森に囲まれたボンモールの城は、決して小さいわけでも貧相なわけでもなかったけれど、これまで私が目にしてきたキングレオの、そしてサントハイムの、あるいはエンドールの城と比べると、明らかに見劣りしていた。
「どうだ、ミネア。ボンモールの城は」
「……」
「昔はこうじゃなかったのかもな。少なくとも、ここに城を構えた当初は、南のエンドールを征服して、そこに居を移すまでの仮住まい。その程度の意識だったのかもな」
「そうなの?」
「さて、実際のところはどうだったのかは俺にもわからん。だが、軍事ってのはとにかく金を喰う。兵士の一人一人に装備を支給し、飯を食わせ、訓練させる。ただそれだけで国庫がどんどん目減りしていく。他のところに回す金にも事欠くようになる」
バルザックは皮肉っぽく目を細める。
「北のレイクナバの街を発展させる産業を新しく育てることも出来ない。挙げ句、城の地下牢に穴が開いているのに補修する金すらも無く、囚人が脱獄してもそのままだったりするんだ」
「それ、本当?」
いくら何でも、ちょっと信じられない。いや、でも、私たちがお父様を連れて脱出した後、キングレオの城はどうなったのだろう。
あの地下牢からの脱出路はちゃんと塞がれたのだろうか。それとも、『進化の秘法』のために金を注ぎ込んでいて、今はもうそれどころではなくなっているのだろうか。
「ま、さすがに城の地下牢の中に入ってまで実際はどうなっているかを確かめようとは思わないが…」
ここからでは見えないはずの地下牢を見ているようにバルザックは遠い目をしている。
そんなバルザックを姉さんは黙って見ている。ボンモールへの壊れた橋を二人で手を繋いでルーラで渡ってみせてから、また少し姉さんの雰囲気が変わったような気がする。
「ただいま戻りました。城の中に入るだけならば、さほど難しくはないようです」
森の木々に半ば隠れるようにして私たちが話しているとアリーナたちが戻ってきて、まずはクリフトが報告する。
「ねえ、なんでボクがサントハイムの王女だって名乗っちゃダメなの? リック王子に会うんなら、それが一番早いじゃない」
「城内をご覧になったブライの爺様はどう思われましたかね?」
「姫様を歓迎してはくれるであろうよ。少なくとも、表向きは盛大に」
キングレオの手配がボンモールにまで伝わっている可能性を考慮して、私たちは顔を出さずに城の様子を見に行ってもらっていたのだが、アリーナの疑問に答えるブライは露骨に顔を顰めていた。
「じゃが、城の中に招き入れられたが最後、おそらく外には出してもらえんじゃろうな」
「やはり、そうなりますか」
「当然じゃろうて。ボンモールがエンドールへの侵攻を準備しておるなどと外で言い触らされてはたまらぬし、首尾よくエンドールを征服できればサントハイムへの人質にするも良し、キングレオに引き渡して恩を売るも良し、姫様の身柄の使い出は幾らでもある。それを嫌って逃げ出せば『何か後ろ暗いところがあったのだろう』と非難して、下手をすれば何らかの冤罪をなすり付けられるか、はたまた偽物扱いをしてくるか」
「『本物であれば歓迎していた
「うむ」
「というわけで、だ。俺たちは表立ってはボンモールとエンドールの間の問題に介入できない。下手に手を出すとサントハイムの立場を危うくしてしまう。これはモニカ姫とアリーナ姫との友情とは別の問題だ。サントハイム王に迷惑をかけることになりかねない」
年長者二人の解説にアリーナも黙ってしまう。目を伏せて悔しげに歯噛みするアリーナの横顔を心配そうに見守るクリフトが、意を決して何かしら口を開こうとすると、バルザックはニヤッと笑いかけながら言葉を継いだ。
「だから、俺たちは表に出ずに介入する」
「!?」
先手を打たれたクリフトが硬直し、俯いていたアリーナも顔を上げた。
「どうやってさ!?」
「俺たちの代わりに前に出てくれる代理人がいればいい。
「そんな都合の良い人がいるの?」
まるで
「いるさ。何しろそいつは『導かれし者たち』の一人だからな」
あっさりと言ってのけたバルザックは、アリーナに真っすぐ目を向けた。
「アリーナ姫」
