鬼滅の刃異伝:大正編 〜鋼の心、血の楽園〜   作:斉宮 柴野

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さあさあ皆々様、お立ち会い!

前回、街へ炭を売りに出た炭治郎ちゃんと、愛の護衛を名乗る我が娘雫。
街で一日を過ごした帰り道、炭治郎ちゃんの鼻が捉えたのは、山から漂う血の匂いでございました。

ただの獣か、はぐれ鬼か。
それとも、もっと恐ろしい何かか。

炭治郎ちゃんを背負い、雫は雪の山道を駆け上がります。


けれど、辿り着いた家で二人を待っていたのは、あまりにも残酷な現実。

それでは開幕。
これは、幸せが壊れた夜。
地獄へ足を踏み入れる夜でございます。



血の夜、残された命

【雲取山】

 

深く雪が積もる山道を、影が駆け上がっていく。

 

純白の軍服が夜風を切り裂き、雫は炭治郎を背に負ったまま、急勾配を真っ直ぐに突き進んでいく。雪に足を取られる気配すらない。

 

雪を踏んでいるはずなのに、足音がほとんどしない。

 

「炭治郎様……振り落とされないよう、私にしっかり捕まっていなさい……!」

 

前を見据えたまま発せられた声に、いつもの甘さは微塵もない。

 

「雫さん……はいっ!」

 

振り落とされまいと、炭治郎は彼女の首に回した力を強めた。

 

『なんだこれ、とんでもない速さだ。木々が飛ぶように後ろへ流れていく』

 

『やっぱり雫さんはただのお姉さんじゃない。政府が頼りにする『護国の鬼』様なんだ

 

背越しに伝わる確かな熱と圧倒的な力強さ。それが、今にも破裂しそうな炭治郎の心を繋ぎ止めていた。

 

『大丈夫だ。彼女がいれば、どんなはぐれ鬼が相手でも大丈夫だ……!母さんも、みんな……!』

 

だが、どれだけ希望へと思考を向けても、風と共に容赦なく鼻腔を突き破る匂いは無視できなかった。

 

『血の匂いだ。しかも、ありえないくらい濃密な……。どうか、どうか俺の鼻の錯覚であってくれ……!』

 

鼻が利くという特質を、これほど恨んだことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

【竈門家】

 

疾走の末、ついに見慣れた場所へと辿り着く。

 

いつもなら、家の中から母や子供たちの笑い声が外まで溢れ出しているはずの時刻だ。それなのに、何の音もしない。ただ、冷たい雪がしんしんと降り続いているだけだった。

 

「……あ……」

 

家の匂いじゃなかった。

味噌汁の匂いも、薪の匂いも、母さんの匂いも。

 

背から降りた炭治郎の視線が、暗闇の中、雪の上に横たわる小さな人影を捉えた。

見慣れた着物。

 

「禰豆子!!」

 

「大丈夫か!!どうしたんだ禰豆子!!しっかりしろ!!」

 

抱き起こし、肩を揺さぶる。妹の体は氷のように冷たく、着物にはべっとりと赤黒い染みが広がっている。意識はない。

 

「葵枝!!どこなの!」

 

扉が開け放たれる。鉄の匂いが土間から外に向かって溢れ出し、炭治郎の鼻腔を容赦なく蹂躙した。

 

「………葵枝……うそでしょ……」

 

先に踏み込んだ雫が、立ち尽くしている。震える声が、暗闇の中に虚しく吸い込まれた。

 

 

 

 

 

 

「竹雄……っ、茂………花子……!」

 

そこに広がっていたのは、無惨に引き裂かれた日常。

床一面を赤黒い水溜まりが覆い、その中に愛する家族たちが折り重なるように倒れている。

 

子供たちを庇うように覆い被さる母の葵枝。その下には、竹雄、花子、茂。

 

誰も動かない。

ピクリとも動かない。

 

血の海の中に、ただ静かに横たわっている。

 

「みんな……死んでる………そんな……」

 

その場に崩れ落ちた。

今朝笑って出かけたはずだった。みんな笑顔で手を振ってくれた。

 

どうしてこんなことになっている。

 

「六太は……六太はどこ!?」

 

その言葉に、炭治郎の意識が僅かに水面へ浮上する。

 

