Somnia   作:hakumei

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#10 断絶

一ヶ月後──

 

赤髪の組織員は他の組織員と共に森の中にいた。

被験体の性能テストを兼ねた捕獲任務。被験体が“空洞”になってから今回で3回目だ。

 

捕獲対象はリオル及びその進化形であるルカリオ。

 

「正しい心を持つ者にしか懐かない、ね。……ま、ウチの組織には関係ねェ話だ。いつも通り眠らせろ。捕まえられねェなら殺せ。分かったな」

 

紫髪の……隊長の気怠げな命令が飛ぶのと同時に被験体の首と両手首を繋いでいた鎖が外される。

感情の消え失せた虚ろな瞳。硬く結ばれたまま、一言の呪詛すら吐き出さない物言わぬ口。

細い身体から放たれる気配は、一ヶ月前までとは明らかに異なっていた。その動きには、一切の迷いがない。

両腕がダークライのそれに変化していく。彼はそのまま、意思を持たない機械のように真っ直ぐに木々の茂みへと消えていった。

 

隊長や他の組織員と共にその後を追う。

暫くすると、前方から標的と思しきポケモンの鋭い悲鳴と、大気を震わせるような怒声が響いた。

 

「……!」

 

藪をかき分けて辿り着いた場所で最初に目に入ったのは、倒れたリオルたちだった。

全部で3匹。ぴくりとも動かない小柄な体は、ただ眠らされているだけなのか、既に息絶えているのかはここからでは分からない。

 

その近くで、被験体と、群れの長と思しき大柄なルカリオが対峙しているのが見えた。

ルカリオは静かに腰を落とし、全身から青い波導のオーラを立ち上らせている。鋭い眼光は仲間を傷付けられた激しい怒りに燃えていた。

 

対する被験体は、一言の発声もないまま肉体のバネだけで地面を蹴り、ルカリオに迫る。

突き出された両手の爪は黒い影を纏っていた。

 

速い。人間を遥かに超越した速度。

──だが、攻撃は届かない。風を切り裂くような鋭さで間合いを詰めて二度、三度と爪を振り抜くものの、ルカリオはその軌道を読み、最小限の身のこなしで難なく躱していく。

被験体がわざを切り替え、ダークホールを散弾のようにばら撒くも、縦横無尽に森を駆け抜けるルカリオを捉えることはできなかった。

 

これはさすがに相手が悪いんじゃ……。

 

そう思った時だった。

ルカリオが一瞬の隙をついて被験体の懐に潜り込んだ。

ガードしようと交差させた腕を弾き飛ばし、鋼のような拳が無防備な胸元に打ち込まれる。

目にも留まらぬ連続攻撃。この動きは──“インファイト”だ。

 

重苦しい衝撃音が森に響いた。細い身体が揺らぎ、膝から崩れ落ちる。

間一髪のところで後ろに飛び、直撃は免れたように見えた。しかし、負ったダメージは見た目以上に深刻なようだ。

 

ルカリオは自身が囲まれていることを理解しているようだった。被験体と向き合いながらも、頭部の房をアンテナのように立て、周囲の組織員の動きにも意識を向けている。

 

「タイプ相性の影響はモロに受ける、か」

「……立て」

 

隊長が冷たく言い放つ。

それを受けて被験体が何事もなかったかのようにすんなりと立ち上がった。無表情のまま、痛みすら感じていないかのように。

 

即座にルカリオが間合いを詰める。電光石火の速さで繰り出される拳の嵐を、被験体は最低限の動きで受け流していく。だが、軌道を逸らすだけで精一杯なのは明白だった。

 

つい戦闘に意識が向いてしまった。ふと、強い視線を感じて横を見ると、あの先輩組織員と目が合った。

(何ボサッとしてやがる。早く仕事をしろ)

その目配せに促され、弾かれたように空のボールを投げつける。

ボールが倒れたリオルに命中し、光に包まれた体が中へと収まっていく。傷だらけではあったが、眠らされていただけのようだ。

 

『グルァァァ!!!』

 

仲間を奪われたことを察知したルカリオが、標的をこちらに変えてきた。殺意の波導が真っ直ぐに自分に向けられる。

 

「やっべ……!」

 

