Moros/Eternal Source 作:時代に遅れている
案内されたのは、聖都の中心近くにある石造りのこぢんまりとした、だが手入れの行き届いた清潔な家だった。
魔導具の柔らかな灯りが、長旅と極度の緊張で冷え切った三人の身体を温かく包み込む。
「ここが、当面の俺たちの家ってわけか」
「ようやくのんびりできるな!」
村正は部屋の隅に不格好な日本刀を立てかけ、大きく背伸びをした。骨の鳴る音が静かな部屋に響く。
「……悪かったな」
窓際に立っていた武が、外の喧騒を見つめたまま、ぽつりとこぼした。その背中は、どこか自責の念に沈んでいるように見えた。
「あんな風に、帝の提案を真っ向から拒否するようなことを言って。だが、これ以上危険を犯す行為を続けたくなかったんだ……」
「……すまない。あのままでは、親友(おまえ)を失うかもしれないと思ったんだ。俺たちは、ただの高校生だからな……」
生真面目すぎる親友の不器用な謝罪に、村正はと笑って手をひらひらと振った。
「別に良いって。お前のそういう曲がらないところ、嫌いじゃないし。それに、完全に断ったわけじゃなくて、あと七日間の猶予――もう一度考えるチャンスをもらえたわけだからさ」
「……少し、外を歩いてくる。頭を冷やしたい」
武は短くそう告げると、答えを待たずに木製のドアを開け、夜の聖都へと出て行ってしまった。
「はーい、いってらっしゃい。迷子になんなよ」
バタン、とドアが閉まる音を見送ってから、村正は「ふぅ」と深く息を吐き出し、部屋の中央にある長椅子にドカリと腰を下ろした。
怒涛の一日だった。現実世界から異世界に飛ばされ、化け物に追われ、果ては神話の帝と命がけの死合いまでさせられたのだ。休める時に休まなければ身が持たない。
「さてと……お?」
目を閉じようとした村正の視界の端に、部屋の片隅で静かに立ち尽くしている影が映った。
いや、椿だ。
(……って、あれ?)
薄暗い遺跡や逃走劇の中では気づかなかったが、落ち着いた明かりの下で改めて見る彼女の姿に、村正は思わず目を奪われた。
土埃で汚れ、ところどころ破れた制服。しかし、それが逆に彼女の華奢な肩のラインや、思いのほか発育の良い胸元の起伏、すらりと伸びた足の形を強調してしまっている。漆黒の姫カットが縁取る白い肌は、透き通るように美しい。
(スタイル……めっちゃ良いな……)
(いかんいかん……なにを考えてんだ俺は)
健全な男子高校生としての煩悩が顔を出し、村正の顔が一気に熱を持った。慌てて視線を逸らそうとした、その時。
「あの………」
ずっと虚空を彷徨っていたはずの椿の花紫色の瞳が、真っ直ぐに村正を捉えていた。
「え!? あ、はい! なんでしょう!」
見惚れていたのを誤魔化すように、村正は裏返った声を出して勢いよく立ち上がった。
「どうして………」
椿の唇が、微かに震えている。感情の欠落していた彼女が、初めて明確な『意志』を持って紡いだ言葉だった。
「どうして……私を、助けてくれたんですか?」
自分のような、足手まといにしかならない得体の知れない人間を、なぜ命を懸けてまで守ろうとしたのか。彼女の瞳の奥には、深い戸惑いと、理解できないものに対する怯えのような色が揺らいでいた。
その切実な問いに、村正の顔から先ほどまでの照れや飄々とした空気がスッと消え去った。
脳裏を過るのは、帝の放った矢が彼女を貫こうとした瞬間の、あの凍りつくような絶望。そして、自分の過去に刻まれた、二度と思い出したくない喪失の記憶。
「死んでほしくなかったからだよ」
村正の口から出たのは、一切の飾りのない、ただそれだけのシンプルな言葉だった。
「目の前で……誰かが死ぬのを、もう見たくなかったからだよ。それ以上の理由なんてない」
真っ直ぐに彼女の目を見つめ返す村正の瞳には、普段のおどけた少年とは違う、深く静かな決意が宿っていた。
