第5話:崩壊の序曲
スマホを持ってないジローは宝くじ売り場の横に張り出された、当選番号の一覧表の前に立ち、
ポケットからあの日購入したくじ券を取り出した。
「1等、10億か……」
額の大きさに思わずたじろいだジローだったが、気を取り直し一覧表を見つめる。
「へっ、見てやろうじゃねぇか」
手元の番号と一覧表を見比べる。
「――ん?」
何度も目をこすり、一覧表の数字と、手元のくじ券の数字を交互に往復させる。
「おいおいおい……コイツぁ……」
思わず震えだすジロー。
【その頃】
日常の崩壊は、あまりにも唐突だった。
平日の昼下がり、賑わいを見せる都心の高層ビル街。
その中心にある地下鉄の通気口が、内側から激しい爆発とともに吹き飛んだ。
立ち込める黒煙を割って這い出てきたのは、
かつて人類が目撃したどの個体よりも禍々しい「怪物」だった。
「キィィィィサァァァァァァッ!!!」
金属を引っ掻いたような、鼓膜を震わせる咆哮。
体長は3メートルを超え、全身が鋼鉄のような漆黒の甲殻で覆われている。
右腕には以前の数倍はある巨大なハサミ、
そして背中からは無数のトカゲの尾のような触手が蠢いていた。
怪人は、近くにいた大型路線バスを片手で紙屑のように掴むと、
そのまま隣の商業ビルへと投げつけた。
轟音、ガラスの雨、そして血の気の引いた人間の悲鳴。
怪人の一歩ごとに、数日前まで平穏だった都市の機能が物理的に圧殺されていく。
◇
「……嘘、だろ」
対怪人局の中央解析室。
モニターに映し出された怪人の拡大映像を見たベテラン職員は、持っていた資料を床に落とした。
「どうした!? 避難誘導を急がせろ!」
上官の怒号に、職員はガタガタと震える指でキーボードを叩き、数日前のデータを並べる。
「この怪人、数日前に神代レンが商業ビルの広場で『討伐した』と言われる、
例の下位個体です……!」
「何だと……!? 姿が全く違うぞ!」
「生体波形が完全に一致しています!
神代レンの中途半端な火力で、核を刺激された結果、自壊のサイクルが狂い、
急速に変異・巨大化したんだ! 最悪だ……以前の硬度を遥かに超えている。
現行の局の重火器じゃ、時間稼ぎの足止めすらできません!」
都市規模の被害が広がる中、世間の反応は、対怪人局の絶望とは完全に乖離していた。
スマートフォンを片手に逃げ惑う人々、そしてSNSのタイムライン。
そこに溢れているのは、恐怖ではなく『依存』だった。
『レン様どこ!? 早く来て!』
『またあのフォトン・バーストで一瞬で粉砕してよ!』
『不謹慎だけど、生でレン様の戦闘見られるチャンスじゃね?』
恐怖の対象であるはずの怪人が、
いつの間にか「ヒーローを引き立てるための舞台装置」として消費されている。
世界はまだ、神代レンという偽りの神話から目を覚ましていなかった。
「――お待たせ。もう大丈夫だ」
シュゴォォォォォッ!!!
割れんばかりの歓声(避難の足を止めてスマホを構える野次馬たち)の中、
青いジェット噴射の光とともに、神代レンが戦場へと着地した。
スーツはさらに光沢を増し、ド派手な追加装甲が施されている。
彼の周囲には、今日も完璧なアングルを狙う十数機の撮影ドローンが追従していた。
さらに、対怪人局の封鎖線のすぐ外側には、怪人局職員の詩織と配信者のあまねの姿もあった。
「危険です!下がってください」
「皆さん、レン様が来てくれました!」
「これなら大丈夫です!」
自撮り棒を掲げ、興奮気味に配信を続けるあまね。
その後ろには、お祭り騒ぎでレンの名を叫ぶファンの群れ。
レンはバイザーの奥で、その光景を見て満足げに微笑んだ。
(最高だ。これだけの注目、これだけの観客。
ここでこの怪人を倒せば、僕の地位は不動のものになる)
「『高周波ブレード、出力最大』――悪を裁く時間だ!」
レンは華麗なステップで地を蹴り、漆黒の怪人へと飛び込んだ。
眩い光の刃が、怪人の胸元へと一閃される。完璧なフォーム、完璧な軌跡。
――ギチチチチチィィィン!!!
