世界中のスマートフォンが、一人の少年の「死に顔」をリアルタイムで映し出していた。
「いやだ……来ないでくれ……誰か、誰か助けてくれよおぉぉぉッ!!!」
大型怪人の巨大な怪腕が振り下ろされ、神代レンの右脚の装甲を無惨にへし折った。
骨の砕ける鈍い音が、壊れかけのドローンカメラを通じて全国のお茶の間へ、
ネットの配信画面へとダイレクトに鳴り響く。
衝撃でパワードスーツのヘルメットが完全に吹き飛び、レンの素顔が白日の下に晒された。
端正だった顔は恐怖で歪み、涙と鼻水、そして額から流れる血でドロドロに汚れていた。
かつてメディアで見せていた、余裕に満ちた救世主の面影はどこにもない。
そこにあるのは、死を前にして、ただ泣き叫ぶだけの若者の姿だった。
「ひっ……う、嘘……」
封鎖線の外側で民衆を抑えていた詩織は声を失い、
最前線で自撮り棒を構えていたあまねの方は、スマホの画面と、
数十メートル先で泥に塗れて転がるレンの姿を交互に見つめ、声を震わせた。
周囲の野次馬たちも、一瞬で「お祭り気分」から叩き落とされる。
怪人はショーなどではないということを、いまさらになって、そんな残酷な現実に引き戻された。
現行兵器の通じない災害が、同時に二体、自分たちの目の前にいるのだと。
「に、逃げろォォォォッ!!」
「う、うわぁぁぁぁ!!」
誰かの悲鳴を合図に、都心の高層ビル街は一瞬でパニックの地獄絵図へと化した。
人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い、お互いを突き飛ばし、
レンのことなど目もくれずに我先にと逃げ出した。
「待ってくれ! 見捨てないでくれ! 僕は『人類の盾』なんだ! 神代グループが君たちを……
ひっ、あああッ!」
レンは這いつくばりながら、逃げる人々の背中に向かって必死に手を伸ばした。
しかし、誰も振り返らない。
彼を称賛していたファンも、
出資していたスポンサーも、
誰も助けには来ない。
それどころか、リアルタイムで流れるネットのコメント欄は、
恐ろしいほどの速度で手のひらを返していた。
『マジかよ』
『うわ、ダッサ』
『こいつ偽物じゃん。中途半端に怪人刺激して被害拡大させた戦犯だろ』
『金持ちの道楽のせいで都心が壊滅するだろ。神代グループは責任取れよ』
『期待させやがって、ただのクソガキが』
レンの承認欲求を満たしていた「神話」は、彼を置き去りにして、
一瞬で「最悪の生贄」へと反転した。
肉体が破壊されるより先に、
レンを神代レンたらしめていた『虚像』は、跡形もなく砕け散っていた。
怪人たちの猛攻は、無差別かつ冷酷だった。中型怪人の放つ触手が周囲のビルを切り裂き、
コンクリートの破片が雨のように降り注ぐ。逃げ惑う群衆の中に、
腰を抜かして完全に動けなくなっているあまねの姿があった。
「あ……あ……」
手から自撮り棒が滑り落ちる。
スマホの画面は割れ、視聴者たちの罵詈雑言が虚しく流れ続けている。
あまねの目の前に、変異した中型怪人がゆっくりと近づいてきた。
巨大なハサミが、彼女を肉片に変えるために高く掲げられる。
(そっか……私、死ぬんだ――)
あまねが恐怖で震えながら目を瞑った、
その瞬間。
――恐ろしい何かに見つかった気がした。
そんな錯覚に、その場にいた誰もが息を呑み、動きを止めた。
最初に反応したのは怪人だった。
怪人が、空を見上げた。
その遥か上空。
ビル群の狭間を縫うように、漆黒の影が空を駆けていた。
その双眸は、全てを見下ろしていた。
――ドゴォォォォォォォォンッ!!!
上空から、隕石でも墜落したかのような凄まじい衝撃波が都心の高層ビル街を爆裂させた。
立ち込める土煙。衝撃の風圧だけで、周囲のコンクリート片が全て吹き飛ぶ。
そこへ現れたのは、漆黒の凶悪な外骨格を纏う、『黒い怪人』
しかし、その存在感は今までとは違いすぎていた。
言葉は発しない。
だが、その身体から迸るオーラは周囲の空気にすら干渉し、空間そのものを歪ませていた。
そして、その場にいた誰もが理解する。
そこに渦巻いていたのは、周囲のすべてを圧殺せんばかりの重圧だった。
(期待……期待させやがってーー!!)
(……一桁だと……一桁だぞクソッタレがぁぁぁぁぁぁッ!!!)
