鬼滅の刃異伝:大正編 〜鋼の心、血の楽園〜   作:斉宮 柴野

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さあさあ皆々様、お立ち会い!

竈門家を襲った惨劇。
母・葵枝、竹雄、花子、茂は命を落とし、辛うじて息のあった禰豆子と、床下に隠されていた六太だけが生き残りました。

雫の血鬼術によって禰豆子の出血は止められたものの、安心するにはまだ早い。
一刻も早く、麓の町にある睡光隊の医療施設へ運ばねばなりません。

しかも本日は、鬼の始祖にして国の最高顧問、鬼舞辻無惨様が直々に視察へ来られる日。

絶望の夜に、ようやく一筋の希望が差したかに見えました。

ところが、運命とはまことに意地悪なもの。
背負われていた禰豆子様の身体に、突如として異変が起こります。
牙、爪、血走る瞳。
人ならざる力に目覚めた禰豆子は、雫お嬢様を巻き込み、雪深い崖下へと落ちてしまいます。

それでは開幕。
雪の底で、兄妹の絆が試される一幕にございます。



封鬼丸と理性ある鬼

【雲取山】

 

「炭治郎様、急ぎましょう! 大丈夫ですか!?」

 

「はいっ! 大丈夫です、俺はまだいけます!」

 

息は上がり、足の筋肉も悲鳴を上げ始めている。だが、ここで倒れるわけにはいかない。家族の命が、今自分の足にかかっているのだ。

 

「町まで降りれば、私達『睡光隊』が管理している医療施設があります! そこまで辿り着きさえすれば、酷い傷でも治せます!」

 

雫は炭治郎を安心させるように、努めて明るく声を張り上げた。

 

「本当ですか!? 禰豆子も助かるんですね!?」

 

「ええ、もちろんですわ! 私の血鬼術で出血は止めました。あとはお医者様が縫合して、点滴でも打てば、すぐに笑顔を見せてくれますわ!」

 

「よかった……! 本当によかった……! ありがとうございます、雫さん!」

 

安堵のあまり、涙が零れそうになる。絶望の底に突き落とされた直後に見えた希望の光は、どれほど彼の心を救ったかわからない。

 

「それに炭治郎様、今日はとても運が良いですわ! 私達、本当についていますのよ!」

 

「運が良い……? どういうことですか?」

 

「今日の昼、無惨様が視察に来る予定なのです」

 

「無惨……様?」

 

「鬼の始祖にして、この国の最高顧問。私たち鬼にとって、最も尊い御方ですわ」

 

「それに随行員の中には、胡蝶しのぶというとても優秀なお医者様も同行しているはずです!!」

 

「胡蝶しのぶさん……ですか?」

 

「ええ、そうですわ! 無惨様やしのぶにお会いしたら、ちゃんとお辞儀をして、丁寧にお礼を言いましょうね。無惨様は礼儀正しい子が大好きですから、きっと頭を撫でて褒めてくださいますわ!」

 

「はい、わかりました。きちんとお礼を言います」

 

亡き父からも教えられてきた礼儀だ。炭治郎は素直に頷いた。

 

 

 

 

 

 

ビクンッ!!

 

雫の背中に縛り付けられていた禰豆子の身体が、突然、前触れもなく大きく跳ね上がった。

 

「ウゥ……ガァァッ!!」

 

「えっ……? 禰豆子……? いきなりどうして……」

 

背中の異変に気づき、雫が顔をしかめる。出血も止まり、脈も安定させていたはずだ。

 

バリッ! ブチブチッ!