「そうだ、六太!六太がいない!」

 

「六太の匂いがしない!この中に六太はいない!」

 

六太を探すため、血の海を避けて奥の部屋へ一歩踏み出そうとした時。

 

『……騒がしい』

 

どこからともなく、背筋が凍りつくような声が響いた。

男とも女ともつかない、不気味なほどに整った声だ。

 

炭治郎の意識が唐突に暗転した。

 

痛みはない。

首を絞められたわけでも、頭を殴られたわけでもない。ただ視界が漆黒に染まった。

 

『……何を、された……!?』

 

指先一つ動かせない。声も出ない。ただ意識だけが、深い闇の底へと凄まじい速度で引きずり込まれていく。

 

完全に落ちる直前、網膜に一つの光景が焼き付いた。

 

奥の部屋。

破れた障子から静かに差し込む青白い月明かりの下に、音もなく佇む人影。

 

恐ろしいほどに、美しい存在だった。

顔の造作も立ち姿も、何もかもが人間離れしている。

 

「禰豆子はまだ息がありますね……。炭治郎様!!どうしました!!」

 

だが、彼女の視線が月明かりの下の影を捉えた。

 

「……っ、貴様は……!ぐっ!!!」

 

相手を認識し、迎撃の構えを取ろうとする。

 

しかし、遅い。遅すぎたのだ。

 

雫の手が刀の柄に触れた、その刹那。

認識することすら不可能な、刃が空間を切り裂いた。

 

風を切る音すらない。

 

雫の軍服が、花びらのように散った。

いや、違う。

散ったのは布ではない。雫の体だった。

 

血飛沫が舞うよりも早く、床へと崩れ落ちていく。

 

一瞬の出来事だった。

 

炭治郎はそれを見届ける間もなく、意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どれほどの時が過ぎたのか。

 

「……っ、う……」

 

押し上げた重い瞼の先に広がっていたのは、黒。

暗いからではない。床一面が、どす黒い何かで覆い尽くされている。

 

ぬるりとした不快な液体の中に、自身が倒れ伏していることに気づく。

 

「……俺は……怪我をしてない……? 無傷だ……?」

 

手探りで己の体を確かめる。痛みはない。四肢は動き、頭に傷もない。服は赤黒く染まって破れているが、それは己から流れたものではないようだ。

 

「雫さん……は」

 

這いつくばりながら周囲を見渡す。

 

血だまりの中、雫が、文字通り十数個の肉塊となって転がっている。

 

「……炭治郎様……。申し訳ありません、不覚を取りました」

 

ズズズ……、ズチュッ、グチャッ……。

切り離された肉片同士が、独自の意志を持っているかのように蠢き、床を這っている。断面から赤い筋繊維や血管が触手のように伸び、互いを引き寄せ合い、パズルを組み上げるように癒着していく。

 

「えっ……」

 

雫が「鬼」であることは知っていた。だが、ここまで細切れにされてなお再生するなど、到底信じられない。

 

「雫さん!!大丈夫なんですか!?」

 

「ええ……鬼は、首を日輪刀という特別な刀で落とされない限り死にません。心配しないでください。ただ……朝日が昇るまでには再生しておかないと……グッ!」

 

胴体と繋がったばかりの頭部が、苦痛に歪む。

不意に、再生した右腕が血だまりを探り始めた。拾い上げたのは赤い注射器だ。

 

その針を己の首筋へ突き刺し、中の液体を注入する。

 

「ふぅぅぅ……ッ!!」

 

高熱の蒸気が全身から吹き上がる。

切断面が異常な速度で細胞分裂を繰り返し、傷口が塞がっていく。破れて血まみれになった軍服だけが、先程までの惨状を物語っていた。

 

「……はぁ、はぁ……」

 

息を整え、雫が立ち上がる。

 

「炭治郎様。六太は……?」

 

そうだ、六太だ。

 

「そうだ!六太!!六太ーー!!」

 

「六太!どこだ!返事をしてくれ!」

 

襖の裏、押入れの中、倒れた机の下。どこにもいない。

いや、待て。

 

鼻を広げる。血の匂いの奥に、僅かだが、確かに六太の匂いがあった。

 

