第一話:蜂蜜酒
「おはようございます、先生」
「うむ、おはよう。……陛下の具合は?」
「城からは、まだ何も。マーニャとミネアも戻ってきてはいませんので、回復はされていないものと思われます」
「そうか」
宿の寝台から体を起こした師は、何よりも先にサントハイム王の容態を尋ねた。俺の答えにも落胆した様子は見せないあたり、おそらく予想はしていたのだろうが。
「バルザック、このまま陛下が何も話せぬ状態が続いた場合、この国はどうなる?」
「即座に何かしらの変事が起きるほどに不安定な国ではないでしょう。当代のサントハイム王が名君かどうかについての評価は差し控えますが、少なくとも王としての務めに手を抜くようなお人柄には見えませんでした。当面の間は周囲が補佐をしつつ大過なく治めてはいけるかと」
師の懸念に対し、俺はそれを否定する。
原作ゲームにおいてもサントハイム王が声を出せなくなるという、一種の失声症にも似た症状を見せることになるイベントがある。地獄の帝王が復活する悪夢に魘されていた王が、それを大臣に相談しようとした途端、急に声が出なくなったというが。
「ただし、長期的に見れば影響は避け難いでしょう。いざという時に王が自らの声で号令をかけ、命じ、そして慰撫する。直接的に事態の解決に寄与するものではなくとも、心理的な安定という意味では無視できません。まして、単に変事が起きたというだけでも人心が不安に陥るのは避けられませんが、それを治めるべき王の身に異変が起きたともなれば」
「その影響は城とその周辺のみならず、国の広範囲にも及ぶ、か。これではキングレオの二の舞になりかねんな」
エドガンは深々と歎息した。
正直に言ってしまえば、俺は解決方法を知っている。砂漠のバザーからさらに西へと進み、囀りの塔の最上階で天空城のエルフが持っている囀りの蜜を入手して、それを王に飲ませる。原作ゲームにおいては、これで再び声が出るようになっていた。
ただし、問題が一つある。なんでそんなことを知っているのか、という疑問に対して答えることが出来ないのだ。
俺は医者でも何でもない。しかもサントハイムの人間ですらない異国の人間だ。サントハイムの国土の端の端、滅多に人も寄り付かないであろう囀りの塔に、なんで天空城のエルフが遊びに来ることを知っているのかとか、そのエルフが持っている囀りの蜜がなんで王の失声症に効くことがわかるのかとか。
そういう至極もっともな疑問を投げかけられた時に、俺には相手を納得させるだけの答えの持ち合わせがない。
「侍医の診断でも、喉には特に異常が見られないとか。原因も不明のため、打つ手がないようです」
原作ゲームにおいては、サランの街に逗留していた吟遊詩人の見事な声が事態を解決する糸口になるはずだった。だが、俺の知る限りでは現在のサランではそれらしき吟遊詩人の姿を見た覚えはない。
オーリンが出入りしているサラン武器防具連盟の線で、それらしい吟遊詩人の噂を聞いてもらったりもしたが、どうやらフレノールの街からサランの街に向かう途中で消息不明となったらしい。まさかとは思うが、テンペの村で魔物に殺されたという旅人がそうだったのか。
おまけに、あの状況ではやむを得なかったとはいえ半ば俺のせいで砂漠のバザーも終了してしまった。そのためバザーに店を出していた商人から囀りの蜜について話しを聞くことも出来なくなってしまっている。
「アリーナ姫もすっかり塞ぎ込んでしまって、今はマーニャとミネアを傍につけてはいますが……」
「無理もない。父一人、娘一人。その絆は余人が推し量るには余りにも深い」
師の声も沈痛の陰りを帯びていた。自分が没した後で、マーニャとミネアがどれほど嘆き悲しむことになるかに想いを馳せてでもいるのか。これについては俺も何も言えない。
「――…それはそうと、昨日マーニャが儂に『禁酒する』と言ってきた」
「ああ、はい。俺も少し前に聞かされました」
「ほう? 儂よりも先に、か?」
「まあ、ミネアと一緒にたびたび酒を控えるようにと以前から説教はしていましたから」
見えぬ目を細めて興味深げに髭を撫でるエドガンは、俺をというよりも昔の俺を目で追っているように遠い眼差しを彼方に投げている。
「コーミズ村にいた頃であれば、お前に向かってそのようなことをわざわざ言ったりはしなかっただろうに。少しは仲良くなったか」
「仲良くというか、最近は姉妹揃って俺のことをからかって遊ぶのがすっかり得意になってしまって。今じゃすっかり玩具の扱いですよ」
少しばかり楽しげにエドガンは喉を震わせて小さく笑った。
「お前はそう言うが、な。少なくとも、子供は警戒したり敵視しているものを玩具にしたりは出来んものだよ。玩具にして遊んでも、決してお前が本気で怒ったりはしないと無邪気に信じられるほどに、今のお前に甘え慣れ親しんでいるということでもある」
「……」
「そうか。昔のお前は子供嫌いかとも思っていたが、今はもうその心配も要らなくなったな」
また一つ、肩の荷が下りたと言わんばかりの口振りに、俺は何とはなしに寒気を感じる。
「先生」
「バルザックよ。一つ頼みがある」
俺の声を上塗るように、師が静かに言った。
「
「!?」
「その反応だと、知ってはいるようだな」
「……はい。砂漠のバザーで商人の一人が、珍しい商品としてそのような名前の蜜を噂していましたので」
「なるほど、そうか。あそこならばそういった物が売り買いされていてもおかしくはないな」
昔サントハイムからフレノールの街にも訪れていたという師が、その名を知っている可能性は確かにあった。だが、今ここでその名を出すということは。
「儂は昔から蜂蜜酒が好きでな。祝い事の時などには、秘蔵の蜂蜜酒を一人でこっそりと飲んでいた。まだオーリンやお前も小さかった頃の話だ。おそらくコーミズ村に秘蔵してあった酒瓶は残らずキングレオの城に持って行かれてしまったことだろうが」
軽く諧謔の色を滲ませた声で、エドガンは俺に依頼した。
「だから、もし儂がマーニャと差し向かいで酒杯を挙げる時は、是非とも噂に聞く囀りの蜜から作った特別な蜂蜜酒を飲んでみたい。手に入れるのは相応に困難だとは思うが、死にゆく老人の最後の頼みと思って聞いてはくれないか?」
おそらく師も気付いている。俺が何かしらの秘密を抱え込んでいることに。気付いていて、それでも何も言わずにいてくれている。それどころか、こうやって自分の依頼という形で俺を後押ししてくれている。
「わかりました。手に入れられるかどうかはわかりませんが、やってはみます」
であるならば、俺に出来ることはそれを素直に感謝しながら受け入れることだけだ。
「そうか。いや、すまないがよろしく頼む。孝行息子を持てて、儂は幸せ者だ」
だから、どうかそんなことを嬉しそうに言わないでくれ。