Somnia   作:hakumei

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#11 衝突

幾度となく影を伸ばしても、結果は同じだった。

少年の心の境界線に触れた瞬間、冷たく弾かれ、その奥を見ることすら叶わない。

 

それでも伸ばし続けた。

諦められなかった。

 

……今日も、駄目か……。

 

静かに目を伏せた、その時だった。

部屋の外から足音が近づいてくる。

 

この不快な歩き方は──

あの男だ。

 

予想通り、開いた扉から顔を覗かせたのは紫髪の男だった。

 

「よォ。相変わらずの悪人面だな。まァ、お前の細胞を移植されたガキどもが何十人も死んでんだから当然か。名実共に人殺しの化け物ってわけだ」

 

『……ナンノ、ヨウダ……』

 

喉の奥から低い唸りが漏れる。

 

「ツレないねェ。あのガキがお前の方見ねェもんだから、拗ねてんのか?」

 

この男は……。

どれだけこちらの神経を逆撫ですれば気が済むのだ。

 

「最近のアイツはすげェぞー。力の使い方に迷いがねェ。怯えるポケモンも仲間を庇うポケモンも容赦なく斬り伏せる。おかげで仕事が捗るってもんだ」

 

……黙れ。

 

胴の装置が軋みを上げ、影が暴れだす。

制御を拒む、黒い衝動。もう抑えることなどできなかった。

 

「……いいねェ。随分感情的になったじゃねェか。ガキの方はすっかり従順になっちまって、嬲りがいがねェんだよなァ」

「今日は愉しめそうだ。思う存分拝んでやれよ」

 

部屋が振動する。

 

……この感覚は……

あの時と同じ──。

 

地鳴りのような重低音と共に複数の機械による駆動音が響き、周囲を囲んでいた分厚い壁が格納されていく。

投光器の眩い光に照らされ、白く煙るスタジアムが瞬く間に眼前に広がった。

 

あの時と違うのは、観客が研究員だけではないことだ。フィールドを囲うように設置された座席に黒い制服を着た組織員たちが座っている。

 

ガコン、と背後から鈍い音が響く。

それと同時に、天井と枷を繋いでいた接続部が外れるのが分かった。胴体と両腕の枷はそのままだが、少なくとも動きはとれる。

 

「おっと。余計なことは考えんなよ?ガキを殺されたくなければな」

 

人間であれば、舌打ちというものをしていたのだろうか。そんなドス黒い不快感が胸を満たす。

その直後、スタジアムに据えられた拡声器から冷徹な声が響き渡った。

 

「“投与”しろ」

 

間を置いて向かい側にある扉が重苦しい音と共に開き始める。かつて、あの小さな鼠ポケモンが飛び出してきた、あの扉だ。

 

中から姿を現したのは──

少年だった。

 

少年は真っ直ぐにこちらを見据えながら、一歩一歩、フィールドの砂を踏みしめて歩んでくる。

久しぶりに見たその瞳は、深く淀んでいた。

 

「バトル開始だ。精々頑張れよ」

 

バトルだと……?何を──

 

そう口に出そうとした次の瞬間、

視界が唐突に断ち切られた。

 

『……グ、……ッ!!』

 

何が起きたのか分からなかった。

スタジアムのフィールドと座席を隔てる頑強な防壁。気付いた時には、そこに身体が叩きつけられていた。

激しい砂埃が舞い、衝撃で息が詰まる。

 

思わず閉じた瞼を開くと、次の一撃が眼前に迫るのが見える。本能的な危機感に従い、素早く横へと身体を滑らせて避けた。

 

──はずだった。

 

『……!?』

 

翻った視界の端に白い影が映る。

躱したはずの軌道を強引に捻じ曲げ、黒い影を纏った少年の“爪”が目の前に振り下ろされた。

ガギィンと、胴体を縛る枷の金属が耳障りな音を立てる。

 

……狙いがズレたか。

 

しかし、少年に立ち止まる様子は微塵もない。すぐに次の攻撃が放たれる。

鋭い斬撃が胸部に入った。かつて他者を傷つけることに怯えていた手──そこに宿る力には、躊躇も、情も、肉体への加減すら一切感じられない。

 

『ッッ……』

 

──何故だ。

本気で切り捨てるというのか。

 

……納得、できるものか。

 

