サランの街に帰って来るのは、早くても明後日の午後になるだろうと思っていた娘たちがいきなり戻ってきた。口述筆記を頼んでいたオーリンが慌ただしく筆記具を片付ける音を聞きながら、何があったのかと手で髭を撫でる。
「お父様」
「ただいま戻りました」
「お帰り。怪我などはしておらぬか?」
「はい。私もミネアも怪我一つありません」
「そうか。で? 何があった?」
水を向けると、困惑というよりも何から話したものかと迷うような沈黙が落ちた。
「……色々とありました。テンペの村に魔物が居座ってた、とか」
「他にも、フレノールの街にアリーナの偽物が出たのよ。ただ、そっちは私たちが見たわけじゃないんだけど」
「ふむ?」
オーリンの動きが止まる。たった一日や二日で一体何があったのやら。
「その辺りも詳しく聞きたいところだが、まだ何かありそうだな?」
「ええ、実は……」
そう言いかけた娘たちの声も止まる。部屋に落ちた沈黙に重なって、重い足音が宿の階段を上がってくる。鋼の全身鎧を着ていると思しき重量感のある足音に、腰に佩いている鋼の剣の鞘が鎧に当たる音も混じっている。
「……本当に、来ちゃった」
ポツリと呟いたマーニャが私の傍に寄ってくる。私の背中を支えるというよりも、私の影に隠れたいとでもいうように寄り添ってくる。反対側にミネアまでくっついてきた。
「オーリン、急いで茶の支度を。どうやら客人のようだ」
「はい、先生」
「……いえ、それには及びません。お茶は俺が用意してきましたので」
オーリンが部屋を出ようとしたのを制するように、もう一人の弟子の声が聞こえる。娘たちが帰ってきた時点で一緒に部屋に来なかったのが不思議だったが、下の厨房で茶を淹れていたのか。
「……」
一瞬の空白。いや、それは空白などではない。数瞬の沈黙が圧縮され凝縮されたような重さが部屋の空気を軋ませる。
「えっと、お邪魔します」
「失礼いたします」
続いてアリーナ第一王女殿下に、傍付きのクリフトという少年も入室してくる。となると、宮廷魔術師のブライ殿も一緒にいるだろう。
「このような狭い部屋に――と言っては、宿の一室を借りている身では非礼に当たりますかな。とはいえ、わざわざのお出ましとは。恐縮いたします。……陛下」
「!?」
僅かに部屋の空気が変わる。バルザックは慌てず騒がず、淹れてきた茶を各自に配っているようだ。良い匂いが部屋に満ちる。それから、部屋の扉を閉める音が聞こえた。
「……そなたの弟子の差配だ。余をここまで呼びつけるとは、豪胆なことだ」
鉄仮面を外す金具の鳴る音を響かせてから、威厳ある王の声が響いた。
「それはもう、儂の自慢の弟子ですからな。そのくらいのことはしてのけるでしょうとも」
私の左右にマーニャとミネア。さらにオーリンとバルザック。部屋の反対側にサントハイム王とアリーナ第一王女殿下。そして傍付きのクリフトとブライ翁。全部で9人もが詰め込まれると、かなり狭くなる。とはいえ、そうする必要があるとバルザックは判断したらしい。
「概要はブライから聞いておる。テンペの村を根城にしていた魔物は討伐したが、フレノールの街でさらなる騒ぎが起きておるとか」
「はい、陛下。詳しい事情は不明ですが。現時点で明らかなのは次の二点。一点目はフレノールの街の宿に盗人が入ったとキングレオの大臣が声高に主張している。二点目は、サントハイムの王族を騙る何者かが、その宿の中に入って行ったという事実のみです」
鎧を装備した腕が組まれる微かな音。
「それで?」
「通常であれば、フレノールの街から急を告げる報告がサントハイム城へと上がるはず。しかし、それは叶わぬとキングレオ側は計算しているかと。何しろ、途中のテンペの村は魔物によって封鎖されているはずですので」
「途中で急を告げる使者は殺され、よしんば城が何らかの変事を悟ったとしても先にテンペの村の件を片付けねばならぬ。すなわち、フレノールの街にまで城の手が及ぶのは当分先になる、ということか」