「え?」
「俺に黙って勝手にモニカ姫から手紙を預かってきたことに対する意趣返しじゃないが」
「意趣返しじゃないなら、もう立派な仕返しだよね!」
「これは意趣返しじゃないし仕返しでもないが」
「絶ぇっ対に、嘘だ!」
あくまで報復じゃないって主張するバルザックは大きく咳払いをしてから仕切り直した。
「まあ、とにかく。そいつは俺やブライの爺様でも教えてはくれないことをアリーナ姫に学ばせてくれるだろうさ」
「また試験でもするつもりなの?」
イヤそうに顔を顰めているアリーナに、小さく首を横に振る。
「いいや、生憎とコイツは点数で量れるようなものじゃない。コイツは、ある意味で地獄の帝王なぞよりも遥かに恐ろしい。世界中のどんな魔物よりも人を殺してる。コイツに比べたら、『進化の秘法』でさえも可愛く思えてくる。それくらい、簡単に人を怪物に変えてしまう。採点なぞしようがない。そもそもの最初から、正しい答えが無いんだから」
「……」
私は姉さんと顔を見合わせる。
「バルザック、『コイツ』って……何のこと?」
「金だよ。人間が生み出した貨幣経済という概念そのもの。王族も経済について学びはするだろうが、その恐ろしさを肌で感じる機会があるかと言えば、さて、どうかな」
ローブのポケットから取り出した数枚の銅貨や銀貨を取り出して、適当に一枚を親指で弾いて見せる。ピンッ!という軽い音と共に貨幣が回転しながら跳ね上がる。
「俺は錬金術師だ。ブライの爺様は宮廷魔術師。クリフトは神官。マーニャは踊り子。ミネアは占い師。そしてアリーナ姫は王族。日頃から何気なく使っているものの、しかし金の本質というものを理解しているかというと、何とも微妙なところだ」
落ちてきた貨幣を手で受け止めて、今度はそれを軽くアリーナに向かって放り投げる。
「例えばサントハイムの領内で、お前が『これが欲しい!』と一声言えば、わざわざ値段を確認して自分の懐から金を出すまでもなく、大抵の物は簡単に手に入れることが出来るだろう。普段、何気なく口にしているハッカ飴や干し肉を誰が買っていて、誰が金を払っているのか。その金はどこから出ているものなのか。ちゃんと理解しているか?」
「……」
「政治や外交ってのは、実際に自分の舌で相手と話す言葉の重みを理解しないと意味がない。今回お前はエンドールで外交の儀礼を守って挨拶をしただろうが、何故そんな窮屈な挨拶をしなきゃならなかったのか。ぼんやりとだがわかってきたんじゃないか」
「……うん。フレノールの街の宿でキングレオの大臣が父上と話してたのを聞いて、何となく。ちょっとした失礼がどれだけ相手を怒らせたり、ちょっと口が滑っただけの失言が相手に言い返すのをどれだけ難しくするのか、自分の耳で聞いたから」
「そうだ。なら、今度は経済ってのを肌で感じる番だ。お前がいま手に持っている銀貨や銅貨の一枚で、人は簡単に殺し合う。パンの一切れ、安酒の一杯を巡る争いで簡単に人は死ぬ」
受け止めた一枚のありふれた銅貨を拳に握り込んでアリーナは黙り込む。
「ボンモールがエンドールに攻め込もうとしているのも、結局のところ金が絡んでる。ごくごく単純化すれば隣の家の金持ちを見て、貧乏人が僻んでるだけだ。『あいつは俺より金を持ってる。だから俺にも儲けを寄越せ』ってな。ただの貧乏人が隣家に押し込み強盗を働こうとしているだけなら警吏がすっ飛んできて捕まえればいいだけだが、国同士の問題になると途端に面倒になる。なんとも馬鹿馬鹿しい限りだ」
「……バルザックは、やっぱり意地悪だ。ボクに仕返ししてきてる」
「違う、これは仕返しじゃない」
報復してるつもりはないって即座に否定するけど、意地悪なのは否定しないのね。私は思わず肩を竦めた。
「それで? バルザック、その『導かれし者たち』の一人はどこにいるの?」
「北のレイクナバだ。――…ああ、だが、そっちに行く前に一つ確認だ」
バルザックは何かを思い出したようにクリフトとブライに尋ねた。
「ボンモールの城でドン・ガアデという名前を聞かなかったか?」
次回、ブランカトンネル開通RTAはっじまるよ~♪(嘘予告風