Moros/Eternal Source 作:時代に遅れている
「……ほう」
王の口元から、深い満足の吐息が漏れる。
神武は構えていた大弓を静かに下ろすと、謁見の間を満たしていた凄まじい神威と殺気を、潮が引くようにスッと収めた。そして、踵(きびす)を返すと、何事もなかったかのように悠然とした足取りで玉座へと歩いていく。
静寂を取り戻した空間で、神武はドカリと玉座に腰を下ろし、顎に手を当ててニヤリと笑った。
「認めよう。爾(なんじ)らが、真の勇士であるということを」
「は?」
「?」
拍子抜けした二人の間抜けな声が、しんと静まり返った謁見の間に虚しく木霊(こだま)した。
つい数秒前まで空間を支配していた、肌を刺すような氷の殺気と神威は、まるで幻だったかのように霧散している。あとに残されたのは、抜身の刀と重厚な盾を構えたまま、戦意の行き場を失い、完全に置き去りにされた少年たちだけだった。
「ハハハハッ! なにをとぼけた顔をしている」
玉座に深々と腰掛け直した神武は、腹の底から湧き上がるような豪快な笑い声を上げた。その屈託のない笑いは、先ほどまでの冷酷な暴君の姿とは打って変わり、悪戯を成功させた少年のように無邪気でありながらも、決して揺るがない王の威厳に満ちていた。
「帝様……相変わらず、心臓に悪いお戯れを」
ニギハヤヒが優雅な足取りで進み出て、やれやれと小さく首を振る。そして、呆然と立ち尽くす村正と武に向き直り、柔らかくも気品のある微笑みを向けた。
「驚かせてしまい、誠に申し訳ありません。ですが、これこそが『勇士』たる証明の儀式だったのです」
「証明の儀式、だと……?」
武は依然として警戒を解ききれぬまま、左腕に顕現した盾を少しだけ下げた。
「ええ。神代の怪物――魔獣テポーンや偽神たちに抗うには、ただの身体能力や竹の剣では到底太刀打ちできません」
ニギハヤヒは、二人の手にある真新しい武器を流し目で示す。
「己の内に眠る古(いにしえ)の英傑、あるいは神の系譜。つまりは、血筋や魂に刻まれた過去の偉人の力を、自らの武器として顕現させる必要があるのです。帝様は、あなた方を極限の死地に追い込み、何より『守るべきもの』を直接脅かすことで、その力の開花を強制的に促したのですよ」
「……なるほど。荒療治にもほどがある」
武は深く、重いため息をつき、左腕の盾を改めて見つめ直した。
あの絶体絶命の瞬間、脳裏を過った偉大なる古代皇帝の記憶。この堅牢で、歴史の重みをそのまま形にしたような圧倒的な威圧感を放つ盾は、その皇帝の魂の残滓(ざんし)なのだろう。
一方の村正は、自身が握りしめた日本刀をまじまじと見つめ、思わず苦笑を漏らした。
刀身は不格好で、装飾と呼べるものは一切ない。どう贔屓目(ひいきめ)に見ても、伝説の英雄が持つような美しく流麗な名刀とは言い難い代物だった。だが――指先を少し近づけただけで肌が粟立つような、空間すらも切り裂きそうな異常なまでの『切れ味』の凄みだけは、確かな本物として伝わってくる。
「なんだよ。妖刀村正じゃなかったなんてさ……」
村正は小さく毒づきながらも、いつもの飄々とした態度に戻り、フッと肩の力を抜いた。
「驚いたでしょ? これがうちの帝様のやり方なんだよ!」
ロッキルが亜麻色の尻尾をブンブンと振りながら、楽しげに駆け寄ってくる。その後ろからは、ヘレウクレスも満足げに腕を組んで深く頷いていた。
「よくぞ試練を乗り越えた。これで晴れて、君たちも人類の希望を担う同志というわけだ」
「……勝手に巻き込んでおいて、随分と都合のいい言い草だな」
村正は悪態をつきながらも、背後で無事に立ち尽くす椿を振り返り、誰にも見えない安堵の息を長く、深く吐き出した。
玉座の神武は、再び建国の王としての鋭く冷徹な眼差しを取り戻し、謁見の間に響き渡る声で堂々と宣言した。
「極限の淵より生み出されし、二つの新たな魂の形。見事な顕現であった。これより、爾(なんじ)らを聖都ヒエロファニーの客将として正式に迎え入れよう」
王の背後で、燃え盛る松明の炎が激しく揺らぐ。
「共に戦おうぞ、異邦の勇士たちよ。絶対なる滅びの予言に、我らの手で終止符(ピリオド)を打つために――!」
誰もが、これで新たな英雄の誕生と、共闘の誓いが結ばれるものだと疑わなかった。
しかし、その熱狂に冷や水を浴びせるように、静かで、酷く冷たい声が響いた。
「……悪いが」
武だった。
彼は左腕の盾を完全に下ろしながらも、その涼やかな双眸には、軽蔑にも似た鋭い光を宿して神武を真っ直ぐに見据えていた。
「いくら俺たちの力を引き出すためとはい
え……抵抗すらできない無力な友に手を出そうとした者に、素直に手を貸すのは少々抵抗がある」
空気が凍りついた。
武の言葉は、単なる反抗ではない。彼自身の確固たる倫理観――己の美学への絶対的な矜持(きょうじ)だった。
「俺たちは『救世主』になりに来たわけじゃない。あくまで、ここから元の世界へ出る方法を探しているだけだ」
その冷ややかな拒絶に、ニギハヤヒが微かに焦りの色を浮かべて一歩前に出る。
「勇士よ、今一度考え直してくれませんか? あなた方の力は、この世界にどうしても必要なのです」
「そうだ」
ヘレウクレスもまた、巨体を揺らして重々しく口を開いた。
「先ほどのやり方が気に食わなかったという君の怒りは理解できるけど。だからといってこの危機を投げ出すのは、あまりにーー」
「ふむ……」
周囲の制止を断ち切るように、玉座の神武が低く喉を鳴らした。
王は不快感を露わにするわけでも、怒り狂うわけでもなく、ただ興味深そうに顎を撫でながら、毅然と立つ武を見下ろしている。
「よかろう」
やがて、神武は静かに、しかし絶対の掟として告げた。
「これより、爾らに七日七晩の猶予を与える。それまでの間に、この新生の旅に参加するかどうか、己の魂に問いかけ、決断せよ」
王の眼光が、武と村正の心を見透かすように鋭く光る。
「参加するならば、このヒエロファニーにおける衣食住の全てを保証し、手厚く遇しよう。だが、せぬと申すならば……元の世界への帰り方も、荒野での生きる術も、もちろんその他の厄介事も、すべて自らの手で解決するが良い」
それは、建国の王からの寛大にして残酷な最後通牒だった。
見捨てられた荒野の絶望をすでに知っている彼らに突きつけられた、己の信念か、生存かを選ぶ「七日間の猶予」。揺らぐ松明の炎の下、二人の少年に重すぎる選択の刻(とき)が静かに動き出した。