実はpixivのとある作品に影響されて作成しているので既視感が有ったらそれかもしれないです。
第一話
いや、違う。
責任を季節に押しつけるのはよくない。
単純に、俺がどうかしていただけだ。
放課後の校舎裏は、思っていたよりも静かだった。
遠くのグラウンドからは運動部の掛け声が聞こえてくる。金属バットの乾いた音。体育館から漏れる笛の音。校舎の窓には夕方の光が反射していて、いつもの学校なのに、今日に限って全部が余計にはっきり見えた。
つまり、俺は緊張していた。
手のひらが少し汗ばんでいる。
喉が渇く。
心臓がうるさい。
なんで告白なんてしようと思ったんだ、俺は。
普通に考えれば、今の関係でも悪くなかった。赤羽根とは同じ学年で、同じクラスではないけれど、なぜかよく関わるようになった。
購買でパンを買いすぎて落としそうになっているところを助けた。
新作カップ麺を両手いっぱいに抱えて、階段で転びかけているところを止めた。
自販機の取り出し口に手を突っ込んで、詰まった缶を無理やり取ろうとしているのを注意した。
思い返してみると、まともな出会いが一つもない。
なのに、気がついたら目で追っていた。
赤い髪。
赤い目。
よく笑う口元。
目立つ。とにかく目立つ。
赤羽根真華は、黙っていれば近寄りがたいくらい綺麗な女子だ。
でも、黙っている時間があまりない。
昼休みに購買の焼きそばパンを三つ抱えて幸せそうにしているし、駅前に新しいラーメン屋ができたと聞けば、知らないクラスのやつにまで話しかけるし、コンビニの新商品にやたら詳しい。
明るくて、少し抜けていて、食いしん坊で。
見ているだけで、こっちまで少し気が抜ける。
俺は面倒ごとが嫌いだ。
放課後はできるだけ早く帰りたい。
変なことには関わりたくない。
なのに、赤羽根真華だけは、どうしても見て見ぬふりができなかった。
「
名前を呼ばれて、肩が少し跳ねた。
赤羽根真華が、校舎の角から顔を出していた。
夕方の光の中で、赤い髪がふわりと揺れる。
長い髪は腰のあたりまであって、光に透けると本当に羽みたいに見えた。
いや、羽は言い過ぎか。
この時の俺は、まだそう思っていた。
「ごめんね、待った?」
「いや、俺が呼び出した側だし」
「そっか。じゃあよかった」
真華はにこっと笑った。
その笑顔を見た瞬間、用意していた言葉が半分くらい飛んだ。
こういうところだ。
こういうところがよくない。
こっちは人生初の告白をしようとしているのに、本人は完全にいつも通りだ。制服のリボンが少し曲がっていて、手にはなぜか購買の袋を持っている。
「……赤羽根」
「うん」
「その袋、何?」
「メロンパン」
「今から大事な話するって言ったよな?」
「うん。だから聞きながら食べようかなって」
「食べるな」
「えっ、だめ?」
「だめというか、せめて話が終わってからにしてくれ」
「わかった」
真華は素直に頷いて、袋を胸の前に抱え直した。
緊張が少しだけ抜けた。
抜けたついでに、言うなら今だと思った。
ここで間を空けたら、たぶん俺は逃げる。適当な話をして、メロンパンの話題で終わらせて、そのまま家に帰る。
それで何事もなかったふりをする。
そういうのは得意だ。
面倒ごとを避けるのは、俺の数少ない特技みたいなものだから。
でも、今日はそうしないと決めていた。
「赤羽根」
「うん?」
「俺、赤羽根のことが好きだ」
言った。
言ってしまった。
校舎裏の空気が、一瞬だけ止まった気がした。
風の音も、グラウンドの声も、遠くの笛の音も、全部が少し遠くなる。自分の心臓の音だけがやけにはっきり聞こえた。
真華は瞬きをした。
一回。
二回。
三回。
赤い目が、まっすぐ俺を見る。
それから、ぱっと顔を明るくした。
「えっ、ほんと!?」
「ほんと」
「恋愛の好き!?」
「その確認いる?」
「いるよ! 大事だよ! 友達として好きとか、ラーメン一緒に食べてくれる人として好きとか、いろいろあるじゃん!」
「後者はだいぶ限定的だな」
「でも大事だよ? 一緒にラーメン食べてくれる人、すごくいい人だよ?」
「俺は今、ラーメン仲間として告白したわけじゃない」
「じゃあ恋愛の好き?」
「そう言ってる」
自分で言っていて、顔が熱くなるのが分かった。
何回言わせるんだ。
いや、ちゃんと言わない俺も悪いのかもしれないけど。
真華はメロンパンの袋を抱えたまま、じっと俺を見ていた。
さっきまでの勢いが少しだけ引いている。
