魔法の才能ゼロの令嬢に、最強転生魔法ジジイが科学知識を教えたら? → A.めっちゃ無双する:【才無し侯爵令嬢と魔法ジジイの科学革命】   作:Koh_novel

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第13話 報告

 少し時間が遡る。ピリカが屋敷を飛び出した直後のこと。

 

 

 雨の中、ローザとアーサーは家屋に身を隠していた。

 

 空き地で、ピリカが魔法の練習を繰り返していた。雨に打たれながら、何度も何度も詠唱して——一度も成功しない。それでも腕を突き出し続けている。

 

 ピリカの膝が折れた。前のめりに、泥水の中に倒れた。動かなくなった。

 

「お嬢様……!」

 

 ローザが飛び出そうとした。アーサーが腕を掴んだ。

 

「待て」

 

「でも——」

 

「誰か来る」

 

 

 丘の上から、老人が降りてきた。

 

 ——雨が、止まっている。

 

 ローザは目を見張った。老人の周りだけ、雨粒が空中で静止して、ふわりと逸れていく。足元の泥が、一歩ごとに乾いていく。濡れていない。老人だけが、雨の中で濡れていない。

 

「若様……あれは……」

 

 アーサーは答えなかった。目が老人と、老人が起こす現象に釘付けになっていた。

 

 

 老人がピリカの前に立った。雨の静止した領域が、ピリカを包み込んだ。ピリカの身体に降り注いでいた雨が——止まった。

 

 老人が何か話しかけている。声は聞こえない。ピリカがゆっくりと顔を上げた。

 

 老人が指を回した。ピリカの身体がふわりと浮いて、起き上がった。荷物が宙に浮かんだ。

 

 二人が、丘の上に向かって歩き始めた。老人の雨止めの中を、並んで。

 

 

「若様……」

 

 ローザが震える声で言った。

 

「魔法使い様は本当にすごいのですね……あんなふうに濡れないように周りの雨を静止させたり、道も乾いているように見えます」

 

 アーサーは茂みの中で、苦々しく奥歯を噛んでいた。

 

「……あんなこと、普通の魔法使いができるものか」

 

「若様でも難しいのですか?」

 

「到底無理だ。試すまでもない」

 

 アーサーの声は低かった。

 

「あんな馬鹿みたいな精度の異種並行魔法——雨の静止、泥の乾燥、荷物や身体の浮遊——全部同時に、それも詠唱なしだ。やろうと思う方がどうかしてる」

 

「…………」

 

「何者だ、あの老人……」

 

 

 老人とピリカが丘の上の家に入っていった。扉が閉まった。灯りがついた。

 

 ローザとアーサーは、雨に打たれながら、しばらくその家を見上げていた。

 

「……ひとまず、父上に報告と相談をするぞ」

 

「はい。お嬢様は……」

 

「あの老人が何者かはわからん。だが——害意はなさそうに見えた。少なくとも、ピリカに危害を加えるつもりなら、あんな連れ方はしない」

 

 ローザは頷いた。頷いたが——胸の奥は、まだ不安で重かった。

 

 

 屋敷に戻ったのは、深夜だった。

 

 書斎の扉をノックした。中から「入れ」と低い声。

 

 アーサーとローザが入った。旦那様が椅子に座っていた。夜着ではない。書斎の服のまま。——ずっと起きて、待っていたのだ。

 

「報告を」

 

「はい」

 

 アーサーが一歩前に出た。

 

「ピリカは、空き地で魔法の練習を繰り返した末に倒れました。魔力切れだと思います。そこに老人が一人、現れました」

 

「老人?」

 

「丘の上の一軒家から降りてきました。白髪の老人です。——その老人が、異様な魔法を使っていました」

 

 旦那様の目が細くなった。

 

「異様とは?」

 

「雨を空中で静止させていました。広範囲に。老人の周りだけ——ドームのように。同時に、足元の泥を乾かしながら歩いていた。ピリカの身体と荷物も浮遊させた。さらにピリカが不意に倒れかけた時にも魔法で支えたように見えた。全て同時、詠唱なし」

 

「…………」

 

「異種魔法の並行起動が三種以上。しかも維持しながらの範囲の移動や、咄嗟に繊細に身体を支える追加の魔法。正直——学園の教師でもできる者はいません。私も、こんなものは見たことがありません」

 

 旦那様は黙ったまま、指で机を叩いた。

 

「……場所は」

 

「北の丘です。一軒家が建っています」

 

「老人の見た目を詳しく」

 

 ローザが口を開いた。

 

「白髪で、長身、歳の割に背筋はすらっとしており、痩せ型の方でした。顎に長い白い髭があります。杖は持っていませんでした。灰色のローブのような上着を着ておられました」

 

 旦那様の指が止まり、考え込むように腕を組んで上を向いた。

 

 

「規格外な魔法にその姿……間違いない、グリモワルド様だ」

 

 低い声だった。

 

「グリモワルド様……?」

 

 アーサーが聞き返した。

 

「知らんか。まぁ、あまり前には出たがらない人だからな。宮廷魔法使いの次席、グリモワルド様。十年ほど前に突然宮廷を出て、一人で暮らし始めたと聞いていた」

 

「宮廷魔法使いの次席——!?」

 

 アーサーの目が見開かれた。ローザも息を呑んだ。

 

「ああ。宮廷にいた頃は——いや、語るまでもないな。あの場所に住んでいるとは聞いていた。だが、誰とも関わらないことで有名でな。皆、極力接触することは控えていた」

 

 旦那様が椅子の背に身を預けた。

 

「それにしても……あの人嫌いで有名なグリモワルド様の家に、迎え入れられるとはな」

 

 

「お父様。ピリカを連れ戻しますか」

 

「いや」

 

 旦那様は首を振った。

 

「グリモワルド様であれば、ピリカに危害が及ぶことはまずない。むしろ——」

 

 旦那様は少し黙った。

 

「……ピリカにとって、良いことかもしれん」

 

「良いこと……?」

 

「今のピリカに必要なのは、あの子を正しく導ける人間だ。——我々にはそれができなかった」

 

 アーサーが唇を引き結んだ。ローザが目を伏せた。

 

「ひとまずピリカのことは心配ない。そのまま遠巻きに観察を続けよ。何かあれば、すぐに報告しろ」

 

「……はい、お父様」

 

「ローザ」

 

「はい」

 

「よく追ってくれた。報告ご苦労だった」

 

「……いいえ。お嬢様のことですから」

 

 

 書斎を出た。

 

 廊下で、ローザとアーサーが並んで歩いた。

 

「……若様」

 

「ん」

 

「お嬢様、大丈夫でしょうか」

 

 アーサーはしばらく黙って歩いた。それから、小さく息を吐いた。

 

「……わからん。だが——あの老人の魔法を見た限り、ピリカを傷つけるために連れていったようには見えなかった」

 

「……はい」

 

「それに——」

 

 アーサーは足を止めた。

 

「あの老人が歩いてきた時、ピリカの周りの雨が止まった瞬間——ピリカが、少しだけ顔を上げた」

 

「……」

 

「泥の中に倒れて、動けなかったピリカが。あの老人が来た時だけ、顔を上げた」

 

 ローザは何も言えなかった。

 

「——ピリカが自分で選んだなら、今は見守るしかないだろう」

 

「……はい」

 

 窓の外で、まだ、止まらない雨が降っていた。

 

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