Moros/Eternal Source 作:時代に遅れている
ビュンッ! ビュォォォォォンッ……!!
空気を切り裂くような甲高い風切り音が、広大な謁見の間に連続して響き渡った。
神武天皇が手にした豪壮な梓弓(あずさゆみ)の弦が鳴るたび、目にも留まらぬ神速の矢が、嵐のように二人へと襲い掛かる。
(速い……!!)
武は背筋を凍らせながら、迫り来る死の線を紙一重で躱(かわ)した。
放たれているのは、紛れもなく必殺の一撃。軌道を見切るのも困難なほどのその速度もさることながら、矢そのものに込められた威圧感が尋常ではない。分かってはいたが、かすりでもすれば肉体を容易く粉砕されるであろう、絶対的な『死』そのものだった。
ドドォォォンッ!
背後の白木の柱に矢が突き刺さるたび、爆発のような轟音と共に木片が激しく弾け飛ぶ。二人はその太い柱を盾として巧みに利用しながら、息を殺して距離を詰めていく。弾幕の嵐を潜り抜け、互いの視線だけで合図を交わした次の瞬間――。
二人はついに、圧倒的な死の領域を突破し、帝の懐深くへと飛び込むことに成功した。
(もらったァァッ!)
村正の瞳に、会心の光が鋭く走る。
武が右から、村正が左から。道場で繰り返してきた、呼吸の完全に合った完璧な挟撃。二人の竹刀が空気を鋭く裂き、必殺のタイミングで帝の身体へと同時に振り下ろされた。
――だが。
「……!」
神武の身体がフッと蜃気楼のようにブレたかと思うと、渾身の剣撃はあっさりと虚空を斬らされた。
軽やかな、あまりにも自然な身のこなし。回避されたという事実を脳が認識するより早く、神武の反撃は始まっていた。
帝は手にした巨大な梓弓を構え直すことなく、なんとそのまま重い鈍器のように横薙ぎに振り抜いたのだ。
「グハッ……!!」
弓の硬い幹の腹をまともに食らった村正が、カエルのような濁った悲鳴を上げ、大理石の床を無惨に数メートルも転がった。
「………ッ!」
辛うじて直撃を免れた武も、そのあまりの衝撃波にたたらを踏む。
(弓で直接殴りつけて、この威力だと……!?)
武は冷や汗を滲ませながら、目の前の常識外れの存在に戦慄した。
遠距離用の武具である弓を、格闘戦の打撃兵器としてこれほどまで軽々と、そして凶悪に使いこなすとは。武術の理を完全に超越している。
(流石は、神代の力をもって荒ぶる神々を平定し、初めて日本を統一した建国の帝……次元が違う!)
床で蹲(うずくま)る村正と、息を呑む武。
しかし、神武は二人の驚愕など気にも留めない。
「…………」
一切の驕りも感情も読み取れない、底冷えするほど冷徹な王の瞳。
帝は無言のまま流れるような動作で再び弦を引き絞り、倒れ伏す二人の眉間へと、無慈悲な死の切っ先をピタリと合わせた。
(ここで死ねば、俺たちは元の世界へ帰れなくなるだろう。それにーー)
床に膝をつき、薄れゆく意識の淵で、武の脳裏にセピア色に褪せた過去の情景がフラッシュバックする。手が届かなかった無力な自分。もう二度と繰り返したくない、喪失の記憶の断片。
「………仕方あるまい」
神武の冷ややかな呟きが、静寂に包まれた謁見の間に落ちた。
標的(ターゲット)である二人が限界だと悟った王は、無慈悲にも弓の狙いをずらした。その射線の先にいたのは、二人の背後でただ立ち尽くしていた、光を宿さない瞳の少女――椿だった。
ギリィッ、と弦が限界まで引き絞られる。
(遊戯のために……力なき他人の命すら平気で利用するのか)
大理石の床に這いつくばった村正は、その光景をスローモーションのように見つめていた。
(どうやら、都合よく人を救ってくれる『神』なんてものは、この世界には存在しないらしい……。じゃあ、こんな暴君の非道を、俺はこのまま見過ごして良いものだろうか? いやーー)
村正の脳裏にもまた、武と同じ、後悔に塗れた過去の情景が鮮烈に蘇る。失われた命。守れなかった約束。
(目の前で人が死なされるのは、もうごめんだ!!)
二人の魂の底からの叫びが、完全に重なり合った。
放たれた神速の矢が、椿の華奢な胸へと真っ直ぐに吸い込まれていく。
だがその刹那、時間が止まったかのような極限の集中の中で、二人の脳裏に未知の『記憶』が弾けた。
村正の網膜を灼いたのは、燃え盛る炉の炎と、火の粉を浴びながら一心不乱に鉄を打つ、ある名もなき鍛冶師の熱き情景。
武の視界を満たしたのは、天と地を統べ、万軍を従えて堂々と君臨する、圧倒的な威厳に満ちた古代の皇帝の幻影。
それは、彼らの内に眠る、遥かなる魂の系譜。
『ガキィィィィンッ!!!』
謁見の間に、耳を劈(つんざ)くような金属の激突音が鳴り響いた。
必殺の矢は、椿の身体を貫くことはなかった。
いつの間にか彼女の前に立ちはだかった武が、その左腕に顕現させた堅牢な『盾』で、大理石すら粉砕する一撃を完全に受け止めていたのだ。
そして、武と並び立つようにして、村正が低く身を沈めていた。
彼の手には、折れた竹刀ではなく、一振りの真剣が握りしめられている。打った者の無骨さがそのまま表れたような、装飾もなく、反りもいびつで不格好な日本刀。だが、その刀身に走る刃文だけは、空間すら両断せんばかりの、恐ろしいほどの冴えと切れ味を放っていた。
「流石においたが過ぎるぞ、帝様」
村正は不格好な刀の切っ先を神武へと向け、怒りを孕んだ低い声で言い放った。
「遊戯にしては、ちっとばかしやりすぎだ」
「……全く。間に合って良かった」
武もまた、痺れる左腕を庇いながら、盾の陰から射抜くような鋭い視線を王へと向ける。
死地に咲いた、二つの新たなる力。
それを見た神武の双眸が、初めて驚きに見開かれた。しかし、それは決して焦燥ではなく、待ち望んでいたものを見つけた歓喜の色だった。