最終試験へ向かう道は、静かだった。
四次試験を終えた十二名は、協会スタッフに案内され、岩場の奥にある古い石造りの建物へ進んでいた。
誰も大きな声を出さない。
先ほどまでの岩迷路の熱気も、札を奪い合う気配も、もう遠いもののようだった。
だが、終わったわけではない。
ユズルの首には、まだ自分の守札がかかっている。
二百四十一。
それは、ここまで残った証だった。
けれど同時に、ここまで来るために消えていった者たちの重さでもあった。
ヒソカは失格になった。
トンパは試験を降りた。
ボルドは負傷で続行不能になった。
シアンは出口まで歩き、自分の口でリタイアを告げた。
そのどれもが、ユズルの中に残っていた。
黒い子牛は、隣を歩いている。
隠で姿を伏せたまま、黙って。
ユズルは小さく息を吸った。
最終試験。
ここを越えれば、ハンターライセンスに手が届く。
そして、ヤクモを探すための正式な資格を得る。
そう思うと、胸の奥が少し熱くなった。
けれど同時に、怖かった。
あと一つ。
その「あと一つ」が、一番遠く感じる。
先頭を歩くガドルが、石造りの大扉の前で止まった。
そこは、岩山をくり抜いて造られたような建物だった。
外から見ると低く広い。
しかし、入口の奥は暗く、どこまで続いているのか分からない。
ガドルは受験者たちを振り返った。
「ここが最終試験会場だ」
十二名が足を止める。
乾いた風が、建物の入口を抜けていった。
「ここまで残った者は十二名」
ガドルの視線が、ひとりひとりをなぞる。
ユズル。
ニカ。
グラン。
三次試験でニカと組んでいた無口な大柄の女。
槍を持った細身の女。
筋肉質の男。
眼帯の男。
口の軽そうな情報屋風の男。
老練な女受験者。
若い男。
冷静そうな長身の男。
そして、臆病そうな少女。
名前を知っている者は少ない。
だが、ここまで残ったという事実だけで、誰もただの受験者ではなかった。
ガドルは言った。
「最終試験では、五つの門を用意している」
その言葉に、受験者たちがわずかに反応した。
五つ。
十二名に対して、五つの門。
ユズルは、無意識に丑を見た。
丑は何も言わない。
「受験者は、この五つの門から一つを選べ。門に入った後の変更は認めない」
ガドルは淡々と続ける。
「各門には、それぞれ異なる試験がある。内容は入るまで分からない」
ニカが小さく鼻を鳴らした。
「嫌な言い方」
彼女の声は小さかったが、近くにいたユズルには聞こえた。
ガドルはさらに言った。
「各門で合格できるのは、一名のみ」
空気が変わった。
十二名に対して、五つの門。
最大でも、合格者は五名。
しかも、門ごとの試験を突破できる者がいなければ、その門から合格者は出ない。
つまり、合格者は五名未満になる可能性もある。
受験者たちの目が鋭くなる。
誰がどの門に入るか。
それだけで、合否が大きく変わる。
ガドルは言った。
「同じ門に複数名が入った場合、その門の中で選別される。相手を倒せば合格とは限らない。門ごとに合格条件は異なる」
「一人で入ったら?」
筋肉質の男が聞いた。
「一人で入っても、条件を満たせなければ失格だ」
ガドルは即答した。
「門を選ぶ時点から、試験は始まっている」
その言葉で、誰も口を開かなくなった。
ただ五つの門を選ぶだけではない。
自分に合う門を選ぶのか。
相手が少ない門を選ぶのか。
強い者を避けるのか。
あえて同じ門に入るのか。
選択そのものが、もう試験だった。
石の大扉が開いた。
重い音を立てて、左右にゆっくりと開いていく。
その先には、広い円形の部屋があった。
天井は高く、壁には古い灯りが並んでいる。
奥には、五つの門が弧を描くように並んでいた。
一つ目は、黒い金属で覆われた巨大な門。
表面には剣や鎚の傷跡のようなものが無数に残り、見るからに重い。
ガドルが言った。
「鋼の門」
二つ目は、細く暗い門。
縁は黒い石でできていて、近づくだけで音が吸い込まれるような気がした。
「静寂の門」
三つ目は、奇妙な彫刻が施された門だった。
