読者の皆様には心から感謝を申し上げます。また、感想と誤字報告もありがとうございます!
「おかえりなさい、あなた」
「ただいま」
マーニャのルーラでサントハイムからエンドールまで送り届けてもらうと、そのままの足でどこかに向かうらしいミネアやバルザックらとも別れて自分の店に真っすぐ戻る。
ちょうど閉店したばかりだったのか、カウンターの売上帳を閉じた妻は椅子から立ち上がってきた。
結婚前から少しも変わらない美しい妻の体を抱き締める。
「今日は朝にマーニャちゃんたちが迎えに来てくれたでしょう? あなたが支度をしている間にミネアちゃんがポポロのことを占ってくれて、そうしたら『将来はお父さんやアリーナと同じくらいの大冒険に出る』って」
「おや、まあ。ポポロがかい?」
マーニャとミネアの姉妹はエンドールに足を運ぶと、例え今日のように何かしらの用事がない時であっても、必ず一度は自分の店に立ち寄ってくれる。
その二人が通ってくれていることも、自分の店の客を増やしてくれているようだ。
「ポポロが……うーん、元気に育ってくれれば、それだけで十分なんだが」
「あの子は大喜びでしたけど。アリーナ姫様の劇も、また見に行きたい、って」
初めての上演日の時はアリーナ姫様から直々に招待されて家族全員で劇場まで足を運んだ。モニカ姫やリック王子ら錚々たる面子と並んで最前列の特等席で見物することもできて、妻も息子も非常に喜んでくれた。
レイクナバで慎ましく暮らしていた頃には考えられなかったことだ。いや、それを言うなら自分が各国の城に気安く足を運ぶようになるなど夢にも思わなかったけれど。
「そうだね。また行こうか」
妻と共に2階の住居に上がる。息子のポポロはベッドの上で寝息を立てていた。レイクナバでは外で遊ぶことの方が多い子だったけれど、エンドールに引っ越してきてからは家で勉強したり遊んだりしていることが増えた。今もベッドの周りには絵本や絵描き帳などが散らばっている。
「あら、あら。今日もこんなに散らかして」
「はっはっは、仕方のない子だ」
妻が食事の支度を始めてくれているので、代わりに自分が息子の散らかしたものを片付ける。絵本や絵描き帳には様々な落書きが所狭しと描き殴られている。
「おや、これはわたしかな?」
「あなたの?」
「きっとそうだろうね。ほら」
絵描き帳を開いて妻にも見せる。自分と妻と息子の三人が、この二階建ての住居兼店舗の前で仲良く並んでいる。『せかいいちのだいしょーにん、とるねこのみせ』という拙い文字は、看板にも入りきらずに盛大にはみ出してしまっているが。
店の周囲にも大勢の人がいる。マーニャとミネアの姉妹に、アリーナ姫様たち三人も。自分たちも、他の皆も揃って笑顔だ。
「まぁ…」
妻は微笑ましそうに息子の絵を見つめ、ついでベッドで無邪気な笑顔を見せている息子の顔を愛しげに見た。
「この子も今の生活を気に入ってくれているようで良かったわ」
「うん。それは本当にそうだ。もしかしたらレイクナバでの暮らしを懐かしがって、帰りたがるかもしれないと思っていたからね」
息子が大作を描いた絵描き帳を閉じてベッドの横のテーブルに置く。揃えた絵本を本棚に戻し、妻が料理を並べてくれた食卓についた。
生ハムとチーズを挟んだサンドウィッチと、アリーナ姫様から分けていただいた水出しの紅茶を口に運びながら妻と話す。
「今日は鉄仮面が売れたの。後で売上帳も見てね」
「そうか。また仕入れてこないといけないな」
「あなたの買い付けてきた品なら何でも売ってみせるわ」
むんっ、とばかりに可愛らしく両手を握って気合いを入れてみせる妻に思わず微笑みが零れる。
「? どうしたの?」
「いや、わたしの妻は今日も綺麗で可愛いから、改めて惚れ直してしまったんだ」
