囀りの塔の最上階。そこには天井がなく、青空がそのまま見える吹き抜けになっていた。
「ここは本当に高いところにあるのね。空がすごく近く見えるわ」
思わず空を振り仰いで目を細めてしまう。周囲の壁の高さと現在の陽の角度の関係で陽光が直接差し込んできて目が眩むというほどのことはないが、それでも薄暗い塔の階段から急に明るい場所に出ると、ひどく眩しい。
「……誰も、いないか」
バルザックが小さく呟く。そこは一面の花畑になっていた。ふわりとした甘い匂いが香る。ここまで辿り着くのにさんざん苦労させられた多種多様な魔物の気配さえもない。
「え? ここに誰かいるの?」
「いつもではないが、な。蜂蜜が花の蜜を蜂が採取したものだ。なら、囀りの蜜は一体誰が採取したものだと思う?」
またバルザックから意地悪な問題を出されたアリーナが姉さんや私にも尋ねるような目を向けてくる。尤も、私たちにも見当もつかないけど。
「ブライ、わかる?」
「さて、ここまで来るのは普通の人間には無理でしょうな。かといって魔物がわざわざ花の蜜を集めるとも思えず。となれば、残る可能性としては妖精といったところでしょうかな?」
白い髭を撫でながら悠然と答えたブライに、バルザックは感心したように頷く。
「さすがは大賢者。というか、その様子だと答えを知っていたのか」
「ホッホッホッ、亀の甲より年の劫というヤツよ」
「すごいね! さすがボクの爺や!」
「お見事です、ブライ様!」
アリーナとクリフトに口々に褒め称えられて、ブライはご機嫌だった。
でも、確かに見る限り誰もいない。吹き抜けから流れてくる風で花が微かに揺れているけど、それだけだ。
「仕方ない。このまま引き返しても無駄足になるだけだ。俺たちでは蜜を採取することも出来ない。一休みしながら待つか」
バルザックは階段近くの地面に腰を下ろす。それに倣って私たちも思い思いに腰を下ろして体を休めた。
「ねえ、マーニャ! また干し肉ちょうだい!」
「あら、また? もしかして気に入ったの?」
「この塩辛いのが癖になった! お城じゃ食べられないんだもの!」
姉さんから分けてもらった干し肉を齧って、アリーナは笑う。まあ、確かにわざわざ塩漬けにしてから干し肉にするまでもなく、お城では普通に生肉を料理にして出すでしょうけど。
「代わりにコレあげる! ナッツと干し葡萄の蜂蜜漬け!」
わざわざ割れないようにと革袋の中に柔らかい綿を詰めて、そこに厳重に封をした小瓶を入れるという、用心に用心を重ねた仕舞い方だった。
「姫様がお持ちになるというので、城の侍女が仕舞い方に工夫を凝らしたのです」
クリフトがそんなことを言わずにはいられないくらい、さぞ侍女の人が苦心したのだろうと想像がつく。それはまあ、塔の中でも飛んだり跳ねたり、いつもの通りアリーナは大暴れだったもの。むしろ今までよくも割れずに無事だったと感心するくらい。そういう意味では侍女の人の苦労は報われたのかもしれない。
「甘い! 美味しい!!」
お行儀悪くも小瓶の中にそのまま指を入れてナッツを口に運んだ姉さんが声を上げる。
「ほら、ミネアも食べてみて」
アリーナに差し出された小瓶から漂う甘い蜜の匂いに誘われて、私も我慢できずに指を入れてしまう。しっとりとした蜜の感触に包まれた大粒の干し葡萄を口に運ぶ。
「……甘い」
すごく甘い。でも、喉に引っかかるようなしつこい甘ったるさじゃない。口の中でサラリとした蜜が溶けて、その下から干し葡萄の濃厚な甘さが覗く二重の甘さ。
「美味しいでしょ?」
「すごく美味しいわ」
「でしょ!? でも、父上って甘いものが苦手なんだよね。茶会の時にボクはお茶と一緒にコレをつまむのが好きなんだけど。父上は絶対に食べないの。お茶請けにするのも甘くない辛めのクッキーとかチーズとか、そんなのばっかりで」
アリーナは少し笑って、でも、すぐに寂しそうに口を閉ざした。黙って蜂蜜漬けのナッツを食べる。
「囀りの蜜を食べさせる時にも苦労しそうだな。良薬口に苦しというが、サントハイム王にとっては甘いのが薬になるわけだ。まあ、そこは我慢してもらうしかないだろう」
暗くなりそうな空気をバルザックが読んで口を挟むと、姉さんが立ち上がった。
「実は今日の分の踊りの練習がまだなのよね。ここは静かだし、ちょっと体を動かすわ」
