時計の針は深夜2時を回ろうとしていた。
四畳半の散らかったワンルームマンション。遮光カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中で、
彼はブルーライトに照らされながら猛烈な勢いでキーボードを叩いていた。
モニターに映っているのは、彼が運営する個人ブログ
『黒の守護者・戦闘解析総合アナリティクス』の編集画面だ。
「……これだ。やっぱり、ここなんだよ!」
彼はマウスを握る手に力を込め、画面に表示された動画を0.1秒単位でコマ送りする。
映っているのは、数時間前に特区周辺の廃棄高架下に出現した、推定警戒レベル4の怪人。
そして――それを「一撃」で肉塊に変え、さらにその核ごと分子レベルで完全消滅させた、
正体不明の漆黒の影。
世間が「黒の守護者」と呼び、いまや神格化の一途をたどる人類の救世主だ。
彼は、自他共に認める重度のヒーローオタクであり、
黒の守護者に人生のすべてを狂わされた狂信者の一人だった。
かつて世間を賑わせた神代レンのような、メディアに祭り上げられた英雄には興味を示さず、
ただ圧倒的な暴威で怪人を塵に帰す「黒の守護者」にのみ、本物の神話を見出していた。
「見てくれ、この完璧な重心移動。無駄が一切ない。怪人の放った超高熱の熱線を、
あえて避けることすらしていない。これは避ける価値すらないという『絶対強者』の意思表示……
いや、違う!」
彼はハッと目を見開き、自身の言葉を否定するように頭を振った。
「守護者様がそんな傲慢な理由で動くはずがない。彼は無言だ。名乗らない。
自己顕示欲の塊だった神代レンとは格が違う。
ということは、この一見『ただ突っ立って殴っただけ』に見える挙動には、
僕たち凡人には理解できない高次元の『慈愛』が含まれているはずなんだ……!」
彼の脳内では、すでに黒の守護者のすべての行動が神聖な御業へと変換されていた。
彼は興奮で震える指のまま、ブログの記事を書き進めていく。
【緊急更新】第7回・廃棄高架下戦における「黒の守護者」様の戦闘思想について
皆さん、こんばんは。管理人です。
本日23時頃に発生した特区周辺での怪人襲撃事案、
皆さんもSNSの拡散動画で既にご存知かと思います。対怪人局が避難誘導で手一杯の中、
突如として現れた守護者様が、一撃で怪人を完全消滅させました。
しかし、私が今回皆さんに最も注目してほしいのは、その圧倒的な強さではなく、
守護者様から放たれていた『かつてないほどの圧倒的な怒りと殺気』です。
動画で確認されたデータ、および怪人が消滅する直前の風切り音を分析すると、
今回の守護者様は普段よりもはるかに凄まじい威圧感を放っていたことが分かります。
これは、人類を脅かす怪人の存在に対する、魂の底からの『憤怒』の現れに他なりません。
普段は孤高のダークヒーローとして冷徹に怪人を処理する守護者様が、
なぜこれほどの怒りを露わにされたのか?
それはおそらく、今回の出現現場が『特区』――すなわち、過去の怪人災害によって様々なものを失った弱者たちが身を寄せ合う、最も守るべき聖域のすぐ近くだったからでしょう。
「これ以上、虐げられた人々を傷つけることは許さない」
守護者様の無言の拳は、そう雄弁に物語っていたのです。
我々人類は、彼のこの深い慈悲に、改めて感謝と敬意を捧げなければなりません。
「よし……! 完璧だ。筋が通ってる!」
「ああ……守護者様……今日も尊い……」
彼は自画自賛しながら、書き上げた記事を投稿した。
直後、F5キーを押してページを更新するたびに、
閲覧数のカウンターが爆発的な勢いで跳ね上がっていく。
コメント欄には、同じように夜更かししている信者たちからの賛同の声が次々と書き込まれた。
『管理人さん考察さすがすぎます! 涙出てきた』
『やっぱり守護者様は特区の人々を裏から守ってくれてるんだな……』
『あの怒りの拳は人類への愛の証明。本当に尊い』
『神代レンとかいう偽物とは大違いだな。守護者様こそ本物の救世主』
「そうだろう、そうだろうとも!」
彼はネットの向こうの同志たちと魂を震わせ合い、満足感に浸った。
世界中が今、この黒い神話に熱狂し、彼の孤独な戦いを称えているのだ。
世界が、勝手に彼の怒りを分析し、勝手に神話を精緻に補強していく。
画面の前で彼が「聖域を守るための神聖な憤怒」だと涙した、あの凄まじい一撃の本当の理由――
それが、ただの八つ当たりの憂さ晴らしであったなどということは、
深夜のインターネットという名の狂信の渦には、1ミリも届くはずがなかった。
ブログの閲覧数は、午前3時を迎えてもなお、天井知らずに伸び続けていた。
幕間 了