魔法の才能ゼロの令嬢に最強ジジイが科学を教えたら?→A.めっちゃ無双する:【才無し侯爵令嬢と魔法ジジイの科学革命】   作:Koh_novel

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第50話 ただいま

 門の前で、足が止まった。

 

 見覚えのある門構え。見覚えのある表札。何もかもが、あの日のままだった。——雨の中、ここを飛び出した日から、何も変わっていない。

 

 変わったのは自分だけだ。

 

 手先が冷たかった。指の感覚がぼんやりしている。鞄の取っ手を握っているはずなのに、ちゃんと握れているのかわからなかった。

 

 門を見上げた。あの日は、この門を振り返れなかった。走って、走って、一度も振り返らなかった。

 

 ——今、振り返らずに済む方法がある。このまま帰ればいい。お師匠様に「やっぱり無理でした」と言えばいい。

 

 足が、半歩だけ後ろに下がった。

 

 ——だめだ。帰ったら、師弟関係が終わる。

 

 鞄を抱え直した。布越しに、ドライヤーとシャンプーの固い感触が伝わった。昨夜、何度も包み直したあの重さ。

 

 ——お母様に渡すんだ。それだけでいい。

 

 息を吸った。吐いた。もう一度吸った。

 

 手のひらの汗を服で拭って、門を叩いた。

 

 

 扉を開けたのは、ローザだった。

 

 一瞬、ローザの目が見開かれた。唇が震えた。何か言おうとして——飲み込んだ。鼻の奥がつんとした。目の縁が赤くなっていく。

 

 でも、ローザはそれを全部飲み込んで、背筋を伸ばした。

 

「お嬢様」

 

 それだけ言って、深くお辞儀をした。顔を上げた時には、メイドの表情に戻っていた。——でも、目が赤かった。

 

「旦那様が、書斎でお待ちです」

 

「……お父様が?」

 

「はい。お越しになることは、伝わっております」

 

「あの、ローザ。これ、お母様に渡してくれない? きっと、すごく喜ぶから」

 

 ピリカが鞄から布包みを取り出した。ローザはそれを見て、少しだけ微笑んだ。

 

「申し訳ございません。私は今、お受け取りできません」

 

「え?」

 

「まずは旦那様とお話しください」

 

 ローザの声は穏やかだったが、揺るがなかった。

 

「……そっか。無理言って、ごめんね」

 

 ピリカは布包みを鞄に戻した。

 

「いいえ。——お嬢様、お入りください」

 

 

 廊下を歩いた。

 

 あの日と同じ廊下。同じ窓。同じ絨毯。足音の響き方まで同じだった。

 

 ——でも、あの日は走っていた。泣きながら、何も見えないまま、ここを駆け抜けた。ローザが後ろから呼ぶ声が聞こえていたのに、止まれなかった。

 

 今は、歩いている。一歩ずつ。ゆっくりと。

 

 窓から差し込む光が、絨毯の上に四角く落ちていた。この光の中を、昔は毎日歩いていた。朝食の前に、書斎に呼ばれる時に。何でもない日常だったはずなのに、胸が痛かった。

 

 書斎の扉の前に立った。

 

 手を挙げて——止まった。

 

 この扉の向こうで、あの言葉を言われた。

 

 ——お前を、勘当とする。

 

 心臓がうるさかった。こめかみが脈打っている。手が震えている。

 

 息を吸った。拳を作って、ノックした。

 

「……失礼します」

 

 

 書斎は、あの日と同じだった。

 

 同じ机。同じ椅子。同じ本棚。窓からの光の入り方まで同じだった。

 

 父が、奥の机に座っていた。

 

 ピリカが入ると、父が顔を上げた。一瞬、何かを言いかけて——口を閉じた。

 

 沈黙。

 

 窓の外で、鳥が鳴いた。

 

「……来たか」

 

「……はい」

 

「……」

 

 父が机の上で手を組んだ。視線を落とす。何を言うべきか、決めかねている。——ピリカは気づいた。お父様の手が、かすかに震えている。

 

「グリモワルド様の元で、よくやっているようだな」

 

「……はい」

 

「この間の魔法大会の結果も見ていた」

 

 ピリカの目が、少しだけ丸くなった。

 

「よくやったぞ」

 

「……? あ、ありがとう、ございます?」

 

 ぎこちなかった。父も、自分も。

 

 会話が止まった。父が何か続けようとして、言葉が出てこない。

 

 ピリカも何を言えばいいのかわからない。しばらく、書斎の時計の音だけが、規則正しく刻まれていた。

 

 

 ——その時、書斎の扉が勢いよく開いた。

 

「あなたはこういうところ、本当に不器用ね!」

 

 母だった。後ろから兄が続いて入ってくる。

 

「"心配してずっと見守っていたぞ"、くらい言ったらどうなのよ?」

 

「……ミランダ、まだ話の途中——」

 

「途中も何も、完全に止まってたでしょう。さっきから廊下で聞いてたんだから」

 

 父が口ごもった。

 

 兄が母の後ろから顔を出した。

 

「俺なんて何回もグリモワルド様の元へ行かされたぞ。『様子を見てこい、ただし気づかれるな』って」

 

「……グリモワルド様にはバレていたな」

 

 父がぼそりと言った。

 

「いや!今はそんなことどうでもいいんだよ!」

 

 アーサーが一歩前に出た。

 

「早くピリカにちゃんと説明してやってくれ。"お前は、まだ家族なんだ"って!」

 

 ピリカは呆然としていた。何が起きているのか、頭が追いついていなかった。

 

「……う、うむ」

 