しかし。
あたりに響き渡ったのは、肉を切り裂く音ではなく、
金属同士が激しく擦れ合うような絶望的な打撃音だった。
ブレードの刃は、怪人の漆黒の甲殻に数ミリの傷をつけただけで、完全に止められていた。
「……え?」
レンが目を見開いた瞬間、怪人の巨大なハサミが横一線に振るわれた。
「が、はッ……!?」
凄まじい衝撃。
レンの身体は一撃で数十メートル吹き飛び、道路のアスファルトを削りながら激しく転がった。
『なんだよ!?なにが起きたんだ?』
『カメラ追いついてない、誰か教えてくれ!』
動画のコメントが慌ただしくなり始めていた。
『システムエラー。胸部装甲、損壊率35%』
アラートが耳元で鳴り響く。
「な、んだ、この重さは……!? 以前のデータと違いすぎる……!」
起き上がろうとするレンの頭上に、怪人が驚異的な跳躍で迫る。
背中からの触手が鞭のようにしなり、レンのパワードスーツを容赦なく打ち据えた。
バキッ!ゴキッ!
火花が散り、スタイリッシュだったカーボン素材の装甲が、
見る影もなくへこみ、引き裂かれていく。
「いや、待て、あ、熱出力最大! 『フォトン・バースト』!!」
『きたーーーー』
『いけええええ!!』
『やっちまえレン様!!』
『勝ったな』
『フォトン・バーストきたああああ』
至近距離から放たれたレンの必殺の光線。しかし、強化された怪人はその熱線を突き破り、
怪人のハサミが、レンの左腕のブレード発振器を根本からバキリとへし折る。
『えっ?』
『はっ?』
『嘘だろ……』
「ひっ……あああああッ!?」
『おい立てよ!』
『レン様!?』
『フォトン・バースト効いてないの!?』
『待て待て待て待て』
視聴者たちの熱狂は、一瞬で困惑へと変わった。
それでもレンは震える足で立ち上がる。
「まだだ……僕が負けるはずがない……!」
自分自身に言い聞かせるように叫びながら、
残されたブレードを展開する。
だが。
怪人はまるで意に介していなかった。
甲殻には、先程の必殺技で焼かれた痕がわずかに残っているだけ。
致命傷どころか、有効打ですらない。
『なあ……』
『今回の怪人、今までと違わないか?』
『ちょっと、やばくね?』
『いや、大丈夫だろ』
『レン様だぞ?』
『今まで、一撃で楽勝だっただろ?』
『え、演出だろ、きっと……なあ!?そうだって言ってくれよ!!』
誰もがそう思おうとしていた。
そう信じたかった。
しかし次の瞬間、その希望は容赦なく踏み砕かれる。
怪人の背中から伸びた無数の触手が、鞭のようにしなり――。
ドガァッ!!
レンの身体を真正面から叩き潰した。
「ぎゃあああああッ!!」
封鎖線の外で見ていたあまねの顔から、一瞬で笑顔が消えた。
「え……? レン、様……? 嘘、なんで……?」
スマホの向こうの視聴者たちも、あまりの惨状にコメントを止める。
スマートで華麗なはずのヒーローが、泥に塗れ、悲鳴を上げて一方的にやられている。
「助け……て……」
バイザーの奥、レンの端正な顔は恐怖で涙と鼻水に塗れていた。
痛い。死ぬ。嘘だ。僕は選ばれたヒーローのはずだ。
なんでこんな、化け物相手に、生身の人間が戦わなきゃいけないんだ。
この世界には超能力などない。
純粋な暴力だけ。それを、レンは本当の意味で初めて突きつけられていた。
しかし、運命は彼に、精神の崩壊すら許さなかった。
ズズズズズズズズズズズズ……ッ!!!
突如、周囲のビルが大きく傾き、地面が劇烈に陥没した。
咆哮すら、ない。
ただ、物理的な『絶望の質量』が、崩壊した道路の底から這い出てきた。
それは、変異した中型怪人を遥かに凌駕する、文字通りの
【超大型個体】。
体長10メートルを超え、巨岩のような甲殻を背負い、
アスファルトを容易に粉砕する無数の巨大な怪腕を持った、圧倒的な暴力の化身。
復活怪人が、下水道網の奥から呼び寄せていた「仲間」だった。
「あ……あ……」
レンは立ち上がることすら忘れ、腰を抜かしたままその巨体を見上げた。
超大型怪人の無数の目が、冷酷にレンを見下ろす。
その隣には、レンへの怨念を滾らせた中型怪人が、カチカチとハサミを鳴らして立っていた。
2対1。
人類の最新科学の粋を集めたはずのパワードスーツはすでに大破し、武器はない。
周囲を飛んでいた撮影ドローンは、レンが逃げ惑い、恐怖に泣き叫ぶ無様な姿を、
残酷なまでに鮮明に世界中へと生中継し続けていた。
「いやだ……来ないでくれ……誰か、誰か助けてくれよおぉぉぉッ!!!」
大衆のヒーローとして頂点に立った男の、それが剥き出しの悲鳴だった。
二体の怪人が、絶望に震えるレンを目がけて、容赦のない質量を振り下ろす――。
(第5話・了)