また4勇者の名前については公式に準じて「ソロ」とします。
小説版の「ユーリル」という名前も捨てがたいものがありましたし、アリーナからの「ユーちゃん」呼びをさせたかったのですが、おそらく学習データ関係かと思われますがAIさんは「ソロ」の呼称で生成してくれるので、そちらを採用しています。
今日も夢一つ見ない、深い眠りから目が覚めた。大きく欠伸をしながら背伸びをする。窓の隙間からは薄く陽が差し込んでいて、村で飼っているヤギの鳴き声が聞こえる。
寝台から体を起こして、隣の台所で竈の前に屈んでいる母に挨拶をする。
「おはよう、母さん」
「おはよう、ソロ。ほら、お座り。もう朝ご飯は出来ているから」
恰幅の良い母は、前歯が一本欠けている口を大きく開けて笑う。
飾り気のない木製のテーブルに、熱々のシチューと焼きたてのパンが並ぶ。朝からシチューは少し重いかも、と呟くと母に頭を小突かれた。
「ちゃんと食べないとね。今日もたくさん体を動かすんだから」
「うん」
「食べ終わったら、池で釣りをしているお父さんのところにお弁当を持って行っておくれ」
「わかった」
テーブルの上には昨日のパンの残りが粗末な布に包まれて置かれていた。
いつも、そうだ。父も、母も、自分にはお腹いっぱいになるまで食べろとよく言うけれど。当の両親は、ほとんど手をつけようとしない。
幼い頃は不思議にも思わなかったが、最近は心のどこかでナニカが澱む。――
それでもシチューの入った椀を空にして、木の匙をテーブルに置くと立ち上がる。
「行ってきます」
「村の皆に挨拶を忘れないようにね」
「うん」
家の外に出ると、今日もいい天気だった。青い空に白い雲。村を囲む森の木々の緑がそよ風に揺れている。
「よぉ、ソロ」
村の入り口に立つ髭面の大男が片手を挙げる。額から右目を通って頬にまで届く大きな傷跡があって、潰れた右目には眼帯を巻いている。
「おはよう、師匠」
「昼飯を食ったら来い。今日も稽古をつけてやる。早く俺を越えてみせろ」
自分の剣の師匠は片目が見えないはずなのに、まるで見えているように剣を使う。今まで一度も一本をとったことがない。いつか必ず自分の方が強くなるって言ってはくれるけど、ちょっと信じられない。
「おはよう、ソロや」
「おはようございます、先生」
「今日はギラの授業にしようかの。待っておるぞ」
糸杉のように痩せている魔法の先生は白い髭を撫でながら笑う。
朝ご飯を食べたら、魔法の勉強。昼ご飯を食べたら、剣の稽古。夕ご飯を食べたら、寝る。毎日が、その繰り返し。
不満、というわけではない。両親は優しい。先生も師匠も厳しいけれど、勉強や稽古が終われば褒めたり励ましたりもしてくれる。小さな村の中では、皆が家族のようなものだ。
「……おはよ、ソロ……ふわ……」
村の奥の池に行く途中で、花畑の中に半ば埋もれるようにして昼寝をしているエルフの少女が寝言のように自分の名前を呼んで、欠伸をした。
「おはよう、シンシア」
「んー……ねむ……」
村でネズミ捕りの為に飼っている猫のように可愛らしく片目を手で擦りながら、目尻に涙を滲ませて自分を見上げる。
「また、後でね」
「うん。また後で」
自分が応えると、にへら、と頬を緩めて笑う。陽光に煙るような彼女の笑顔が好きだった。
シンシアは母のように食事の支度をするでもなく、父のように釣りや畑仕事をするでもない。師匠や先生のように何かを教えてくれるわけでもない。強いて言えば、この花畑の世話が彼女の仕事だろうか。
村のあちらこちらにフラフラと彷徨い歩いては、自分をからかい、あるいは一緒に遊び、またある時は優しく寄り添ってくれる。
自分がもっと幼い頃は、どこかお姉さんのような感じだった。――今は、どうだろうか。
「父さん」
「おお、ソロ」
池に釣り糸を垂れていた父が振り返った。先生のように髭を伸ばしてはいないけれど、その代わりに頭には髪が一本も生えていない。この村に村長と言われる存在はいないけれど、それに近いのが父だった。皆の纏め役で、何かあると父が皆に指示を出す。
朝から昼までは釣りをして、昼から夕方までは畑仕事。鍬を振る右の腕は太いけれど、その左腕は、肘から先が失われている。ずっと昔に、魔物に喰われてしまったのだと一度だけ話してくれた。だから、
「どう? 釣れてる?」
「ぼちぼち、か。もうちょっと釣れてくれると、今夜の食事に一品増やせるんだが」
