タイドを本気で怒らせた後、俺は立ち尽くしたままだった。
放牧地でアホみたいに突っ立って、何事かと集まってきた馬にも反応せずに。
『あの、なんかあったんスか、シャーロックさん。タイドさんめっちゃキレてましたけど』
『シャーロックさんでも怒らせること、あるんですね。なんか意外』
『バカ、ジャパンお前! そういうこと言ってる場合じゃねぇだろ! こりゃ異常事態だって、異常事態!』
センスにジャパンが心配してくるけど、それどころじゃない。
タイドの言葉がずっと、頭の中で残り続けている。
(俺がやっていることは、傲慢。同情でも何でもない、見下した、憐み)
『……なんも、言い返せねぇ』
『あ~……まぁ、はい。それに関しては俺も、なんも言えないっす』
それからの放牧の時間は、何も覚えていなかった。
多分、ボーっと過ごしていた、と思う。それすらも曖昧だった。
「シャロー。お家に帰るぞー」
いつの間にか来ていたリョーマに手綱をつけられて、俺は……よく分からない気持ちを抱いたまま、馬房へと戻っていった。
ご飯を食べて、馬房でゆっくりする時間。
ようやく落ち着いてきた。タイドに言われたことを、飲み込めた。
まずやったのは、自分の発言を客観視すること。
馬の記憶力は凄いもので、大体のことは覚えている。
当然、イギリスから帰る時のことも。
(はは、タイドから言われた通りだ。何様のつもりだよ、俺)
そりゃ、自分が知っている史実とは違う結果になったさ。
喘鳴症が屈腱炎に。引退の時期が早まった上に、不治の病に罹ってしまった。
流れで自分が原因だと思った。無茶させたせいだと、俺がいたせいだと自責の念に駆られた。
それこそが……タイドの指摘する、俺の傲慢さだ。
(無意識のうちにハーツを見下していた。ライバルを、友達をっ。俺は無意識で見下していたんだ)
『ははは、最低な野郎だな、俺は。しかも、タイドに言われるまで気づかねぇって。いっそ笑えてくるわ、自分のバカっぷりに』
言われて初めて気づいた。それくらい、俺にとって違和感がない考えだったんだ。
負けたことがない。勝ち続けてきた。
その結果、無意識のうちに他の馬を見下していたんだろう。自分に勝てるわけがない、って。
(俺も、馬として過ごしていくうちに変わったんだろう。もっとも、良い方向の変化じゃないが)
最悪も最悪の変化だ。俺にとってはな。
タイドとの会話を改めて思い出す。
アイツに言われたこと、怒りが。頭の中で再生される。
俺は何も言えなかった。立ち尽くすだけだった。
いや、言えなかったわけじゃない。
反論の言葉はちゃんとあった。言い返そうと思えば、言い返せた。
でも、言い返したら。
仮に頭に出てきた言葉を、タイドにぶつけてしまったら……引き返せないところまでいってしまう。
タイドの言葉に反論するわけには、いかなかった。
(お前らだって、俺の気持ちは分からねぇだろ。言いそうになってしまった)
勝ち続けることによって、膨れ上がる期待。
際限なく求められる勝利。かかる重圧。
劇的な勝ち方を、芸術性を求められる。
失望されたくない。みんなの期待に応えなきゃいけない。
俺の気持ちは。お前らにだって分からねぇだろ、と。頭の中に出てきていた。
言葉にはしなかった。決定的な溝ができてしまうと、察したから。
口にしたが最後、大喧嘩に発展すること間違いなし。
もう二度と、タイドと仲良くすることは出来ない。お互いの心にしこりを残してしまう。
なにより……間違っているのは俺で、タイドの言葉が正論なんだと、分かっていた。
(いくら強くても、他人の努力をバカにする権利はない、か。その通りだよ、タイド。誰にもバカにしていいわけがねぇ)
『俺はハーツの努力を、バカにしてたわけか。その点で考えると、アイツが寝ていて助かった、ってことか』
確かに俺は強い。それは誰もが認めることだ。