花畑の中に足を踏み入れて、無言で姉さんが息を吸って、静かに吐く。トンッと軽く地面を蹴って、跳ねて、ステップを踏んで、また跳ねる。
指先で風を撫でるように優しく腕を揺らして、腰を振り、体を反らす。次はトントントンと連続で足を鳴らし、身体を捻って、同じ足で着地して、もう片方の足を前方に突き出す。
クルリとターン。紫の髪が弾むように揺れて、風に乗って光の粒子が舞い散るように黄金の光が姉さんの周りを取り巻く。
違う。気付いたら吹き抜けの空から陽の光が差し込んできていた。
「~♪」
踊りながら姉さんは鼻歌を奏でていた。私も合わせるように小さく鼻歌で伴奏する。アリーナはうずうずと体を揺らしていた。
「マーニャ! ボクも踊っていい? この前クリフトと一緒にダンスの練習もしたんだ!」
「ひ、姫様!?」
顔を真っ赤にしてクリフトが慌てている。それを見ながらブライが思い出し笑いをしている。
「いいわよ? 一緒に踊りましょう?」
「やった!」
喜び勇んで立ち上がったアリーナが姉さんの隣に並ぶ。
「いくよ?」
「いいわよ。私の方で合わせてあげるから」
そう言って、二人が踊り始める。アリーナも少しずつ踊りの手順を覚えてきている。姉さんと同じ足の動きを即座に真似て、体を捻って、同じタイミングでターンする。
前から仲が良かったけど、一緒に旅もして、一緒に戦って、息も合ってきている。同じ身躱しの服を着こんでいるせいか、まるで鏡合わせのようにピッタリと動く二人を見ていて思わず笑みがこぼれる。
「ブライ、クリフト、バルザックも、どう?」
「遠慮しておきます」
「儂も遠慮しとくわい」
「俺も」
「ちぇっ、つまんないの!」
姉さんが誘っても首を縦に振らない男たちにアリーナは拗ねてみせたけど、すぐにまた機嫌良く踊り始める。
「ミネアもどう?」
「私は、いいわ。姉さんたちを見てる」
座ったままの私にアリーナと姉さんが顔を向け、ふふっと二人して笑う。何がおかしいのかしら。
「楽器が無いから伴奏を入れてやることもできないな。せめて手拍子くらいは鳴らしてやるか。ミネア、頼む」
その代わりにバルザックが提案してくれたので、私が手を鳴らす。パン、パン、パパン。姉さんがステップを踏むのに合わせて手を鳴らす。
昔から踊りの練習をしているのをずっと見てきているので、姉さんの好きなリズムはわかっている。私とバルザックの手拍子に合わせて、クリフトとブライも手を鳴らす。
「あはっ、いいわね! ノってきたわ!」
姉さんが高く跳んだ。風の動きが変わる。花びらが舞って、姉さんの体に寄り添う。風に乗って、空の方に高く飛んでいく。
その花びらを思わず目で追った私の視界に、何かの影が映った。
「……?」
ここからだと逆光になって見えにくいけど、塔の外壁の上端に隠れるようにして、誰かがいる。でも、あんなところに人がいるわけがない。それこそ、空を飛べたりでもしない限りは。
「ミネア、静かにな」
バルザックが囁くように小さな声で私を止めた。ブライもクリフトに目配せしている。踊りに夢中になっている姉さんとアリーナは気付いていないだろうけど。
「えいっ!」
着地する姉さんと交差するように今度はアリーナが高く跳んだ。クルリと宙返りして着地する。
「わぁ……」
思わず、といった調子で少しだけ弾んだ声が微かに聞こえた。
「シッ……」
「おねえさま、でも……」
だけど、すぐに誰かに叱られたのか、今度はしょげたような小声が聞こえる。
「アリーナ、今のはすごく良かったわ! クルッと体を回して跳ぶの!」
「ホント!? でも、マーニャもこのぐらいは簡単に出来ると思うよ!」
「そう? ちょっとやってみるわ!」
調子に乗った姉さんはすぐにその気になってしまう。いつもなら私がそれを止めるのだけど、今は隠れている人影が気になっていたせいで止めるのが少し遅れた。
「姉さん、無茶は――」
「えいっ!」
高く跳び上がった姉さんは、だけど着地の直前でバランスを崩して転んでしまった。慌てて立ち上がって姉さんに近寄る。
「ちょっと、姉さん、大丈夫!?」
「いったぁ……」
足首を捻りでもしたのか、痛そうに顔を歪めている。すぐにホイミをかけようと屈みこんだところで、姉さんの目が丸くなっていくのに気が付いた。
