魔法の才能ゼロの令嬢に、最強転生魔法ジジイが科学知識を教えたら? → A.めっちゃ無双する:【才無し侯爵令嬢と魔法ジジイの科学革命】   作:Koh_novel

3 / 18
第2話 才無し侯爵令嬢の朝

 朝五時。

 

 まだ夜が明けきっていない。窓の外は薄い灰色の空。

 

 大きなベッドの中で、少女が眠っていた。布団から覗く顔は青白く、目の下に深いクマが刻まれている。

 髪は乱れたまま、枕に広がっていた。眉間に皺が寄っている。寝ていても、力が抜けきっていない。

 

 

 コンコン。

 

「お嬢様、お時間です」

 

 柔らかい声。ドアの向こうから。

 

 返事はない。

 

「お嬢様」

 

 もう一度呼んで、侯爵家メイドのローザは静かにドアを開けた。

 

 ベッドの上の少女⸻侯爵令嬢ピリカは、目を閉じたまま動かなかった。完全に眠っている。昨夜も遅くまで教科書を読んでいたのだろう。

 

 ローザはベッドの傍まで歩み寄って、そっとピリカの肩に触れた。

 

「お嬢様、朝ですよ」

 

「……ん……」

 

「五時です。起こしてほしいと仰っていましたので」

 

「…………ローザ……?」

 

 ピリカの目が、薄く開いた。ぼんやりとした瞳がローザを捉える。数秒、ここがどこかわからないような顔をして——それから、はっと目を見開いた。

 

 ——朝。起きないと。

 

 身体が重い。寝た気がしない。

 

「……起きる」

 

 ローザがカーテンに手をかけて、少しだけ開けた。早朝の薄い光がベッドに差し込む。

 

「……お嬢様」

 

 ローザがピリカの顔を見た。深いクマ。乾いた唇。疲労が、隠しようもなく滲んでいる。

 

「……お嬢様、今日は……」

 

「……ローザ」

 

 ピリカはゆっくり起き上がった。身体が重い。肩が痛い。昨日の訓練で、腕を上げすぎた。

 

「……起こしてくれて、ありがとう」

 

「……」

 

 ローザは何も言わなかった。ただ、胸が痛んだ。

 

 

 ピリカはベッドから降りた。

 

 視線が、机の上に吸い寄せられる。

 

 魔法の教科書。ページがぼろぼろになっている。角が丸くなり、何箇所もの折り目がついていた。何度も何度も開いた痕跡。

 

 詠唱の抑揚も、魔力の込め方も、イメージの作り方も。全部暗記している。目を瞑っても諳んじられる。

 

 ——でも、発動しない。

 

 魔力量が足りないことは、わかっている。わかっているけど——それでも、何か見落としていることがあるんじゃないか。詠唱の呼吸の間合いとか、魔力を込めるタイミングとか。少しでもヒントがあるなら、見つけたい。

 

 教科書を開いた。朝の薄い光の中で、ページを目で追う。ローザが着替えを準備している間も、目は活字から離れなかった。

 

「お嬢様」

 

「……?」

 

「……朝食、召し上がってからの方が……」

 

「……ありがとう。でも、朝食の前に少しでもやれることをしたいの」

 

「……承知しました」

 

 ローザはなにも言わなかった。お嬢様の邪魔はしたくない。

 

 代わりに、サイドテーブルからカップを取り上げた。ミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒー。あらかじめ用意してあったものだ。

 

「……せめて、これだけでも」

 

 ピリカは教科書から目を上げた。カップを受け取って、一口飲んだ。甘くて、温かい。

 

「……ローザ、いつもありがとうね」

 

「……いいえ」

 

 

 ローザがピリカの着替えを手伝った。学園の制服。白いブラウスに、深い青のブレザーとスカート。

 

 鏡の前に座って、ローザが髪を梳く。絡まった毛先を丁寧にほぐしていく。

 

「お嬢様」

 

「……?」

 

「今日も、学園の後、いつもの空き地で?」

 

「……うん」

 

「……ローザ、心配してくれてありがとう」

 

 ピリカは鏡越しにローザに微笑んだ。疲れた顔。でも、温かい笑み。

 

「でも、一ヶ月後が試験なの。時間がないの」

 

「……はい」

 

 ローザはそれ以上何も言わなかった。

 

 

 ピリカが食堂に入ると、兄——アーサーがもう席についていた。

 

 父と母は、それぞれ仕事で朝早くに出ている。大きなテーブルに、兄と妹の二人。屋敷のメイドが傍に控えている。

 

 アーサーは新聞から目を上げて、ピリカを見た。

 

「……おはよう」

 

「おはよう、お兄様」

 

 ピリカは向かいの椅子に座った。ローザがスープを運んでくる。温かい湯気が立ち上った。

 

 しばらく、静かに食事をした。スプーンがスープ皿に当たる音だけが響く。

 

「ピリカ」

 

「……はい?」

 

 アーサーが新聞を畳んだ。

 

「お前、一ヶ月後が期末の魔法実技試験だろ……?」

 

「……」

 

「……大丈夫か?」

 

 ピリカはスプーンを止めた。一拍、間があった。

 

「……なんとか」

 

「……」

 

「なんとか、します」

 

 声は、小さかった。

 

 アーサーはしばらくピリカを見つめていた。それから、視線を落とした。

 

「……何か手伝えることがあったら、言えよ」

 

「……うん。ありがとう、お兄様」

 

 ピリカは微笑んだ。いつもの、疲れた笑み。

 

 

 期末の魔法実技試験。一ヶ月後。

 

 基礎魔法——ファイアボールを発動できなければ、落第。

 

 この試験は、魔法使いとしてやっていけない生徒に対して、早めに別の道を探した方がよいという学校側の温情だった。ほとんどの生徒にとっては、全く何の心配もない通過儀礼にすぎない。

 

 だが、ピリカにとっては違う。

 

 侯爵家の令嬢が、魔法の基礎試験で落第する。それは「才能がない」だけでは済まない。ベルフォード侯爵家の名に傷がつく。貴族としての体面が、根底から崩れる。

 

 ピリカはそれをわかっていた。アーサーもわかっていた。

 

 だから、二人とも——それ以上は、何も言わなかった。

 

 

 食事を終えて、ピリカは玄関に向かった。

 

 学園の鞄を肩にかけて、靴を履く。ローザが玄関で見送る。

 

「お嬢様、お気をつけて」

 

「……行ってきます」

 

 ピリカは扉を開けた。朝の冷たい空気が頬に触れる。

 

 振り返らずに、歩き出した。

 

 小さな背中が、朝霧の中に消えていく。

 

 

 ローザは玄関に立ったまま、ピリカの姿が見えなくなるまで見送っていた。

 

 それから、静かに扉を閉めた。

 

「……お嬢様」

 

 誰にも聞こえない声で、呟いた。

 

「……どうか」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。