 父が、ゆっくりと立ち上がった。

 

 

 父が語り始めた。口下手な人だった。言葉を選びながら、途切れ途切れに。

 

 お前が屋敷を飛び出した日——すぐにローザとアーサーを追わせたこと。

 

「あの雨の中、お前の後を追わせた。危なければ連れ戻せと」

 

 ピリカの視界が、じわりと滲んだ。

 

 それからすぐ、ローザに命じて、毎週グリモワルド様の家の近くからお前の様子を報告させていたこと。

 

「元気にしているか。ちゃんと食べているか。体を壊していないか。——毎週、報告書を出させていた」

 

 母が小さく頷いた。

 

「私、あの報告書を読むのが毎週の楽しみだったのよ。最初の頃は読むのが辛かったけど……だんだん元気になっていくピリカの様子が書かれていて、次の報告が待ち遠しくなっていったの」

 

 ——だめだ。涙が止まらない。ピリカは袖で目を拭った。拭っても拭っても、次から次へと溢れてくる。

 

 父は、それでも語り続けた。

 

 しばらくして、父自身がグリモワルド様の家を訪ねたこと。馬車を使わず、目立たないように、一人で歩いて。

 

「グリモワルド様と話し合って——お前が『捨てられた』と思い込んでいることを、あえてそのままにすることにした」

 

 ピリカの目が見開かれた。涙で歪んだ視界の向こうで、父の顔がぼやけていた。

 

「な……んで……?」

 

「退路がないと思っている方が、全身全霊で取り組めると。——グリモワルド様は、そうおっしゃった」

 

 父が視線を落とした。

 

「……辛い判断だった。だが、お前のためになると——信じるしかなかった」

 

 嗚咽が漏れた。声を抑えようとして、余計にしゃくり上げた。ピリカはもう、まともに立っていられなかった。膝が震えて、その場にしゃがみ込んだ。

 

 父は口を閉じかけた。——母が、小さく首を横に振った。全部、話してあげて。

 

 父が、続けた。

 

 アーサーもグリモワルド様の家の近くに何度も通わせたこと。「様子を見てこい、ただし気づかれるな」と命じたが、グリモワルド様にはすっかりバレていたこと。

 

 魔法大会も、もちろん、こっそり全試合を家族で観戦したこと。客席の端で、フードを被って、ピリカに気づかれないように。

 

 ピリカは床にしゃがんだまま、涙を拭おうともせずに顔を上げた。

 

「……見てたの?」

 

「ああ」

 

「全部?」

 

「全部だ」

 

 母が、ふふ、と笑った。

 

「あの可愛いピリカが、魔法を避けて殴りに行くんだもん。あらあら、こんなに逞しくなって、ってびっくりしちゃったわよ」

 

「消失魔法には驚いた」

 

 父がぽつりと言った。

 

「あれは、かなり難しい魔法だ」

 

「それに、あの爆裂魔法!」

 

 アーサーが目を輝かせた。

 

「なんなんだあれ!! あれは訓練したら俺も使えるのか?」

 

「え、えっと……あれはお師匠様の————」

 

「そんなことよりだ」

 

 父が、アーサーを遮った。

 

 一度、息を吸った。

 

「今日は夕食を ———— "家族みんな"で、食べていくか?」

 

 

「た、、だべで、いぎまず……」

 

 声にならなかった。鼻も目も、全部崩れたまま。ぐしゃぐしゃの顔で、それでも必死に言葉を絞り出した。

 

「今後のことは、そこで落ち着いて相談しよう」

 

 父は静かにそう言った。——あの日と同じ書斎で、同じ机の前で。でも、その声は、あの日とは全然違った。

 

 

 母が、ピリカの前に膝を折った。

 

 両手を広げ、ピリカを、ぎゅっと抱き寄せた。

 

「やっと、抱きしめられた。まったく、来るのが遅いのよ」

 

「おがあざまぁあ……」

 

 ピリカは母の胸に顔を埋めた。声を上げて泣いた。体を丸めて、しがみついて、子供みたいに泣いた。

 

 母の服が涙で濡れていく。母はそれを気にもせず、ピリカの頭をそっと撫でた。

 

「おかえり、ピリカ」

 

「だだいまぁ……だだいまでずぅう……」

 

「大丈夫よ。大丈夫。何があっても、あなたはちゃんと私の子なんだからね」

 

 アーサーが壁に背を預けて、窓の外を見ていた。目の端が光っていた。

 

 父は机に手をついたまま、じっと二人を見ていた。手を組む指先が、まだ少しだけ震えていた。

 

 

 しばらくして、ピリカが母の腕の中から顔を上げた。目の周りが真っ赤で、鼻も赤くて、顔中がぐしゃぐしゃだった。

 

「……すみません、お母様の服、べちょべちょに……」

 

「いいのよ、そんなの」

 

 母が笑って、ピリカの頬を両手で挟んだ。ぐしゃぐしゃの顔を、まっすぐに見た。

 

「ふふっ、なんだかんだ元気そうじゃない。よかったわ」

 

 母が、ピリカの髪をそっと撫でた。

 

「それにしても、あの日言おうとしたことを、言うまでにだいぶかかっちゃったわね」

 

「……あの日?」

 

「あなたが飛び出していった日。追いかけて、伝えたかったの。——何があっても、あなたはちゃんと私の子よ、って」

 




TABASAさんに高評価いただきましたっ!
いつのまにか、評価していただいた方が85人まで増えて、8,9,10評価合計が71人。
とても評価いただいていると感じます。

いつも皆様ありがとうございます( ; ; )
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