社会人になっても、この3人はちょくちょく会ってそうですよね。
二人の進学先は短大と専門学校だったと思うので、久美子より2年、社会人先輩です。
初出:https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=25819788
「ごめーん!遅くなった!」
「久美子―おつかれー!」
「お疲れ様です。久美子ちゃん」
ゴールデンウィークに入る直前の週末。JR宇治駅からほど近い居酒屋に、久美子は慌ただしく姿を現した。
今日は久々に三人で集まる日。
名目は、「黄前先生社会人1か月目おつかれさま会」。――もっとも実際は、久美子の同級生、加藤葉月が「お酒飲みたいから飲むぞー!」と言い出したのがきっかけで決まった会だった。
「いやー、この時間まで仕事って、やっぱり先生は大変だねぇ」
「緑の会社も、繁忙期は大変ですけど、普段は定時上がりなので、年中繁忙期の先生は凄いと思います!」
「そう言ってもらえると嬉しいよ……」
はいこれ久美子の分、と、並々と注がれたビールジョッキ(一番大きいサイズ)が葉月の手から渡された。あまりの大きさに思わず驚嘆したが、久美子もお酒が飲めるようになってすでに22歳。このくらい、(時間はかかるかもしれないが)飲み切るのに支障はないはずだ。
「じゃあ改めて。久美子、社会人最初の一か月、お疲れさまでした!かんぱーい!」
「「かんぱーい!」」
ぐびぐびと、久美子はなみなみと注がれたビールを喉に流し込んでいく。さすがに一度に全部を飲むことはかなわず、半分ほど残った状態でジョッキをテーブルに置いた。アルコールを摂取したことにより、心なしか血の巡りがよくなったように感じた。仕事で疲れた体が、再び活性化していくようだ。労働後に飲むアルコールは格別、というのはこのことだったのか。父親が、毎日のように帰宅してからビールを飲んでいたのはこういうことだったのか、と久美子は腑に落ちた。
テーブルには、久美子が来る前からすでに宴会を始めていた葉月と緑輝が注文していた食事が並べられている。3人は、それぞれ好きなものを取りながら、近況について話あった。とはいえ、葉月と緑輝は短大卒で2年前から仕事をしているため、もっぱら話題の種は久美子の教師話だ。
「いやぁさ、二人から仕事毎日するのがどんな感じかって聞いていたし、教育実習も行ったからわかっているつもりではあったんだけど、実際やってみると教師ってやることだらけで大変だよ……」
「そうだろうねぇ。保育士も気を使わないといけないことたくさんあって大変だけど、仕事している時間の長さ、という点で言ったら学校の先生が一番だもの」
「でもでも、最近学校の先生にも『働き方改革』が広まりつつあるってニュースでやっていましたよ?公立の学校だと、まだあまりそんなことないんでしょうか……」
「そういう話はもちろんあるんだけど、だからと言って仕事の量は減らないからねぇ。前よりも、こっそり持ち帰って仕事している人が増えた気がするって美知恵先生も頭抱えていたよ……」
一年目の私ですら、手が回り切らない仕事量で大変だし…と、愚痴をこぼしながら久美子は揚げ物をつまむ。そしてその油の余韻があるうちに、ビールも流し込む。大学の友人からは『あまり女子っぽくないね』と言われたが、好きな人の影響を受けたんだから仕方がない。それに、おいしんだから。そうやって久美子は自分を納得させていた。
「仕事の量もそうなんだけど、私は今どっちかと言ったら、生徒の名前全員分をちゃんと覚えるのが大変かな。部長やっていた時とか、自分が生徒だった時は気にしたことなかったけど、あの人数の生徒の顔と名前を覚えられる先生たち、すごすぎるよ……。葉月ちゃんは、保育園の先生なり立ての時に、そういう苦労はなかった?」
「えっ?私?」
う~ん……、と少し考えるそぶりを見せ、葉月は答えた。
