これが彼女の武器。その名もどんな時でもドスケベハート 作:すばみずる
夕闇が街を包み込み、石畳の通りにポツポツと魔力灯の明かりが灯り始める頃。教会の夕食と祈りの時間を終えたメイチェルは、静まり返った裏路地を歩いていた。
純白の法衣は夜の闇の中でもぼんやりと発光しているかのように清らかでありながら、歩みに合わせて波打つ豊満な胸のせいで周囲の空気をひどく扇情的に掻き乱している。
しかしいつも通り、彼女は自身の身体が醸し出す雰囲気を気にすることは無い。それは生来のマイペースさもあったが、現在の彼女は行先についての不安の方が大きかった。
少しうつむき加減で、時折自身の巨大な双丘を落ち着きなく見下ろしては、頬に朱を差して首を振る。
昼間に冒険者ギルドの訓練場で駆け出しの魔術師からぶつけられた、あまりにも破廉恥な言葉が、脳裏にべったりとこびりついて離れないのだ。
神官が禁欲的なのは、欲求を溜め込んで奇跡の威力を高めるため。その噂の真偽をどうしても確かめずにはいられず、彼女は藁にもすがる思いである人物の元へと急いでいた。
路地裏のさらに奥、古びたレンガ造りの建物の地下一階に、その怪しげな店はあった。
入り口の木製ドアには、乱雑な字で書かれた看板が斜めにぶら下がっている。
メイチェルが意を決してドアをノックしようとした瞬間、内側からギィと軋む音を立てて扉が開いた。
「ん? もう店じまい……って。珍しいお客さんだねぇ。こんな夜更けに説教かい、司祭様」
扉の隙間から顔を出したのは、紫色の煙をくゆらせる一本の長い煙管を咥えたエルフの女性だった。
彼女の名前はジューネ。かつてはメイチェルと同じエルフの里で育ち、共に脊界樹の教えを学んだ同門の徒である。
しかし、教義の解釈や生き方の違いから早々に僧籍を捨て、今ではこの人間の街でしがない魔術師として、そして怪しげな魔法具店の店主として気ままに暮らしている人物だった。
メイチェルとは対照的に、ジューネの体格はエルフという種族の典型とも言えるものであった。
枯れ木のように細く薄い身体。起伏の乏しい胸元。儚げで中性的な輪郭。同じ種族でありながら、はち切れんばかりの肉感的な質量を法衣に詰め込んでいるメイチェルと並ぶと、到底同じエルフとは思えないほどの圧倒的な体格差があった。
「こんばんは、ジューネ。突然訪ねてしまってごめんなさい」
「いいってことよ。入んな」
ジューネは咥えていた煙管から紫色の煙をふうっと吐き出し、店の中へとメイチェルを招き入れた。
店内は無数の本や奇妙な魔法具、得体の知れない素材が所狭しと積み上げられており、足の踏み場もないほど散らかっている。
そして何より、ジューネが吸っている得体の知れない煙草の匂いが空間に充満していた。
「こほっ、こほっ。ジューネ、またそんな怪しげなものを吸って。エルフは長い時を生きる種族だと言っても、そんな煙を肺に入れていたら健康に障りますよ」
鼻を突く匂いに顔を顰め、メイチェルは口元を法衣の袖で覆いながら小言を漏らした。
それは聖職者としての説教ではなく、純粋に旧知の友を案じる幼馴染としての言葉だった。
「うるさいなぁ。ヒトの嗜好品にケチをつけるんじゃないよ。これだから頭の固い宗教家は困るね」
ジューネは肩をすくめて煙管を灰皿に叩きつけたが、その顔にはどこか嬉しそうな笑みが浮かんでいた。道を違えたとはいえ、二人は幼い頃からの友人である。互いの気心は誰よりも知れていた。
ジューネは部屋の奥から年代物の果実酒の瓶と二つのグラスを引っ張り出してくると、乱雑なテーブルの上を手で払ってスペースを作り、グラスになみなみと酒を注いだ。
「客が持ってきた酒だよ。エルフ秘蔵のどうこう言ってたけど、あたしらからしたら古馴染みの酒造が出した新作に過ぎないよねぇ」
「あら、懐かしい。シュイライの家で作っていたラベルね」
メイチェルは身を乗り出してボトルを眺める。その動作だけで大きな胸がぐわんと揺れ、テーブルの上のグラスを危うく掠める。
ジューネはそれを見て呆れたようにため息をつき、グラスを掲げる。
「相変わらず、無駄に重そうなもんぶら下げてるねぇ。肩凝らないの、それ」
「も、もう。久しぶりに会ったというのに、その言い草はあんまりです」
メイチェルは少しむくれて自身の胸をそらしつつ、グラスを手に取った。
甘い果実酒が喉を通ると、一日中張り詰めていた緊張の糸が少しだけ緩むのを感じた。