「ご賢察、恐れ入ります」
私は黙って茶を啜った。同じように何人かが茶を飲んで喉を潤す。
「ですが、キングレオの一行は他国人。サントハイム国内で好き勝手に振る舞うわけにはいきません。――
バルザックは淡々と告げる。
「念のため確認しておく。アリーナ姫、キングレオの大臣を顔を合わせたことは?」
「え?……父上と謁見した時は、ボクも同席してたよ?」
「遠目から、陛下の傍に立ってるのを見ただけ、か。その後の歓迎の宴には欠席してたものな」
「そう、だけど……」
「つまり、アリーナ姫とは接点がない。もし相手が王族を騙る偽物だったとしても、『それが偽物だとは気付かなかった』と言い抜け出来る余地はあるな」
憤然としたように席を立つ音がする。
「え!? そんなんでいいの!? そんなの、言い訳にしたって見え透いてるじゃない!」
「もしそれがバレてサントハイムから抗議されるとしても、その頃にはもうサントハイムの領内から外に出ているだろうって計算なんだ。既成事実を作る前に必要な建前にさえなればいいんだよ」
「じゃあ、そうやって自分から騒ぎを起こして、サントハイムの王族の偽物まで用意して……」
「フレノールの南の洞窟に兵を出す。『盗人がそこに逃げ込んだという情報を掴んだ』とか言えばいい。そこに封印されてた『黄金の腕輪』が、そもそも盗まれたと主張している品とは別の物だなんて、一体どこの誰が証明できる?」
「被害を主張している大臣の他に、その財宝とやらが具体的にどんなものだったのかを詳細に知る者はおらんじゃろうからな。あるいは当の大臣自身もわかっておらぬのではないかな?」
皮肉っぽくブライ翁が付け加えると、誰かが呆れたような溜め息を漏らした。
「で、でも、王族を騙るなんてこと、そんなに気軽に引き受けられるの? もし偽物だってバレたらどうなるかなんて、ボクだってわかるくらいなのに」
「マーニャ、旅芸人の一座が劇で王様や貴族に扮して役を演じることぐらいあるだろう?」
「え? そ、それは、まあ、あるとは思うけど」
「普通なら劇場だの、あるいは自前の天幕だの、それ相応の舞台を用意してやるものだがな。小さい街や村で、そういう場所が無かったらどうする?」
「……あ」
何かに気付いたように私の耳元でマーニャが呟いた。そして反対側でミネアも口を開いた。
「バルザック、まさかフレノールの宿が今回の『舞台』だって、そういうつもりなの?」
「あるいは『宣伝』も兼ねてたのかもな? アリーナ姫とは髪の色も違ってたんだろう? さらにはアリーナ姫の名前も出していない。名乗ったのは『サントハイムの第一王女殿下』というだけだ。ずっと昔の、そう、例えばアリーナ姫の御先祖様のつもりでした、とギリギリの言い訳が通じるだけの落としどころを用意してる辺りも心憎いな」
やれやれとばかりにバルザックは溜め息を漏らした。
「旅芸人の一座が金をもらって、上客の前で劇を披露すること自体は別に悪事というほどのことじゃない。『キングレオの大臣に領内の通行許可を出した』っていうのも、ただ単に劇中の設定のつもりだった。そういう筋書きの劇でしかなかった、と開き直られたら、それ以上の追及は難しくなる」
「……」
「キングレオの側も盗難の被害者であり、なおかつ旅芸人の一座が王族を騙る偽物だとは気付かなかったと主張する。旅芸人の側も単に金をもらって雇われただけだと主張する。その金が一体どこから出ていて、どういう経路で旅芸人に渡ったのかを調べるとしたら、さて、どれくらいの時間と手間がかかるだろうな?」
私は茶器を手元の受け皿に戻した。カチャンと高い音が少しだけ大きく響く。
「バルザック、余談はもうそのくらいで良かろう」
「はい、先生」
「陛下、事は急を要しております。これが儂ならば、サントハイム城に向かう往路の時点で密かにフレノールの南の洞窟に人を遣わせておきますな。さすれば帰路でそれを回収するだけで良い。『盗まれた品は無事に取り返したので、サントハイム側の責は問わぬ』と言えば、フレノールの宿としてもそれ以上は何も言えますまい。後日になって『黄金の腕輪』が消えていたことに誰かが気付いたところで後の祭りです」