俺自身も、自分で強いと思っている。
つーか、これで強くないとか言い始めたら嫌味だ。ぶん殴りたくなるほどの。
でも、強いからって何を言ってもいいわけじゃない。
漫画で勝者だけが正義、勝つ奴がえらい、なんて言葉があるが。
認められるわけがない。例え正義だとしても、敗者の努力を、笑っていいはずがない。
(……思い返すほど、自分の発言に腹が立ってきたな。もうこの辺にしておこう)
『けど、身から出た錆だしなぁ。なかったことにはできないし、するわけにはいかない……うがーっ!』
恥ずかしい、本当に恥ずかしい。
ガチの黒歴史だ。俺の人生、もとい馬生における最大の汚点レベルの出来事。
今すぐ穴を掘って埋まりたい。恥ずかしくて仕方なかった。
あぁ、けど。
『気づかせてくれたタイドには感謝だ。もしあのまま突き進んでいたら、後戻りできないレベルになってただろうし』
友達して俺を叱ってくれた。
道を踏み外さないように、俺に嫌われてもいいからって。
タイドは忠告してくれたんだ。俺は、今の考えじゃいけないと。
恵まれている。友達に、ライバルに。
間違っていることを間違っていると指摘してくれる。
なんてありがたいことだ。感謝しかない。
友達のありがたみを再認識したところで、だ。
そもそもの問題点。
どうして俺は、こんなに悩むようになったのか?
(少なくとも、古馬1年目までは思いもしなかったことだ)
強いとか弱いとか、見下すとか自分が上だとか。
考えたことがない。
負けたくない、勝ちたいばかりで、余裕がなかった。
じゃあ、なんで余裕がなかったのか?
その理由は、アレだろうな。
(メジロの牧場存続のため。俺が転生した目的で、競走馬として生きる意味そのもの。メジロの復活が、俺にとっての目標だった)
メジロのためだ。
レースで結果を出すことに一生懸命で、勝ち負けについて深く考えてこなかった。
俺が結果を出さなきゃ、メジロは廃業する。
目標にしていたこと、俺が生きていた時代にメジロの馬を走らせることができなくなる。
俺の母親の血、メジロコナンの血を残すことができない。
(負けるわけにはいかなかった。なんとしても、勝たなきゃいけなかった。俺が目指すべき未来のために)
『今まで考えてこなかっただけ、か。考える暇がなかった、とも言うが』
とにかくメジロのために。
ずっと先の未来まで続かせるようにと、俺はレースで走っていたんだ。
メジロ存続のことで頭がいっぱいだった。
言い訳かもしれないが、余裕がなかったのかもしれない。
だが、今は余裕ができた。
メジロの牧場は、少しずつ景気が回復しているようで、良い報告を聞く回数が多い。
裕二さんも、最近は好調だと嬉しそうに話していた。
(レースのことについては、考えないようにしよう。俺以外のメジロの馬、見たことないし)
ちょっと悲しい現実が見えてきたが、うん。やめておこう!
とにかく、メジロは復活しつつある。
少なくとも俺の産駒が走るまでは、なんて話しているのも聞いたし。
ひとまずは安泰だろう。
レースに関しても、山場を超えたんだ。
ディープインパクト。英雄と呼ばれるアイツを、直接対決で下して。
俺が日本、だけじゃない。世界最強だと知らしめることができた。
(ずっと心配だった。ディープに勝てなかったらどうしよう、って。もし負けた場合、俺の評価はどうなるんだろう? ってな)
今にして思えば、ディープに負けたぐらいで急激に落ち込むことはなさそうだけど。
とにかく、俺は世界最強の競走馬として名を馳せることができた。
古馬一年目の時点でそうだった、と言われたら、まぁ、そうなんだけど。
これに関しては俺の気の持ちよう。ディープに勝ったことで、俺は自分が世界一だと自覚できた。
上手くいっていた。余裕ができる。
だから考えるようになった。俺がレースを楽しんでいるのは、どんな瞬間か?