何の衒いも無く本心から言える。こんなに美しくよく出来た妻を得られた自分は世界一の幸せ者だ。
「ありがとう。愛しているわ、あ・な・た」
そう言って少しばかり悪戯っぽく片目を瞑る妻の仕草に、今度は思わず胸を撃ち抜かれてしまう。
初めて出会ったその時から、自分はずっと彼女に夢中だ。死ぬまで他の女性など目に入らない。
「明日は家族でお風呂屋さんに行って、それからどこかで食事をして、地下劇場にも行こうか」
「あら、お仕事はよろしいの?」
「またアリーナ姫様たちと少し遠くに出かけてくるからね。わたしも愛する妻と息子と過ごす時間が欲しいんだよ」
「今度はどちらに?」
「ブランカさ。あそこの木材は質が良いらしい。木の帽子や皮の盾の材料にもなる。これからエンドールにもっと人が集まってくるのなら、そういった安い防具も需要が増えるだろうね。今のうちに大量に買い付けて注文を出す。職人たちも大口の仕事が入って喜ぶだろう」
何気なく、そしてさりげなく表向きの口実を述べる自分の顔を、妻は微笑みながら見つめている。
「それで? 本当の理由は仰って下さらないのかしら? どうしても言えないというのなら、強いては訊かないけれど」
あっさりと自分の誤魔化しを見抜く妻には、やはり勝てない。ゆっくりと紅茶を一口飲んでから、小さく息を吐いた。
「サントハイムの王様から頼まれてね。……子供を、助けて欲しいと」
首を巡らせて、可愛い息子の寝顔を見ながら、そう低く囁く。
「それは、一体?」
「わたしは戦うことなど出来やしない。ただの非力な商人でしかない。それでも、愛する妻と息子のためならば戦うことを躊躇ったりはしない。誰が相手だろうと、死ぬまで戦ってみせるとも。だけど――」
再び妻に目を戻し、今度は大きく息を吐く。
「もし、息子が。ポポロが。わたしが死んだ後で、わたしの復讐のために。あるいは
「あなた……」
口元を両手で覆う妻は、しかし何も言えなくなってしまったようだ。それはそうだろう。妻とて、自分と同様に息子を守るためになら何でもするに違いない。
だけど、そうやって守ったはずの息子が、そんな救いのない道を辿ることを望む親などいるはずがない。
「だから、ね。わたしは、その子供
妻は頷いた。何度も。
「ええ。それはとても大事なことだと思うわ。お金なんて幾らでも取り返しがつくけれど、死んでしまった大切な人は帰ってこないのだから」
「そうだとも。……わたしの両親にも、できることならポポロの顔を見せてやりたかった。この立派なエンドールの店も。わたしはこんなにも幸せで、美しく愛する妻がいるのだと、自慢したかった」
思わずポツリと漏らしてしまった。流行り病で早くに死んでしまった両親にも、まだ無力だった頃の自分は何一つ恩返しさえ出来ず、最期の最後まで苦労ばかりかけてしまった。今なら幾らでも親孝行ができるというのに。本当に、ままならないものだ。
「……あなた」
妻が優しく抱き締めてくれる。愛する妻の胸に顔を埋めて、波打つ感情を鎮める。
「そろそろ寝ましょうか。今日も遅くまでお疲れ様でした、あなた」
「ああ、そうしよう」
こんなにも大切な愛する妻と息子のためならば、この平和な生活を守るためならば。例え非力な商人であろうとも、戦うのだ。どんなに卑怯であろうとも。明日を生き延びるために。
もし第三部でトルネコの話を深堀りしていたら、もっと商人らしいエゴイストの部分や卑怯で卑劣な部分も描きたかったと思う。
一見お人好しの善人に見えても、実は自分の中にある優先順位を間違えない人、という印象。ネネとポポロが一番で、自分が二番。勇者や仲間たちはその次。
コナンベリーの大灯台で勇者に魔物退治を押し付けて自分一人だけ逃げるような結構エグいことも平気でやってるし。
実は本作のバルザック君と一番気が合うのではあるまいか。