そこからは、昔話に花が咲いた。隠れ里での厳しい修行の思い出、授業を抜け出してこっそり木の実を摘みに行ったこと、人間たちの街に来てからの文化の違いに対する驚き。
時には笑い、時には呆れながら、二人は心地よい時間を過ごした。
やがて酒瓶の中身が半分ほどに減った頃、ジューネが頬杖をついてメイチェルの顔を真っ直ぐに覗き込んできた。
「で。世間話も済んだところで、本題に入ろうか」
「えっ?」
「とぼけなさんな。あんたがなんか悩んでる時は耳がピクピク動くの、昔から治ってないよ。何か聞きたいことがあって、わざわざ私を頼ってきたんでしょ」
ジューネの鋭い指摘に、メイチェルはビクッと肩を跳ねさせた。
やはりこの古くからの友人には、自分の嘘など簡単に見透かされてしまうらしい。メイチェルは視線を泳がせ、グラスの縁を指でなぞりながら言いよどんだ。
昼間の出来事を思い出し、酒精で温まっていた肌がみるみると赤く染まっていく。これをジューネに話すということは、自分の中に潜む好奇心や妄想について部分的に触れていくことになるかもしれない。
しかし、魔法の理に関する深い知識を持ち、なおかつ教会のしがらみにとらわれずに相談できる相手は、この街にはジューネしかいない。
「……その。少し、魔法の原理について、教えていただきたいことがありまして」
「魔法の原理? 天才肌のあんたが、落ちこぼれの私に魔法を教わりたいって?」
ジューネは面白そうに目を細めた。
「神聖魔法の、効力についてです。街で、妙な噂を耳にしまして」
「妙な噂って?」
「ええ。その……神官たちが禁欲的な生活を送っているのは、信仰のためではなく……そういった、えっちな欲求を溜め込んで、奇跡の威力を高めるためだという……」
最後の方は消え入るような声だった。メイチェルは羞恥のあまり両手で顔を覆う。
静寂が数秒間、部屋を支配した。
直後、ジューネの口から盛大な吹き出し音と、腹を抱えての爆笑が弾けた。
「あーっはっはっはっ! なんだいそれ! あんた、わざわざ夜になってから深刻そうな顔してやってきて、聞きたいことがそれかい!」
「わ、笑わないでください! 私にとっては重大な問題なのです!」
メイチェルは涙目で顔を上げ、豊満な胸を激しく上下させながら抗議した。
「私はそんな不純な目的で祈りを捧げり、修行を行ったことなど一度もありません。でも、もしその噂が本当だとしたら、神聖魔法という奇跡そのものが、ひどく卑猥な力によって成り立っていることになってしまいます。魔法の理については、あなたが一番頼りになるんだもの……教えてください、ジューネ」
拗ねたように唇を尖らせ、上目遣いで懇願してくる幼馴染を見て、ジューネはようやく笑いを収め、目尻に浮かんだ涙を指で拭った。
「はあ、笑った笑った。相変わらず変なところで真面目だね、あんたは。わかったよ」
ジューネは椅子から立ち上がると、壁一面を覆う無秩序な本棚の前に立ち、古びた背表紙の束を指でなぞり始めた。
やがて一冊の分厚く埃を被った魔導書を引き抜き、テーブルの上にドサリと置く。
「まあ、暇な時に調べたことはあるよ。一応、私も魔術師の端くれだからね。神聖なんて銘打って信仰心だのなんだのという曖昧なものを、どうやって術式に変換しているのか気になってさ」
ジューネは酒を一口含み、もったいぶるように間を開けた。
「結論から言うとね、あの噂は半分当たってて、半分間違ってる」
「え……?」
「性欲というか、個々人の内面にある強い欲求や欲望、願望、渇望といったものが、神聖魔法の出力に直結しているのは事実なんだ」
メイチェルの背筋に冷たい汗が流れた。
欲求が、魔法の出力に直結する。それはつまり、自分がほどほどのつもりで発動させていた身体強化は、やはり自分の中にあるムラムラとした感情の表れだということなのだろうか。
「で、では……やはり神聖魔法は、性欲の強さで威力が決まるというのですか……?」
「早とちりするんじゃないよ。私が言ったのは、欲求全般の話だ。ただ性欲がそのまま力になるほど、魔法の理は単純じゃない」
ジューネは魔導書のページをパラパラと捲り、ある図解が描かれたページを指差した。
「重要なのは、その関係性の特異さなんだ。使い手が抱く欲求が、その種族にとって特異なものであればあるほど、世界の理に反逆する強烈なエネルギーを生み出し、それが奇跡の威力を跳ね上げるんだよ」
「種族にとって特異なもの……?」
