魔法の才能ゼロの令嬢に最強ジジイが科学を教えたら?→A.めっちゃ無双する:【才無し侯爵令嬢と魔法ジジイの科学革命】 作:Koh_novel
模擬戦の翌日。平日の昼。
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ベルフォード侯爵邸。書斎。
当主であるフレデリック・ベルフォード——ピリカの父は、机の前で腕を組んでいた。
目の前に、ローザが立っている。手には薄い紙束。毎週の報告書。
「——グリモワルド様の生活は極めて規則的です。基本的にご自宅におられます。外出は火曜の昼に市場へ食材を買いに行かれるくらいです」
「……そうか」
「お嬢様はグリモワルド様のお宅に滞在されたまま、そこから学園に通っておられます。学園の後はお宅に戻り、家の前の広場で何かを試されたり、グリモワルド様から教わったりしているようです。内容までは把握できておりませんが、お顔の色は——以前より、ずっと良くなっておられます」
「……そうか」
フレデリックは窓の外を見た。
長い沈黙。
「ローザ」
「はい」
「……会いに行く。グリモワルド様に」
ローザは一瞬だけ目を見開いた。すぐに表情を戻して、頷いた。
「お供いたします」
「いや。一人で行く」
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フレデリックは馬車を使わなかった。
貴族の馬車で乗りつけたら目立つ。郊外の小さな家に、侯爵家の紋章入りの馬車が止まっていたら——何の冗談だ。
フレデリックは外套を羽織って、徒歩で屋敷を出た。
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歩きながら、考えていた。
——ソーラーレイのグリモワルド。
——宮廷魔法使い、次席。十年前に宮廷を離れて以来、ほぼ誰とも会わず、郊外でひっそりと暮らしていると聞いていた。
——東部戦線にいた頃、噂だけは何度も聞いた。人嫌いで偏屈で、しかし一人で戦争を終わらせたという——化け物。
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郊外の丘の上。石造りの小さな家。
フレデリックは玄関の前に立った。
——手のひらに、じんわりと汗が滲んでいた。落ち着かない。自分でも馬鹿みたいだと思った。
扉を叩いた。
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数秒の沈黙。
がちゃり、と鍵の開く音。
扉が開いた。白髪の老人が、怪訝な顔で立っていた。
「……誰じゃ」
「——失礼いたします。ベルフォード侯爵家当主、フレデリック・ベルフォードと申します」
フレデリックは深く頭を下げた。
「ピリカの——父です。ピリカがお世話になっております」
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グリモワルドが、ゆっくりとフレデリックを見た。上から下まで。
「……ほう」
眉が上がった。
「明らかに所作が貴族だとは思っておったが——結構いいとこの嬢ちゃんじゃの、あいつ」
「……恐れ入ります」
「まぁ、上がれ。あ、靴はそこで脱いでの」
「……? はい」
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居間。
フレデリックは小さなテーブルを挟んで、グリモワルドと向き合って座った。
「コーヒーしかないが、良いか?」
「——はい。お構いなく」
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グリモワルドが立ち上がった。壁際の水道の取っ手を捻った。
水が流れ出す。——流れ出した水が、空中で止まった。管から離れて、宙に球体を作る。
フレデリックの目が、わずかに見開かれた。
——あの管は水が出る魔道具……?そして浮遊。しかも、無詠唱。
水の球から、湯気が立った。一瞬で沸騰している。
戸棚の扉がひとりでに開いた。ガラスの瓶が浮き出してくる。蓋が空中で回って外れる。薄緑の粒が宙に舞い出した。赤く光る。焙煎されている。同時に、風で砕かれていく。
フレデリックは椅子に座ったまま、凍りついたように動けなかった。
沸いた湯と粉が合流して、褐色の液体になった。二つのコップに注がれていく。残った粉は小さな球に圧縮されて、ゴミ箱に飛んでいった。
「ほい」
コップがフレデリックの前に置かれた。