父の脇に置かれた葦で編んだ籠には小さな魚が二匹だけ。このままだと、両親の口には入らずに自分だけ食べさせられることになりそうだ。
「もっと釣れるといいね」
そうすれば、両親も一緒に食べられる。自分だけで食べるより、そっちの方がいい。
父は竿の持ち手を地面に刺して固定すると、右手を伸ばして自分の頭をガシガシと荒っぽく撫でてくれた。
「ああ、そうだな。ありがとう」
土で汚れた手は傷だらけだったが、父の愛情は伝わってきた。目を細めて笑ってくれる父に、自分も笑顔を返した。
「おい、なんだお前らは!?」
その時、村の入り口の方から師匠の大声が聞こえて来た。自分は驚いて振り返り、父も釣りを止めて立ち上がる。
「ソロ、お前はそっちの倉庫に隠れて――」
「嫌だ。自分も行く」
師匠の声は大きかったけれど、敵意は感じなかった。警戒とか、警告とか、そういう類いの声だった。だから、魔物とかではないと思った。
「……仕方ない。だけど前には出るな。背中に隠れていろ。いいな?」
父は少しだけ考えたけど、ここで言い争う時間が惜しいと思ったのか、仕方なさそうに許してくれた。父の背中についていくと、花畑から起き上がったシンシアがすっ飛んできて、自分の手を引いた。
「ソロ? 何してるの? 早く隠れないと」
「なんで?」
「だって、余所者だよ? 危ないよ?」
彼女の声も硬く張り詰めていた。村の皆も、彼女も、
「帰れ! この村に余所者は一歩たりとも入れさせない!」
また、師匠の大声が響いた。父の背中から覗くと、師匠の前に大勢の人がいた。村の住人と同じくらいの人数。師匠と同じくらい屈強そうな戦士がいた。先生と同じくらい年を取った魔法使いもいた。
――そして、自分とシンシアと同じくらいの、少女たちもいた。
「ねえ、あれって、もしかして……」
「うん、きっとそうじゃないかな」
彼女たちも自分たちに気付いたのか、真っ直ぐに自分を見て来た。その視線を遮るように父が足を動かして立ち位置を変えた。シンシアも自分を庇うように一歩を踏み出す。
「ボクはサントハイム王国の第一王女アリーナ!」
対峙する師匠の前に進み出た少女が堂々と名乗りを上げた。師匠の鋭い目にも負けずに真っすぐに見上げる意志の強さにも驚いたけど、その名乗りにはもっと驚いた。
「……王女?」
思わず呟いた自分の手をシンシアが強く握る。
「『導かれし者たち』の一人として、勇者を保護しに来た! どうかボクの話を聞いて欲しい!」
だけど、父は首を横に振った。
「帰ってくれ。誰が相手だろうと関係ない。
「それは、魔物に勇者が狙われているということであろうか」
師匠と同じくらい立派な体つきの、そして師匠が身につけている簡素な皮の鎧よりもずっと立派な鎧をつけた戦士が口を挟んだ。
「自分はバトランドの王宮戦士ライアン。かつて、ここより北のイムルの村では幼い子供が魔物にかどわかされる事件が起きていた。それは勇者を力なき幼子のうちに抹殺せんとする卑劣な企みであった。ゆえに、警戒なさるのは重々理解できる」
自分が振り回している稽古用の木剣よりもずっと大きく、重い剣の柄に手を乗せて重々しく語る。
「だが、しかし。だからこそ、話を聞いてはいただけまいか。この村とて、決して安全ではないのだ」
「……」
「私はミネア。
王女と名乗った青いとんがり帽子の少女の隣に、戦士と同じように鎧を纏った別の少女が進み出た。
「もう間もなく、この村を大いなる災禍が襲います。逃れられぬ
謎めいた語り口とは裏腹に、その紫の目は真っ直ぐに自分を見つめていた。
王女。戦士。占い師。なんだろう。全員が髪の色も肌の色も違うし、共通点を探す方が難しいくらいバラバラなのに、なんでこんなにも一つに纏まっているんだろう。それが不思議だった。
「まあまあ、皆さん。少し落ち着いて。いきなり押しかけてきて『話を聞け』と幾ら言ったところで、こちらの方々からすれば信じるのは難しい。目に入れても痛くない我が子のように大切になさっている方がいらっしゃるのですから。――おっと、失敬。そちらの方に含むところがあるわけではございませんよ。わたしはトルネコと申します。しがない商人です」
片目のない師匠をチラッと見てから、トルネコと名乗った恰幅の良いおじさんが突き出た腹をポンと手で叩く。
