岳さんがディープに騎乗するため、また俺の騎手を探すことになった。
代打として騎乗することが多かった隈澤さんだが、今回は不在。
海外戦の経験が浅いからと、申し訳なさそうに断られたらしい。
(ま~大分違う、って聞くしな。正当な理由だ)
なので、現地の騎手を探すことになった。
岳さんの代打、ってだけじゃない。
俺の引退レースでもある、凱旋門賞の騎手を。
ぶっちゃけよう、かなり難航していた。
その難航というのも、俺に乗りたくない、なんて理由じゃない。
全くの逆。俺に騎乗したい騎手が多すぎて、候補が絞り切れないという、贅沢過ぎる悩みだった。
「本当にどうするんですか、テキ? シャーロックに騎乗する騎手の人」
「待ってくれ。候補が多すぎんねん。こっちの有名どころが全員立候補しとるわ」
「『凱旋門賞で特にお手馬がいない騎手、全員が手を挙げてるね。お、欧州トップレベルの人もいる』」
日本とは大違いだな、本当。
ぶっちゃけ日本の騎手に声をかけてもよかったらしいが、勝率を少しでも上げるならこっちの騎手だ。
主戦場にしているし、ロンシャンのコースも知り尽くしている。
有名どころが釣れたらOK、みたいな感じで、声をかけようとしていたらしい。
間違った判断じゃない。
俺のことを考えたら、騎手の方から声をかけられると思うだろう。実際そうなったし。
ただ一つ間違っていたとしたら……予想以上に声をかけられた、ってことだ。
「候補が多すぎて絞れん、とは思わんかったわ。思うた以上に声をかけられたわ」
「『康夫はシャーロックの人気を甘く見過ぎだね。こっちの騎手は、ずっとシャーロックに騎乗する機会を狙っていたよ。昨年のキングジョージからずっと、ね』」
「去年からずっと狙われていたんですね、シャーロック。本当に凄い子だね~、シャーロック~」
柏崎さんに褒められ、撫でられる。
さらっととんでもない情報が公開されたが、今更だ。
ちなみに岳さんはというと。
「……良いんじゃないでしょうか」
すげぇ苦虫を嚙み潰したような表情で、俺に別の騎手が乗ることを容認していた。
いや、容認してねぇなアレ。呪い殺さんばかりの顔をしてたわ。嫉妬に狂った目をしてたわ。
だったら自分が乗ればいいのに、と思わずにはいられないが、そうもいかない理由もあるんだろう。
(乗るのがディープだしなぁ。ディープに乗れるの、現状岳さんだけだし)
岳さんは、俺に勝ちたいと前に言っていた。
ディープとのコンビで、俺に勝ちたいと。
ディープに騎乗するのは、一朝一夕でどうにかなるもんじゃない。
行きたがりの気性と付き合わなきゃいかんし、付け焼刃は勝率を下げる。
馬主である金古さんとの兼ね合いを考えたら、短い期間で騎乗するのは無理だ。
だが、俺は誰でも乗せることができる。
別に岳さんじゃなくてもいいわけだ。岳さんがどう思うかは別として。
現実として、ディープとの初対決である春天は、隈澤さんが騎乗した。岳さんじゃなかった。
その上で、俺は結果を出した。問題ないとばかりに。
結論。ディープよりも俺を優先する理由がない。
岳さんじゃなくても大丈夫と分かった以上、岳さんも俺を優先する理由がないのだ。気持ちは別として。
(付き合いとかもあるだろうしな。その場合、裕二さんからなんて思われるのか分からんけど)
裕二さんのことだし、別に気にしてなさそうな気がするけどな。
俺の賢さを知っているし、岳さんの思いも汲むだろうし。
エクリプスステークスとキングジョージで岳さんが続投したから、怒ってることはないだろう。
怒ってたら騎乗させないしな。俺の鞍上から下ろすはずだ。
ちょっと逸れたが、俺の騎手問題は大分難航している。ポジティブな方向で。
「ホンマにどうするかな~。多すぎて悩むっちゅうんは、幸せなことやけど」
「多すぎるのも考えものですね」
できる限り、早めに見つかるといいんだけどな。
◇
あれから数日が経って。
俺に騎乗する騎手が無事に決まったそうだ。
すげぇ喜ばしいことだ。
凱旋門賞に向けて、出来る限り早めに慣れておきたい。
ぶっつけ本番、調教で騎乗する時間すら確保できない、ってのは避けたかった。
「シャーロックの騎手が決まったで。えらい騎手からオファー来とったし、日本にも来たことあるらしいからな。後熱意に圧されたわ」
「凄い熱意でしたものね。わざわざここの厩舎を訪れてまで」
「ホンマにな。こっちとしても光栄なことやし、腕も申し分ない。大丈夫やろ」
ギリギリまで決まらない、なんてことにならなくて一安心。
康夫さん達としても、胸をなでおろしたことだろう。
……まぁ、その代打騎手というのが。