 

禰豆子の体が尋常ではない力でうねり、固定していた紐が弾け飛ぶ。

 

手足の爪は鋭く尖り、口元からは鋭い牙が剥き出しになっている。瞳孔は縦に割れ、血走った眼球がぎょろぎょろと動いている。

 

「きゃああああ!」

 

完全に不意を突かれ、雫から悲鳴が上がる。

全くの想定外だ。

振り回され、完全にバランスを崩す。足元の雪が滑り、彼女の体は山道から大きく逸れた。

 

そのすぐ横は、木も生えていない切り立った断崖絶壁。

 

「あっ……!」

 

二人の体が宙に浮き、そのまま崖下へと真っ逆さまに滑落していく。

 

「雫さん!! 禰豆子!!」

 

普通なら安全なルートを探すだろう。しかし、竈門家の長男の思考は、普通の人間とは根本的に異なっている。

 

『妹が落ちた。なら、俺も行く!』

 

炭治郎は気を失った六太を抱いたまま、一切の躊躇もなく崖の縁から大きく踏み切り、自らも虚空へと身を躍らせた。

 

木の枝に掴まるわけでも、斜面を滑り降りるわけでもない。ただひたすらに重力に従う、完全なる垂直落下だ。無謀すぎる。

 

「とりゃあああっ!!」

 

気合いの入った叫び声を上げながら、猛烈な速度で落下していく。耳元で風が鋭い音を立てて通り過ぎる。

 

――ドスンッ!!!

 

そして最悪なことに、落下地点の足元は柔らかい雪だまりなどではなく、カチカチに凍りついた岩場だ。普通なら骨が粉々に砕け散り、内臓も破裂して即死するレベルの衝撃である。

 

しかし、もうもうと舞い上がった雪煙の中から、炭治郎は何事もなかったかのように立ち上がった。

六太を抱える腕の力も緩んでおらず、足腰も全く震えていない。

 

パカッ。

 

炭治郎が踏み抜いた足元の巨大な岩が、真っ二つに割れて崩れ落ちた。

 

「ふぅ……。すごい高さだったからちょっとヒヤッとしたけど……雪がうまく落下の衝撃を抑えてくれたかな? よかったよかった」

 

いいえ、炭治郎くん。下は完全に硬い岩場です。雪なんてクッションになるほど積もっていません。長男だから怪我をしないという、謎理論がこの異常な頑丈さを支えているのです。

 

「アイタタ……。まさか受け身を取り損ねるなんて。一生の不覚ですわ……隊長失格です……」

 

近くの雪だまりから、雫が雪まみれになって這い出してくる。想定外の落下で全身を強く打ち付けており、その顔には苦痛の色が浮かんでいた。

 

「雫さん! 大丈夫ですか! 禰豆子は!?」

 

「ガァァァァッ!!」

 

雪を吹き飛ばし、凄まじい咆哮と共に禰豆子が立ち上がる。

 

鬼の力によって身体の組織が急激に膨張し、大人の女性のように巨大化していた。着物は破れかけ、手足には太い血管が青黒く浮き出ている。口元から涎を垂らし、鋭い牙が月明かりにギラリと光った。

 

炭治郎に向かって猛烈な勢いで飛びかかってくる。

 

「うわっ! どうしたんだ!! 牙が……鬼? 禰豆子は鬼になっているのか!?」

 

驚愕の声を上げながらも、炭治郎は咄嗟に腰の斧を引き抜いた。

そして、襲いかかってくる禰豆子の口に、斧の柄を横一文字に噛ませる。

 

「ぐおおおおっ!!」

 

狂ったように首を振り、炭治郎の体を押し倒そうとする。炭治郎は斧の柄を両手で握りしめ、仰向けに倒れ込みながら、上に乗ってくる禰豆子を真正面から受け止めた。

 

鬼の力は、普通の人間とは比較にならない。

 

『ぐぬぬ……! 負けないぞ……! あれ?』

 

『鬼になったっていうのに……なんだか、思っていたより大した力じゃないな……? 確かに重いし力は強いけど、俺の腕力でも十分に抑え込めてるぞ?』

 

『いや、違う! 禰豆子の力が弱いんじゃない! 鍛え抜かれた俺の筋肉が、鬼の怪力と互角に渡り合っているんだ! さすが俺、長男なだけはあるな!』

 