「私はそんなに苦労しなかったな……子供ってみな違う反応の仕方するし、独特な匂いもする――各ご家庭で使っている柔軟剤のにおいとかかな?がするから、区別はしやすいんだよね。高校生じゃこの判別方法なかなか使えないと思うけどさ……」
「あー……確かにそれは無理だ……やっぱ覚えなれるしかないかぁ」
葉月からのアドバイスに、久美子はうなだれるしかなかった。
「ところで久美子ちゃん。サンフェスそろそろだと思いますが、今年は何演奏するんですか?」
『教師』の話をこれ以上続けるのはよくない、と緑輝が話題をそらす。そうしてもらえたことにほっとした久美子は、再び明るい口調に戻って答えた。
「今年はフニクリ・フニクラやるんだ。――ほら、私たちが1年生の時に立華がやってたやつ」
「あぁ!『おに~のパンツは~』ってやつだね!保育園でもたまにみんなで歌ってるやつ!」
「そうです!もともと、イタリアのベスビオ火山への登山用ケーブルカーのPRソングとして作られた曲なんです!19世紀の曲なので、世界初のコマーシャルソングとも言われていますね」
赤眼鏡はかけていないいけれど、緑輝らしい楽曲解説が始まった。事前に示し合わせていたわけでもないのにどんどん出てくる情報に、久美子はただ関心するばかりだ。
「ほへーそうなんだねー。でもいいなー、私、1年生の時は謎ステップやってて吹いてなかったからうらやましいよ……」
「まぁまぁ。二人とも、ぜひ今の北宇治の演奏聴きに来てね。みんな頑張って練習しているから」
「もちろんです!最近聴きに行けていなかったので、久美子ちゃんの勇姿と合わせて観に行きます!」
「いや、私は引率するだけだから……」
とは言いつつも、吹奏楽部副顧問としての初仕事に、親友の2人が来てくれることに嬉しさを隠せない久美子だった。
§
「でもさぁ、高校生だったころは全く気にしてなかったけど、私たちがあれだけ吹奏楽に熱中できていたのって、たくさんの大人たちが支えてくれてたからなんだよねぇ」
しばらく他愛もない会話を続けた後、グラフの氷が小さくはじける音がした。その瞬間に紛れるように、久美子がボソッと呟いた。
「どうしたんですか久美子ちゃん?」
「副顧問としてかかわり始めたから初めて知ったけど、思っていたよりも先生方が裏方でやっていたことが多かったんだなって」
もともと副顧問を務めていた美知恵だけでなく、今年は久美子も吹奏楽部関係の様々な裏方の仕事を引き受けるようになっていた。今年の新入部員の保護者に向けた、年間スケジュールと費用関係のプリント作成。サンフェス会場までのバスの手配。まだ人数が確定していなくても、夏の合宿場所の予約確保に動く。関西大会、全国大会に出場できた時に向けて、宿泊場所や前日、当日に音出しや練習ができる会場を探す。
3年生になった時や、幹部として仕事をしていた時も「こんなにやることがあるのか」と思っていたが、それですら氷山の一角にすぎなかった。
「そうだよねー。保育園でも同じでさ。そりゃ私自身が小さかった時のことなんて覚えてないけどさ、たくさんの大人に支えられていたんだなーってことを感じるよ……」
「つまり、今度は私たちが未来ある若者たちを支える立場ってことなのです……!」
「緑ちゃん……それはちょっと志高すぎるよ……」
そうは言ったものの、久美子が吹奏楽部の副顧問を引き受けたのも似たようなモチベーションだったことを思い出した。
みんなにも、全国大会で演奏する経験をしてほしい。あの場、あの空気の中で、自分たちのできる最高の演奏をしてほしい。そして願わくは、金賞も受賞してほしい。
自分には、その手助けができる。
いつか滝にも言われたことだが、「演奏するのは生徒たち自身」。久美子たちは、彼ら彼女らが、いい練習をすることができる環境づくりや演奏のアドバイスしかできない。
4年前の自分の経験や、少しとはいえ高校生より人生を重ねたことなど、伝えられることもたくさんあるはず。
それこそが、教師として北宇治に戻ってきた今の久美子にできることだった。