Moros/Eternal Source 作:時代に遅れている
「あれは……検問か?」
武が馬上から鋭い視線を向け、手綱を握る手にぐっと力を込めた。見知らぬ都市の入り口、何らかの身分証明を求められれば、異世界から来た彼らに突破口はない。
「なぁ武、いざとなったらこっそり通り抜けよ? そうしよ?」
極度の疲労からか、村正が馬の首に突っ伏したまま、冗談とも本気ともつかない気の抜けた声を上げる。
「なにをバカなことを……」
武が冷たく嗜(たしな)めようとした、その時だった。
「彼の言う通りですよ。こっそり抜けようとすれば、それこそ即牢屋行きですからね」
松明の光の中から、一人の門兵が朗らかな笑い声を上げながら近づいてきた。槍を片手にしているものの、その表情に敵意はなく、むしろ親しげでさえある。
「一生、水とパサパサの乾パン生活まっしぐらですから、おすすめはしませんよ」
「……連れがすまない。別に悪気があるわけじゃないんだ」
武は慌てて背筋を伸ばし、生真面目に頭を下げた。下手な冗談でこの街から追い出されては堪らない。
「ハハ、分かってますよ。その疲労困憊の様子を見ればね。……彼らが、アテネの遺跡からの難民で間違いないですか?」
門兵がヘレウクレスとロッキルに視線を移す。
「そうだよ~。この子たちは、テポーン討伐の任務の一環で保護したんだ。ほら、この『印』と、筋肉バカの報告からも明らかでしょ?」
ロッキルが腰のポーチから、淡い光を放つ紋章のようなものを取り出して見せた。それを見た瞬間、門兵の表情がスッと引き締まり、深い敬意を帯びたものへと変わる。
「手続きは無しでいいよね?」
「ええ、もちろんです。これは……ニギハヤヒ様の印。皆様、そして大英雄ヘレウクレス殿、ここまで本当に過酷な道のりだったでしょう。……ようこそ、聖都へ」
門兵は深く一礼し、道を空けた。
「感謝する」
武が短く礼を述べ、張り詰めていた肩の力をわずかに抜く。
「そこのお嬢さん」
ふと、門兵が歩み寄り、村正の腕の中に抱えられた椿へと優しく声をかけた。
「よくぞ、ここまで耐え抜きましたね。甘い菓子の一つでもどうですか?」
彼が差し出したのは、粗末な紙に包まれた小さな焼き菓子だった。
ずっと虚空を見つめていた椿の瞳が、その時初めて、わずかに揺らいだ。
「え……?」
枯れ果てた唇から、小さな声が漏れる。与えられる温意に戸惑うように、彼女は身を縮こまらせた。
「でも、私……」
「ほら、もらっておきなよ」
躊躇(ためら)う椿の背中を、村正が不器用だが優しい手つきでポンと押した。
「…………」
椿は震える手をゆっくりと伸ばし、そのささやかなお菓子を受け取った。
「……ありがとうございます」
蚊の鳴くような、それでも確かな感謝の言葉。それを聞いた門兵は、満足そうに破顔した。
「またご縁があれば、街の中で再会しましょう。我々人類は皆、生きるために戦っている。その意思がある者に、この街は協力を惜しみませんから。……それでは、私はこれで」
門兵が持ち場へと戻っていく。その背中には、過酷な世界にあっても決して失われない、人間としての誇りと温かさがあった。
「それでは、行くとするか」
ヘレウクレスが満足げに頷き、分厚い城壁のトンネルへと足を踏み入れる。蹄(ひづめ)の音が石畳に響き、やがて視界を覆っていた暗闇が、パッと開けた。
「な……!」
「おお……!!」
武が絶句し、村正が目を丸くして感嘆の声を漏らす。
重厚な門の前に広がっていたのは、想像を絶する光景だった。
泥レンガと石造りの建造物がどこまでも連なり、無数の松明や魔導の灯りが、街全体を黄金色(こがねいろ)に染め上げている。夜の闇を完全に押し返すほどの眩い光。行き交う人々の活気ある喧騒、立ち上る食べ物の匂い、そして遠くから聞こえる鍛冶の甲高い金属音。
死と絶望しか存在しなかった荒野の真ん中に、これほどまでに力強く、美しく脈打つ命の坩堝(るつぼ)が存在していたとは。
「驚いた?」
立ち尽くす二人を振り返り、ロッキルが黄金の光を背に受けて、誇らしげにニカッと笑った。
