魔法の才能ゼロの令嬢に、最強転生魔法ジジイが科学知識を教えたら? → A.めっちゃ無双する:【才無し侯爵令嬢と魔法ジジイの科学革命】 作:Koh_novel
コンコン。
浴室の扉の向こうから、老人の声がした。
「服は綺麗にした。ここに置いておくぞ」
「……え?」
ピリカは目を擦った。いつの間にか、泣き止んでいた。お湯がぬるくなっている。どのくらい浸かっていたのか、わからなかった。
「あ、あの——もう綺麗なんですか?」
「綺麗にしたと言うとるじゃろ」
「……ありがとうございます」
「それと、髪を乾かすにはこれを使え。服と一緒に置いておく」
足音が遠ざかっていった。
⸻
湯船から出た。
脱衣所に戻ると、畳んだ制服が置いてあった。泥だらけだったブラウスが白い。スカートも、下着も、靴下も。汚れも、匂いも、完全になくなっている。洗って乾かしたのではない。そんな時間はなかった。
——魔法で、一瞬でやったのだろうか。
その横に、見たことのない道具があった。
握りの部分があって、途中でくの字に折れ曲がり、先端が筒のように広がっている。木と金属でできている。手のひらに収まるくらいの大きさ。
「……なんだろう、これ」
服を着た。道具を手に取って、脱衣所の扉からちょっとだけ顔を出した。
居間の椅子に、老人が座っていた。
「あの……これは、何ですか?」
「魔力をちょっと込めたら、温かい風を出して髪を乾かす道具じゃ」
「……え? そんなものが……?」
「握って、ほんの少しだけ魔力を流してみい」
「は、はい……」
ピリカは脱衣所に戻った。道具を半信半疑で握って、ほんの少しだけ魔力を込めた。
カチッ。
ブゥーン。
温かい風が、筒の先端から吹き出した。
「——!」
髪が揺れた。濡れた毛先が、温風に煽られて浮き上がる。
ピリカは目を見開いた。
「す……すごい……」
風を送る風魔法。温めるための火魔法。この小さな道具の中で、二種類の魔法が同時に走っている。しかも、流す魔力はほんのわずか。ピリカの乏しい魔力量でも、問題なく動く。
脱衣所からまた顔を出した。
「……なんなんですか、これ……?」
「ドライヤーじゃ」
「ドライヤー……?」
「便利かと思って作ってみたんじゃが——ほれ」
老人が片手を上げた。手のひらから、温かい風が吹き出した。髪を乾かすのに十分な温風が、何の道具もなしに出ている。
「風魔法で風を出して、火魔法で温めて温風にして、ってやってるだけじゃからの。やっぱ要らんなと思って、そこに転がっておった。役に立って良かった」
「…………」
ピリカは道具を握ったまま、老人を見た。
「そんな繊細な並行魔法を使える人が、どれだけいると思ってるんですか」
「ん?」
「異種魔法の並行起動って! 風と火を同時に——学園の先生でも、できる人の方が少ないんです!」
「ほう……?」
老人が首を傾げた。
「魔法学園の先生も、大したことないんじゃのう」
「そんなことあるわけないでしょう!」
「同僚でできない奴の方が少ないから、大体みんなできるもんだと思っておったわ」
「…………」
——同僚でできない奴の方が少ない。
——異種魔法の並行起動が、みんなできる職場。
——何。この人の周りの人たち、何。
「まぁ良い。髪が乾いたら、こっちに来い」
老人は立ち上がって、奥の部屋に消えていった。
ピリカは脱衣所に戻って、扉を閉めた。
⸻
一人残されたピリカは、ドライヤーを髪に当てた。
温かい風が、濡れた髪を揺らしていく。水気が飛んで、毛先が軽くなっていく。
——風と火の並行起動。それを永続化してこの小さな道具に詰め込んでいる。
シャンプーの花の香りがまだ残っていた。乾いていく髪が、ふわりと広がる。
——さっきまで泥だらけだったのに。
ピリカは、少しだけ笑った。何が何だかわからないけど、泣いた後の、力の抜けた笑みだった。