歪んだ笑顔。
こちらを見下ろす目。
悪趣味な仮面のような意匠が、門全体に彫り込まれている。
「笑う門」
四つ目は、古い木製の門だった。
他の門に比べると地味で、どこか入口というより出口に見える。
門の上には、かすれた文字で「戻」と刻まれていた。
「戻りの門」
五つ目は、何もなかった。
白い門。
装飾もない。
文字もない。
傷もない。
ただ、白い石でできた長方形の門が、静かに立っている。
ガドルが言った。
「空白の門」
ユズルは、その門から目を離せなかった。
何もない。
だからこそ、怖かった。
鋼の門は力を試されそうだと分かる。
静寂の門は慎重さを求められそうだと分かる。
笑う門は嫌な精神攻撃がありそうだと分かる。
戻りの門は道を読み直す試験かもしれないと想像できる。
でも、空白の門だけは何も教えてくれない。
分からない。
何を試されるのか。
何に気をつければいいのか。
何が危険なのか。
何も書かれていない。
それが、他のどの門よりも不気味だった。
ガドルが手を上げた。
「選択時間は十分。相談は自由。妨害は禁止しない。ただし、門を破壊した者、試験官へ攻撃した者は即失格とする」
十分。
短い。
それでも、長すぎるとも思った。
考えれば考えるほど、迷う。
受験者たちは、それぞれ門を見比べ始めた。
筋肉質の男は、真っ先に鋼の門を見た。
「分かりやすくていい」
彼はそう言った。
槍を持った女も鋼の門を見る。
「力だけの門とは限らない」
「だったらなおさら面白い」
筋肉質の男は笑った。
グランも鋼の門を見ていた。
ユズルは、その横顔を見た。
グランなら、鋼の門が似合う。
力で進む門。
壊してでも突破する門。
けれど、グランの顔は思ったより真剣だった。
ただ力任せに突っ込む顔ではない。
彼は、ヒソカを見た。
トガリが倒された場面を見た。
そして、沈黙の回廊で、ユズルと共に進んだ。
その経験が、少しだけ彼を変えたのかもしれない。
グランは低く呟いた。
「力だけじゃねぇんだろうな」
ユズルはそれを聞いて、少し驚いた。
グランは気づいたようにこちらを見る。
「あ?」
「いえ」
「見るな」
「すみま……」
言いかけて、止めた。
グランは鼻を鳴らした。
「鋼に行く」
「はい」
「お前は来んなよ。向いてねぇ」
「たぶん、行きません」
「だろうな」
グランは鋼の門の前へ歩いていった。
筋肉質の男がそれを見て、口元を吊り上げる。
「お前もか」
「邪魔すんなよ」
「そっちこそ」
槍の女も無言でその近くに立った。
鋼の門には三人。
ニカは静寂の門と笑う門の間で迷っているようだった。
無口な大柄の女が、静寂の門の前へ立つ。
ニカはそれを見て、少しだけ目を細めた。
「そっち行くんだ」
大柄の女は小さく頷いた。
「なら、私もそっち」
ニカが静寂の門へ向かう。
ユズルは思わず言った。
「ニカさん」
ニカは振り返る。
「何?」
「気をつけてください」
ニカは少しだけ笑った。
「二百四十一番に言われるとはね」
「すみません」
「謝るところじゃない」
ニカは静寂の門の前に立った。
そして、少しだけ声を落とす。
「あんたは、自分で選びな」
ユズルは頷いた。
「はい」
「人の顔見て決めないこと」
「……はい」
「それと」
ニカは少しだけ間を置いた。
「落ちないでね」
いつもの軽さで言ったつもりなのだろう。
でも、その声は少しだけ柔らかかった。
ユズルは答えた。
「ニカさんも」
「私は落ちないつもり」
そう言って、ニカは前を向いた。
笑う門の前には、口の軽そうな男が立っていた。
「こういう見るからに罠っぽい門って、逆に当たりだったりするんだよな」
彼は隣の眼帯の男へ話しかける。
眼帯の男は答えない。
ただ、笑う門の彫刻をじっと見ていた。
「無視かよ。まあいいけど」
口の軽い男は肩をすくめる。
二人はそのまま笑う門の前に残った。
戻りの門の前には、老練な女受験者が立った。
髪に白いものが混じり、顔には深い皺がある。
だが、背筋はまっすぐだった。
