これは、命を断つ為の攻撃ではない。
もう一度、繋ぎ直す為の一撃。
伸ばした影の先──
暗闇の中、僅かに綻びが見える。
壊れた扉の隙間。それを強引にこじ開けた。
刹那、さまざまな光景が津波のように流れ込む。
『ラルトスが見せてくれた映像……“あれ”がなんなのか、分かった気がする』
『使いものにならなくなったヤツ、不要になったヤツはみんなここにぶち込まれる。要するに死体置き場だ』
『せっかくのお出迎えだってのにツレねェなァ?ほら、いつもみてェに撫でてやれよ』
……なんで。
きみ達がいなくなったら、意味ないじゃないか。
どうして生かした。
どうして置いていくんだ。
──なんで、
オレだけがいつまでも生きているんだ。
結局、オレは何一つ守れなかった。
……ダークライ……。
このままじゃきみも、何をされるか分からない。
もう巻き込みたくない。
これ以上、きみに見せたくない。
きみの力を使って奪ってきたものの重さくらい、
せめてオレ一人で背負わなきゃいけない。
きみはずっと、苦しんできた。
オレの苦しみまで、味わわせたくない。
この先の地獄は、見なくていい。
きみを道具にしたあいつらも、その引き金を引かされたきみの痛みも、全部オレが地獄まで持っていく。
恨まれてもいい。きみの記憶からオレが消えても構わない。
これはオレの……最後のわがままだ。
◇◇◇
意識の底──
とても遠い場所で、研究員達が話しているのが聞こえる。
『バトルで捩じ伏せさせる、というのは理解できる』
『だが、幻のポケモン相手に被験体が勝てるとは思えん』
『先日ちょうどいいのが手に入っただろう。ポケモンをメガシンカさせる力を持つメガエネルギー。これを凝縮させて被験体に打ち込む』
『暴走の危険は?』
『無くはないだろうが、制御装置がある』
『その場で死亡するリスクもあるが……』
『どの道思い通りに動かない不良品をいつまでも抱えておく訳にはいかないだろう』
『同意する。実験が成功することは分かったのだ。最悪廃棄して新しいのを作ればいい』
……これだ。
オレにはもう、これしかない。
オレは、そこで終わる。
でもダークライだけは、ここに繋いだままにはしない。
直接繋がったことで、より鮮明に伝わる。
感情だけではない。
少年が見たもの、聞いたもの、その全てが影を通して雪崩れ込んできた。
…………分かっていた。
この少年は、こういう人間なのだと。
だが……
──────────────
掴まれた手と、繋がった影から、ダークライの震えが伝わってくる。
貫かれたはずなのに、あたたかい。
『ッ……バカナ……コトヲ……』
「……な、んで……見たんだ……」
知ったら、きっときみは止めようとする。
だから、見られたくなかった。
知られないように閉じていた。
本気で攻撃すれば、見限ってくれるかもしれない。
そう思ったのに。
何もかも、上手くいかないことだらけだ。
やっぱり……優しいな、きみは。
……ほんとうに。
ダークライも、コラッタ達も、任務で出会ったゾロアークだって、みんなそうだ。
「優しさ」なんて、この地獄では欠陥でしかない。
見捨てられないから傷付く。
守ろうとするから奪われる。
関わらなければ、死なずに済んだかもしれないのに。
……それなのに、どうしてどいつもこいつも。
……でも、
これ以上は、何一つ奪わせない。
薄れゆく視界に火花を散らす部分が見える。
……ラルトス。
きみが残してくれた鍵、無駄にはしない。
……あと、一撃。
ダークライの手を振り払って、残ったエネルギーの全てを右手に集中させる。
この、一撃、で。
──終わらせる。
心臓が嫌な音を立てるのが分かった。
腕の感覚が薄い。
視界の端が欠けていく。
それでも、
この一撃だけは、何がなんでも叩き込む……!
バキィッ…!!
胴体の枷に渾身の一撃が食い込み、大きな音を立ててついに壊れた。
制御を失った枷が繋ぎ目から真っ二つに割れる。
続けてダークライの両腕を拘束していた枷も割れて外れるのが見えた。
意識が遠退く。
「……ー…クライ」
あり……がとう……
きみは……自由に……──
──────────────
耳を劈く破断音と共に、長らく身体を縛り続けていた冷徹な重みが消失する。
その解放感と引き換えにするように、掴んでいた少年の手首から、急速に生きた熱が逃げていくのが分かった。
力を失った少年の身体が、腕をすり抜けて落下していく。
考えるより先に、手を伸ばしていた。
冗談ではない。
終わらせなど、するものか。
言いたいことが山ほどあるのだ。
だから──
間一髪、フィールドに叩きつけられる寸前のところで少年を受け止める。
その身体は驚くほど軽かった。
……枷は壊れた。少年が望んだ通りに。
だが、私の手を振り払ってまでお前が選んだ結末を、私が「正解」だと認めると思ったのか。
そのあまりにも軽い重みに、喉の奥から熱い怒りが、或いは慟哭が、黒い影となって溢れ出した。
「ダークライを逃がすな!!」
不意に不快な声が拡声器を通じて響き渡る。
直後、スタジアム内の組織員達が一斉にポケモンを繰り出した。
『……オマエタチダ』
この少年をここまで追い込んだのは。
許せない。
許せない……!