「…え? 誰?」
「あ!」
続いてアリーナも気付いたように上を見る。
「おねえさま」
「ああ、もうっ、仕方ないわね」
塔の外壁を軽々と乗り越えて姿を現したのは、若草色の長い髪に尖った長い耳のエルフだった。姉妹なのか、顔立ちも雰囲気もよく似ている。
「翼もないくせに人間が飛ぼうとするから、そうやって失敗するのよ」
「でも、なかなか踊りは上手だったじゃない。そうでしょ、おねえさま」
こちらと目も合わせたくないのか、姉の方は顔を背けてる。でも、妹の方は姉に比べれば少しだけ態度が柔らかい感じ。
「ホイミ。……姉さん、大丈夫?」
「ありがとう、ミネア。ちょっと失敗しちゃったわ。もっと練習しなくっちゃね!」
痛めた足首にホイミをかけると、立ち上がった姉さんは調子を確認するように軽くステップを踏んで、頷いた。
「ごめんなさい。もしかしてお花畑を荒らしちゃったかしら?」
姉さんの声にエルフの姉妹は答えない。正確には、妹の方の窺うような視線に姉が顔を背けているのだけど。
「おねえさま」
「はいはい、わかったわよ。――…別に、言うほど踏み荒らしてはいないでしょ。踊る時もちゃんと足元の花を踏まないように気をつけてたみたいだしね。それは認めてあげてもいいわ」
エルフの指摘に姉さんは少し驚いたみたいだった。それから、とても嬉しそうに笑った。
「ありがとう。そこまでちゃんと私の踊りを見てくれていたのが嬉しいわ」
「別に。踊りが好きなのは人間だけってわけじゃ――いえ、何でもないわ」
あくまで馴れあおうとしないエルフに向かって、アリーナが口を開く。
「あの! ボクらは囀りの蜜を探してるんだ! 実はボクの父上が声が出なくなってしまって、だから、それを治すために」
「それはお気の毒さま。でも、そんなのはこちらとは何の関係もないわ」
「そんな……」
必死の訴えにも素っ気なく言い返されて、アリーナは唇を噛む。
「まあ、天空城の住人にとって地上の事情が何の関係もないっていうのはわかるが」
それに代わって、今度はバルザックが言葉を投げる。
「天空城?」
聞き覚えのない単語に姉さんは小首を傾げ、何か心当たりでもあるのかブライは鋭く目を細める。だけど、エルフたちは露骨に警戒の目でバルザックを睨んだ。
「地上の人間が天空城のことを知ってるなんて、一体何者なの?」
「俺のことは別にどうでもいい。どうしても気になるっていうんなら天空城の主にでも聞いてみればいい。本当に全知だったら知らないことなんざ無いだろうからな」
そう軽く言い捨てて、バルザックは小さな紙片を取り出してアリーナに渡した。
「アリーナ姫、試しにそれを読み上げてみろ」
「え? ええと……じごくのていおう? 何コレ?」
何気なくそれを読み上げたアリーナは何もわかっていないようだったが、バルザックは小さく安堵の息を吐いた。
「どうやら読み上げただけでは発動はしない、か。単語の問題じゃないし、血筋の問題でもないようだ」
「バルザック?」
「サントハイム王が声を失った理由の話だ。『進化の秘法』について何かを話そうとして、続きを話せなくなった。そうだろう?」
「う、うん」
「遥か昔にその『進化の秘法』を編み出して、最初に自分の体で試した地獄の帝王という存在がいてだな。そいつと敵対して、地の底深くに封じ込めたのが天空城の主と住人たちだったらしい」
私たちは驚いてバルザックとエルフたちを代わる代わる見比べる。
「天空城と地上とでは時間の感覚も違うだろう。俺たちにとってはお伽噺のような扱いでも、そっちにはまだ当時の生き証人が今も残ってるんじゃないか。『地獄の帝王が復活するかもしれない』なんて話は聞き捨てには出来ないよな?」
エルフの姉妹は黙っている。でも、否定はしない。笑いもしない。馬鹿にするでもなく、姉妹で手を取り合ってバルザックを睨んでる。
「言っておくが、もし地獄の帝王が復活したとしても、俺に何かが出来るというわけでもない。だけど、俺以外は違う」
バルザックは意味深に私たちの方を指し示した。
「俺たちは『お告げの祠』で神とやらの声を聞かせられた。それによると、マーニャとミネアは
「バルザック?」
おかしい。あの時の祠にいたのはオーリンとバルザックも一緒だったのに。なのに、どうして私たちだけが『そう』だとわかるの?
