コンクリートに囲まれた室内。
トイレと洗面台があるのみの簡素な部屋。
床に敷かれたマットの上で少年は目を覚ます。
起き上がろうと腕を動かした瞬間、鈍痛が走って思わず声が漏れた。
「……い……ッ……」
自分の身体に目を向けると、戦闘時にダメージを受けた両腕や腹部に包帯が巻かれている。
……成功体……ね。
自嘲気味に笑う。
いつもはやりたい放題やって放置するくせに、こういう時だけは最低限の治療はされるらしい。
痛む身体を起こして周りを見る。
普段と変わらない、冷たい独房。
首と手足の枷が、動くたびに小さく鳴った。
鎖は外されている。だが自由ではない。
壁に背を預けて手のひらに目を向ける。
変わってしまった自分の身体。
……あの日の光景を思い出す。
あの日──
目を覚ました時、隣には子供がいた。
……見覚えがある。車に乗せられていた、あの子だ。
台の上に仰向けに寝かされ、手首、足首、頭部、胸部が金属製の拘束具で固定されている。
その傍らには機械のようなものがある。
透明な円筒状の容器。
その内部に満たされた黒い液体が、ゆっくりと脈打つように揺れていた。
容器から伸びる細いチューブが数本、金属アームに支えられている。
先端には注射器よりも太い、医療用の穿刺針が取り付けられていた。
周りには白衣に似た着衣を纏う大人が数人いる。
「数値安定」
「適合率、基準値内」
「投与準備完了」
感情のない声が淡々と交わされた後、研究員らしき男がその子に近寄る。
その子は怯えた目をしていた。さいみんじゅつが解けて、自我を取り戻しているようだった。
ふと、その子と目が合う。
“助けて……”
その目に浮かぶのは、声にならない叫びだった。
「……っ!」
止めようとしても、身体は動かない。
その子の腕に針が刺される。
その数秒後、機械に設置されたモニターの画面が大きく乱れた。
小さな身体が幾度も跳ねる。まるで何者かが身体の内側で暴れているかのように。
そして……
その子は二度と動かなくなった。
悲鳴だけが、
数秒遅れて室内に残った。
やがてそれも消え、
部屋には機械音だけが残る。
自分が何を目にしたのか、分からなかった。
拘束台に横たわるそれは、もうほとんど人間の形を成していない。
「これも駄目か」
「仕方ない、次だ」
研究員達が一斉にこちらを見る。
その瞬間、理解した。
──次は自分だ。
反射的に身体が強張る。
起き上がろうと力を込めるが、びくともしない。
腕も脚も、自分のものではないようだった。
鎮静か、麻酔か。
それとも恐怖か。
「数値安定」
「適合率、再確認」
「投与ライン接続。準備完了」
先程と同じような言葉が交わされる。
「投与開始」
温度を持たない言葉と共に冷たいものが腕に触れた。
次の瞬間。
深く、突き刺さる。
「──ッ!」
声が出ない。
空気が肺に入らない。
針は血管ではなく、
もっと奥──
直接、体内へと送り込まれる位置で固定される。
装置が低く唸った。
チューブの中を黒い液体が流れ始める。
最初に来たのは痛みではなかった。
違和感。
身体の中に、自分ではないものが入ってくる感覚。
心臓が大きく跳ねる。
──焼ける。
内側から。
血でも骨でもない場所が、
焼かれていく。
「っ……あ……」
喉が閉じる。
声にならない。
逃げようとしても、身体は固定されている。
“それ”は次々と流れ込んでくる。
異物が意思を持つように全身へ広がっていく。
頭の奥で、何かが軋んだ。
知らない感覚。
知らない気配。
知らない──
闇。
「心拍上昇」
「神経反応、過剰」
「投与継続」
やめろ。
やめろ!
やめろ!!
装置は止まらない。
……視界が歪む。
耳鳴り。
吐き気。
痛み。
寒気。
熱。
全てが同時に押し寄せる。
──壊れる。
死ぬ……?
あの子のように、ここで……
身体が弾ける。
そう思った時だった。
流れ込んだ“それ”が体内に根を張り始めた。
心臓と重なり、
神経と絡まり、
存在に食い込む。
「………成功例になるか」
誰かが言った。
遠くで。
他人事のように。
その言葉を最後に、意識が落ちた。
──────────────────
……次に目を覚ました時、自分が生きている事を知った。
「やったぞ」
「ついに成功例が出た」
「これで次の研究に進める」
頭を動かして周りを見ると大人達が浮き立っている。
実感が湧かなかった。
まだ頭に霧がかかっているような感覚。
……どうして……。
その疑問が浮かぶ前に、突如、あの光景がフラッシュバックして吐き気が込み上げる。
……しかし、何も出ない。
何も残ってない。
「この個体の管理はお前が担え。貴重な成功体だ。殺すなよ」
その言葉の直後、靴音が近付いた。
肩で呼吸していると、近くに見覚えのある影が立つ。
……紫髪の、あの男だ。
「……!」
唇を噛んで睨みつける。
「──殺すなって?そいつぁコイツ次第だ。……なぁ?クソガキ」
──────────────────
「…………ッ」
頭が痛い。
ダークホールを放った後の事が思い出せない。
……そういえば、あの後、どうなったんだ……?
意識を外に向ける。
いつもと変わらない景色……のはずだった。
──が、何か違和感があった。
すぐにその違和感に気付く。
部屋の隅に小さな影がある。
「………きみは……」
あの時戦ったコラッタだ。
こちらを警戒しながら隅で蹲っている。
……生きている。
でも、なんでここに……。
疑問を口にしようとしたところで、独房の扉の下から食事が差し出される。
人一人分の量。
声かけはない。いつもの事だ。
お腹が減っているのか、食べ物の匂いに釣られてコラッタが出てきた。こちらを警戒したままトレーに乗った食べ物を次々と口に運んでいく。
呆気に取られているとコラッタがこちらに向き直って鼻を鳴らす。
まるで取ってやったぞと言わんばかりだ。
「……──ふ」
思わず、肩の力が抜けた。
姿勢を低くしたまま少しだけコラッタと距離を詰める。そのまま手を伸ばしてみるが、コラッタの身体が強張ったのが見えた。
「……そうだよな。怖がらせてごめん」
その手を引いて元の場所に戻る。
「……きみ、強かったよ。死ぬかと思った」
少しだけ笑って、目を閉じる。
コラッタは動かない。──が、
足元に何かがぶつかる感触があって目を開く。
果物だ。
コラッタがこちらに寄越したらしい。じっとこちらを見つめている。
「…………ありがとう」
果物を手に取ると、コラッタは少しだけこちらに寄ってきた。
触れそうで、触れない距離。
でも今は、それだけで充分だった。