赤い瞳が、夕方の光を拾って揺れていた。
「……蛍原くん」
「はい」
「私もね」
「うん」
「蛍原くんのこと、すごく好き」
その言葉で、胸の奥が熱くなった。
成功した。
たぶん、俺の人生初の告白は成功した。
そう思った。
「いいにおいするし」
「……ん?」
「優しいし、いい人だし、ちゃんと怒ってくれるし、食べ物くれるし、話してると楽しいし、あとすごくいいにおいする」
「ちょっと待って」
「食べちゃいたいくらい好き」
「待って」
思わず片手を上げた。
真華はきょとんとしている。
言ってはいけないことを言った自覚が、たぶんなかった。
いや、比喩だ。
きっと比喩だ。
好きな相手に対して、食べちゃいたいくらい可愛い、みたいな言い方はある。たぶんある。俺は言わないけど、世の中にはあるのだろう。
だから落ち着け、蛍原蓮。
ここで変に引いたら、告白直後の空気が終わる。
「赤羽根」
「なに?」
「今のは、比喩だよな?」
「ひゆ?」
「本当に食べるとかじゃなくて」
「あっ」
真華が口元に手を当てた。
その仕草だけ見れば、ただの可愛い女子高生だった。
少し言い間違えたことに気づいて、慌てているだけの女の子に見えた。
けれど。
風が止まった。
いや、実際に止まったわけではないのかもしれない。
でも、さっきまで揺れていた木の葉の音が、急に聞こえなくなった。
「ごめんね、怖がらせた?」
声が、少しだけ低く聞こえた。
同じ校舎裏のはずなのに、気温が下がったような気がした。夕方の光が赤い。赤羽根の髪も、目も、いつもより濃い色に見える。
「赤羽根?」
「大丈夫だよ。蛍原くんは食べないから」
「……その言い方、安心していいやつか?」
「いいやつだよ」
「本当に?」
「うん。人間は食べちゃダメだから」
「そういうルールの話?」
真華は困ったように笑った。
次の瞬間、彼女の背中から、赤い何かが広がった。
翼。
そう理解するまでに、少し時間がかかった。
赤い羽が、校舎裏の狭い空間を覆うように広がっている。夕焼けより濃い赤。綺麗だと思った。思ってしまった。だから余計に、怖かった。
真華の赤い瞳が、丸くない。
人間の目ではなかった。
「ごめんね」
彼女は笑っていた。
泣きそうな顔で。
「びっくりしたよね」
喉が鳴った。
俺のものだった。
足が動かない。
逃げようと思えば逃げられたのかもしれない。けれど、逃げた瞬間に何かが終わる気がした。何が終わるのかは分からない。俺の日常かもしれないし、たった今始まったばかりの恋かもしれない。
真華の背後で、赤い翼がゆっくりとたたまれていく。
「私、人間じゃないんだ」
「……見れば、なんとなく分かる」
「本当は、もっと大きいの。鳥みたいな形で、でも普通の鳥じゃなくて、えっと……たぶん、人間から見たら化け物って言うやつ」
「俺にも理解できるように説明してくれ……」
「なんでも食べられる」
「説明が急に簡潔すぎる」
「石も、鉄も、木も、動物も」
真華の視線が、一瞬だけ俺の首元に落ちた。
「人間も」
背筋が冷たくなった。
さっきまで、告白に成功したと思っていた。
好きな子に好きと言って、好きと返してもらえた。人生でもかなり上位に入るはずの幸福な瞬間だった。
なのに今、俺はその相手に食べ物として見られている。
「でも、食べないよ」
真華が慌てて両手を振った。
「本当だよ!? 人間は食べちゃダメって決めてるし、蛍原くんのことは好きだし、いい人だし、あと、ほら、恋人って食べないものでしょ!?」
「恋人認定が早い」
「あれ? 違うの?」
「いや、違わない、のか……?」
違わない。
たぶん違わない。
告白して、好きだと言われた。
相手が人間ではなくて、俺を食べたいと思っているらしいことを除けば、何も問題はない。
いや、問題しかない。
「赤羽根」
「はい」
「確認していいか」
「うん」
「俺のことが好きなんだよな」
「うん。大好き」
即答だった。
頬を赤くして、嬉しそうに笑っている。
翼を出していなければ、普通の告白成功後の女子高生に見えたかもしれない。
「で、俺のことを食べたいとも思ってる」
「……ちょっとだけ」
「ちょっとだけ?」
「うそ。けっこう」
「正直でよろしい」
「怒ってる?」
「混乱してる」
「嫌いになった?」
真華の声が小さくなった。
赤い翼が、少しだけしぼむ。
大きくて恐ろしいはずのそれが、今は叱られた子供の背中みたいに見えた。
ずるいと思った。
そんな顔をされたら、逃げにくい。