「っちゅうわけで、凱旋門賞でシャーロックに騎乗するデルトリ騎手や。まさか、世界一レベルの騎手が乗るとは思わんかったで」
「『最高の機会に恵まれたよ! まさか、世界最強に騎乗できるなんてね!』」
「なんて言うとるん? 柏崎」
「世界最強の競走馬に騎乗できる。最高の機会に恵まれた、みたいな感じです。つまり、めちゃくちゃ喜んでます」
デルトリ騎手という、世界トップレベルの騎手である。恐れ多いわ。
ステファーノ・フランキー・デルトリ。愛称はフランキー。
いろいろと詳細は省くが、世界一の騎手なんて呼ばれることもある、とんでもねぇお方だ。
ドバイミレニアムとか、最近ならエレクトロキューショニストの主戦騎手でもある。どっちも名馬で、その主戦騎手なわけだ。
とんでもねぇよ、本当に。
(可能性はあるだろうけどさぁ、なんだってこうなるんだか)
しかも、康夫さん曰くすげぇ熱意だったそうだ。
ぜひ自分を騎手に。絶対に凱旋門賞を勝たせるから。
自分を売り込んで、なんとしてでも俺の騎乗機会を勝ち取ろうとしていたそうな。
俺はその光景を見ていないが、渇いた笑いでなんとなく察せる。
で、俺に騎乗することが叶ったデルトリさんだが。
テンションが高い。とても。
「気品のある馬体ダネ。筋肉の付き方もスゴイ、文句のつけようがないヨ」
日本語話せるのね、というのはさておき。
俺の体をジロジロと見ては、絶賛している。
やれ凄いだの、やれパーフェクトだの。大変お気に召しているようだ。
俺は気が気でない。
世界一の騎手にも認められている、ってのを大前提に、やっぱり褒められると嬉しいからな。
だが、視線がぶっ刺さっているのだ。
誰かって? そんなの一人しかいねぇだろ。
「……」
岳さんだよ。めっちゃ嫉妬の籠った目でこっち見てんだよ。
こえーよ。そんな歯噛みするくらいなら、俺に騎乗すればよかっただろ。そういうわけにはいかないんだろうけどさ。
「フフン、タケ。今回は俺が騎乗させてもらうヨ」
「……まぁ、フランキーなら大丈夫か。でも、シャーロックの主戦騎手は僕だ」
「ナラ、今回でその座を奪うとするカナ?」
喧嘩売るんじゃねぇよ。つか、俺もうこのレースで引退だよ。
親しい友人同士の話なんだろうけどさ、怖いんだよ向こう側の視線が。
「あの、大丈夫なんですかテキ? 岳さんの視線、なんというか」
「大丈夫や思うとけ。それでデルトリ騎手」
「フランキーで構わないヨ。堅苦しいのはなしでイコウ」
「そか。やったらフランキー、今日から早速頼むわ。調教で騎乗してもらうで」
「オーケー。光栄ダネ」
今更変更がきくものでもない。
デルトリさんと一緒に、調教するコースへと向かう。
その道中。
「やけど、大丈夫なんか? 懇意にしとるとこあるんやろ?」
「問題ナッシング! 向こうも分かってくれたカラネ!」
「ホンマやろうな? なんか言われても困るで」
「大丈夫大丈夫!」
すげぇ不安をあおるようなやり取りがあったけど、気にしないことにした。
始まる俺一頭での調教。
ディープはレースがあったし、ピカレスクコートは基本的にディープ優先だ。
そもそも、今回が騎手との初合わせだからな。一頭の方が都合がいい。
デルトリさんを乗せて、いざ走る。
(当たり前だけど、上手いわ。乗せていて気持ちがいい)
「もっとアゲても構わないヨ。キミの全力を見せてクレ!」
初めて俺に乗ったのに、すぐに乗りこなした。全力だろうと変わらずに、だ。
「体幹がブレてへん。えらい騎手やわ、ホンマに」
「綺麗な乗り方ですよね~。さすがは世界トップと言われる方です」
初めて乗る馬だろうと、すぐに適応する。
これが、世界トップと呼ばれる騎手のスキルなのかもしれない。
これには康夫さんもホクホク顔。
問題がないと分かったので、安心しきっている。
俺としても嬉しい限りだ。
「初騎乗でこれやからな。こら、問題はないわな」
「ところで康夫。俺もシャーロックにいろいろ教えても良いカイ? 凄く賢い子って聞いてるからネ、興味があるんダ」
「……程々に頼むわ」
「グラッツェ! 楽しみダナ~!」
それに関しては、うん。
より強くなれるとして、前向きに捉えよう。
調教が終わって、こっちのご飯を食べて。
放牧ではディープの相手だ。
『走ろう、走ろうよシャロさん! こっちは広いから楽しいよ!』
『分かった分かった。分かったから』
『慣れ切ってますね、シャーロックさん』
『日本の頃からこうだからもう慣れたよ。嫌でも慣れるわ。顔を舐めるなディープ』
『シャロさん、次のレースは一緒だよね? 楽しみだな~! 久しぶりにシャロさんとの勝負だー!』