「こっちだ……!」

 

辿り着いたのは、奥の部屋で倒れている箪笥の裏側だ。箪笥を退かすと、床板が僅かに浮いている。

 

「……あ……!」

 

暗がりの奥で、小さな影が丸まっていた。

両手で耳を塞ぎ、奥に押し込まれている六太だ。

 

抱き上げると、体は震えているものの、血は一滴も付いていない。恐怖のあまり気を失っているだけのようだ。

 

「よかった……!六太……っ!」

 

強く抱きしめると、堪えきれずに涙が溢れ落ちた。奇跡か、それとも母が最期の力を振り絞って隠したのか。とにかく、六太は生きている。

 

「炭治郎様、こちらへ!禰豆子は……まだ僅かに息があります!」

 

禰豆子の横に、雫がしゃがみ込んでいる。

傷口から赤黒い血が雪を染め、顔は蒼白。胸の上下は殆どわからず、脈は今にも消え入りそうだった。

 

「禰豆子!死ぬな!禰豆子、しっかりしろ!」

 

「炭治郎様、下がって!大丈夫……私に任せてください……」

 

血まみれの体の上に両手をかざした。

 

「血鬼術――『静謐庭園』……」

 

世界が一変した。

雫を中心とした空間が、深い水底に沈んだように静まり返る。降る雪が空中で静止し、風の音も消え去った。

 

これが、噂に聞いた血鬼術?

雫の指先が動くたび、禰豆子の傷口から流れる血が時間を逆行するように止まり、凝固していく。

 

「……ふぅ。これで……とりあえず全身の出血は止めました」

 

深く息を吐き出すと、空中で止まっていた雪が再び舞い落ちる。

 

「ですが、私の術はあくまで応急処置でしかありません。根本的な治療にはなっていないの。医者のところで傷口を縫合しないと、本当に危ないわ」

 

「行こう!すぐに山を降りよう!」

 

雫は血塗れの禰豆子を背負い直し、紐でしっかりと固定する。炭治郎は意識のない六太を分厚い毛布で包み、胸に抱え込んだ。

 

「六太のことは頼みますよ、炭治郎様。……私も、今のうちにこれを飲んでおかないと。朝日が来たら、私も灰になってしまいますからね」

 

懐から瑠璃色の小瓶を取り出し、中に入っていた丸薬――『封鬼丸』を躊躇いなく飲み下した。

 

強大だった鬼の気配が霧散し、肌の青白さが和らいでいく。能力を制限する代わりに、日差しの下を歩くための手段だ。

 

「はい……。行きましょう、雫さん。医者のところへ」

 

家の中に横たわる、冷たくなった家族の亡骸。本当ならすぐにでも弔ってやらねばならない。だが、ここで立ち止まれば、抱えている二人の命まで零れ落ちてしまう。

 

「絶対に助ける。俺が絶対に助けてみせる」

 

足元の雪は冷たく、果てしなく続いている。

夜明けはまだ遠い。暗く冷たい闇の中を、炭治郎たちはただ前へ向かって進み続けた。

 

 




【大正コソコソ設定話】

今回、雫が使用した血鬼術は「静謐庭園」と書いて「せいひつていえん」と読みます。

能力は、半径二十メートル以内に存在する水分の完全支配です。

水、雪、霧、血液など、水分を含むものに干渉することができます。
今回、雫はこの血鬼術によって禰豆子の出血を一時的に止め、命を繋ぎ止めました。

ただし、あくまで応急処置であり、死者を蘇らせることはできません。
また、傷そのものを完全に治す術ではないため、根本的な治療には医者による処置が必要になります。

そして雫が服用した丸薬は「封鬼丸」です。

封鬼丸は、服用することで鬼の性質を一時的に封じ、人間と同じ状態になることができる特殊な丸薬です。
これにより、鬼であっても日光を浴びることが可能になります。

ただし、効果中は鬼としての力も大きく制限されます。

再生不可。
血鬼術不可。
身体能力低下。

効き目は二十四時間。

つまり、封鬼丸を飲んだ雫は日中でも行動できますが、その間は本来の力をほとんど発揮できません。
護国の鬼にとっては便利な薬であると同時に、命綱であり、弱点にもなり得るものです。
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