若い男が、その横で迷っている。
「戻りって……不合格っぽくないですか」
若い男が言う。
老練な女は答えた。
「そう思うなら、別の門に行けばいい」
「いや、でも、逆に罠じゃないかもしれないし」
「考えることは良い。だが、決めるのは自分だ」
若い男は唇を噛み、結局、戻りの門の前に立った。
老練な女はそれを見ても、何も言わなかった。
残るは、空白の門。
ユズルはまだ動けなかった。
空白の門の前には、冷静そうな長身の男が立っていた。
彼は腕を組み、五つの門を見比べている。
「情報が少ない」
男は独り言のように言った。
「鋼、静寂、笑う、戻り。どれも名称による誘導がある。つまり、名称自体が罠である可能性が高い」
彼は空白の門を見る。
「唯一、名称が意味を持たない門。逆に、最も情報の偏りが少ない」
ユズルは、その言葉を聞いた。
確かに、そういう考え方もある。
何も書かれていないからこそ、余計な先入観がない。
ただし、それは同時に、何も頼れないということでもある。
臆病そうな少女が、空白の門の近くで立ち止まっていた。
年齢はユズルより少し下に見える。
手には短い杖のようなものを持っている。
顔色は悪く、何度も周囲を見回していた。
彼女はユズルに気づくと、小さく頭を下げた。
「あの……」
「はい」
「あなたも、ここに入るんですか」
ユズルはまだ答えられなかった。
「まだ、決めていません」
「そうですか」
少女は俯いた。
「私、どこに行っても駄目な気がして」
その声に、ユズルは少しだけ胸を突かれた。
分かる。
自分もそう思っている。
どの門も怖い。
どれを選んでも間違える気がする。
少女は続けた。
「誰かと同じ門に入れば、少しは安心かと思ったんです。でも、一つの門で合格できるのは一人だけで」
彼女は手の中の杖を握った。
「それなら、同じ門に入った人は、敵ですよね」
ユズルはすぐに答えられなかった。
敵。
そう言えば、そうなのかもしれない。
同じ門に入れば、合格できるのは一人だけ。
協力しても、最後にはどちらかが落ちる。
それでも、最初から敵と決めてしまうことに、ユズルは抵抗があった。
「分かりません」
正直に言った。
「敵かもしれません。でも、それだけではないと思います」
少女は不安そうに見上げる。
「それだけではない?」
「はい。少なくとも、門の中で何があるか分からないうちは」
少女は黙った。
ユズルは、自分の言葉が正しいのか分からなかった。
でも、シアンのことを思い出していた。
助けることと、背負うことは違う。
誰かを助けたいと思うことと、その人の合格まで背負うことは違う。
この少女を安心させるために、自分が「一緒に行きましょう」と言うことはできる。
でも、その先で、彼女の答えまで自分が選ぶことはできない。
ユズルは門を見た。
空白の門。
何も書かれていない門。
あの門は、何も教えてくれない。
だから、自分で決めるしかない。
ユズルは気づいていた。
自分は、もうこの門を選び始めている。
理由を探しているだけだった。
怖いから。
何も分からないから。
他の門より向いていそうだから。
誰も教えてくれないから。
違う。
そうではない。
自分で決めなければならない門だからだ。
ユズルは一歩、空白の門へ向かった。
少女が息を呑む。
冷静そうな長身の男が、ユズルを見た。
「君もここか」
「はい」
「理由は?」
ユズルは少し考えた。
「何も書いていないからです」
男は眉を動かした。
「それは理由として弱い」
「そうかもしれません」
「情報がない場所を選ぶのは合理的ではない」
「でも、情報があっても、全部が本当とは限りません」
ユズルは五つの門を見た。
「ここまで、何度もそうでした」
標識。
案内人。
トンパの言葉。
試験官の説明。
ヒソカの笑顔。
見えるものも、聞こえるものも、全部が正しいわけではなかった。
だが、何も信じないままでは進めない。
だから最後は、自分で決めるしかない。
長身の男は少しだけ目を細めた。
