「はい、到着ですよ。皆さん、大丈夫ですか? 気分が悪い方は無理をせずにロレンスさんにホイミをかけてもらってくださいね」
キメラの翼でフレノールの街に着くと、自分は振り向いて全員の様子を確かめる。さすがは勇者と言うべきだろうか。これが初めてのルーラのはずが、勇者が一人だけケロリとした顔をしている。他の村人たちや、幼馴染のエルフの少女の方が気分を悪くしているようだ。
ああ、いや、違う。そうじゃない。――
「すみません、シンシアさん。こちらをどうぞ」
自分はエルフの少女に、頭からすっぽりと被れるようなフード付きの外套を荷物袋から手渡した。
「これを使って、お顔を隠してくださいね」
「あ……ありがとう」
「トルネコ……さん? シンシアが、何か……」
「わたしのことはトルネコで構いませんよ、ソロさん。そんなに顔を蒼褪めさせて街を見ていればわかりますとも。むしろ、わたしの気遣いが足りませんでしたね」
用心棒のスコットに目配せする。フレノールの街中で何かがあるとは思わないが、念のために警戒をしてもらう。
「いいですか、ソロさん。きっと、あの山奥の村で、あなたは周囲の皆さんから色々と物事を教わったと思います。例えば、そう。――村の外には危険な魔物がいるから、外に出てはいけないよ、といったところでしょうか」
自分も、外で遊ぶ息子には何度も注意したものだ。決して、レイクナバの街の外には出てはいけない。街の外には魔物がいる。危ないよ、と。
子供を危険から守るということは、何も親が子供の盾になって、あるいは子供の身代わりになるということだけではない。そもそも、子供に危険な場所に行かないように教え諭すこと。危険なことをしないように辛抱強く躾けることもまた、危険から守ることの一つなのだ。
「う、うん。それは、まあ」
「それと同じことです。いいですか、よく聞いてください。エルフは、人間の街に入ると注目されます。良くも悪くも、です」
大切な幼馴染に危険が及ばぬよう、そして勇者自身もまた危険に近づかぬように、自分は丁寧に教え諭す。
「人間は、必ずしも良い人ばかりではありません。大変残念なことに。ですが、これはどうしようもないことです。人を騙す人。人に嘘をつく人。人を傷つける人。人を殺す人。大勢います。そして、どこにでもいます。いま目の前にいる人が、そうではないという保証はどこにもありません」
自分は勇者の青い目を正面から真っ直ぐに見つめる。同じように真っ直ぐに見つめ返してくる勇者が、どうかこれからも今のまま澄んだ目でいて欲しいと心から願う。もし、隣にいる大切な幼馴染がいなくなってしまっていたら、きっとこの青い瞳はどうしようもなく昏く濁ってしまっていただろうから。
「トルネコも?」
「そうですとも。わたしは商人です。なるべく正直に、なるべく人を騙さずにやっていきたいとは思っていますが。それでも利益と天秤にかけた時には、少しばかり口先を弄することはありますよ」
自分とて例外ではない。愛する妻のため、大切な息子のためならば誰かを傷つけることも、誰かを騙すことも、自分は厭わない。
「ソロさん。わたしは
よいしょ、と、背中の荷物袋を自分は軽く背負い直す。
「あの村で。わたしの言葉を、ソロさんは信じて下さいましたね?」
「うん」
「ありがとうございます。それについては、お礼を申し上げますとも。ですが、ソロさんのお父さん、剣のお師匠さんが間違っていたわけではありません。わたしに何か下心があるのではないか。ソロさんたちを騙そうとしているのではないか。それを疑うのも大事なことです」
自分を信じてくれたのは、嬉しいことだ。だが、これからも自分が勇者に対し必ずしも正直であり続けられるか、それはわからない。時には嘘をつくかもしれない。騙そうとするかもしれない。嘘ではないかもしれないが、特定の方向に誘導しようとするかもしれない。
「それまで味方だった人が、常に味方である保証はありません。あるいは、以前は敵だった人が何かの拍子で手を貸してくれるかもしれません。では、どうやってそれを見分けるのでしょうか」
「……」
