Moros/Eternal Source 作:時代に遅れている
『シャァァァァッ!!』
その気の抜けた軽口を合図にしたかのように、異形の蛇たちが一斉に大理石の石畳を蹴り砕き、二人に向かって猛烈な勢いでうねり迫ってきた。
「フンッ!!」
先陣を切ったのはヘレウクレスだった。
巨漢からは信じられないほどの爆発的な速度で踏み込み、大棍棒を横薙ぎにフルスイングする。
――ズガァァァァンッ!!
空気が圧縮され、爆発したかのような轟音が響き渡った。
直撃を受けた三匹の大蛇が、強靭な鋼の鱗ごと、まるで熟れすぎたトマトのように原型を留めず粉砕され、遥か彼方の石壁までボロ屑のように吹き飛ばされていく。理屈を超えた、圧倒的すぎる純粋な力の暴力だ。
「おっと、こっちにもお出ましか」
村正は軽やかに後方へと跳躍し、眼前に迫り来た別の大蛇の凶悪な牙を、紙一重のところでふわりと躱した。
宙を舞いながら、大蛇の巨体が自身の真下を通り抜ける、その一瞬の隙。村正は大上段に振りかぶることもなく、ただ手首のスナップだけを鋭く効かせて、いびつな日本刀を大蛇の背の鱗へと滑らせた。
荒野で武の竹刀を容易く弾き返した、あの鋼鉄のような硬度を持つ鱗。
しかし――。
ズパァァンッ!
手に伝わる抵抗は、まるで熱したナイフで柔らかいバターを撫で切るかのような、恐ろしいほどの滑らかさだった。力などほとんど入れていないというのに、吸い込まれるように肉を裂いた刀は、巨大な蛇の胴体をいとも容易く斜めに両断していたのだ。
ドサァッ、と二つに分かたれた巨体が地に落ちる。
遅れて間抜けなほど勢いよく吹き出した鮮血の雨を浴びながら、村正は石畳へと着地した。刀身には、血のひとしずくすら残っていない。
「……すごいな」
それを見たヘレウクレスが、感嘆の声を漏らした。
「君の先祖は鉄を打つ『鍛冶師』であるはずなのに、その澱(よど)みのない身のこなし……。まさか、生身の肉体での過酷な修業で手に入れたのか?」
「へっ、まぁそんなとこ」
大英雄からの真っ当な賞賛に対し、村正は刀を肩にポンと担ぎ、照れ隠しのように口角を釣り上げた。
「それより、さっさとこいつら片付けた方がいいんじゃないのかな、大英雄サマ?」
「フッ……そうだな。積もる話はまた後だ!」
ヘレウクレスが豪快に笑い飛ばし、再び大棍棒を構える。
炎と血に彩られた聖都の大通りで、異世界の少年と神話の英雄による、圧倒的な蹂躙劇の幕が上がった。
ーーーーーーーーーー
血と灰に塗れた石畳の上に、最後の一匹となった大蛇の巨体が重い地響きを立てて崩れ落ちた。
「……片付いたな」
ヘレウクレスは血濡れた大棍棒を肩に担ぎ直し、周囲の惨状を見渡しながら短く息を吐いた。
「はぁ~、疲れた。」
村正は刀についた汚れを軽く払って空中に消すと、ドッと肩の力を抜いて大げさに首を回した。規格外の怪物たちを相手にした連続戦闘は、高校生であった彼に確かな疲労を刻んでいた。
「村正!」
その時、もうもうと立ち込める黒煙の向こうから、鋭い声と共に駆け寄ってくる影があった。
左腕に重厚な盾を構え、走ってくる武だ。彼もまた、別の場所で避難する人々を護りながら戦い抜いてきたのだろう。その端正な顔には、煤(すす)と汗が張り付いていた。
「おっ、武!」
「無事だったか……大丈夫か?」
武は村正の身体を素早く見回し、怪我がないことを確認すると、張り詰めていた表情を微かに緩めた。
「ああ、見ての通り。武もその盾で随分やるな」
村正は笑い、武の左腕にある堅牢な盾を面白そうにコツンと叩く。
「ああ、君たち本当によくやってくれた……」
合流した二人を見つめ、ヘレウクレスが深く頷いた。だが、その岩のような顔に安堵の色はない。彼は再び燃え盛る空へと厳しい視線を向けた。
「だが、喜ぶのはまだ早い。この凄惨な騒動の主犯……テポーンのやつが、まだどこかで生きている。クソッ、まだ『試練』すら終えていないというのに………」
「試練?」
村正がその聞き慣れない単語に眉をひそめた、まさにその瞬間だった。
「おい、油断するな。敵がまた出てきたぞ」
武が冷徹な声で警告を発し、再び盾を構えた。
崩れた建物の瓦礫の影から、新たに十数匹の異形の蛇たちが、チロチロと舌を出して這い出してきたのだ。仲間たちの死臭に引き寄せられたのか、その紫色の瞳孔は飢えと殺意でギラギラと濁っている。
三人が再び臨戦態勢に入ろうと身構えた、次の刹那。
――ピィィィィンッ!!
空気を鋭く引き裂く、甲高く澄んだ金属音。
黄金色の街灯りを反射し、まるで銀色の流星のような「光の線」が、凄まじい速度で戦場を駆け抜けた。
ズババババババンッ!!