瞬間、深い闇が爆発するように空間を覆った。
それに呑まれたポケモンと組織員が、次々と倒れていく。
スタジアム全体が悪夢に沈む。
枷の制御が無くなった今、止められるものは何もなかった。
「ダークライ、大人しくしろ!言うことを聞かなければ被験体を殺すぞ!!」
声のする方を見る。スタジアムの上部、分厚いガラスの向こうで研究員が吠えている。
その前には無数の機材。
少年から流れ込んできた、ラルトスの映像の一つが重なる。
『──ソコカ』
無数の影を伸ばして光っていた箇所を壁ごと撃ち抜いた。
機材が爆発するのが見える。
程なくしてスタジアムの電源が落ちた。
逃げるなら今しかない。
暗闇に紛れてスタジアムの扉から施設内の通路へ出る。
迷っている時間はなかった。
自分の記憶と、少年の記憶の断片を頼りに進む。
最中、けたたましい警告音が施設内に響き渡った。
「ダークライが被験体を連れて逃走した。動ける者は直ちに追え。絶対に逃がすな」
「いたぞ!こっちだ!」
目の前に数人の組織員と、そのポケモン達が立ち塞がる。
右手に少年を抱え直し、左手でダークホールを作り出す。
だが、バラバラに放っている余裕はない。
ダークホールを自らの周囲を守る膜のように展開し、強引に突破した。
飛びかかってきたポケモンがダークホールに触れて倒れていく。
膜を貫通する攻撃は防ぎようがない。それらを背中で受けながら、構わず進んだ。
通路を抜けた先、湿った夜気が肌を打つ。
霧の向こうに森が広がっていた。
土の匂いと、本物の闇。
外だ。
そう感じた刹那──
少年の首元から嫌な音がした。
『逃走防止プロトコル、起動』
高い警告音と共に流れる、無機質な機械音声。
腕や肩に焼けるような痛みが走ったのは、少年の身体が跳ねるのとほぼ同時だった。
『グゥ……ッ……!!』
腕から全身に広がる、強い痺れ。身体が地面に沈み、影の輪郭がぶれる。
一瞬腕の力が抜けたが、すぐに少年を抱え直した。
少年の背中が反り、手足が痙攣するのが分かる。
意識はない。それなのに、身体だけが壊れるように反応している。
早く、止めなくては……。
放電を続ける首枷に片手を伸ばした時だった。
「ヘドロばくだん」
束の間の出来事だった。汚泥が身体の側面に当たって弾け、衝撃で押し出される。すんでのところで少年に当たるのは避けることができた。
声がした方へ視線を向けると、紫髪の男と薔薇の手を突き出しているポケモンが視界に映る。
「やってくれたなクソガキが。テメェもだダークライ。このまま逃げきれると思うなよ」
耳障りな男の声が、夜の空気を震わせる。
その間も、腕の中の少年は無機質な電気に焼かれ、音もなく跳ね続けている。一刻の猶予もない。
「ロズレイド、リーフストームだ!切り刻んでやれ」
紫髪の男の鋭い声。
ロズレイドの手から無数の葉が生み出される。それらが渦を巻き、鋭利な刃となって迫る。
霧ごと全てを切り刻む、圧倒的な嵐。
……守らねばならない。
枷を壊してくれた少年の、その「わがまま」を。
だからといって置いていく気など更々ない。
不用意に動けばこの脆い身体は地面に叩きつけられ、今度こそ壊れてしまうかもしれない。
とれる選択肢は、一つしかなかった。
迫り来る嵐を背中で受け止める。影の身体を無数の刃が切り裂き、焼け付くような激痛が走った。
だが、その衝撃を利用して前へ──森の深淵へと、さらに深く踏み込んだ。
振り向きざま、左手で練り上げたどす黒い波動を追撃しようとしたロズレイドの足元へ叩きつける。
爆ぜた闇が霧を飲み込み、視界を完全に遮断した。
「なっ……クソ、どこへ行った!?追え!早く追え!!」
背後で男の罵声が遠ざかっていく。
闇と霧があれば、追っ手の目は鈍る。
深い森そのものが、今は盾だった。
幾重にも重なる木々の奥、追っ手の気配が消えたところで漸く足を止める。
『……ッッ』
放電が止まらない。少年の身体は痙攣し続けている。
逃げ延びた者を、最後に殺す為の仕組み。
震える手で、少年の首元にある忌々しい枷に触れる。
同じものが少年の枷にも使われているのであれば……あるはずだ。電気を蓄え、必要な瞬間に放出する部品が。
……お前が「自由になれ」というわがままを貫いたのなら、私は「死なせない」というわがままを、お前に叩きつけるまでだ。
──独りで地獄へ行かせるものか。
極限まで細く、鋭く研ぎ澄ました影を首枷の内側へ滑り込ませる。内部に触れた瞬間、ばちりと焼けるような反発が走った。
それでも止めない。
ラルトスの映像にあった制御機構の構造を思い起こしながら、熱の集中する一点を探る。
