私には、倒すべき相手がいる。
見ているだけで心がざわつき、何かがふつふつと、内側から燃え上がる相手。
他の誰だろうと変わりはできない。私を燃え上がらせるのは、アイツを除いて他にはいない。
そう、アイツ。
「いち、に、さんっ、し。ストレッチは大事ですからね。しっかりとやらなければいけません」
メジロの令嬢であり、【メジロの寵児】と呼ばれる、メジロシャーロックだ。
ジャージを着たアイツは、どうやらトレーニングをするらしい。
「今日は坂路を5本ですね? 分かりました。では、タイムはどのように」
成程、坂路を5本か。
「なら私は6、いや8本だ。8本走るぞ」
「あれ? ハーツさんじゃないですか。どうかしたのですか?」
「聞こえなかったのか? 私は8本走る。貴様には負けられない」
「はぁ。頑張ってください?」
私はそれ以上に走ってやる。
8本走れば、シャーロック以上に鍛えることができる。
いや、それも大事だが、なによりも大事なのは。
(今この場において、シャーロックを超えること。アイツができないことが、私はできる!)
「まずは一本……フッ!」
「わぁ、速いですね! 僕も負けていられません!」
全てはシャーロックを超えるため、勝つために。
私は、負けるわけにはいかない!
しかし、現実とは中々上手くいかないものだ。
「ハァ……ハァ……お、おえっぷっ」
「だ、大丈夫ですか? ハーツさん。あまりご無理をなさらないよう」
なんとか8本走り切ったものの、私の体は死に体であり。
対称的に、5本走り終わったシャーロックはピンピンしていた。
まだ余裕、私と同じくらい、もしくはそれ以上走れるぞと言わんばかりに、余裕をかましている。
ふっ、さすがはメジロシャーロック。
私のライバルであり、私が超えるべき敵!
震える膝を殴りつけ、無理やりにでも立ち上がる。
情けなどいらない。これくらい、余裕でこなせる。
「も、問題、ない。この程度っ、すぐに回復する……うぷっ!?」
「わー!? あまり無理をなさらないでください! 誰かー、保健委員の方をお願いしまーす!」
つもり、だったのだが。
身体は正直、だな。もう限界だと言わんばかりに主張している。
しかし、だ。
この限界を超えてこそ、成長がある。限界の先に至ってこそ、私の辿り着く領域が存在している!
吐き気を無理やり抑え込み、立ち上がってシャーロックを睨む。
私の闘志は、まだ衰えていない。
「問題ないと言ったら問題ない! まだまだこの程度、私はこなすことができる!」
「は、はぁ。ハーツさんがそこまで言うのでしたら……まぁ。え? 次は筋トレですか、ロック。分かりました、ではそのように。ハーツさんは」
「無論、着いていかせてもらおう。今日こそ貴様を超えた証明をしてやる」
「は、はい。分かりました。僕も一人では心細かったので、ありがたいです」
にっこりとほほ笑むシャーロック。
まだ余裕、ということか。私の見立て通りだな。
今はまだ追いついていないが、見ていろ。
(いつか、否! 今日ここで貴様に追いついてやる!)
シャーロックのメニューをこなす、だけではない。
メニューの数を増やして、アイツよりも上だということを証明してやる!
筋トレ。
「99、100っ、と。では、もう2セット行きましょうか」
「な、ななじゅう、はち、な、ななじゅう、きゅう……きゅう」
「ハーツさん!?」
ランニングマシン。
「負荷はこのくらいで……あの、ハーツさん? 大丈夫ですか? 僕の倍はありますけど」
「問題ない。やってやるっうわぁぁぁ!?」
「ハーツさぁぁぁん!? ふ、吹っ飛ばされちゃいました! 急いで助けにっ、え? 自業自得だって? そんなこと言ってる場合じゃありませんよロック!」
エキスパンダー。
「ふぐぎぎぎ……!」
「ほっ、ほっ、ほっ。あの、ハーツさん? 先ほどからびくともしていませんが」
「だ、黙れっ! すぐにでも動かして、やるっ、うぅぅぅっ!」
「大丈夫かなぁ……」
と、いろんなことをやったが。
結果は惨敗だ。シャーロック以上の負荷でいろいろとやったが、どれもこれも敗北。
追いつくことすらできていない。
「……」
「は、ハーツさんが燃え尽きてます。どうしましょうか、え? 放っておけばいい? 勝手に復活する? そ、そうかもしれませんけど」
相変わらず凄い奴だ、シャーロックは。
シャーロックの練習量は、他のウマ娘の倍以上はある。
それをなんでもないようにこなすのだから、異常性がよく分かるな。
他人の心配をしつつも、自分の練習量はきっちりこなす。
それだけ、奴が突出している証拠だ。
対抗心むき出しで挑んだはいいものの、この様か。
(常人よりも倍以上はあるシャーロックの練習量。それを、さらに増やしている。当然かもしれんな)
到底こなせる量じゃない。
できるはずがないことだ。やるだけ無意味と、人は笑うだろう。
だが、それがどうした。
「……回復した! よし、シャーロック。次はなんだ!?」
「あの、膝ががくがくしていますけど。さすがにもう止めた方がよろしいと思いますよ?」
「問題ない。これはアレだ、武者震いという奴だ。私はまだやれる!」
普通でシャーロックに追いつけるはずがない。
奴に追いつくためには、普通ではダメだ。
やれることを全力でやらなければ意味がない。
奴以上にトレーニングを積まなければ、追いつくなど夢のまた夢!