怖い。間違いなく怖い。彼女がその気になれば、俺なんて簡単にどうにかできるのだろう。食べるという言葉が冗談ではないことも、今なら分かる。
でも。
告白した時、彼女は本当に嬉しそうだった。
好きだと言った時、嘘には見えなかった。
「……嫌いには、なってない」
真華が顔を上げた。
「ほんと?」
「ほんと」
「怖くない?」
「怖い」
「だよね……」
「でも」
言葉が喉で引っかかった。
普通なら、ここで逃げるべきだ。
誰かに相談するべきだ。
そもそも、人間じゃない相手と付き合うなんて、まともな選択じゃない。
俺は普通の男子高校生だ。
怪異とか、化け物とか、そういうものとは縁のない人生を送ってきた。面倒ごとは避けたいし、目立つのも嫌いだし、危ない橋なんて渡りたくない。
それなのに。
「赤羽根が、俺を食べないように頑張ってるのは分かる」
真華の赤い目が、少しだけ揺れた。
「だから、今すぐ逃げるのは……なんか違う気がする」
「蛍原くん」
「ただし」
「うん」
「校舎裏で翼を出すな」
「そこ!?」
「そこだよ! だから目立たないようにって言ってるじゃん!?」
思わず声が大きくなった。
真華はびくっと肩を跳ねさせ、慌てて背中の翼を引っ込めた。赤い羽が光に溶けるように消えていく。数秒後には、そこにいたのはいつもの赤羽根真華だった。
赤い髪。赤い目。制服姿の、明るくて食いしん坊な美少女。
ただし、俺を食べたいと思っている。
「ご、ごめんね。すぐもとに戻したから」
「戻したからじゃない。最初から出さない努力をしろ」
「はい……」
しゅんとする真華を見て、俺は深く息を吐いた。
どうしてこうなった。
告白して、付き合うことになって、初めての彼女ができた。
普通なら浮かれてもいいはずだ。
なのに俺は今、彼女に対して最初に言うべきルールを考えている。
「とりあえず、赤羽根」
「真華でいいよ」
「赤羽根」
「真華でいいよ?」
「……真華」
「はい!」
急に元気になるな。
「人前で翼を出さない」
「うん」
「人を食べない」
「うん」
「俺も食べない」
「……うん」
「今の間は何?」
「ちゃんと我慢する間」
「不安しかない」
真華は少しだけ頬を膨らませた。
「でも、蓮くんだって悪いんだよ」
「俺?」
「だって、すごくいいにおいするから」
「知らん。俺に言われても困る」
「それに、告白してくれたし」
「告白と食欲は分けろ」
「難しいよ。好きな人って、近くにいたら触りたくなるでしょ?」
「まあ、それは……分からなくはない」
「私の場合、食べたくなる」
「分けろ」
真華は真剣な顔で頷いた。
「頑張る」
その言い方が、どうしようもなくまっすぐだった。
怖い。
怖いに決まっている。
でも、たぶん彼女は本気で頑張っている。
人間が好きで、恋愛に憧れていて、食べることも大好きで、その全部が彼女の中では同じくらい大事なのだ。
それは人間の俺には、少し理解しきれない。
だから、もう一度ため息をついた。
「わかったわかった。じゃあ、とりあえず駅前行くぞ」
「駅前?」
「新しいラーメン屋、できたんだろ」
真華の顔がぱっと明るくなった。
「行く! 蓮くんと行く!」
「大声出すな。あと、走るな。あと、俺を引っ張るな。力加減を考えろ」
「わかった!」
「今の返事、絶対分かってないやつだな」
真華が俺の手を取った。
手は温かかった。
普通の女の子の手にしか思えなかった。
その手が、さっきまで巨大な赤い翼を広げていたことを、俺はもう知っている。
人を食う化け物。
俺を好きだと言った女の子。
俺のことを、食べたいくらい好きな彼女。
校舎裏を出る頃には、グラウンドの掛け声が戻ってきていた。
風も吹いている。夕方の光も、さっきまでと同じように校舎の窓を赤く染めている。
世界は何も変わっていないみたいだった。
でも俺の日常は、たぶん今日で終わった。
「蓮くん!」
「何?」
「ラーメン食べたあと、替え玉していい?」
「好きにしろ」
「三回くらい」
「遠慮を覚えろ」
「あと、餃子も!」
「食いすぎだろ」
「大丈夫!」
真華は、つないだ手を少しだけ揺らして笑った。
「蓮くんは食べないから!」
「それを安心材料みたいに言うな!」
俺の声に、真華が楽しそうに笑う。
赤い髪が夕焼けの中で跳ねる。
その横顔は、どうしようもなく可愛かった。
そして俺は、これから何度も思い知ることになる。
赤羽根真華は明るくて、可愛くて、食いしん坊で、少し抜けていて。
たまに、俺を食べたがる。