重い沈黙が落ちた。威圧。威厳。一国の王のみが身に纏う覇気。狭い部屋の空気が全身にのしかかってくるかのように粘り気を増す。
「――…キングレオの新王とやらと面識はあるか、エドガンよ」
「多少の言の葉は交わしましたが」
「どうであったか。かの王は一国の王器たりうるものであったか。そちの考えを率直に述べよ」
「野心家ではありましたな。自らの国を世界に冠たる大帝国にしてみせる、と、そう語る言には本物の熱意がございました」
「……」
「ですが、弱きに寄り添うことは叶わぬ御仁かと。ただ己が大望のためならば百万の民を野火にくべても悔いなき御方と見ました」
鉄仮面の金具が鳴る音。サントハイム王の腰にある鋼の剣の柄が揺れた音。
「よく、わかった。どうやらキングレオの新王は、余とは相容れぬ王道を選んだらしい」
「父上」
「サントハイム王国への度重なる干渉および臣民への狼藉は、王冠を担う者として断じて看過できぬ」
金属鎧が立ち上がる音。鉄仮面を被る音が響く。
「アリーナよ」
「うんっ」
「
「はいっ!!」
「クリフト」
「はっ」
「ブライ」
「ははっ」
「引き続きアリーナを補佐せよ」
「「御意!」」
くぐもった、しかしそれでもはっきりと聞き取れる声が立て続けに命令を発する。
「バルザック、そしてマーニャとミネアよ」
「……」
「そなたらはサントハイムの民にはあらず、ゆえに余が命を下す筋ではない。しかし、そなたらが望むのであればエドガンの身柄を
「!?」
さすがにそれを聞き捨てには出来ず、柔らかに口を挟む。
「陛下」
「不満か」
「この老い耄れを弟子や娘の首輪にしたいわけではありませぬゆえ」
「そのつもりはないが」
「そうであるとしても、です。そもそも、その必要もありませぬ」
「先生、それは……」
口を開きかけたオーリンに向かって手を挙げ、制する。一国の王との問答に横から口を出す非礼を犯させるわけにはいかない。
「もう間もなく、とまでは申しませんが。この身も、そう長くはありませぬ。そうなれば、保護していただくほどの手間をかける必要もなくなります」
左右の耳元で二人の娘達が息を飲む音が重なって聞こえた。心の準備をさせるだけの暇を与えられなかったことは申し訳なく思うが、今この場を逃せば口にする機会は次にいつ訪れてくれるかもわからなかった。
「……そうか」
「陛下のご厚意には心より感謝を申し上げます」
「良い。…しかし、余の周りは、余よりも先に逝ってしまう者ばかりだ。ブライも、ゴンも、いずれ近いうちに余のもとから去ってしまうのであろうな」
「御冗談を、陛下。儂はまだまだ死ねませんぞ。ゴン爺めの葬儀で心にもない弔辞を読み、なおかつ姫様が産んで下さる若子を見ずに死んでなるものですか」
「その意気だよ、ブライ!…でもボクの子供って、幾らなんでもちょっと気が早すぎない?」
湿った空気を吹き飛ばすようにブライ翁が笑い、アリーナ第一王女殿下が応じる。誰もが少しだけ頬を緩める。
「陛下、師は辞退を望みましたが、この弟子からお願いを申し上げます」
「聞こう」
「保護とは申しませんが、サントハイム王家の名で、どうか正式に恩赦を頂戴したく存じます。罪人の汚名だけでも、せめて雪いでいただきたく」
床に跪いたのか、バルザックの声は低い位置から聞こえた。
「わ、私も!」
「私からも、お願いします。どうかお父様に無実の罪を背負わせないでください」
「自分も、お願いいたします!」
続いてマーニャも、ミネアも、オーリンも床に跪く音が響く。私は思わず目を閉じた。こんな老い耄れの名前に、そこまで拘る必要など今さらありはしないというのに。
「良き弟子。良き娘。――…良き家族を持ったな、エドガンよ」
「……御意」
堪え切れずに、閉じた瞼から一筋の涙が零れた。
次で第二章は終わります