少年の黒い手が頭上に振り上げられる。

その僅かな隙をつき、身体から暴れるように波打つ黒と紫の波動を絞り出す。

“あくのはどう”の衝撃波が、少年を正面から派手に吹き飛ばした。

 

大きく飛ばされた少年の身体はフィールドの硬い地面を二、三度バウンドして転がっていく。

それを見た瞬間、胸の奥が鋭く痛んだ。

 

やり過ぎた、と思った。

しかし──

 

少年は何事もなく立ち上がる。

腕や脚の服の一部が破れ、露出した肌はあちこちが赤く擦り剥き、血が滲むのが見えた。

……痛みを感じないはずがない。

だというのに、顔色一つ変えなかった。

 

それどころか両腕を獣のように横に振りかぶりながら真っ直ぐに向かってくる。

振り抜かれる爪を紙一重で避け、もう一度“あくのはどう”を放った。

が、至近距離で放ったはずのわざが当たらない。少年は肉体の構造を無視したような身のこなしで、波動の隙間をすり抜けてみせたのだ。

 

その異常な動きに気を取られてしまった。

背中を黒い爪が切り裂く。衝撃と痛みに身体が大きく揺らいだ。

 

──バカな。

 

私の動きについてくるなど、人の身でできることではない。

 

何をされた。

……何が、そうさせる……。

 

……短い期間ではあった。

だが、ずっと、見てきた。

 

自分に向けられる、恐怖のない純粋な瞳。

苦痛を受けても揺らがない、強い意思を秘めていた碧。

自分がどれだけ擦り減ろうとも構わず、他者を守ろうと必死に抗っていた。

 

『この力も……優しいきみの一部だ』

 

不安そうに、だが真っ直ぐに私を見つめ、そう伝えてきた顔が脳裏に鮮明に浮かび上がる。

 

嘘だった、とは言わせない。

流れてきた感情は間違いなく“本物”だった。

 

……お前がその気なら、加減はしない。

──その代わり、必ず答えてもらう。

 

身を翻して大きく間合いをとり、狂気的な速度で追ってくる少年に三度“あくのはどう”を放った。

少年が床を蹴り、それを避けて斜め前方へと踏み出した瞬間、一気に距離を詰める。

 

視線が交わる。

 

刹那、“シャドークロー”が真っ向からぶつかり合った。

黒い爪の残像が交差し、互いを喰い合い霧散する。

二度。右から左へ。

続けざまに放たれる爪を背後から伸ばした影で防ぐと、一瞬、少年の反応が遅れた。

そこにすかさず“シャドークロー”を叩き込む。

まともに受けた身体が後ろに仰け反り、足が一歩後ろに下がる。その隙を狙って少年の胸元へ手を伸ばした。

 

直接触れることができれば、或いは……。

 

──が、バランスを崩し、仰け反った姿勢のまま、少年の後ろ足がフィールドの地面を強く擦った。体勢を戻すより早く、その身体が前へ滑る。

やはり、人間の動きではない。

伸ばした手が少年の右手に纏われた爪によって叩き落とされる。次いで左手の爪が喉元を狙って走った。

 

『ク……ッ!』

 

こちらも咄嗟に“シャドークロー”の刃を形成し迎え撃つ。

再び打ち合う、影と影。弾かれるような金属質の衝撃の後、砂のように散った影が空中に溶ける。

辛うじて相殺することができた。

 

両者の“シャドークロー”が空中で幾筋もの黒い閃光となって交錯する。

互いに一歩も譲らない。残像が浮かんでは消える度、周囲を囲む座席から下劣な歓声が沸き起こった。

 

黙れ。

これは見世物ではない。

 

耳障りなその音に煽られるように、影はますます鋭さを増していく。抑えきれない怒りが、爪の形を借りて暴れていた。

 

皮肉にも、それが少年の“爪”を打ち負かす要因になった。渾身の“シャドークロー”が少年の放った三本の影を呑み込み、腕ごと切り刻む。鮮紅の血飛沫が視界を覆った。

怯むことなく左手で追撃をかける少年の爪を再度片手で弾き飛ばし、その手首を掴み取る。

 

今度こそ──

 

そう思ったが、伸ばした影は少年の繰り出した蹴りによってまたも阻まれ、掴んだ手までもすり抜けてしまった。

間髪入れず、少年の“シャドークロー”が叩き込まれる。

急所を捉えた軌道。肉を抉るような斬撃が胸元を襲う。

 