「街全体が、金色に輝いているとは……」
武は瞬きすることすら忘れ、その奇跡のような輝きにただただ圧倒されていた。
道の両脇には無数の露店がひしめき合い、香ばしい肉の焼ける匂いや、スパイスの刺激的な香りが鼻腔をくすぐる。行き交う人々の笑い声、客引きの威勢のいい声、そして杯を打ち鳴らす乾いた音が、黄金色の灯りの中で一つの巨大な音楽となって響いていた。
「へぇ……」
馬を引きながらその喧騒を眺め、村正は目を丸くした。
「世界が終わるかもしれないって戦争状態なのに、随分と賑やかなものなんだな~。もっとこう、お通夜みたいな空気かと思ってた」
「まぁな。だが、これが正しい姿だ」
先導するヘレウクレスが、振り返りもせずに太い声で応じる。その横顔には、力強く生きる人々への深い慈愛が滲んでいた。
「民の心から元気が失われ、ただ死を待つだけになれば……人は生きようとする意志を放棄し、国は魔獣に滅ぼされるよりも先に死するからな」
「なるほど、深いねぇ」
村正が感心したように頷く一方で、武の鋭い視線は、行き交う人々の『違和感』を正確に捉え、分析していた。
「……よく見てみると、随分と奇妙な光景だ。街並みもそうだが、歩いている人々の服装……全く異なる文化圏のものが、無秩序に混じり合っているように見える」
武の指摘に、村正も周囲を改めて見回す。
頭から布を被った砂漠の民のような者もいれば、古代ギリシャのチュニックのような衣を纏う者、はたまた重厚な毛皮を着込んだ北方の戦士のような者までいる。
「本当だ……しかも、どれもかなり古代の様式に近い。ん? でも待てよ……」
村正の視線が、ふと一角を歩く集団で止まった。
「あそこにいるの、どう見ても日本文化の着物だよな? でも、古代のだけじゃなくて……あれは戦国時代か、中世あたりの様式が混ざってる」
「ああ。俺も以前から薄々感じてはいたが……」
武は手綱を握り直し、思考をまとめるように低く呟いた。
「この世界は、単なる一つの異世界ではないのかもしれない。地球上に存在するあらゆる神話、歴史、伝承……そういったものが、一つの場所に寄せ集められ、縫い合わされたような『混沌(カオス)』の世界だ」
「……だとしたら、それってすごくおかしくないか?」
普段の飄々とした態度はそのままに、村正の瞳にふと、氷のように冷たく鋭い理知の光が宿った。
「俺たち日本人からすれば、八百万の神様とか、いろんな文化が混ざることにそこまで抵抗はないかもしれない。けど、他国の人たち……特に、一神教を信仰していたり、厳格な宗教的・文化的隔たりを持っていたりする人々を、一つの都市に集めて『統括』するなんて、普通なら絶対に無理な話だ。必ず内乱が起きる」
村正の鋭い洞察に、武も小さく頷いた。
文化や神殿の違いは、時に魔獣以上の惨劇を人同士にもたらす。それをどうやって、これほど平和的に束ね上げているのか。
「……その疑問の答えは、おいおい分かってくることだろう」
武はそれ以上推測を口にするのをやめ、前を歩く巨漢の背中を見据えた。
「あのさ、大英雄サマ」
村正が空気を変えるように、いつもの軽い調子で声を張り上げる。
「俺たち、今どこに向かってるんですか?」
「ああ。この都市の中心……『樫原宮(かしはらのみや)』と呼ばれる、帝(みかど)の住まいだ」
ヘレウクレスの口から出たその名前に、武の肩がピクリと反応した。
「帝……『樫原宮』だと……?」
歴史に造詣の深い武の脳裏に、強烈な閃きが走る。
初代神武天皇が即位したとされる地、橿原(かしはら)。もしこの世界を統べる存在がその名を冠しているのだとすれば、それは……。
武が息を呑む隣で、村正は小さく唇の端を釣り上げた。
(……なるほど、そういうことか)
絶対に交わらないはずの多様な文化と神話を、一つの都市に縛り付けておける絶対的な存在。
村正の頭の中で散らばっていたパズルのピースが、小気味よい音を立てて一つに組み上がっていく。彼は風に吹かれながら、これから出会うであろう『世界の頂点』に思いを馳せ、楽しげに目を細めた。