「……」
フレデリックは、一瞬コップを見つめた。それから、グリモワルドを見た。
「……ありがとうございます」
——化け物だ。
——フレデリック自身、侯爵家の当主として、魔法の才能には、それなりの自負がある。
——だが。
——今の一連の所作は、何一つ理解できなかった。一つ一つの魔法は知っている。浮遊も、加熱も、風操作も。だが、それを四つも五つも同時に、コーヒーを淹れるためだけに使う人間を——見たことがない。
——ピリカの兄、アーサーの報告にあった通り——いや、それ以上。この老人の前では、自分の魔法など児戯に等しい。
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コップに口をつけた。苦い。だが、良い香りだった。
「——さて」
グリモワルドがコーヒーを啜った。
「わざわざ来たということは、用があるんじゃろ。まあ、大体わかっとるがの」
「……はい。率直に伺います。——なぜ、ピリカを弟子に?」
「努力の才能がある子じゃからな」
「……」
「それと、面白い。あれだけ魔力が少ないのに折れとらん。普通はとっくに別の道を探す」
フレデリックはコップを置いた。
「……あの子は、自分が捨てられたと思っています」
「知っとるよ」
「……ご存知でしたか」
「正確には、捨てられたと思い込んでおる。帰る場所がないと」
グリモワルドの目が、静かにフレデリックを見た。
「で——実際のところは?」
「……あの場では、ああ言うしかなかった。侯爵家の令嬢が落第したとなれば、形式上は勘当にしなければ家全体に影響が出る。——ですが」
フレデリックの声が、わずかに低くなった。
「……娘を、捨てたつもりはありません」
「ほう、やはりそうか」
「……」
「メイドに監視させとるのも知っとるぞ。たまに来る男——あれは兄か何かかのう?」
フレデリックは口を引き結んだ。
「——しかし、あの子は何も持っとらんかったぞ。学園の制服と、カバンに入った教科書くらいでな。着替えすらなかった」
「……」
「ずいぶんと嫌な顔をしながら袋から金貨を数枚取り出して、ここで使う着替えを買ってきおったわ。かっかっか」
グリモワルドが笑った。フレデリックは笑えなかった。
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「——で、最初から結論なんじゃが」
グリモワルドがコップをテーブルに置いた。
「今は勘違いを、利用するのが良いと考えておる」
「……というと」
「帰る場所がないと思っていた方が、全身全霊なにがなんでもと取り組めるじゃろ。あの子は今、退路がないと思っておる。じゃからこそ、死に物狂いで食らいついてきておる」
「……」
「正直な話、わしは魔法で困ったことがない。才能がない者の壁がどこにあるのか、感覚ではまっっっったくわからん。いつも驚くような場所でつまずきよる。理論を教える以上のことは、できんのじゃよ」
グリモワルドが窓の外を見た。
「——じゃから、せめて。なるべく必死に取り組む環境だけは、作ってやりたい。ここで安心感を与えたら、ほんの少し、刃が鈍る」
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フレデリックは黙っていた。
長い沈黙。
「——昨日あった件は聞いとるか?」
「……いえ」
「魔法実技の授業で模擬戦をやったらしくての。学年一位の子に勝ったそうじゃ」
「……学年一位に?」
フレデリックは眉間を揉んだ。
「あの才能のなさにしては、そこそこの速度で伸びとる」
「……」
「もう少しで魔法大会があるじゃろ。あれで優勝するのが最初の目標じゃと、初日に伝えてある」
フレデリックが顔を上げた。
「……優勝? あのピリカが?」
「そうじゃ。本人もまだ半信半疑じゃろうがの。わしは、届き得ると見ている」
グリモワルドがコーヒーを啜った。
「大会が終わったら、ちゃんと自分から会いに行くように取り計らおう。それまでは、このままにしておいてくれんか」
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フレデリックは目を閉じた。
——一ヶ月半。
——あと一ヶ月半、娘は自分が捨てられたと思って生きる。
——それが、あの子のためになる。
——この老人は、そう言っている。
「……わかりました」
フレデリックは立ち上がった。深く、頭を下げた。
「——娘を、よろしくお願いいたします」
「おう」
グリモワルドは軽く手を振った。