魔法の才能ゼロの令嬢に最強ジジイが科学を教えたら? → A.めっちゃ無双する:【才無し侯爵令嬢と魔法ジジイの科学革命】 作:Koh_novel
知らない天井だった。
一瞬、どこにいるのかわからなかった。石の天井。木の梁。見覚えのない部屋。
——昨日の記憶が、一気に蘇った。
勘当。雨。泥水。老人。雨が止まった。家に入った。風呂に入った。コーヒーを飲んだ。弟子にならないかと言われた。
——夢じゃ、なかった。
身体が軽かった。久しぶりだった。いつもなら目が覚めた瞬間から重い。眠れていないから。でも昨日は、泣き疲れと、温かい湯船のおかげで、ぐっすり眠れたらしい。
目の下のクマは——たぶん、まだある。鏡がなくても、触ればわかる。でも、昨日よりはだいぶ楽だった。
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——いい匂いがする。
コーヒーの匂い。それと、何か焼ける匂い。
布団から出た。畳んだ制服に着替えて、居間に向かった。
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グリモワルドが朝食を作っていた。
パンが宙に浮いている。火魔法で両面がこんがりと焼かれていく。焦げ目がじわじわと広がっていくのが見えた。
その横で、卵が空中で割れた。殻が二つに分かれて、中身だけがぽとりと落ち——落ちない。中身もそのまま宙に留まった。白身が広がって、火魔法で焼かれていく。じゅう、と音がした。フライパンも皿もない。空中で、そのまま目玉焼きになっていく。
コーヒーは昨晩と同じ要領だった。水が浮いて、沸いて、豆が焙煎されて、粉になって、混ざって、二つのコップに注がれていく。全部同時に。
——……またすごいことしてる。
——……ちょっと慣れてきてる自分が怖い。
「おう、起きたか。座っとれ」
「……おはようございます」
ピリカは椅子に座った。
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目の前に、トーストと目玉焼きとコーヒーが並んだ。
トーストをかじった。外はカリッと、中はふわっと。焼き加減が完璧だった。目玉焼きは、黄身が半熟で、白身の端がほんの少しだけ焦げている。
——おいしい。
——空中で焼いたのに。
コーヒーのコップを持った。熱くない。だけど昨日教わった。今日は火傷しない。ふうふうと冷ましてから、口をつけた。砂糖を入れた、甘いコーヒー。
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食べながら、ピリカは周りを見回した。
昨日は衝撃と疲労で気づかなかったものが色々ある。朝の光の中で見ると、この家にはよくわからないものがたくさんあった。
「……あの、グリモワルド様」
「お主は弟子じゃ。お師匠様と呼べ」
「お、お師匠様……。あの暖炉、昨日から気になってたんですけど——火がないのに温かいですよね?」
「ああ、あれか。温かい空気を出しとるだけじゃ。夏は涼しい風に変わる」
「夏は涼しく……!?」
「部屋が暑い時は冷やす、寒い時は温める。それだけのことじゃろ」
「それだけって……」
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ピリカの視線が床に移った。小さな風の渦が、壁に沿ってゆっくり動き回っている。
「あの、あの床を回ってる風の渦は何ですか?」
「埃を集めとるんじゃ。放っておけば勝手に綺麗にしてくれる」
「掃除を……自動で、魔法で……」
「毎日掃除をするのが面倒だったんでの」
ピリカは風の渦を目で追った。渦は角まで来ると向きを変えて、壁沿いに進んでいく。通った後の床だけが、やけに綺麗だった。
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奥の壁に、暖炉ほどの大きさの丸い窯のようなものがくっついていた。扉が少し開いていて、中がぴかぴかと光っている。鏡のように磨き上げられた内壁が、朝の光を反射していた。
「あの壁のぴかぴかしたものは何ですか?」
「ゴミを燃やすための焼却炉じゃ」
「焼却炉……」
中を覗き込んだ。鏡面の内壁が、ピリカの顔を歪んだ形で映している。灰ひとつ残っていなかった。
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壁際に、土色の箱があった。木ではない。石でもない。土を固めたような質感。
「あの箱は何ですか?」
「ん? ああ、中を開けてみい」
ピリカは椅子を立って、箱の蓋を開けた。
——冷たい。
中から、ひんやりとした空気が漏れ出してきた。中には卵と、果物と、肉の塊と、野菜が入っている。
「食材を冷やして保存するためのものじゃ。腐らんようにな」
「……こんなものが……」
ピリカは蓋を閉めた。呆然と椅子に戻った。
「なんじゃ、いちいちびっくりしおって。全部ただの便利道具じゃ」
「ただのって言いますけど……こんなもの、見たことも聞いたこともないです……」
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ピリカはコーヒーのコップを両手で持った。
——熱くないコップ。中身だけが熱い。真空断熱。
ふうふうと冷ましながら、一口飲んだ。砂糖の甘さが口に広がる。
——空気がないと、熱が伝わらない。
昨日、教えてもらったこと。理屈はまだわからない。でも、「そういうもの」だと言われた。
コップの断面を思い出した。外壁と内壁の間に、薄い隙間。空っぽの層。何もない空間が、熱を遮っている。
——何もない空間が、熱を遮る。
ピリカはコップを見つめた。
——……熱を遮る。
——……炎も?
「……あの」
「ん?」
「昨日教えてもらった真空断熱のことなんですけど」
グリモワルドがコーヒーを啜りながら、こちらを見た。
「空気がないところは、熱が伝わらないって言ってましたよね」
「そうじゃ」
「それって——」
ピリカはコップを置いた。
「——炎も、防げるってことですか?」
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グリモワルドの手が止まった。
コーヒーを啜る手が、口元で止まったまま。老人の目が、ピリカを真っ直ぐに見た。
数秒の沈黙。
それから——グリモワルドは、ゆっくりとコップをテーブルに置いた。
「……ほう」
低い声だった。
老人の口元が、わずかに緩んだ。笑みとも呼べないほど小さな、でも確かな変化。
「……面白いことを言うのう」