「……なっ!?」
武が驚愕に目を見開く。
流星が通り過ぎた軌跡。迫り来ていた蛇の大群の首が、まるで目に見えない巨大な鎌で刈り取られたかのように、一斉に宙を舞い、おびただしい血柱が夜空に噴き上がった。
一瞬の静寂。
首を失った蛇たちがドサドサと倒れ伏す中、上空から呆れたような、それでいて自信に満ちた涼やかな声が降ってきた。
「何をしているんだ、大英雄? お前はこんな下等な雑兵相手に手こずるほどの男だったのか?」
声の主を探して視線を上げると、崩れかけた家屋の屋根の上に、日の光を背負って立つ一人の青年のシルエットがあった。
「……生まれ持った武器の性能で無双しているだけのサラブレッドに、言われたくないセリフだな、リー」
ヘレウクレスは忌々しそうに鼻を鳴らし、肩をすくめた。そう彼は『新生の予言』に記されし、闇夜を切り裂く光――〈灯火(ともしび)のリー〉だ。
「フッ」
リーは口角を上げると、屋根の縁からふわりと飛び降りた。
重力を感じさせない優雅な着地。それと全く同時に、先ほど蛇の大群を一瞬で撫で斬りにした「銀色の流星」――柄のない、光り輝く一振りの美しき槍が、まるで忠実な猟犬のように空中でUターンし、リーの差し出した手の中へと吸い込まれるようにスッと収まった。リーは涼やかな顔のまま辛辣に言い放った。
「お前こそ、生まれ持ったその異常な肉体で無双しているだけの脳筋だろうに」
「なんだと?」と眉をひそめるヘレウクレスを無視し、リーは槍をふわりと宙に消す。そして、興味深そうに、しかしどこか値踏みするような鋭い視線を村正と武に向けた。
「そこの二人が、予言書にあった外界の勇士たちか? 名はなんだ?」
「俺は村正だ」
村正が刀を肩に担いで飄々と名乗れば、武もまた油断なく盾を構えたまま「俺は武だ」と短く応じた。
「ムラマサに、タケル、か。確かにこちらの世界では聞いたことのない名だな。俺はリー。〈灯火のリー〉だ」
リーはふっと目を細めると、ヘレウクレスをあからさまに小馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「お前たち、そこの『爽やか脳筋ゴリラ』についていくつもりなら、せいぜい気をつけることだ」
「おい、リー。誰がゴリラだ」
「そいつはな、かつて試練とやらで『川の流れを無理やり変えて』周囲に氾濫を引き起こしやすくしたような、絶望的に頭が足りていない男だ。本人に悪気はなくても、いつかとばっちりで不幸を被るぞ?」
神話の英雄の恥ずかしい大失態を、初対面の少年に嬉々として暴露するリー。その容赦のない煽りに、さすがのヘレウクレスのこめかみにもピキリと青筋が浮かんだ。
「……こんな緊急事態に、新しく加わった仲間に吹き込むような真似をして。一体どういうつもりなんだ、リー?」
燃え盛る大通りを挟んで、二人の間に視線の火花がバチバチと音を立てて激しく散る。神話の英雄同士の意地とプライドが正面から衝突し、魔獣の咆哮とはまた違う、重苦しいプレッシャーで周囲の空気がビリビリと震え始めた。
武がやれやれとため息をつき、村正が「おっと、身内揉めか?」と苦笑いを浮かべた、その時だった。
「二人とも。今は子供のように仲間割れをしている場合ではないはずです」
一触即発の空気を、冷ややかな、に思わせる柔らかな声がスッと撫で斬りにした。
声の主が現れた瞬間、周囲の燃え盛る熱気が一瞬にして数度下がったような錯覚に陥る。
炎の揺らめきと土煙の中から静かに歩み出てきたのは、雪のように真っ白な髪を長く伸ばした一人の女性だった。異国――それも遥か古代の祭祀を思わせる、骨や色鮮やかな羽飾りをあしらった神秘的な衣装を纏っている。
彼女の深く沈んだ静謐な瞳には、死者の旅立ちを静かに見送るような、底知れぬ慈愛と冷徹さが同居していた。
白髪の女性が静かに歩みを進めると、彼女の足元を取り巻く炎が、まるで怯えるようにしてフッと消え去った。代わりに漂い始めたのは、背筋が凍るような冷気と、甘く切ない死の香りだ。
「……ミクトルさん」
先ほどまで青筋を立てていたヘレウクレスが、毒気を抜かれたように穏やかな声で彼女の名を呼んだ。
彼女は〈旅立ちを見守りし眼差し〉――ミクトル。
新たなる予言の勇士が、騒乱の戦場へとその姿を現した。
「外界の勇士、村正さんに武さん。お初にお目にかかります」
ミクトルは深く沈んだ静謐(せいひつ)な瞳を二人に向け、上品に一礼した。
「私はミクトル。死を司る冥界の女主人です。……あっ、今の私にはあまり近づかないことをオススメしますよ。私に触れるか、不用意に近づくとーー」
「死んでしまうからな」
ミクトルの言葉を遮るように、屋根から降りてきたリーが冷淡に言い放った。
「え?」
村正は間の抜けた声を上げ、思わず一歩後ずさった。