誰に笑われようと知ったことか。
私は本気で、メジロシャーロックに食らいつこうとしている。
誰もが特別と呼ぶウマ娘を、私がっ
「……きゅう」
「や、やっぱり倒れました!? どどど、どうしましょうどうしましょう!? とにかく保健委員をっ、て、どうしたのですか? ロック。え、俺が何とかする? で、でも……わ、分かりました。それなら」
決意を新たにしようとしたのを最後に、私の記憶は途切れた。
◇
私が目を覚ましたのは、すでに日が暮れた後だった。
「じ、時間がっ!」
「おう、起きたか。おはようさん」
急いで飛び上がる。
シャーロックは帰ってしまったか、なんて思っていたが。
奴はいた。
俺のすぐ近くに、目と鼻の先に立っている。
ドリンクボトルとタオルを用意して、こちらに手渡してきた。
温い。すぐ飲めるように用意したのだろう。
タオルも、少しだけひんやりとしていた。
「それ飲んで、タオルで汗拭いとけ。もう乾いてるけどな」
「……」
「なんだ? 毒なら入れてねぇぞ」
飄々としている。
先程の、お嬢様然とした姿はどこにもない。
まるで人格ごと入れ替わったような、似た姿の別人のような雰囲気だ。
このウマ娘を俺は、知っている。
「……ありがとう、ロック」
「おう、どういたしまして。あんま無茶すんじゃねぇぞ。対抗心むき出しなのは結構だが、無茶してケガしたら本末転倒だ」
「わ、分かっている」
メジロシャーロックのもう一つの人格、というよりは守護霊のようなもの。ロックだ。
ロックと呼ばれる人格は、普段表に出ているシャーロックとはまるで違う。
常に余裕綽々で、私たちよりも高い視座で見通しているような、そんなウマ娘だ。
見ている世界が違う、とでも言うべきか? とにかく、不思議な奴である。
ロックはというと、クールダウンをしているのか、ジョグをしていた。
トレーニングは終わったのだろう。こちらを気遣う余裕を見せている。
……は!?
「き、貴様からの施しは受けん! ありがとう!」
「さっきもお礼言っただろお前」
「こ、この程度で私を篭絡できると思ったら、大間違いだ! 貴様は私の倒すべき敵! ライバルなのだからな!」
「はいはい、分かってるっての。あんま大声出すな、また気分悪くなるぞ」
頬が熱い。
とにかくこの状況を打開しなければと、変な言葉が矢継ぎ早に出てくる。
その全てを、ロックはいなした。
こちらの照れ隠しを分かっているように、気にしていないように振舞っている。
(クソ、この余裕だ。表人格とは別ベクトルの余裕! この余裕も、私は明かさなければ!)
