検疫厩舎での日々が終わって、栗東に帰ってきた。
ハーツは、分からない。少なくとも一緒の馬運車では帰ってきてない。
まぁ、引退だしな。行き先が別の場所かもしれん。
(舎台、だろうな。会うとしても、結構先の話だ)
とはいっても、向こう数年レベルじゃない。
俺が引退するまで。大体数ヶ月先の話だ。
そう考えると、結構すぐかもしれねぇな。
久しぶりに帰ってきた栗東だが、これといった大きな変化があるわけじゃない。
そりゃそうか。たった2ヶ月ほど、留守にしていただけだし。
とはいえ。
「お帰りぃぃぃ! シャロぉぉぉ!」
うるせぇのがいるんだけど。んな涙流すほど喜ぶことか?
俺が帰ってきただけだぞ。引退の時どうする気だ本当に。
察しがついていると思うが、リョーマである。
離さないとばかりに首に抱き着き、わしゃわしゃと撫でまわしてくる。
たった2ヶ月なのに、大げさだな本当に。引退して離れ離れになったらどうするんだろうか、リョーマ。
「おかえりなさい、テキ。早速ですが、喜多野さんが今後のことについて話したいと」
「おう、分かった。すぐ向かう言うとってくれ。柏崎、草薙。シャーロックを頼んだで」
「はい、分かりました」
「任せてくださいテキ! それじゃあシャロ、一緒にお家に行こうな」
康夫さんは裕二さんと話し合いに。
おそらくだけど、今後のローテについて話しに行くんだろう。
俺の次走はどうなるのやら。
(……凱旋門賞、なくなりそうだしな。このまま引退、なんてこともあり得る)
考えたって仕方ない。決めるのは裕二さん達なのだから。
俺はただ、レースを走るだけ。走って、勝てばいい。
たったそれだけだ。
「急な帰国なのに、本当に変わらないんですよシャーロック。長距離輸送にも強いんですよね」
「むぐぐ……お、俺は海外遠征に着いていったことがないからなぁ。そうなんですね」
なにも、変わらない。
帰ってきたばかりだが、調教をやるわけじゃなく。
お手入れや食事を済ませたら、すぐに放牧に出された。
この放牧地も、なんだか久しぶりだ。
向こうよりは狭いけど、こっちの方が好きだ。
さて、どうしたものか。
放牧に出されたはいいものの、特にやろうとしていることはないし。
いつもならディープが速攻で絡んでくるんだが。今日はいないのか来る気配がない。
自主トレでもするか、なんて考えていると。
『あれ? 久しぶりだね、シャロ!』
『……え?』
随分と、懐かしい顔を見た。
いや、懐かしいなんてレベルじゃない。年単位で見なかった馬だ。
最後に会ったのはクラシックの皐月賞が終わった後。
屈腱炎になって、長期離脱を余儀なくされた、俺の友達。
見間違えるはずがない。
『タイ、ドっ?』
『うん! 久しぶりシャロ! ようやく会えたよ!』
ブラックタイド。
とても懐かしい顔が、屈腱炎を乗り越えて。
この栗東に、帰ってきていた。
え、いや、マジか。
てかようやくって。
『お、お前、何時帰ってきてたんだよ?』
史実のタイドがどのタイミングで帰ってきたのか、俺は知らない。
ようやくってことは、少し前に帰ってきたんだな、ってことは分かるが。
『えっと、人間さんは確か……5月、って言ってたかな? それも終わり頃? にこっちに帰ってきたんだよ』
『5月ぅ!? そ、そんな前なのに、俺ら一回も会わなかったの!?』
4ヶ月は前じゃねぇか。そんな前に帰ってきたのに、放牧地で一度も会わなかったのかよ。
(2ヶ月は海外遠征だけど、少なくとも2ヶ月ぐらいはチャンスがあったはずだ。あったはずなのに、一度も会わなかったのかよ!)
放牧地だけじゃない。トレーニングコースでも会わなかったってことになる。
だって、俺はタイドが帰ってきたのを知らなかったのだから。
栗東で暮らしていながら2ヶ月も存在を知らなかったわけ、か。
いや、うん。なんか申し訳なくなる。
『なんか、ごめんなタイド。お前が帰ってきてたの、全然知らなかったわ』
『シャロもシャロで忙しそうだったし、別にいいよ。気にしてないし』
とにかく、タイドが帰ってきた。
すげぇ嬉しい。
『シャロは帰ってきたばかりなんだっけ? なら、ゆっくりした方が』
『いや、いい! それよりもさ、聞かせてくれよ。ケガしている間のこと。いろいろあったんだろ?』
『そういえば約束してたね。じゃあ、シャロのことも教えてよ。みんなシャロのこと凄い、って口にしてたから、気になってたんだ』
とにかく話したかった。
タイドと、久しぶりに会った友達と。
楽しいひと時を過ごしたかった。
はず、なんだけどな。
『……僕達のこと、バカにしてるの?』
『べ、別にそんなつもりは』
『バカにしてるよ。自分が強いからって、僕達を見下している。そうとしか思えない』
なんで俺は、タイドを怒らせているんだろうか?