「わたしがそちらの方々に立場を置き換えてみればわかりますとも。愛する妻と子と家族で慎ましく暮らしていたところに、いきなり外から家に土足で上がり込んできた連中が、『危ない』『逃げろ』『俺たちが守ってやる』と幾ら言ったところで、誰が信じるかという話です」
「……」
師匠が纏っていた剣呑な空気が少しだけ和らいだ。硬く強張った父の肩から少しだけ力が抜ける。シンシアでさえ、毒気を抜かれたように目を瞬かせる。
なんだろう。この人は。剣も持っていない。鎧も着ていない。なのに、堂々と師匠と向き合ってる。
「子供を育てるというのは大変なことです。わかります。わたしも息子を育てる時はとても苦労しました。赤ん坊の頃は何度も熱を出しましたし、少し大きくなればちょっと目を離した隙にどこかに行ってしまう。家にあるものは何でもかんでも口に入れようとするし、しょっちゅう夜泣きもするので妻もわたしも寝る暇もないくらいでした」
自分の肩を誰かが抱いた。肩越しに見ると母がいた。いつも快活に笑っている母が、ギュッと眉を寄せている。自分を育てた時の苦労を思い出してでもいるのだろうか。
「息子が食べるもの、飲むものにも気を遣いました。少しでも栄養のあるものを食べさせたいと思いましたし、まして、お腹を空かせて泣かせたりはしたくないと必死に働きましたとも。ええ、一目見ればわかります。そちらのお子さんがどれほど愛され、大切にされて育てられてきたことか」
母の隣に先生も並んでいた。おかしい。あれほど警戒して、追い払おうとしていたはずの外の人の話に、気付けば皆で聞き入ってしまっている。
「――だからこそ、子供の安全というものは、家族だけではなく、周りの人の手も借りなければ無理なのです。わたしも武器屋の親方には大変お世話になりましたし、妻も教会のシスターさんの手を何度もお借りしました。わたしも妻も、そうしなければ倒れてしまっていたかもしれません」
師匠の前の地面に腰を下ろし、大きく両手を広げる。
「お願いします。この通りです。村に入れて欲しいなどとは申しません。子供を守るために、わたしからの贈り物を受け取ってください」
広げた手を地面につけて、深々と頭を下げる。帽子が地面に落ちた。額が地面についた。
その後ろで、大きな荷物を持った男の人が地面にそれを下ろした。荷を縛っていた紐を解いた。ピカピカの新品の鎧に兜、剣と盾も。この村では見たことのない立派な武具だ。
別の荷物を持っていた、自分と同じくらいの少年も同じように地面に下ろしてから紐を解いた。服だ。若草色の、動きやすそうな服。シンシアになら似合いそうだ、と思ってしまった。
「……」
師匠が、初めて振り向いた。判断に迷うように自分を見て、父を見た。
父も、何と言っていいのかわからないように黙っていた。だけど、暫くしてから絞り出すように言った。
「トルネコさん、と言ったな。商人が、なんでそこまでする。これだけの品を、わざわざこんな山奥まで運んできて。あんたにとっては大損どころの話じゃないだろう。何が目的だ。失礼だとはわかっちゃいるが、何か下心でもあるんじゃないのかとこっちは疑いたくなる」
「ごもっともです。わたしとて、そちらのお立場なら全く同じことを考えるでしょう」
トルネコは、頭を上げなかった。地面に額を着けたまま、必死に声を張り上げた。
「子供とは、宝物です。誰の子供であろうとも、それは変わりません。その子供に危険が迫っているのであれば、なおさら。皆で守らなければなりません。その子供が勇者だとか、
「……」
「大切にしていた子供が死んでしまったら、家族は悲しむに決まっています。その時になってから目の前に大金を幾ら積み上げようが、それが一体何の慰めになるでしょう。一時の損など、後から幾らでも取り返せます。わたしは愛する妻や息子のためなら、全ての財産を支払っても惜しくはない。無一文になるか、家族の無事を取るかなら、わたしは迷いなく妻と子を選びます」
地面についた手が下生えの草ごと土を掴んだ。
「わたしは商人です。ですが、商人である前に一人の夫であり、父親なのです。息子には元気で育って欲しい。妻にも笑顔でいて欲しい。心から、そう願っています」
そこでようやく顔を上げた。土に汚れた髪と髭を拭おうともせずに、自分たちを見た。
「よろしいですか。皆さんは、子供を守るために自分が犠牲になることも厭わないのでしょう。わたしも、息子を守るために我が身を差し出せるなら、そうします。ですが、それで独りになった息子が傷ついて、笑えなくなってしまったらどうしますか」
