魔法の才能ゼロの令嬢に、最強転生魔法ジジイが科学知識を教えたら? → A.めっちゃ無双する:【才無し侯爵令嬢と魔法ジジイの科学革命】 作:Koh_novel
玄関を入ると、温かい空気が包み込んできた。
薄暗い室内。石の壁、木の床。家具は少ない。テーブルがひとつ、椅子がふたつ、棚がいくつか。飾り気のない、老人の一人暮らしの家だった。
暖炉があるが、薪も炎もない。なのに、暖炉の口からゆるゆると温かい風が流れ出している。冷えた身体にじわりと届く。
「服はわしが綺麗にしておく」
「……え?」
「とりあえずシャワーを浴びて身体を清めて、湯船で温まれ。少しは気持ちが落ち着くじゃろう」
「シャワー……?」
聞いたことのない言葉だった。
「こっちじゃ」
老人が奥の扉を開けた。ピリカはついていった。
⸻
浴室だった。
石造りの小さな部屋に、白い大きな浴槽がひとつ。洗い場の壁には金属の管が突き出ていて、先端に穴の空いた円盤がついている。その下に、小さな取っ手。
そのとき、老人が指を鳴らした。
パチン。
一瞬だった。空だったはずの浴槽に、水が現れた。流れ込んだのではない。今まで何もなかった場所に、突然、水面があった。
そして数秒後——水面から湯気が立ち始めた。冷たかったはずの水が、みるみる温度を上げていく。適温の湯に変わるまで、ほんの数秒。
「え——え、今の、魔法……?」
「ここを捻るとお湯が出るぞ」
老人が壁の取っ手を指差した。
「……?」
ピリカが取っ手に手を伸ばしかけた。
「おっと、今捻るとまた濡れるぞ。服を脱いでからにせい」
「あっ……す、すみません」
「使い方を教えておく。この取っ手を捻ると上からお湯が出る。それで身体を洗え。わかったな」
「……はい」
「石鹸はここじゃ。髪を洗うのは、このシャンプーを使え」
老人が棚を指差した。白い石鹸と、小さな瓶が置いてある。
「シャンプー……?」
「髪用の石鹸じゃ。使えばわかる」
「石鹸なんてそんな高級品を……!? というか、シャンプーって何ですか……!?」
「じゃから、髪用の石鹸じゃと言うとるじゃろ。使えばわかるわい」
ピリカは瓶を手に取った。蓋を開けると、花の香りがした。嗅いだことのない、淡い香り。石鹸とは全然違う。
「脱いだ服はこのカゴに入れておけ。綺麗にしておく」
老人が隅の籐のカゴを指差した。
ピリカはふと足元を見た。自分の足跡が、泥の跡を点々と残していた。脱衣所の床にも、浴室の入り口にも。
「す、すみません……泥だらけにしてしまって……」
老人が鼻を鳴らした。指をひょいと動かした。
泥が、床から浮き上がった。水滴ごと、ふわりと宙に集まって、小さな塊になる。塊がすうっと窓の方に流れていくと、窓が勝手に開いた。泥が外に出ていって、窓が閉まった。
床は、何事もなかったかのように綺麗だった。
「こんなもん、汚れのうちに入らんわ。気にするな」
「……」
「……あの」
「なんじゃ」
「……ありがとう、ございます」
声が小さかった。喉がまだ痛い。
「礼はいらん。風邪をひかれたら面倒じゃ」
老人はそれだけ言って、脱衣所を出ていった。
⸻
一人になった。
ピリカはしばらく立ったまま、動けなかった。
——何が起きてるの。
——さっきまで、泥水の中に倒れてた。
——今、知らない老人の家にいる。
頭が追いつかない。でも、身体が冷えているのは確かだった。制服が濡れて、肌に張りついて、重い。
ピリカは制服を脱いだ。泥だらけのブラウス、泥水を吸ったスカート。靴下も、下着も全部。カゴに入れた。
浴室の扉を開けた。湯気が溢れてきた。さっき老人が出した湯が、まだ温かいまま浴槽に満ちている。