◇
最初は、タイドの方から話を聞かせてもらった。
リハビリ施設のこととか、そこで会った馬のこととか。
『やっぱりみんなさ、ケガをしているから沈んでる子が多くて。それでも、負けないって頑張る子もいたんだけど』
『ダメな子もいる、と』
『うん。走る気力をなくして、ゆっくりしてたいって子もいた。闘争心が消えちゃった子も、たくさんいたよ』
当然だが、楽しい話ばかりじゃない。
タイドがいた場所は、ケガをした競走馬がいる場所だ。
となれば当然、沈んでいる子が多いだろう。満足に走れないのだから。
全力で走りたいのに、体がそれを許さない。
馬にとっては、苦痛でしかないはずだ。
『正直、僕も諦めたいって気持ちがあった。脚は痛むし、全力で走れないし。思うように走れないくらいなら、止めちゃえって』
『……そう、か』
『でも、諦めたくなかった。シャロがいたから』
だけど、タイドは乗り越えた。
苦しいだろうに、満足な走りは出来ないのに。
『シャロも頑張ってるから、僕も負けないぞ、って。諦めないで頑張り続けたんだ。だから、僕は今ここにいる』
『……俺のおかげ、か。嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか』
『実際、シャロのおかげだもの。もっと誇ってくれてもいいよ?』
戻ってきたんだ、レースの世界に。
過酷なこの場所に、自分の意思で戻ってきた。
俺が、頑張ってるからって。
嬉しい、すげぇ嬉しい。
俺の存在が、心の支えになった、ということなのだから。
(泣かせてくれるじゃねぇか、タイド)
『今度はシャロの話を聞かせてよ。みんなから尊敬される、メジロシャーロックの話をさ』
『んだそれ。誰から聞いたんだよ?』
『シックスセンス君とか、ジャパン君とか。後はディープからも聞いたよ。シャロは凄い! って』
タイドの話はそこそこに。
今度は俺の番だと言われた。
急かすように鼻を押し付けてくる。やめーやくすぐったいから。
『分かった分かった、話すよ。まずはそうだなぁ……絶対に勝たなきゃいけないレースから話すか』
『そうだ、結局勝てたの? まぁシャロのことだから勝てたんだろうけど。カメハメハ君も強いけど、シャロの方が強いし』
『すげぇ信頼してんじゃん俺のこと。まぁ勝ったけどさ』
タイドと別れた後のこと。
ダービーのことから話すことにした。
和気藹々とした雰囲気。
俺の話を興味津々に聞くタイドの姿に、俺も気分よく話していたんだ。
それが変わったのは、ある話題の時。
『つい最近まで、海外に遠征しててな。今日帰ってきたんだよ』
『あ~、だから会わなかったんだね。ここにいないなら、そりゃ会わないわけだ』
『つっても、2ヶ月前の話だけどな』
この前の海外遠征のことを話した時だった。
最初は普通だった。
このレース勝ったんだぜ、とかいつも通り超盛り上がった、とか。
タイドも楽しそうに聞いていて、俺も嬉しくなって。
ただ、この話題は避けては通れないと思って話したんだ。
『ただ、俺のせいでハーツをケガさせちまったんだ。それだけが、心残りでな』
『……どういうこと? 体当たりでもしたの?』
『誰がんなことするかよ!』
ハーツのこと。キングジョージのレース後のことだ。
『アイツ、前から俺に対抗心むき出しにしてただろ? いっつも張り合ってきてたし』
『あ~、そうだね。ハーツ君はずっとシャロと張り合ってたね』
『それで無茶しすぎたみたいでな。アイツ、屈腱炎になったんだよ』
『そうなの!? ハーツ君も屈腱炎になっちゃったんだ……レースはどうするって?』
『人間曰く、引退らしい。もう無茶はできないって、レースは走らないそうだ』
ぽろっと零した。ハーツの現状を。
そして。
『本当に、ハーツに申し訳ねぇよ』
『え、なにが? 確かに友達が去るのは悲しいけど、なにが申し訳ないの?』
『原因、俺にあるんだよ。俺に勝ちたいからって無茶しすぎて、アイツは屈腱炎になっちまった。だから、申し訳なくてな』
言った。原因が自分にあるかもしれないって。
ハーツが屈腱炎になったのは、俺のせいだと。タイドに漏らした。
その瞬間だ。
さっきまで楽しそうにしていたタイドの目が、急に鋭くなったのは。
『……それ、本気で言ってるの? ハーツ君の屈腱炎の原因が、シャロのせいだって』
『え? いや、そうじゃないかって。確か、無茶な調教でなりやすい、ってのを聞いてな。だとしたら、俺が原因だろって、そう思ったんだ』
雰囲気が変わったもんだから、少しだけ驚いたけど。
大丈夫か、なんて高を括って、そのまま話した。
タイドは、震えている。
何かあったのか、なんて呑気に考えていたら。
『ふざけないでよっ!!』
威嚇するような声量で、タイドが吠えた。