炭治郎は自分の中で勝手に納得し、謎の自信を深めていた。実際には、農作業だけで鬼と力比べができるわけがないのだが、本人はそれに全く気づいていない。

 

「禰豆子! 頑張るんだ! 鬼になんかなるな!! 心を強く持て!! しっかりしろ! わかるか、俺だ、兄ちゃんだぞ!」

 

妹の理性を呼び覚まそうと、何度も何度も名前を呼んだ。

 

「ウゥゥ……アァァ……」

 

その叫びに呼応するように、禰豆子の目から大きな涙がこぼれ落ちた。

 

「くっ……離れなさい炭治郎様!! そのままでは食べられてしまいますわ!!」

 

二人の攻防を見ていた雫が、割って入る。暴れる禰豆子の腕を後ろから両手で掴み、炭治郎から引き剥がそうとする。

 

封鬼丸のせいで鬼としての力はない。

それでも、雫は鱗滝左近次の娘だ。

水の呼吸で鍛え抜いた膂力と体捌きは、ただの人間のものではない。

 

『なんて力……! 成り立てで、これほどの力を発揮するなんて!』

 

『静謐庭園で固めた血の封止を、内側から食い破った……!?』

 

 

 

 

 

 

◇◇

 

 

 

 

 

 

肌を刺すような殺気を、雫は察知した。

 

『殺気!?どこから……上か!禰豆子に刀を向けている!?危ない!』

 

言葉を発するよりも早く、雫の身体は反射的に動いた。

相手の太刀筋には無駄な力みがなく、水が流れるように洗練されている。即座に自らの白刃を振り上げ、上空から迫り来る刃へと激突させた。

 

「待ちなさい!義勇!!」

 

―キィィィィン!!!

 

上空から奇襲を仕掛けてきた襲撃者は、聞き覚えのある声を聞き、さらに受け止められたことで、空中で停止した。重力を無視したかのような、驚異的な身体操作だ。

 

「……!」

 

音もなく降り立った。

その出で立ちは一度見たら忘れられない。右半分が無地、左半分が鮮やかな亀甲柄という、全く異なる二つの柄を真ん中で縫い合わせた『半々羽織』

 

「……雫姉さん……??」

 

しかし、攻撃の手を止め、警戒を僅かに緩めた隙に。

禰豆子が、信じられない速度で雪を蹴った。彼女は炭治郎と義勇の間に滑り込むと、背後にいる炭治郎を庇うように両手を大きく広げて立ち塞がった。

 

「ガァァァァッ!!」

 

鋭い牙を剥き出しにし、血走った瞳で義勇を睨みつける。喉の奥から低い唸り声を絶え間なく上げ、全身の筋肉を引き絞って、いつでも飛びかかれる態勢をとっている。

 

行動の意味は明白だ。背後にいる兄を剣士から守ろうとする、強固な理性が、本能の奥底に確固として存在していた。

 

「…………。失礼した。理性ある鬼、だったか」

 

威嚇する姿を見下ろすと、義勇は日輪刀の切っ先を下げた。相変わらず抑揚のない平坦な声で、短い言葉が紡がれる。

 

「いいえ……残念ながら、今の今までは完全に理性を失って暴走していましたわ。でも……さすが禰豆子ね。芯の強い、葵枝の娘だわ」

 

だが、悠長にしている余裕はない。懐から瑠璃色の小瓶を取り出すと、中から丸薬――『封鬼丸』を禰豆子の口の中へ放り込む。

 

「禰豆子、噛みなさい!」

 

「むぐっ……」

 

数秒後、身体に劇的な変化が訪れた。

 

血管が波打ち、身体が音を立ててみるみるうちに萎んでいく。元の小柄な少女のサイズへと瞬く間に戻っていく。

 

「………あれ?雫さん……。……お兄ちゃん??」

 

人間の姿に戻った禰豆子が、不思議そうに瞬きをしながら周囲を見回す。

 

「戻ったーー!!よかった、本当によかったよ、禰豆子!!」

 