「いいか! 私はいつか、貴様を追い越してやる! 首を洗って待っておけ!」
「おー、楽しみにしてるわ。じゃあなー」
最終的に、私は逃げるように練習場を去った。
ちゃんと自分の鞄を持って、ロックに頭を下げることも忘れずに。
(……ありがとう、ロック)
心の中で、もう一度だけお礼を言いながら。
寮に戻った後、鞄の中を確認していると。
「……む? なんだ、これは?」
見知らぬ紙が入っていた。
少なくとも、私はノートを破って鞄に放置することはしない。
誰かの鞄と間違えたか? と名前を確認するが、ちゃんと私の名前が書かれていた。
では、この紙は一体。
中を確認すると……【ハーツクライ専用トレーニングメニュー】、と書かれていた。
「……凄いな。なんて緻密に計算されたメニューだ」
確認して、さらに驚くことになる。
とにかく細かい。
筋トレの回数に走る量、負荷のかけ方が事細かに書かれている。
随所にアドバイスが書き込まれており、どうすればより効率よく鍛えられるか、私が求めている情報が全て書き込まれていた。
一目見て分かる。これを書いたのは、とてつもない情報量の持ち主だと。
心当たりは、1人しかいない。
「ロックの方、か。私を、試しているわけだな?」
自分に追いつきたければこれくらいこなせ。
おそらく、そう言いたいのだろう。
このメニューをこなせば強くなれる。そう言いたげだ。
紙を握り締める。
余計なおせっかいを。そうは思いつつも、私の口角は吊り上がっていた。
「いいだろう。後悔するなよ、ロック。このメニューをこなすだけではない、倍以上にこなして。貴様の想像を超えてやる」
さっそく明日から実践しよう。強くなるためにも、な。
……ライバルからの施しは受けないんじゃなかったのかって? 知らん。強くなるためならなんでも利用してやる。
◇
「相変わらずお節介だな、シャーロック」
「なんのことやら。俺はただ、強くなってほしいだけだよ。シャロのライバルは、多い方がいい」
いつも通りステゴと練習場で落ちあい。
これまたいつものように過ごす。質問してくるのはステゴの方だけだが。
まぁいい。今日の俺は、気分が良いからな。
「いつものように、対抗心をむき出しだったな、ハーツクライは」
「慣れたもんだよ。昔からあぁいう奴だ」
「それは向こうも含めて、か?」
「その通り。変わんなくていっそ安心するよ」
ハーツは変わらない。
俺に、メジロシャーロックに対抗心をむき出しにしてかかってくる。
「シャロも表面上は普通だが、心の中では燃え上がってんだぜ? ハーツにちょっかいかけられて、嬉しいんだよアイツは」
「ふ~ん。それは、あんたもか?」
「どっちだと思う?」
変わらなくて安心するわ、本当に。
さて、今回はどんな質問をされるのか。
なんて思っていたら。
「ハーツに渡したメニュー表って、どんなのが書かれてるんだ? 良かったら私にも見せてくれよ」
「構わんぞ。ほれ」
ハーツに渡したメニュー表が欲しいと言ったので、写しを渡した。
俺には必要のないものだしな。更新する時はまた別個で書き直すし。
受け取ったステゴはふんふん頷きながら、見る見るうちに顔が驚きで染まっていき。
「……これ、全部あんたが考えたのか? 凄いな」
「まぁな。これくらいはこなせる。今のアイツに必要なトレーニング量、よりもちょい低く見積もって、アイツが勝手に増やすことも見越している」
「そこまで見透かしてるのか。ますます凄い」
いや、アイツのことだから勝手に増やすだろうし。
だったら、限界ギリギリの量を責めるんじゃなく、ある程度余裕を持たせた方がいい。
そうすれば、より効率的にトレーニングができるのだから。
「本当に完璧だな、あんた。パーフェクトクオリティの異名に違わず、だ」
「やめーや。小さい頃からシャロ用のメニューを調整してきたんだ。これくらいはできる」
「できないこととかあるのか? シャーロックは。勿論、常識的な範囲内で」
完璧、ねぇ。
あの時代の記憶を掘り返すが、人の言う完璧とは程遠いわ。
傍から見たらそうかもしれんが、俺としては全然そんな気がしない。
「言うほど完璧じゃねぇよ、俺は。パーフェクトクオリティだって、人が勝手に言ってただけにすぎねぇ。むしろ、俺はやらかしてばっかだ」
「ふーん? 具体的には?」
「そうだな……昔、友達を本気で怒らせたことがあってな。今でも思い出せるよ、あの時のことは」
俺のやらかしで、本気で怒った奴がいた。
ふざけるな、とか、見下すな、とか。さんざん言われたっけな。
あぁ、でも。
「ただ、俺のためを思って怒ってくれたんだ。俺が踏み外さないようにって、俺が孤独にならないようにって、本気になって怒ってくれた」
「……良い友達だったんだな」
「あぁ。俺は良縁に恵まれていた。そう断言できるくらいには、良い友達だったよ」
いろいろとあったけど。
満足できるだけの道のりだった。
他人から見たらそうじゃなかったとしても、俺としては良い道だった。
そう言える。
……だからこそ、か。
「なぁ、ステゴ」
「ん? どうした?」
夜風が俺達の髪を撫でる。
風に流れる髪を抑えずに、俺は。
「後悔しない道を、選びたいよな」
「? まぁそうだが、急にどうした」
「限りある生命だからこそ」
気づけば、そう口にしていた。
立ち上がる。呆然としているステゴの方を向いて。
「少し、喋りすぎたかもしれねぇな。じゃあな、ステゴ。風邪、引かないように気をつけろよ」
俺は。
「待て! どういう意味だ、シャーロックッ!?」
ステゴの言葉に対し。
「何の意味もねぇよ。ただ、かっこつけたくなっただけだ」
それだけ返して。
寮へと戻った。
ハーツさんはこっちでも張り合っている模様。