外骨格の内側で、ジローの脳内は、人生最大の怒りと殺意で頭が沸騰していた。
今日、ジローは「一桁違い」で一等宝くじを外した。
あと一つの数字が合っていれば、10億円。
これからの一生を遊んで暮らせるはずだった。
(俺のキャリーオーバー10億がぁぁぁッ!!)
完全にただの逆恨み。純度100%の八つ当たり。
しかし、その怒りのオーラは、
周囲に「人類の危機に激怒する、孤高の守護者の神威」として伝播していた。
そんな中、詩織が、涙を流しながら
「嗚呼……来てくださった。やはりあのお方こそ……」
「キシャ……?」
恐怖から立ち直った中型怪人がハサミを向けた瞬間。
黒の怪人は無言で、全体重を乗せただけの「右ストレート」を放った。
技名などない。ただの、加減なしの殴り。
もはや理性など、あの破り捨てた宝くじと共に捨ててきた。
(俺の十億返せやぁぁぁッ!!)
ズバァァァァァンッ!!!!!
空間が爆発した。
強化され、対怪人局が絶望したはずの中型怪人の上半身が、
殴られた衝撃の風圧だけで肉片すら残らなかった。
「ガ、ア……?」
それを見た10メートルを超える大型怪人が、恐怖に震えながらも無数の怪腕を振り下ろす。
だが、それを避けることすらしない。
先程と同じように今度は左の拳を、ただ突き出した。
ドガァァァァァンッ!!!
衝撃波が都心の高層ビル街を震わせ、超大型怪人は悲鳴を上げることすら許されず、
肉片はおろか核ごと完全に消滅した。
二個体の怪人、完全討伐。
そこにはただ圧倒的な暴力だけがあった。
静まり返る都心の高層ビル街。
呆然とそれを見つめていた人々の中から、
ぽつり、ぽつりと声が漏れ出す。
「お……おい、見たか……?」
「一撃、だった……」
「黒の守護者だ……! アレだ…アレが、本物の…来てくれたんだ!!」
わぁぁぁッ!
避難しかけていた群衆から、現金なまでの大歓声が巻き起こる。
「すげぇ!」
「やっぱり本物は格が違う!」
「カッケー!!」
人々は恐怖を忘れ、再びスマートフォンを掲げて撮影しようとしたが、
漆黒の怪人は既にその姿をくらませていた。
だが。
その歓声の渦の中心で、あまねだけは、ショックのあまり無言のまま立ち尽くしていた。
彼女の表情は、歓喜に沸く周囲とは対照的に、血の気が引き、絶望に曇っていた。
あまねの手の中で、画面の割れたスマホが小さく震えている。
彼女は、先程まで佇んでいた『背中』があった場所をただ呆然と眺めていた。
(あ……ああ……)
脳裏によぎるのは、最初に自分が救われた夜。
あの時、彼女は自身の配信で、そして世間に対して、自信満々にこう語っていた。
『彼こそ、この街の孤独な守護者――ダークヒーローなのだ』と。
そして特番でも、大真面目な顔でレンの隣に座り、
『私は分かっていました』と言わんばかりに彼の「偽りのトラウマ」を美化し、
神話の片棒を担いでいた。
「私は人を見る目がある。私は、物事の本質を見抜ける特別な人間だ」
配信者として成功し、何十万人ものファンに持ち上げられる中で、
あまねの「自己評価」は肥大化しきっていた。
だからこそ、神代レンという偽物を「本物」だと信じて疑わなかったし、
その自分の直感を100%正しいと盲信していたのだ。
だが、先程まで目の前にあった「本当の黒い怪人」の背中は、神代レンとは似ても似つかない、
質量も、放つ威圧感も、何もかもが別次元の『本物』だった。
自分が勝手に物語を作り上げ、勝手に感動し、勝手に神格化していた神代レンは、
ただの偽物だった。
そして、自分が「私の見た通り、素晴らしい心を持ったお方」と豪語していた守護者は、
レンなどではなく、先程までいた正体不明の怪物だった。
私の直感も、本質を見抜く目とやらも、最初から最後まで、何も当たっていなかった。
ただの勘違い。自分は、世界で一番マヌケなピエロだったのだ。
「私……」
あまねはスマホを握りしめたまま、ガタガタと震え出した。
周囲の人間が「本物だ!」「神だ!」と、騒いでいる中、
あまねだけが、自分の『肥大化した自信』の死骸を突きつけられていた。
「私……何も見えてなかったんだ……」
それは、人を見る目への自信を完全に失い、自分の「言葉」の価値がゼロになったことを理解したインフルエンサーの、本当の崩壊の呟きだった。
そんなあまねとは対照的に、詩織は
「ああ……」
「やはり、あのお方だった……」
歓喜の表情を浮かべていた。
一人は信じるものを失い、
一人は信じるものを見つけた。
(第6話・了)