……あった。
小さく脈打つ、異様な熱。
電気を溜め込み、放つ為の核だ。
次の警告音が鳴る。
迷う暇はなかった。
影の切っ先を、その一点に叩き込む。
直後、溜め込まれていた電力が繋がった影を逆流し、内側を焼き焦がした。
脳を直接焼かれるような衝撃に視界が真っ白に染まり、思考が断絶する。
自身の輪郭すら失いそうな激痛に耐え、ただ一点──少年の命を繋ぎ止める為だけに、影の矛先を更に深く、穿ち抜いた。
瞬間、甲高い音が夜気を裂いた。
火花が弾け、首枷の一部が焦げつく。
腕の中の少年が最後の痙攣のように大きく跳ね、それきり動きを止めた。
放電は……止まった。
だが、少年の息は弱い。
体温は奪われたように低く、抱く腕にほとんど重みを返さない。
『……マダダ』
追っ手の気配はまだ遠くない。
少年を抱え直し、霧の奥へと足を踏み入れる。
少年の記憶の底に残る道筋だけを頼りに、森のさらに深い場所を目指した。
◇◇◇
どれだけ森を進んだのか、もう分からない。
追っ手の気配が遠退いても、速度を落とすことは許されない。
『……ハァ、……ッ……』
苦しい。汚泥を喰らった箇所からじわじわと毒が広がっているのを感じる。
視界の端が明滅し、飛んでいるのか、ただ闇の中を漂っているのか分からなくなる。
意識を繋ぎ止めているのは、腕の中に感じる僅かな体温だけだった。
少年はもう生死すら曖昧な状態だった。
それでも、手を離すわけにはいかない。
身体が崩れそうになる。
その度に自分の影を無理矢理地面に食い込ませ、身体を支え直した。
意識が朦朧とし始めた、その時だった。
視界の端に、先を走る何かが映る。
小さいからか、姿がよく見えない。
代わりに揺れる草木が、それの居場所を示していた。
……何だ?
敵意は感じられない。
それは少し先で立ち止まり、こちらを窺うように振り返る。
追えばまた進み、こちらが足を止めれば、止まる。
まるで先導するかのように動いている。
罠か……?それとも……。
そう考えた刹那、途切れた草木の間から紫色の体毛が見えた。
そのすぐ奥では、淡い橙色が焔の残り香のように揺らいだ気がした。
一瞬。次の瞬間には霧の向こうへ溶けてしまった。
それでも、進む先々で草木が揺れる。
待つように。促すように。
『……ナニモノダ』
問いに答える声はない。
だが、その小さな影は攻撃してこない。
ただ、森のさらに深い方へ、一定の距離を保って進んでいく。
罠ならば、もうそれでもよかった。
このままではどの道、少年はもたない。
地面に沈んだ身体を浮かせ、影を追う。
その導きに賭けるしかなかった。
小さな影は、やがて森の奥の岩壁の前で立ち止まった。
行き止まりにしか見えない。
しかし影はその前まで進み、こちらを振り返った。
紫と白の体毛に赤い瞳。その毛並みが月明かりに透ける。
『……オマエ、ハ……』
コラッタだ。じっとこちらを見つめている。ここだと言っているかのように。
岩壁の前まで足を進める。
風の流れが、そこだけ不自然に途切れていた。
霧もまた、岩肌の前で僅かに歪み、奥へ吸い込まれるように揺れている。
……見えていないだけか。
コラッタの横に立ち、片手を伸ばす。
触れたはずの岩壁は、硬い感触を返さなかった。
水面のような揺らぎが走り、隠されていた裂け目が静かに姿を現す。
その瞬間、横に在ったはずの影が消えた。
……そうか。
迷う余地はなかった。
少年を抱えたまま、その奥へ身を滑り込ませる。
途端に森の気配が遠退いた。
外の湿った冷気とは違う、静かで澄んだ空気が肌を撫でる。
岩肌の奥には、人の手で削られたような通路と微かな灯りが見えた。
ただの穴蔵ではない。
誰かが息を潜めて生きてきた場所だと、一目で分かった。
その奥から、淡く揺れる気配が一つ。
敵意は感じられない。
だがそれを確かめるより早く、身体から力が抜けた。
『……マダ……』
少年だけは庇うように抱き寄せる。
視界が傾く。
灯りが滲み、岩肌の感覚が闇に沈む。
ここまでか。
ぼやけた灯りの向こうで、誰かが息を呑む気配がした。
それと同時に柔らかな光がこちらへ伸びてくるのが見えた。
人のものではない、不思議で静かな光。
そこで、意識が途切れた。
一章はここで区切りとなります。
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます!
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