進みましょ。今日中にフレノールの街につかなきゃダメなんだから」
「ぶー」
仕方なしに再び歩き出す。口の中の干し肉を噛みながら前方を見る。険しい登り道はもうすぐ終わる。少し先の峠を越えれば、あとは下っていくだけだ。
「……ねえ、アリーナ」
「うん、誰かいるね」
でも、その峠に、人影が。
「バルザック」
「ああ、俺にも見えた。ちょっと待て」
全員が立ち止まり、周囲を警戒する。
魔物には色々な種類がいるし、遠目には人間と見分けがつかないものも少なくない。だから人間だと思わせて油断させたり、あるいは助けを求めているように装って一人だけ釣り出そうとしてきたりもする可能性もある、らしい。全部バルザックの受け売りだけど。
本当に、こういうバルザックの悪知恵というか、姑息な陰険さは信じられないほどだ。よくもまあそんなことを思い付くものだと感心すらしてしまう。
「うむ、周りに魔物はおらぬようだな」
「不意打ちはしてこないか。では、注意しながら近づくぞ」
狭い山道で挟まれたり囲まれたりされると怖いというのは、前にコーミズ村へと登る山道で襲われた隊商の馬車に乗り合わせたこともあるから身に染みて理解してる。
ブライの安全確認に続いて、バルザックが前進を指示する。もし相手が魔物なら、真っ先にそれを受け止めるのが私とアリーナだ。もし私たちが失敗すれば、後ろにいるミネアたちが危険になる。オーリンはいつもこんな風に私たちを守ってくれていたんだと思うと、改めて感謝したくなる。
「ボクが見た感じ、一人じゃないよね? あと一人か、二人か……全部で、三人?」
「戦いになりそうな感じか?」
「ううん。なんだか一休みしてるみたい。石に腰掛けてお喋りしてるわ」
「よし。なら、そのまま通れるようなら先に進む。ただし油断はするなよ」
登りと下りが切り替わる峠で小休止をするというのはわからなくもない。もしそこに誰も居なかったら、私もそうするように提案したかもしれない。でも、先客がいるなら話は別だ。見たところ、そんなに峠は開けているわけでもなさそうだし。こっちが全員腰を下ろして休めるほどの広さはないようだし。
「おや。誰か来たようじゃな」
「あ、ホントだ」
「おやおや、可愛らしいお嬢さんたちだ」
近づいていくと、アリーナが見て取った通り三人組だった。やや背の低い老人。ちょっと背の高めの青年。あと、私たちと同じくらいか、少し上くらいに見える女の子。
「こんにちは」
「フレノールの街に行かれるのですか?」
「ええ、そこで一泊しようかと」
「そうですか。神の御加護があらんことを」
すれ違いざまに青年とクリフトが軽く話している。クリフトの着ている緑の神官服とは違うけど、教会の神父さんにも似た感じのゆったりとした服。神の御加護、というからには、あの人も神官か何かなのだろうか。
「そちらのお嬢さんたちにも、神の御加護がありますように」
気さくに笑いながら私たちの方にも手を伸ばしてくる。でも、その手の先を私は軽く指先で払った。
「ごめんなさーい。私たち、そういう商売はしてないんです♪ お触りはダ、メ、よ?」
ミネアは普段の私が着ている踊り子の服よりは大人しめだけど、右肩から右腕にかけての肌が見える占い師の服を着ている。その剥き出しの肩に触れようとしていた男の手に、私はイヤなものを感じた。お父様やオーリンはもちろん、昔のバルザックにさえ感じなかった警戒感が私にそうさせた。
「……。あ、ああ、これは失礼を。決してそういうつもりではなかったのですが、確かにいきなり触れようとしたのは少々不躾でしたね」
私が笑顔で、でも冷たく見上げると男は一歩下がって、軽く笑って誤魔化した。
「マーニャ?」
「あはっ、私たち、旅の踊り子なんです! 良かったらフレノールの街にも見に来てくださいね!」
ちょっと不思議そうなアリーナの声には答えず、私も笑顔で返した。こんなの、モンバーバラの酔っ払いをあしらうのに比べたら全然大したことない。頭に乗せた羽根帽子を翻して軽くターンを決める。これでお互い、あとは何も無かったことにするだけ。
「ちょっと、何をしようとしてたの?」
「いやいや、別に何も。本当だって」
向こうの女の子に問い詰められて、男は少したじろいでる。そういうところを見ると本気で何かをしようとしていたわけじゃなかったのかもしれない。
「……」
向こうの老人が黙って会釈してくる。私は思わずブライと見比べる。髪型や髭の長さとかは違うし、着ている服も細かいところは所々違うけど、遠目には見分けがつかないかもと思うほどに似てる。
「ねえ、爺や。実は爺やにも兄弟とかっていたりするの?」
アリーナも同じように気になったらしく、ヒソヒソと囁いてるのが聞こえた。
「生憎と儂には生き別れの兄弟や見ず知らずの親戚などおりませぬぞ」
「へぇー、でも、よく似てたよね。あの人」
「他人の空似、ということもありますでな。まあ、ここで別れれば再会する機会などそうはありますまいて」
「おい、マーニャ」
峠を降りる下り坂に入ると、後ろからバルザックが近づいてきた。
「どうしたの?」
「あの連中、どうだった? 理屈じゃなくていい。お前の感じた素直な印象でいい」
「んー? 根っこは悪い人じゃないのかもしれないわ。少なくとも、あの女の子の方は」
バルザックは肩越しにチラッと峠の三人組を見てから、私の方に目を戻す。
「じゃあ、ミネアに触れようとした男は」
「ああいう客はモンバーバラの劇場でも時々いるわ。本人は何気ないつもりでいるんでしょうけど。踊り子の方から見ればあからさまにベタベタと触ってくるような面倒な客よ」
ミネアは触られそうになっていた右肩を軽く手で擦っていた。別に汚れがついてるわけじゃないでしょうけど、こういうのは気分の問題でしょうね。
「なるほどな。――…いや、まさかな」
「どうかした?」
「いや、今は気にしても仕方ないだろう。さっさとフレノールの街に行くか」
バルザックはもう一度後ろを振り返った。そこにいる三人組は小さくなっていて、細かいところはもう見えなかった。