自分のポケモンを繰り出そうと、腰のボールに手をかけた時だった。

ルカリオがこちらに向かって地を蹴り、背中を晒したその瞬間──音もなく肉薄した被験体の、漆黒の爪がルカリオの背後から振り下ろされた。

 

『ガ……ゥ……ッ!!』

 

背後からの鋭い一撃を受け、ルカリオの体が衝撃で揺らいだ。

その隙をついてもう一発、爪が振り抜かれる。三本の黒い爪痕が、空間に紫黒色の残像を残しながらルカリオの肉体を深く切り裂いた。

 

よろけたルカリオが間合いをとって体勢を立て直そうとする。

しかし、その動きが止まった。

 

被験体がいつの間にか、まだ捕まっていなかった別のリオルの首を、片手で無造作に掴み上げていた。リオルはぐったりとしている。意識はないようだ。

被験体はその小さな体を、ルカリオに対する肉盾にするかのように目の前に突き出した。力加減など一切考慮されていない持ち方で。

 

ルカリオはそれ以上、一歩も動くことができなくなった。ただ歯を剥き出しにして、喉を鳴らすことしかできない。

 

──以前の被験体なら、絶対にやらなかった行為。

 

他者が傷付くことに誰よりも心を痛め、食事を断ってまでポケモン達を守ろうとした、あの優しい少年の面影は微塵も残っていなかった。

 

まるで別人だ。本当に、変わっちまったのか。

……でも。あのまま苦しむより、何も考えずに命令に従う人形になった方が、あいつにとっては楽なのかもしれないな……。

 

ルカリオが仲間を人質にとられ、完全に戦意を削がれたその直後。

防戦の姿勢すら取れなくなったルカリオの体に、容赦のない“影の爪”が叩き込まれる。

急所への一撃を受けたその大柄な体が、今度こそ物言わぬ質量となって地面に倒れ伏した。

 

 

 

────────────

 

 

 

無機質な会議室に、低い声が響く。

紫髪の男と、複数人の研究員がモニターに映し出される記録に視線を向けていた。

 

「稼働状況はどうだ」

「新しいわざの方はよく馴染んでいるようだが」

「見ての通り空っぽにはなってる。攻撃の躊躇もねェ。──が、殺害命令だけは未だに機能しねェな。制裁も無意味だ」

「完成にはあと一歩足りないか」

「……何が原因だと思う」

「ふむ。ダークライ自身も他者を傷つけるのを嫌う性質だったな。その性質がブレーキになっている可能性はないか」

「細胞の主の意思が関わっていると……?」

「……否定はできんな」

「兵器に意思は不要。必要なのは引き金を引けば必ず弾が出る“確実性”だ」

「ダークライの意思が邪魔で引き金が引けないのであれば、被験体自身にそれを捩じ伏せさせるのはどうだ」

「試してみる価値はあるな」

 

 

 

────────────

 

 

 

……ある日を境に、少年との繋がりが完全に途絶えた。

 

何度影を伸ばしても一向に触れられない。

それどころか、感情が流れ込んでくることすらなくなった。

 

繋がりが途絶えて以降、外に連れ出される少年を何度か見ている。

生きていることは分かっているというのに。

 

……何故だ。

何故触れられない。

 

様子がおかしいことにも気付いている。

こちらを一切見ない。

というより、まるで見えていないようだ。

 

連れられている時の態度も、今までとは違う。

言われるがまま従っている。

まるで操り人形のように。

 

嫌な気配だけが纏わりついてくる。

 

しかし、もし“そうなってしまった”のだとしても、繋がらない理由が分からない。

 

無防備な状態であれば、尚更だ。

それなのに、繋がらない。

 

……これは、意図的に遮断されている……。

……拒絶、されている。

 

その認識が、僅かに遅れて胸の奥に落ちた。

 

言い表しようのない感情が渦巻く。

とうに捨てたはずのものが、胸を軋ませている。

 

納得できない。

 

探しても探しても、見つからない。

 

……違う。

“そこにある”のに、触れられない。

 

影が広がる。燃え盛る炎のように。

しかし、一向に手応えがない。

まるで、分厚い壁に阻まれているようだ。

 

何故拒む。

……今になって切り捨てるというのか。

 

何故だ。

──何故、こうなった。

 

 

 

 

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