「感覚型か」
「たぶん、違います」
「では何だ」
ユズルは答えられなかった。
自分でもまだ、分からない。
その時、丑が隣で短く言った。
「決めろ」
ユズルは小さく頷いた。
「決めました」
長身の男はそれ以上何も言わなかった。
少女は迷っていた。
彼女は他の門を見て、最後に空白の門を見る。
そして、小さな声で言った。
「私も……ここにします」
ユズルは彼女を見た。
「本当に?」
「はい」
少女の声は震えていた。
「怖いです。でも、何が怖いのか分からない門なら、全部怖いのと同じだから」
その言葉は少し乱暴だった。
でも、彼女なりの理由なのだろう。
ユズルは頷いた。
「分かりました」
「一緒に進んでもいいですか」
少女が聞いた。
ユズルは、すぐには答えなかった。
言ってはいけない言葉がある気がした。
必ず助けます。
絶対に一緒に合格しましょう。
大丈夫です。
どれも言えなかった。
この門で合格できるのは一人だけ。
その事実をごまかすことはできない。
ユズルは言った。
「途中までは、できると思います」
少女の目が少し揺れる。
「途中まで」
「はい。でも、最後にどうするかは、自分で決めてください」
少女は唇を結んだ。
そして、小さく頷いた。
「分かりました」
それが本当に分かったという意味なのか、ユズルには分からなかった。
でも、それ以上は言えなかった。
ガドルの声が響く。
「選択時間、残り一分」
各門の前に、受験者たちが並んでいた。
鋼の門。
グラン。
筋肉質の男。
槍の女。
静寂の門。
ニカ。
無口な大柄の女。
笑う門。
口の軽い男。
眼帯の男。
戻りの門。
老練な女受験者。
若い男。
空白の門。
ユズル。
冷静な長身の男。
臆病そうな少女。
十二名。
五つの門。
それぞれの選択。
ユズルは、ふとニカの方を見た。
ニカもこちらを見ていた。
彼女は軽く手を上げる。
「二百四十一番」
「はい」
「その門、似合ってるよ」
「そうですか」
「うん。何考えてるか分かんないあんたには、何も書いてない門がちょうどいい」
褒めているのか、からかっているのか分からなかった。
でも、ユズルは少しだけ笑えた。
「ニカさんも、気をつけてください」
「だから、私は落ちないつもり」
ニカは前を向いた。
グランもこちらを見ていた。
「おい、ユズル」
初めて、自然に名前で呼ばれた気がした。
ユズルは少し驚く。
「はい」
「変なところで潰れんなよ」
「グランも」
「俺は潰れねぇ」
グランは鋼の門を見た。
「潰す側だ」
そう言ってから、少し間を置いて、付け加える。
「……まあ、力任せにはやらねぇよ」
ユズルは頷いた。
「はい」
ガドルが片手を上げた。
「時間だ」
五つの門が、同時に低い音を立てた。
石と金属と木が軋み、それぞれの入口が開いていく。
鋼の門の奥からは、重い機械音が聞こえた。
静寂の門の奥は、音がまったくなかった。
笑う門の奥からは、誰かの笑い声のようなものが漏れた。
戻りの門の奥には、薄暗い下り坂が続いている。
そして、空白の門の奥には、白い通路があった。
何もない。
ただ、まっすぐ伸びる白い通路。
ユズルは喉を鳴らした。
何もないことが、怖い。
ガドルの声が響く。
「門に入れ。ここから先は、それぞれの試験だ」
受験者たちが動き始めた。
グランたちが鋼の門へ入る。
ニカたちが静寂の門へ消える。
笑う門の前では、口の軽い男が何か冗談を言っていたが、眼帯の男は無言で中へ入った。
戻りの門では、老練な女が迷わず進み、若い男が慌てて後を追った。
最後に、ユズルたちの番だった。
長身の男が先に歩き出す。
「行こう。止まっていても始まらない」
少女が震えながら続く。
ユズルは一歩遅れて、空白の門の前に立った。
丑が隣にいる。
「怖い」
ユズルは小さく言った。
丑は答えた。
「進め」
「うん」
ユズルは頷いた。
怖いまま。
分からないまま。
それでも、自分で選んだ門へ。
ユズルは、空白の門をくぐった。
背後で、門が閉じる音がした。