「それから、アリーナたちもそうだ。俺以外の5人は、全員が『導かれし者たち』だ」
「え?」
「ちょっと、バルザック? 一体何を言って…」
アリーナと姉さんが声を上げる。それを上塗るように、バルザックは言い切った。
「人間とエルフの確執は承知している。エルフにとって、人間が極めて危険な存在だと警戒されるだけのことをしてきたのも事実だろう。だが、いずれ
勇者? 天空への塔? バルザックが何を言っているのかさっぱりわからない。
わからないけど、その真剣な顔は嘘を言っているようには見えなかった。
「……」
「おねえさま、どうしよう?」
迷うように黙っているエルフたちに、アリーナが一歩だけ近寄る。
「あの、さ。こんなんじゃお礼にはならないとは思うけど」
さっきのナッツと干し葡萄の蜂蜜漬けが入った小瓶を差し出す。
「これ、ボクの好物なんだ。さっきボクたちも口をつけたから、毒なんかは入ってない。食べかけって言われたら、そうなっちゃうんだけど」
「……」
「ボクは父上を助けたいんだ。ずっとボクを守ってくれて、ボクを大切にしてくれて。この前もボクを愛してるって言ってくれたんだ! だから、ボクに出来ることがあれば何でもするから、お願い。父上を助けて!」
アリーナが跪いた。クリフトもブライも、その後ろで跪いた。姉さんも私もそれに倣った。
「……。……はぁ」
エルフは深々と溜め息をついた。
「エルフが人間と仲良くなんてするわけないでしょ。馬鹿じゃないの」
「おねえさま?」
「ええ、絶対に仲良くなんてしない。仲良くなっても良い事なんてありはしないのよ。禁を破ればどんな罰を受けるかわかったものじゃないわ」
そう言って私たちに背を向けたエルフはしゃがみこんで、花を摘み始めた。
「リース、早くしなさい。さっさと花を摘んだら帰るわよ」
「はい、おねえさま」
リースと呼ばれた妹の方も私たちに背を向ける。だけど、背を向けたままの姉が聞こえよがしに呟いた。
「ああ、でも、もしかしたら急いで帰る時に
「はい、おねえさま」
「こんな塔の上に落としていったものをわざわざ拾いに来る物好きがいるとも思えないけど、
「はい、おねえさま」
姉が何かを言うたびに何度も同じ言葉を繰り返して頷く妹は、クスクスと小さく笑っていた。それはまるで、強がって心にもないことを言う姉さんを見ている時の自分のようだった。
「……行くぞ。花摘みの邪魔をしちゃ悪い。俺たちは階段まで下がろう」
バルザックはアリーナの差し出していたナッツと干し葡萄の蜂蜜漬けの小瓶を、静かに地面の上に置いた。
――そして、それからしばらくして辺りから人の気配が消えたことに気付いた私たちが再び戻ってくると、その同じ場所には透明な蜜が入った小瓶が代わりに置かれていて、さらには摘まれた一輪の花が添えられていたのだった。
次で第四章は終わります