「それは経験です。少しずつ経験を積んで、一つ一つ学んで、そうやって大人になっていくのです。よろしいですか。今はなるべくシンシアさんから離れず、常に彼女から目を離さず、周りを注意深く見ることです。街の中には魔物は出ませんが、人の中に紛れ込んでいる魔物だっているかもしれないのですから」
少し脅かし過ぎただろうか。いや、だが、これからのことを考えれば、このくらいの注意は必要だろう。
「それでは、参りましょう」
自分が先頭に立ち、スコットが警戒する横を勇者とシンシアが続く。他の村人たちの列の最後尾にロレンス。そうやってフレノールの街へと入って行く。以前にも一度来たが、良いところだ。レイクナバも良いところだが、サントハイム王家の避暑地だったというだけあって、風光明媚で気候も穏やかだ。街の人たちの表情も明るく、通りも賑やかだった。
「アリーナ姫様たちが、ここで何やら大活躍なさったそうですよ。エンドールの地下劇場で見ました。確か、魔物を操っていた悪の大臣を成敗する、でしたかな?」
「へぇ」
通りを歩きながら、肩越しに後ろの勇者に街を案内していく。あそこが道具屋。あちらは武器屋。とはいえ、道具屋はともかく、武器屋で扱っている装備は、今の勇者には必要のないものだろうけれど。
「こちらが宿になります。村の皆さんはしばらくこちらに滞在していただくことになります」
「いらっしゃいませ。ようこそ、フレノールの街の宿へ」
宿の主人が揉み手をしながら出迎えてくれる。
「さあ、どうぞ。皆さんの貸し切りですから、他のお客のことはどうかお気になさらず」
サントハイム王家から、しばらくの間は他の客を入れないようにと注文と予約が出ているはずだ。王家関係の上客だと思えば、これほど低姿勢で出迎えるのも当然だろう。
「何か足りないものや、必要なものがございましたら手配させていただきます。お食事についても、お好みがあるならどうぞ遠慮なく仰っていただければ」
「あ。それなら……ええと、こっちのシンシアは、野菜や果物が中心で。肉や魚とかは、あまり。温めたヤギのミルクとかなら、大丈夫だったけど」
「はい、かしこまりました。他の皆さんは?」
早速、自分の言ったことが役に立っているようで何よりだ。宿の主人を見る目には、警戒と注意とがきちんと含まれている。もう少し上手に隠せれば言う事はないが、山奥の村から初めて人里に下りて来たばかりの少年としては、これぐらい警戒感が強くても悪いことではない。
「……ありがとう、ソロ」
階段を上がって2階まで来たところで、目深にフードを被った少女は勇者に小さく囁いた。
「メルタさんの料理、嫌いじゃないんだけど」
「うん」
「でも、血の味がするものは、やっぱり苦手」
「うん。大丈夫。わかってる」
勇者が優しく少女の手を握った。守るべきものがあって、心に寄り添える誰かが隣にいてくれるのであれば、きっと勇者は大丈夫だろう。自分が愛する妻を心の支えにしているのと同じことだ。
「さあ、どうぞ部屋に」
「うん。……って、ちょっと待って」
「はい?」
「え? シンシアは?」
「ソロさんと一緒の部屋ですが」
何故か慌てふためく勇者を前に、自分と少女は思わず互いの顔を見合わせる。
「ソロさんは、どうかなさったのですかな?」
「いや、私にもさっぱり」
「だ、だって、ほら、シンシアは、……女の子、だし」
ふむ。
「僕、というか、俺……ああ、もう、とにかく、自分だって、ほら、男なんだしさ」
「……」
「……」
混乱のあまり、一人称すら安定していない勇者を前に自分は考える。
どうしたものだろうか。自分も男の端くれとして、彼の気持ちは理解はできる。できるが、かといって今の状況でエルフの少女を部屋で一人きりにするというのも、少しばかり心配だ。
「シンシアさん。他の部屋に移動することも出来ますが。どうなさいますか?」
「ソロと一緒でいい」
「シンシア!?」
「あ、違った。ソロと一緒
勇者は真っ赤になった。いや、違う。その時の彼は、ソロという名の一人の少年でしかなかった。自分は微笑んだ。あの村での戦いは無駄ではなかった。自分にとっては大損だったかもしれないが、この顔を見れただけで十分に報われた。心からそう思った。
次で第一章は終わります