相変わらずの走りたがり気性である。
ちょっとは大人しくなったと思ったのに、全然そんなことはなかった。
むしろディープらしくて安心するけど。
にしても、問題はアレだよな。
凱旋門賞で、ディープと言えばな問題が迫ってきている。
(風邪。そして、禁止薬物検出事件。これでディープは失格処分を下されたからな)
なんか、違法な薬の成分が残留していたとかなんとかで、レースが終わった数日後に失格処分が下された。
凱旋門賞を禁止薬物で失格処分になったのは史上初。ディープの人気に、影を落とすことになった事件だ。
回避できているのか否か? 目先の問題は、この事件だろう。
できることなら回避しててほしい、というのが本音。
アイツの名誉が傷つかないのは、嬉しいことだからだ。
ただぶっちゃけ、これに関して俺じゃどうしようもない。
ディープが風邪を引かないように、という予防はできるけど……それで回避できるかは微妙だしなぁ。
(感冒なんて罹る時は罹るし。ソースは有馬記念の俺)
どういう理由で禁止薬物が残留していたのかが不明。
分からない以上は、俺としても対策が取れない。
禁止薬物が検出される大元の原因、風邪を引かないようにすることぐらいしかないんだ。
とはいえ、今のところ風邪の兆候はない。
おまけに、史実とは大きく異なる点がある。
ディープがぶっつけ本番ではなく、前哨戦としてフォワ賞に出走していることだ。
これはかなりデカい。
(風邪に罹った時期は知らないが、大幅な変更が加わったことは確かだ。アイツも健康そのものだし、問題はないはず)
変わるものもあれば変わらないものもある。
悪い方向に変わることだってあるし、良い方向に変わることもある。
どっちになるかは、分からない。
(フォワ賞は無事に勝ったらしい。康夫さんが嬉しそうに報告していた)
けれども、どうか無事で。
風邪なんて罹らずに、完調の状態で凱旋門賞を迎えて欲しい。
なんでかと言われたら……まぁ、楽しそうに走るアイツの姿が楽しみだから?
(俺と走るのを楽しみにしてる、って言ってたし。そう言われたら、なぁ)
もう俺とディープが走る機会はない。
正真正銘、凱旋門賞がラストチャンスだ。
そんな舞台に、風邪で体調を崩す、ってのは嫌だ。
ディープも悲しむだろうし、俺自身も思うところがある。
最後の戦いを、風邪に邪魔されるのはごめんだ。
だからこそ、か。
『風邪引かねぇように気をつけろよ。風邪引いたらレース、出れなくなるぞ~、有馬の時の俺みたいに』
『も~、大丈夫だよシャロさん。最近の僕は絶好調だから!』
『そういう時が一番怖いんだよ。とにかく、気をつけて過ごせ』
やれるだけのことはやっておく。
お互い、万全のコンディションで戦うために。
俺自身も、自分の体調に気を配っておかないと。
◇
凱旋門賞の日は、少しずつ近づいている。
この前はスクーリングも終わった。
本番前の予行演習。実際にロンシャン競馬場を走り、感触を確かめた。
「ディープもシャーロックも、問題なしやな。どっちも先着しとったし、シャーロックもえぇラップを刻めとる」
「……」
「寛君。フランキーを睨むなや。そんでフランキーも得意げな表情で煽んなや」
今のところ、ディープに風の予兆は出ていない。
なんなら絶好調。スクーリングも問題なくこなして、康夫さん達も大丈夫と太鼓判。
『なんでシャロさんと一緒に走れないの~!? なんでなんで~!』
『そりゃレースで一緒に走るからに決まってるだろ。もう少し我慢しなさい、放牧で走ってやるから』
『なんというか、お兄さんみたいですね、シャーロックさん』
『コイツの兄は今頃日本で元気に走ってるよ』
まだ油断はできないけど、安心だ。
で、馬房での時間はというと。
「それでネ、この場面ではこう動くのが俺の見解デ~。その理由ってのガ~」
「ホンマに教え込んどるやんか。人間相手に教えとるみたいに」
「これで本当に学習出来たラ、それはそれで面白いカラネ」
「シャーロックの場合、ホンマに出来そうなのが怖いねん」
デルトリさんがホワイトボードを用意して、いろんなことを教えてくれた。
懇切丁寧に、人間相手に教えるみたいに。
傍から見たら頭がイカれた、なんて思われても仕方ない光景である。
気が狂った、なんて言われそうだ。
(岳さんとはまた違う視点での策。貴重な学びだ)
とはいえ、興味がある分野なら苦にならない。
吸収できるものは吸収しておこう。
「レースがあればナ~。実践でさらに教えられるんだけド。ま、凱旋門賞で教え込むからいいカ」
俺の方も順調である。
余計な知識を蓄えないでもらっていいですか?