「ピンとこないかい。たとえば、人間を例にとってみよう」
ジューネは自身のグラスを指先で弾き、澄んだ音を鳴らした。
「人間という種族は、獣のように特定の繁殖期を持たず、一年中発情しているような生き物だ。彼らにとって性欲なんてものは、食事や睡眠と同じくらいありふれた、日常的な欲求でしかない。だから、人間の神官がどれだけ禁欲して性欲を募らせたところで、それは種族の枠組みの中の凡庸なエネルギーにしかならず、神聖魔法の威力向上にはほとんど寄与しないんだ」
なるほど、とメイチェルは頷く。確かに人間の街で暮らしていると、彼らの欲望の強さや生々しさには度々驚かされることがある。
「だがね、人間には決定的に欠けているものがある。それは、我々エルフやドワーフのように、世界に偏在する神や精霊、星の脈絡を直接知覚する感覚器官だ」
「はい。彼らは目に見えないからこそ、教会という形に頼って信仰を維持していますね」
「その通り。見えないし、感じられない。それが人間の当たり前だ。だからこそ、神の存在を知覚できない人間が、その暗闇の中で神に強く嘆願し、狂気にも似た渇望で強く強く求め、祈る。その見えないものへの異常なまでの執着と欲求こそが、人間の種族的な枠組みから外れた特異な力となり、彼らの神聖魔法を高めるのさ」
他にも、と例を挙げていくジューネの説明は論理的であり、メイチェルの中にあった疑問の霧を見事に晴らしてくれた。
禁欲が直接の力になるわけではなく、願望や渇望が力の介添えとなって魔力効率を向上させる。街で囁かれている噂は、人間特有の祈りのメカニズムを俗っぽく曲解しただけのものに過ぎない。
「わかりました。つまり、性欲が強ければ神聖魔法が強くなるというのは、俗説に近いものなのですね。ああ、安心しました」
メイチェルは憑き物が落ちたように明るい顔になり、安堵の深い深呼吸をした。グラスを手に取り、残っていた果実酒を飲み干そうとした、その時だった。
「まあ、種族によって欲求のレアリティなんて何で決まるのよって話だから、完全に解明されてる分野じゃないけどね」
ジューネが意地悪な笑みを浮かべ、さらに言葉を続けた。
「ちなみに、だけどね」
「……はい?」
「私たちエルフってのは、自然と調和して何百年も生きる分、繁殖能力が低くて本来は性欲なんてものが殆どない種族だろう?」
嫌な予感がして、メイチェルの喉の奥で果実酒が止まった。
ジューネの目が、獲物を追い詰める蛇のように細められる。
「だからさ。エルフにとって最も特異で希少な欲求ってのは、性欲なんだよ。もし仮に、極端に性欲を募らせてムラムラしているエルフが神聖魔法を使ったら、ちょっとの魔力でもかなりの威力になるはずなんだよねぇ」
「ぶふっ!!」
メイチェルは口に含んでいた果実酒を、見事なまでに霧状にして盛大に吹き出した。
慌ててむせ返り、激しく咳き込みながら、テーブルの上の惨状を拭おうと法衣の袖をバタバタと振るう。
「げほっ、ごほっ……な、ななな、何を」
「あーあ、もったいない。せっかくのお土産なのに」
ジューネは吹き出された酒を咄嗟の防御魔法で器用に避けながら、顔を真っ赤にして涙目になっている幼馴染をにやにやと眺めた。
「なるほどねぇ。謎が解けたよ。どうしてあんたの魔法が、歴代の司祭の中でも群を抜いて出鱈目な威力を持ってるのかって不思議だったんだ。魔力量が多いってだけじゃ説明がつかないからね」
ジューネは立ち上がり、咳き込んでいるメイチェルの豊満すぎる胸を、細い指先でツンツンと突いた。
「ひゃんっ!?」
「あんたが神聖魔法が達者なのは、信仰心だけでも魔力量だけでもなく……その立派すぎる身体に隠された、生来のスケベ気質のせいだったってわけだ。むっつりスケベの司祭様、あんた、普段からどんなこと考えて祈ってるのさ」
「ち、ちが、違いますっ! 私は決してそんな、えっちな妄想などっ!」
「どんなこととしか言ってないのに、すーぐえっちな妄想なんて出てくる時点でそういうことじゃんね」
咄嗟の弁明が余計に傷を広げてしまい、メイチェルの白い肌は火に焼かれたように真っ赤に染まり上がっていく。
「まっ、何言っても今の反応だけでほぼ確定だよ。いやぁ、司祭様の秘密を握っちゃったなぁ。これ情報屋に流したらいくらで売れるんだろ」
「あ……うぅ……っ、ジューネのっ、意地悪っ!」
何を言い返しても無駄と悟ったメイチェルは、泣きべそをかきながら子供のような文句しか言う事が出来なかった。