魔法の才能ゼロの令嬢に、最強転生魔法ジジイが科学知識を教えたら? → A.めっちゃ無双する:【才無し侯爵令嬢と魔法ジジイの科学革命】 作:Koh_novel
雨が降り始めていた。
学園から屋敷までの道を、ピリカは歩いた。制服の肩が少しずつ濡れていく。傘は持っていなかった。朝、ローザが「雨の予報が出ています」と言っていたのを思い出した。
——もう、どうでもいい。
屋敷の門が見えた。足が止まりそうになった。
——学院から、もう通知が届いているはず。
門を抜けた。玄関の扉を開けた。
⸻
ローザが立っていた。
いつもの場所で、いつものように。でも、目が赤く腫れていた。泣いた痕。
「……お嬢様」
声が、かすかに震えていた。
「……ローザ」
「……」
「……知ってるのね」
「……はい」
ローザは何か言いたそうだった。唇が動きかけて、止まった。侯爵家のメイドとして、家の決定に口を挟む立場にはない。
「……お父様とお母様は?」
「……書斎でお待ちです」
「……お兄様も?」
「……はい。全員、おそろいです」
ピリカは頷いた。
——来た、とうとうこの日が来てしまった。
⸻
廊下を歩いた。
使用人たちとすれ違った。全員が頭を下げた。でも、今朝の温かい笑顔はなかった。目を伏せて、唇を引き結んで。全員が知っている。全員が悲しんでいる。
ピリカが通り過ぎた後、背後でかすかな息を呑む音が聞こえた。
⸻
書斎の前に立った。
深呼吸をし、ノックした。
「入りなさい」
父の声。いつもと同じ、低く、落ち着いた声。
「……失礼します」
扉を開けた。
⸻
書斎の中。
父が奥の机に座っていた。手に一枚の紙を持っている。学院からの通知書。
母が父の左側に立っていた。両手を体の前できつく組んでいる。指が白くなるほど。
兄が壁際に立っていた。俯いて、顔が見えない。
雨の音だけが、窓から聞こえていた。
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「ピリカ」
「……はい」
「学院から通知が届いた」
「……はい」
「実技試験、不合格。今学期末をもって退学」
「……はい」
父が、一度だけ沈黙した。通知書を持つ手に、力が入った。紙がわずかに歪んだ。
「お前を——勘当とする。お前は、この家にいない方が良い。この結果で、今後、貴族としてやっていけるとは到底思えない」
「……はい」
⸻
——覚悟はしていたはずだった。でも、現実に言われたその言葉は、なけなしの覚悟をあっけなく吹き飛ばした。
頭が真っ白になった。
父の声が遠くなった。耳の奥で、何かが詰まったみたいに。
⸻
「……これを」
父が、机の上に革の袋を置いた。ずしりとした音がした。
「当座の金だ。これで——」
——手切金。私は、捨てられたんだ。
父がまだ何か言っていた。でも、聞こえなかった。唇が動いているのは見えた。「郊外に」とか、「落ち着いたら」とか、そういう言葉の断片が、水の底から聞こえるように遠かった。
ピリカは袋を手に取った。重かった。
「……ありがとう、ございます」
自分の声が、他人の声みたいに聞こえた。
⸻
「ピリカ、まだ話が——」
父の声が追いかけてきた。でも、もう体が動いていた。
「……失礼します」
頭を下げた。振り返った。扉を開けた。
閉まりかけた扉の隙間から、母が手を伸ばしているのが見えた。唇が動いていた。——何か、言おうとしていた。
でも、足は止まらなかった。
——逃げるように、書斎を出た。
⸻
廊下にローザが立っていた。
「お嬢様——」
ピリカはローザの横を通り過ぎた。足が止まらなかった。
「お嬢様! どちらへ——」
答えられなかった。玄関に向かって歩いた。早足で。ほとんど走るように。
学校帰りのカバンが肩にかかっていた。手には手切れ金の袋。それだけ。制服のまま。
廊下で使用人たちとすれ違った。誰かが声をかけた。聞こえなかった。
⸻
玄関の扉を開けた。冷たい風が吹き込んだ。雨が顔を叩いた。
振り返らなかった。
カバンと手切れ金の袋だけを抱えて——制服のまま——雨の中へ飛び出した。
足が勝手に動いていた。行き先なんて考えていなかった。ただ、ここにいられなかった。この家に、一秒でもいられなかった。
——走って、走って。
気がついたら、いつもの空き地にいた。
⸻
書斎の扉が、勢いよく開いた。
「旦那様!」
ローザだった。息を切らしている。
「お嬢様が——お嬢様が、屋敷を出ていかれました!」
旦那様が立ち上がった。
「……どこへ」
「わかりません……! 雨の中、走って——カバンと袋だけを持って——」
奥様が口を押さえた。若様が顔を上げた。
「ローザ」
旦那様の声は低く、硬かった。
「すぐに追いかけろ。ピリカの様子を見て、危ないようだったら連れ戻せ」
「……はっ!」
「アーサー」
「……はい」
「お前も行け。ローザだけでは何かあった時に心許ない」
若様が顔を上げた。目が赤かった。でも、迷いはなかった。
「……はい、お父様」
ローザは深く頭を下げた。
「……必ず、お守りいたします」
「……頼む」
⸻
ローザが書斎を出た。
雨の中。ピリカの後を追った。
小さな背中が、雨に霞んで見えた。