父が、母が、師匠が、先生が、息を詰まらせた。
シンシアの手が強張った。自分もシンシアの手を強く握りしめた。
「息子には生きていて欲しい。ですが、同じくらい幸せにもなって欲しい。それが、わたしの願いです。皆さんも、きっとそうでしょう。そのためには、まず皆さんの身の安全が必要になる。金や損得の問題ではありません。それが必要であるのなら、わたしは喜んで財産を投げうちますとも」
誰も、何も言わなかった。沈黙が続いた。森の木々の間を、そよ風が吹いた。自分は息を吸って、吐いた。
「……あの」
「ソロ!」
シンシアが声を上げた。でも、自分は首を横に振った。
「一つ、いいかな?」
「はい、なんでしょうか」
村の外の人と話すのは初めてだ。胸が高鳴っている。
「
父も、母も、師匠も、先生も。自分が勇者だと、そう言う。立派な大人になれ。立派な勇者になれ。皆が、そう言う。でも、勇者とは一体何なのか。自分には、よくわからない。
「……生贄だよ」
聞いたことのない声が響いた。それまでずっと黙っていた、目深に被ったフードで顔を隠していたローブ姿の人影が進み出て、低い声で吐き捨てた。
「お前には何の責任も、何の落ち度もありはしないのに。勝手に責任を、役目を押し付けやがった
「……」
フードを下ろすと、自分よりも年上の青年が金色に光る眼を細めた。
「さっき、お前の親父さんが言ってただろう。『大損どころの話じゃない』ってな。俺に言わせれば、お前の方がよっぽど損をしてると思うぞ。何の得にもならないのに、勝手に誰かの期待を押し付けられてる。こっちのアリーナ姫も生まれた時から窮屈な生き方を強制されてるが、お前に比べればまだマシだろうよ」
そよ風が、艶の無い長髪を揺らしていた。
「我が儘を言っていいんだよ、お前は。『世界なんか知ったことか』って言っていいんだ。世界の命運なんて、個人の手に負えるものか。そこの可愛い幼馴染の手を握って、そいつのことだけを考えて生きる道があったっていいはずなんだ」
「ちょっと、バルザック」
さっき占い師と名乗った少女とそっくりの顔をした別の少女がローブの袖を引っ張った。青年は肩を竦めた。
「だけどな。お前が好き勝手に生きたくても、それを邪魔する連中がいるんだ。主に魔物とか。そいつらはお前の事情とかお構いなしに襲ってくる。身を守らなきゃならない。さもないと大切な家族まで傷つく。それはイヤだろう?」
「うん」
「なら、こいつを使え。今は借りておけばいい。そして、終わったら後で返せばいい。もし気が咎めるって言うなら、ちょっと働いて借りてた分を返せばいい。大丈夫だ。儲け口の一つや二つは教えてやる。これくらい簡単に返せるさ」
「ちょっと! ソロを怪しい話に引き込まないで!」
シンシアが憤然として叫んだ。それで思わず小さく笑ってしまった。
「わかった。ちょっとだけ、借りてもいい?」
「いいさ。何しろ、俺が貸すわけじゃない」
「そっちの服がシンシアに似合いそうだと思って」
「ソロ!?」
「そうか。マーニャ、着替えに付き合ってやれ」
慌てるシンシアにも構わず、マーニャと呼ばれた少女が近づいてくる。若草色の服を手に持って。
警戒する母や先生を憚って、三歩ほど手前で立ち止まる。
「私はマーニャ。そっちのミネアの姉で、
トンと軽く地面を踏む足取りは、シンシアにも負けないくらい軽やかだ。
「ほら、見て?」
マーニャが頭に乗せた帽子を見せてくる。シンシアの帽子とは違うけれど、そこには色鮮やかな羽根が差し込まれている。
「この羽根をくれた鳥は、もう死んじゃったけど。でも、私たちの家族だったの。この帽子を朝に被る時、夜に脱ぐ時、私はあの鳥のことをいつも思い出すの。とても綺麗な声で啼く子だったことを」
「……」
「ねえ」
マーニャは、シンシアを真っ直ぐに見た。
「あなたは、そんな風に
「……っ!」
「もし、そうじゃないなら。これからも、そうやって勇者の隣にいたいのなら。この服を着て。少しでも生き残る努力をしなきゃダメよ」
母と先生が、その真っすぐな眼差しの前に道を開けた。差し出された服を前にシンシアは迷い、躊躇い、そして。
「シンシア」
「何よ」
「その服を着たところ、見てみたいな」
「……もう、仕方ないわね」
自分が囁くと、本当に仕方なさそうに手を伸ばして、その服を受け取った。
――その時だった。
「ま、魔物だーっ!!」