俺に対して、ふざけるなと。
驚いている周りの馬なんて気にも留めず、タイドは俺を……睨みつけていた。
な、なんでだ。理由が分からない。
『ど、どうした? タイド。落ち着』
『シャロは本気で言ってるの? ハーツ君のケガの原因が、自分にあるって。シャロに勝ちたいから無茶しすぎたって、本気でそう思ってるの!?』
『お、落ち着けってタイド。とにかく』
『落ち着けるわけないよ! シャロ、自分がどれだけ見下した発言しているのか、分かってるの!? 分かってないから言えるんだよね!』
タイドがこんなにも怒っている理由が、俺にはとても
『シャロはさ、ハーツ君が自分になんて挑まなければ、なんて思ってるんだよね? ハーツ君が自分に張り合わなければ、ケガもせずに幸せだったって言いたいんだよね?』
『そ、れは、まぁ』
『それは、シャロの傲慢だよ! つまり──追いつくはずのない努力をしたハーツ君を、シャロは笑ってるんだよ! そのことが分かってるの!?』
……あ。
『ハーツ君の努力を、僕は見ていない。でも、なんとなく分かるよ。シャロに勝ちたいって、負けたくないって努力している姿は、容易に想像がつくもの』
『あ、う、そ、のっ』
『シャロに勝ちたかった。自分の脚が犠牲になってでも勝とうとした。その思いは、僕でも想像できる。ハーツ君はそういう子だから。ちょっとの交流しかないけど、知ってるから』
なにも、言えない。
『その努力を、シャロは笑うの!? 僕よりも近くで、ずっと傍で見てきたのに! シャロはハーツ君の努力を、笑ってるんだよ!』
『ち、違う! 俺は、そんなつもりじゃっ』
『そんなつもりじゃなかったとしても、そうとしか思えないよ! 自分に追いつけるはずがないんだって、自分が負けるわけがないって思ってるからこそ! ハーツ君がケガをしたことを悲しんでる! 自分のせいだって思いこんでる!』
言い返せない。タイドの言葉に、反論ができない。
『そんな気持ちの同情なんか、僕だったら貰っても嬉しくない! だって、自分の努力をバカにされたんだよ? 良い気がするわけないじゃん!』
『たし、かに……そう、だけど』
『僕達はみんな、勝ちたいから努力しているんだ。嫌な調教だってやるし、ケガしたって頑張る。ここにいる子達はみんな、誰よりも上だってことを証明したいから、努力をしているんだ。全部、自分で選んでやっていることなんだよ!』
だって、タイドの言葉は。
『まぁ、シャロには分からないだろうね。シャロは負けたことがないんだもの。ハーツ君の気持ちなんて、分かるわけがない』
『っ! て、めぇ! いくらなんでも』
『怒ってるの? 事実でしょ。シャロには僕達の気持ちなんて分からない。だから、ハーツ君のケガは自分のせいだって思いこむんだ』
全部。
『シャロは僕達だけじゃない。僕達をお世話する、人間さんさえもバカにしてる! 自分に勝てるわけがないからって、無駄な努力をしたってあざ笑ってる! どんな思いをしているか知らないから、シャロはそんなことが言えるんだ!』
『あ……う……っ』
『僕達をバカにするな! 自分が強いからって、負けたことがないからって! 僕達の努力を笑っていい権利なんてっ、あるわけないだろッッッ!!』
正論なのだから。
言い返せるわけがない。
改めて自分の言葉を振り返って、怒っているタイドに言われて。
自分の発言がどれほど傲慢で、タイドの言葉が間違っていないのか、突きつけられているのだから。
『シャロのしていることは心配じゃない。ハーツ君に対する嘲笑だ。無駄な努力をしたって、シャロは笑ってるんだ』
『……っ』
『全部ハーツ君が選んだことだ。シャロに張り合うのも、努力を重ねたのも、その結果としてケガをしたのも……全部全部、ハーツ君が自分で選んだことだ。シャロの責任じゃない』
頭に出てくる言葉は、なにもかもが間違いで。
何も言えないから、黙っていることしかできなくて。
『少なくとも、今のシャロは間違っている。ハーツ君達の思いを、上から踏みにじっている。シャロの言っていることは、そういうことだよ』
『……うぅ』
『ケガをしたのが自分の責任だなんて、言われて気分が良いわけがないよ。それが自分に勝った相手ならなおさらだ。ふざけんなってなる』
言われるがままにしか、出来なかった。
『……怒鳴ってごめん。でも、どうしても許せなかった。シャロの発言が、傲慢な物言いが。僕は我慢できなかった』
『……』
『僕は戻るよ。シャロも、あまり思いつめないで。ハーツ君だってそれは望んでない』
去っていくタイドを、黙って見送ることしかできない。
最後。
『……ごめんね、シャロ』
謝罪の言葉にさえも、俺は──何も言えずに。
立ち尽くすことしか、出来なかった。
帰ってきた友達に叱責されるシャーロック。