炭治郎は安堵のあまり雪の上に座り込み、妹の体を力いっぱい抱きしめた。

 

「炭治郎様、封鬼丸は治療薬ではありません。鬼の性質を一日封じるだけ。禰豆子は……鬼です」

 

「‥‥それでも、ありがとうございます」

 

「あの、もしかして妹を人間に戻す手伝いをしてくれたんですか?わざわざ刀まで使って脅かして、ショックを与えてくれて……本当にありがとうございます!」

 

「紹介しますわ、炭治郎様。彼は冨岡義勇。私達『睡光隊』とは別の政府特務機関、『鬼殺隊』の柱……ええと、隊長みたいなものね。現在、水柱を務めているわ。不愛想だけど、とても強くて優秀な剣士よ」

 

「…………」

 

義勇は紹介されても何も言わない。ただ無表情のまま、炭治郎の顔を見つめ返している。

 

「そして、父の鱗滝左近次の、手塩にかけたお弟子さんよ。だから、私にとって弟みたいなものね。昔から本当に口数が少なくて困るのよ」

 

「…………」

 

雫が言葉を重ねても、義勇は微動だにしない。凍りついた石像のように沈黙を貫いている。

 

「…………よろ」

 

「????」

 

『よろ?鎧のことか?それとも夜のことか?一体どういう意味だろう……。鬼殺隊の間で流行っている挨拶なのかな?俺も『よろ』って返したほうがいいのかな……?』

 

「省略しすぎよ義勇!!」

 

「……しく」

 

義勇は全く悪びれる様子もなく、ただ淡々と残りの二文字を追加した。

 

「あとから追加すればいいってもんじゃないですわ!!大人なんだから、せめて『よろしく頼む』くらい言えませんか!?あんたの致命的な口下手は、治っていないわね!」

 

『……なぜこんなに怒られているのか、全く分からない……』

 

彼の中では完璧な挨拶をこなしたつもりなのだろう。再び頑なに黙り込んでしまった。

 

「とにかく……ここでいつまでも無駄話をしている暇はありませんわ。急いで麓の街へ向かいましょう。葵枝たちのことも、至急本部に報告して対応を決めなければなりませんし。……無惨様に報告して、直接お力をお借りしましょう。あの御方なら、必ずこの事態を解決してくださるわ」

 

『やっぱり、その人に頼るのか……。俺たち家族のために、そんな偉い人の時間を割いてもらうなんて、なんだか本当に申し訳ないな……』

 

「……雫姉さん。無惨様にそんな個人的な治療や対応を、気安く頼めるのは……雫姉さんたち『鱗滝家』の人間くらいなものだよ。俺たち鬼殺隊の柱ですら、無惨様に謁見するには、事前に申請書を書いて何日も待たなきゃならないんだぞ。そんな簡単に会える相手じゃない」

 

「あら、そうだったかしら?私にはそんな面倒な手続きなんて一切無縁の話よ。大丈夫よ義勇、あんたも黙って私に付いてきなさい。私が顔パスでススッと通してあげるわよ?手土産にカステラでも…。」

 

「……俺は、カステラは甘すぎて好きじゃない。鮭大根がいい」

 

この期に及んで、自身の食の好みを最優先しているらしい。

 

「鮭大根は汁がこぼれて懐に入らないでしょうが!!あんたって子は本当に昔からずれているわね!!手土産に汁物を持っていく馬鹿がどこにいるの!!」

 

夜明けは、もうすぐそこまで迫っている。

今はそれでも笑えることを、炭治郎は貴重に思った。




ちなみに、冨岡義勇は昔から口数が少なく、鱗滝家でも何度も雫に叱られていました。

雫いわく、
「義勇は挨拶を圧縮しすぎですわ」
とのこと。

義勇いわく、
「必要なことは言っている」
とのこと。

炭治郎いわく、
「よろ……しく、だったんですね。勉強になりました」
とのこと。

なお、雫はまったく納得していません。
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