「とーさま、これすっごく美味しい! ミネアもそう思うでしょ?」
「ん」
一日の終わりの賑やかな食卓にエドガンは相好を崩し、素朴な木彫りの匙を握って夢中でシチューを口に運ぶ幼い姉妹を優しく見守る。
「これこれ、あまり急いで食べると喉に――」
「ん、ぐっ、ケホッ、ゲホッ」
「ああ、全く、言わぬことではない」
「お、おい、マーニャ、大丈夫か?」
「ほら、水だ」
言った端から噎せる姉の背中を妹が小さい手で撫で擦り、慌てて腰を浮かせたオーリンとは対照的に落ち着いた素振りのバルザックが木のコップに注いだ水を静かにマーニャの前に置いた。一口、二口と水を飲んで何とか落ち着いたマーニャは、しかし礼を口にしたくないとばかりに嫌そうな顔をぷぃっと背ける。
「マーニャ、そんな顔をするでない。そもそも、このシチューは誰が作ったと思っておるのか」
「え、とーさまじゃ無いの?」
きょとんとした顔のマーニャの隣で、ミネアが小さく首を横に振った。
「……バルザック」
「ん? ミネア、何か言ったか?」
「ううん、なんでもない」
ミネアは視線をシチューに戻し、スプーンで中身を掻き混ぜた。
コーミズ村は山間の小さな村でしかないが、キングレオ王国を南北に繋ぐ街道の中程に位置し、港街ハバリアに荷揚げされた他国からの交易品を南部のモンバーバラへ運ぶ商人らが一夜の宿を求めて立ち寄ることもある。そのため村の小さな集落の中にも常設の宿屋があり、多少の金を出せば行商人から珍しい香辛料や干した海産物を分けてもらうことも不可能ではない。
また、村を囲む森に入れば豊富な山の幸もある。オーリンが非定期に狩る獣もまた、村人たちの食卓を彩る重要な蛋白源だ。さらにはエドガンが錬金術の一環として岩塩から精製した塩化物は雑味が無く素材の味わいを活かすのに最適の調味料としてキングレオの王城からモンバーバラの富裕層にまでも需要があり、逆に行商人の方から金を出して仕入れを持ちかけてくることさえある。
「儂は年寄りだからと薄めの味つけに、逆に運動でたっぷり汗をかいたオーリンやマーニャには塩を多めに入れて、一人ひとりに応じて味を調整しておる。こういう繊細で細やかな心遣いが錬金術には欠かせぬものよ」
「へー、すごいね、とーさま!」
心底感心したように目を輝かせるマーニャ。養父の言うことなら何でも肯定しようとする態度は、眩しいほどに純粋で無防備だ。
「それに比べてさっきから無言で水ばっかり飲ませる人なんて、全然ダメだね!」
本人は一応これでも嫌味のつもりなのかもしれないが、バルザックは無言で肩を竦めて自分の木椀からシチューを口にするだけだった。
暖簾に腕押し、という言い回しはこの世界には――少なくともコーミズ村においては一般的ではないが、20ほども年下の幼女に何を言われたところで腹を立てるほど子供ではない。
「なあ、マーニャ。もうそれくらいに、」
「オーリン、手が止まっているぞ。おかわりをよそってやるから、もっと喰え。明日も畑仕事を手伝うんだろう?」
不器用ながらもなんとか仲立ちをしようとするオーリンに当の弟分が声をかけ、鉄鍋でドロリとなるまで煮込まれたシチューをたっぷりとすくって木椀によそった。
「すまん」
「少し作り過ぎたからな。明日まで残すぐらいなら、お前が俺の分まで喰ってくれた方がいい」
「わたしも! バルザック、わたしにもおかわり!」
ついさっき喉に詰まらせて噎せ返ったことさえ忘れたように、少しばかり行儀悪くガツガツと空にした椀をマーニャが大きく突き出す。
「わかった、わかった。ミネアも食べるか?」
「ん」
こちらは大人しく、行儀良く静かに食事に専念していた妹が小さく頷く。匙を動かす速度は姉より遅いが、なんだかんだと食べる以外の用途で口と手を動かしがちの姉とは違って黙々と食べているせいで椀の中身が減る速度はほとんど同じくらいだった。
エドガン家の食卓では頑健で大柄なオーリンが最も大食漢であり、そこにモンバーバラの姉妹が続くもののまだ7歳と5歳でしかなく、食べる量としてはエドガンやバルザックとさほど変わるものではなかった。そして食材の獲得という意味では最も働いているのもオーリンとあって、食卓が諍いの場と化すことはまずないと言って良い。
「先生は」
「儂はもう良い。それよりもバルザック、お前ももっと食べなさい。老人の儂はともかく、幾ら何でもマーニャより食が細いというのは栄養が足りんだろう」
まだ少し中身が残っている木椀の上に匙を置いたエドガンは、ただでさえ筋骨隆々のオーリンと並ぶと柔弱に見られる痩身の弟子の顔を案じるように見た。
「お前は昔からそうだが、儂に気兼ねでもしておるのか」
「いえ、この後は寝る前に森で魔法の練習をしたいと思っているので、あまり食べ過ぎると眠くなって集中力が散漫になってしまいますから」
如才なく師の追及をかわしたバルザックにマーニャとミネアは揃って何かを言いたげな顔になり、けれど言葉を出せずに沈黙した。
出来ることなら、自分たちも魔法を練習したい。バルザックに魔法を習いたい。
優しいが多忙な養父は手透きの時間などほとんどないし、姉妹が慕っているオーリンは残念ながら魔法については才能が無く、人に教えられるような知識もない。その点、バルザックは若いながらもエドガンが舌を巻くほどの魔法使いだった。この年でベホマが使えることがどれほど凄いことなのか、まだ幼い姉妹には実感としては全く理解できていないが、それでも何となく凄いことなのだろうと思っている。
しかし、それをエドガンが許してくれるはずもなかった。温和で優しい養父でもあるエドガンだが、だからこそ幼い娘たちが夜の森に出かけることを許可してくれたりはしない。二人ともそれはわかっているからだ。それが悔しくて、面白く無くて、並んで座る幼い姉妹はそっくりの仕草と表情で口に入れた木の匙を歯で噛んだ。
「……」
「……」
「どうした、マーニャ? ミネアも」
急に黙り込んだ二人にオーリンが声をかけるが、姉妹は共に無言でシチューを匙で掻き混ぜるだけだった。
「二人とも、明日は魔法について講義をする時間を作ってやるから、それで許してくれ」
姉妹が拗ねてしまった理由に思い至ったバルザックが宥めるように言っても、まだダメだった。
「すみません、先生」
「仕方あるまい。明日の私塾では魔法の講義を追加する。儂の講義と、バルザックの実習の二つじゃ。それでどうかな?」
「うん! お願いね、とーさま!」
「……わかりました。よろしくお願いします」
ぱぁっと顔を輝かせる姉と対照的に不承不承といった体で答える妹。それでもようやく二人が機嫌を直してくれたことにオーリンは安堵の吐息を漏らし、バルザックはそっと小さく苦笑する。
「バルザック、集中し過ぎてあまり遅くならないようにな」
「はい、先生」
何気なく、そしてさりげなく付け加えるように言われたエドガンの言葉にバルザックは一瞬だけ逡巡し――そして小さく首肯した。その微妙な間の空け方に不自然さがあったとしても、その時はオーリンと姉妹が気付くことはなかった。