周りのことに目を向け始めて、いざレースのことを考えると。
俺は、どういう気持ちで挑んでいるんだろう? と。ふと疑問が出てきた。
(避けられていることに気づいて、それでも挑んでくる相手に喜んで。なんだかんだ、レースを楽しめていたんだと。気づくことができた)
『だからこそ、ハーツにはすげぇ感謝してた。ずっと、俺に挑んできてくれたから』
結果分かったのは、俺自身もレースを楽しんでいたこと。
走ること自体に喜びを見出していると分かった。
競うのが楽しい。走るのが嬉しい。
レースで走るのが、楽しくて仕方がない。
間違いなく、そう思っていた。
とはいえ、勝ちすぎて避けられることも多くなり。
仕方ないと諦めつつも、挑んでくる相手がいてやっぱり嬉しくなって。
(その挑んでくる相手を、自分のせいでっ!)
『じゃねぇだろ! また同じこと考えそうになってるじゃねぇかバカタレが!』
そう、楽しかったんだ。
楽しいからこそ、また走りたいって思っている。
ハーツと、みんなと競いたいと。
心の底から思っている。今もだ。
……単純だな、我ながら。
ただ、ハーツと走ることは叶わなくなった。
引退だからな。こればかりは仕方ない。
(もう無理をする段階じゃないからな。アイツの実績を考えたら、余計に)
『ハーツも今頃舎台なのかねぇ? 引退式、やれたんだろうか?』
成し遂げたことを考えたら、アイツの引退式とか余裕でやりそうなもんだが。
キングジョージ2着な上、G1レースを2勝。
ジャパンカップはワールドレコード、有馬はディープを下しての勝利だ。
あっても不思議じゃないな、引退式。
でも、レースで走るのはハーツだけじゃない。
引きずりすぎるのはよくない。タイドにも言われたことだ。
(あまり思いつめない方がいい、か。俺がどういう状況にいるのか、よく分かってるみたいな言い方だ)
ぶっちゃけた話、割り切れと言われて割り切れることじゃない。
どうしても考えてしまう。俺がいなかったら、なんて、ダメなことでも考える。
だけど、割り切るしかないんだ。
起こったことはどうしようもない。覆すことは、それこそ神の奇跡でもない限り不可能だ。
(ハーツのケガは変わらない。変わらないことに対して、悔んだって仕方がない)
だったら、俺にできることは。
昔のことを後悔することじゃない。
やるべきことは一つ。
『レースを走る。それだけだ』
同じ答え。
ハーツのことで後悔していた時と、同じ答えだ。
けど、違う。
同じ言葉でも、意味が違う。
前のは自責。今回のは──未来に向けて。
後悔しながら走るんじゃない。
ハーツの屍を踏み越えて、俺は前に進む。アイツ別に死んではいないけども。
そもそもだ。
俺が踏み台にしてきたのは、ハーツだけじゃない。
それこそ何頭もの馬を踏み台にしてきたんだ。
なんでハーツに限って、って話になる。
ハーツ以外も踏み台にしたのに、倒してきたのに。
(友達だから、余計にだったんだろう。身近な存在だから、傷ついた)
『都合がよすぎるこって。そういうもんだと思うけどな』
虫が良すぎるだろ、と。
とにかく、走ろう。
走るんだ。前に、先に、未来に向かって。
たとえ暗闇だったとしても、俺は……突き進む。
(吹っ切れた、訳じゃない。どうしても考えちまう。悪いことを、俺のせいで、なんて)
けど、俺のせいだ、なんて思っちゃいけない。
相手に失礼だからだ。全力で戦ってくれる、向かってくる相手に失礼過ぎる。
自分自身も全力で挑む。
その結果、どうなったとしても自己責任。
そう考えた方がいい。
(ありがとよ、タイド。おかげで、なんとか持ち直せそうだ)
『やるさ。次のレースがどうなろうと、俺は走る。走って、俺の強さを証明する』
対戦相手が誇れるような存在であるために。
俺は──勝ち続けてやる。
◇
……でも、心のどこかで思う。
全力で。それこそキングジョージのような死闘をもう一度、と。
どうにかなった模様。次走どうなるんだろうね?