しかし──

その爪の刃は肉を裂く寸前で僅かに沈み、胴を縛る金属へと吸い寄せられるように軌道を変えた。

 

これ、は……。

 

応戦しようと影の爪を作り出すものの、少年の爪はそれを遥かに上回る速度だった。

3度、4度と息をつかせぬ連撃が身体を切り裂く。

その斬撃の中に金属を叩き割るような異音が混じる。

 

……また、だ。

 

先程から違和感は感じていた。

攻撃が必ず枷にも入っているのだ。それも、一箇所に集中している。

更にもう一撃、爪を受けた枷から振動が伝わるのと同時に耳を刺すような高音の軋みが響いた。

 

……まだ、死んでなどいない。

呼び戻さなければ。

 

今度は正面から影を伸ばす。

だが、少年は盾にした両腕でそれを防ぎ、後ろへ跳んだ。

その足が地面を捉えた、その時だった。

 

突如として、少年の身体から血が噴き出した。

一箇所だけではない。腕や太腿を中心に肉が裂け、随所から赤い飛沫が散る。

少年が膝をついた。呼吸は酷く荒れ狂っている。

 

明らかに負荷がかかっている。

 

「被験体、立て。ここでダークライを降さなければ、お前は処分されることになるぞ」

 

温度のない非情な声が拡声器から響く。

 

少年の肩がびくりと震えた。

俯いていた顔が見えない糸で吊られるように持ち上がり、荒れていた呼吸は、逆に研ぎ澄まされたように細くなっていく。

空洞の瞳の奥に、怯えとも執着ともつかない光が一瞬だけ過った。

 

足元の血溜まりが弾ける。摩擦さえ無視したような踏み込み。

重く、鋭い一撃が瞬く間に枷に打ち込まれた。

先程までの連撃が嘘のような、一点を穿つ為だけの暴力。

もはや疑う余地もなかった。

 

一発、二発と、耳を劈く音が響く度、赤い飛沫が舞う。

少年の心音の代わりにリズムを刻んでいるかのように。

 

「……!──オイ!ガキを止めろ!!!」

 

紫髪の男が喚き散らしているが、その声が届くほどスタジアムは静かではない。

焦燥に駆られた男がリモコンを構えるのを認めた瞬間、無意識に影が動いていた。

スイッチに指が触れるより早く、その端末を撃ち抜く。

忌々しげにこちらを睨み、走り去る男の背中を見送る間もなかった。

胴体の枷から一際大きな破断音が響き渡る。

 

それと同時に少年がむせるように血を吐いた。

白目は赤く染まり、呼吸に苦しげな喘鳴が混ざる。

 

目的は分かった。

だが、まだ“答え”を聞いていない。

もしも“そのつもり”であるなら、止めなければならない。

 

しかし、少年は触れようとする手を尚も拒み続ける。

姿勢を限界まで低くしたかと思えば後ろに大きく飛び退いた。

わざが“シャドークロー”から“ダークホール”に切り替わる。

 

間合いを均一に保ち、こちらの接近を頑なに許そうとしない。

距離をとる直前、あれほど執着していた枷への追撃に“シャドークロー”を使わなかった。

 

……わざを使いきったか。

或いは──……。

 

……であれば、撃ち尽くすのを待つのみだ。

 

敢えて近付く素振りを見せて“ダークホール”を誘い、最小限の動きで躱す。

それを何度も繰り返す内、少年の身体がよろけるのが見えた。

 

完全に撃ち尽くしたか、限界かは分からないが好機だ。

 

瞬時に懐へと滑り込む。

──反応が鈍い。

 

“シャドークロー”で少年の身体を浮かせた後、“あくのはどう”で真上に吹き飛ばし、後を追って上空へと飛び上がった。

反撃のわざを放つこともできず、受け身もとれない少年は空中でただめちゃくちゃに手足を振り回す。その度に血が噴き出し、骨が軋むような音が耳に届く。

 

その行動が、最後の“わるあがき”のように見えた。

 

左右の手首を両手で掴み、動きを封じる。

脚は止められなかったが構わない。その程度の痛みは、もう意識にも上らなかった。

 

このまま終わらせるものか。

……今度こそ、届かせる。

 

ほんの一瞬、空洞だった少年の瞳が、私の瞳を映して大きく揺れる。

 

その直後、

 

伸ばした影が、少年の心臓を貫いた。

 

 

 

 

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