ドラクエ4のバルザックに転生した   作:葛轍偲刳

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第一章:禁断の知識と宿命の分岐点
第一話:破棄されるべき研究


「やはり研究はここまでだな」

 

俺が纏めた実験記録を見返していた師エドガンは淡々と呟くように言った。

マーニャは外で日課の踊りの訓練中。ミネアもその近くで読書をしている頃合いだろう。オーリンは村人たちと畑で汗を流している。つまり、今ここにいるのは俺と師の二人だけ。

 

「『進化の秘法』と古い文献で最初に読んだ時はどれほどのものかと期待したが、とんだ理屈倒れの代物だ。術式としての完成度は脇に置くとしても、危険すぎてまともに使えたものではない」

 

紙が傷まぬよう厳重に窓を閉めて日光を遮った室内は暗く、木製の粗末な机の上で小さな陶製の燭台に灯した蝋燭の小さな火が揺らめく。その頼りない明かりに照らされた師の目は普段の温厚な好々爺などどこへやら、一人の研究者としての冷徹な光を宿していた。

 

「では、研究記録は早々に破棄しますか」

 

俺はすぐに返した。近い将来に目の前の師を殺して研究に必要な資金ともども資料を奪い、キングレオ城でさらなる非人道的な実験に邁進するバルザックだが、その過程においてどれほどの人命が無駄に費やされたかを思えば、こんな危険な代物は早々に消してしまいたい。

 

「……この研究にはずいぶんと長い時間と手間暇をかけた。お前にも苦労をさせた。それを、そんなあっさりと無かったことにしてしまって良いのか?」

 

原作ゲームではこの研究を闇に葬る決断を下したエドガンだが、俺があまりにも躊躇なく答えたせいで逆に引っかかりを覚えたらしい。

 

「エドガン先生。先生は、この研究の何が一番危険だとお思いでしょうか」

 

俺は蝋燭の火に手をかざしながら問いかけた。燃え上がる小さな炎は、まるで融合させられた生命の暴走を象徴しているようだった。

 

「……触媒として若き乙女の魂を必要とする点か?」

「それもあります。ですが、最も危険なのは『結果』です」

 

顎の白い髭を撫でながら暫し考えた師は返答し、それに俺は机の上に置かれた古い文献を指で軽く弾いて見せた。

 

「複数の生物を融合させてより強力な個体を生み出す。確かに表面上は『進化』に見えるかもしれません。ですが先生、それは進化ではありません。ただの暴力的な混合です。村の子供が泥んこ遊びで作った泥団子よりなお悪い」

 

前世の知識――進化生物学の基礎的な理論が脳裏をよぎる。自然選択、遺伝的浮動、適応度。長大な時間をかけて環境に適応し、多様性を獲得していく。それが正統な進化の過程だ。

 

「環境への適応でもなければ、種としての多様性の獲得でもない。ただ複数の命を擂り潰して一つに混ぜ合わせるだけの、手段と目的が完全に逆転した邪法。それがこの『進化の秘法』の本質です」

 

エドガンの眉がピクリと動いた。

 

「……続きを聞こう」

「仮にですが、この術式が理想的な形で成功したとしても、それは『生物種』としての完全な退化です。短期的にはより強力な個体を創造できたとしても、長期的には種としての存続を不可能にする自壊的な欠陥を内包しています」

 

俺は机の上の文献をパラパラとめくった。

 

「それに、肉体が怪物と化している以上、その肉体に宿る精神もまた相応に変質する。邪悪な怪物に相応しい異質な精神が、果たして会話などの手段によって相互理解に至ることが可能でしょうか。その力を本当に制御することが可能でしょうか」

 

エドガンは静かに目を閉じた。

 

「……エスタークの伝承か」

「はい。古代の魔族の王であり、最初に秘法を創始した張本人とされるエスタークでさえも不老不死になったものの記憶のほとんどを失い、その秘法を何のために作り出し、何のために自分を進化させたのかさえ覚えていない始末」

 

俺は文献を閉じた。

 

「進化とは名ばかりの、個体としてはともかく『生物種』としては完全に退化、失敗作となる。これがこの秘法の真の姿です」

 

沈黙が部屋を支配した。蝋燭の火がパチパチと音を立てる。

 

「……お前の言う通りだ」

 

長い沈黙の後、エドガンは静かに呟いた。

 

「私は自身の延命のためにこの研究に手を出していたが、それは人の営みとは程遠い邪悪な行為だったのだな」

「遅すぎることはありません。ここで研究を止めれば」

 

エドガンはゆっくりと顔を上げた。その目に宿るのは研究者の冷徹な光ではなく、養い子に向ける温かな光だった。

 

「お前は利口だ。私の想像を遥かに超える洞察力と倫理観を持っている」

「先生……」

「この研究は私が始めたものだ。責任はすべて私が取る」

 

エドガンは机の引き出しから小さな巾着を取り出した。中に入っているのは乾燥した植物や粉末――実験で使う触媒の一種だ。

 

「これら全てを焼き払う」

「私も手伝います」

「いや。これは私のケジメだ」

 

エドガンは立ち上がり、杖を突きながら書斎の隅にある大きな炉の方へ向かった。俺もその後を追う。

 

「だがね、バルザック」

 

炉の蓋を開けながら、エドガンは静かに続けた。炉の中で燃えている赤々とした熾火がその皺深い横顔を照らす。

 

「お前のその才覚は、この研究成果のように簡単に焼き捨てて良いものではないよ。こんな小さな村で朽ちさせるにはあまりに惜しい。もっと大きく羽ばたくべきだ」

「……」

 

複雑な気分で唇を噛む。師からの賛辞が嬉しくないわけではない。これほどの期待をかけられ、これほど才能を見込まれ評価されていながら、どうして原作ゲーム内においてバルザックは師を裏切ったのか。その疑問と罪悪感は今なお胸の奥で疼いていた。

実験記録を纏めた羊皮紙、実験で使うために用意した高価で貴重な触媒、参考資料として文献を書き写した幾つもの写本、その他諸々。

それらが次々に炉の中に投げ込まれていく。知識の集積が冒涜的なまでに無残に焼き捨てられていく。知識の価値を知らぬ愚者による蛮行ではない。知識の価値を正しく知っている智慧ある賢者が敢えて知を捨てる、神聖なる贖罪の儀礼でもあった。

 

「バルザック。この研究の一切について完全なる忘却を命じる。もちろん口外もするな。例え相手が誰であろうとも、だ」

 

その対象にオーリン、マーニャとミネアが最優先で含まれることは明白だった。その詳細について知っているかどうかは問題ではない。そんな研究を師エドガンがしていたこと、その事実を知ること自体が危険だった。

 

――特に、キングレオ城の王子は現王である父を疎み、おそらく今この瞬間でさえ悪辣な企てを練っていると見るべきだ。あるいは、もう既に魔族と手を組んでいる可能性さえ――。

 

「バルザック。聞いているのか?」

「はい、先生。もちろん秘密は守ります」

「うむ、それでいい」

 

俺の抱いている密かな危惧に師は気づいているのか、いないのか。

 

「さて、これらの痕跡を全て消去したら夕食の支度をせねばな。きっと夕方にはマーニャが腹を空かして帰ってくることだろう」

 

エドガンが冗談めかして言った。炉の中の炎は未だ激しく燃え上がりながら全てを焼き尽くそうとしている。その朱く爛れた光の狭間に影となって映る師と己の顔はまるで鏡像のように似ていた。

 

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