その嘘偽りのない言葉は、分厚い氷に閉ざされていた椿の心に、小さな、けれど確かな波紋を広げた。
花紫色の瞳に、じわりと温かな光が灯る。
「…………」
椿はギュッと胸元で両手を握りしめ、一度だけ深く深呼吸をした。そして、消え入りそうな声で、しかしはっきりとした口調で告げた。
「お礼を……私に、お礼をさせてください」
それは、世界を拒絶していた少女が、再び誰かと繋がろうと手を伸ばした瞬間だった。
ーーーーーーーーー
あれから二日が過ぎた、穏やかな午後のこと。
「やぁやぁ、おっ邪魔しまーす!」
バタンッ!と勢いよく木扉を開け放ち、ロッキルが持ち前の明るい声を響かせて家へと飛び込んできた。しかし、部屋の中を見回した彼女は、次の瞬間ピタリと動きを止めた。
「って、アレ?」
亜麻色の獣耳が、不思議そうにピクピクと動く。
彼女の視線の先――日差しの差し込む中庭では、村正が椿の横に立ち、洗濯物のシワを伸ばす手つきを一つ一つ丁寧にレクチャーしているという、ひどく家庭的な光景が広がっていたのだ。
「ちょっとどうしたの? 生真面目な彼(武)は律儀に外へ情報収集に出てるってのに~、相棒の方は何をしてるのかと様子を見に来てみればーー」
ニヤニヤとからかうようなロッキルの視線を受け、村正は濡れたシーツを持ったまま、バツが悪そうにポリポリと頬を掻いた。
「そ、それがさーー」
村正の脳裏に、この二日間の惨状がよぎる。
あの夜、「お礼をさせてほしい」と口にした椿は、言葉通り翌朝から率先して家事をこなそうとしてくれた。その気持ちは嬉しかったのだが……問題は、彼女が壊滅的なまでに家事ができなかったことだ。
台所に立てば食材を消し炭に変成させ、洗濯を任せれば物干し竿ごと大理石の床に叩き落として大惨事を引き起こす。見かねた村正が「もう何もしなくて大丈夫だから!」と必死に止めたのだが、彼女は頑として引かず、結果としてこうして村正が「家事の家庭教師」につきっきりになっている状態だった。
「ふーん……でもさ~、それって本末転倒じゃない?」
ロッキルは呆れたように肩をすくめ、容赦のないツッコミを入れた。
「お礼をするって言いながら、結局アンタに一番手ぇかけさせてるじゃん」
ピクッ。
その言葉に、シーツを握っていた椿の肩が微かに跳ねた。
「…………」
「ちょっ! ロッキ~、そういう身も蓋もないこと言うのやめてくれよ! 椿は気にしてるんだからさ!」
村正が慌ててロッキルを嗜(たしな)めようと声を上げる。
だが、彼が気づかない背後で――椿はゆっくりとロッキルの方へ首を巡らせていた。
その花紫色の瞳には、相変わらず感情の光は宿っていない。しかし、その底知れぬ虚無の瞳のまま、彼女は射抜くような、刺すような明確な敵意を込めてロッキルをジロリと睨みつけたのだ。
無表情ゆえの、背筋が凍るような静かな圧。
「た、確かにね~………あはは……」
本能的な危機感を察知したのか、ロッキルは頬を引きつらせて一歩後ずさった。村正は二人の間のそんな水面下の攻防に全く気づいていない。
その時だった。
「村正!! いるか!!」
地響きのような荒々しい足音と共に、ヘレウクレスが家へと飛び込んできた。常に泰然自若としている大英雄の顔に、かつてないほどの切羽詰まった焦燥が張り付いている。
「ロッキル……お前もいたのか」
「もう、どうしたの? 筋肉バカがそんなに慌てるなんて珍しいじゃん~」
ロッキルが無理に明るく振る舞おうとするが、ヘレウクレスの次の言葉が、その場の空気を一瞬にして氷点下へと叩き落とした。
「攻めてきたんだ……」
大男はギリッと奥歯を噛み締め、絶望的な事実を吐き出した。
「魔獣テポーンのやつが……この聖都ヒエロファニーへ、直接攻めてきたんだ!!」
洗濯物が風に揺れる平和な中庭の空気が、突如として死の冷気へと塗り替えられた。
七日間の猶予など、待ってはくれない。絶対的な滅びの足音が、ついに彼らの扉を叩き割ろうとしていた。