凱旋門賞が近づくにつれて、フランス競馬界は活気づいてきていた。
「ついに凱旋門賞にくるぞ、葦毛の神が!」
「も~うこの日をずっと待ち望んでいたわ! 今から楽しみ~!」
「一時はどうなるかと思ったけど、無事に出走できて何よりだよ! 勿論、現地で観戦する予定さ!」
現在、世界最強の競走馬としてその名を轟かせている、メジロシャーロックの出走。
イギリスや香港で走ったことはあるが、フランスはなかった。
ついに今回、出番が巡ってきたのである。
元々、凱旋門賞の出走は望みが薄かった。
メジロシャーロックのオーナーである喜多野裕二は、天皇賞を重要視している。
秋の天皇賞と凱旋門賞は日程が近く、出走がかなり厳しい。
これがネックだった。
天皇賞と凱旋門賞。優先するとしたら、天皇賞の方。
昨年がそうだった。声自体はかけられていたが、喜多野裕二は天皇賞出走を表明。
凱旋門賞には出走しないことを決めたのだから。
今年もチャンス自体はあったが、いかんせんメンバーが揃わない可能性があった。
下手をすれば単走。栄誉あるレースが、開催危機に陥るほどの事態にまで発展していた。
加えて、キングジョージのダメージを鑑みての緊急帰国。
出走は絶望的な状況。もはや無理か? と、国中で落胆の声が響いた。
しかし、喜多野裕二は凱旋門賞出走を表明。
キングジョージのダメージもなく、問題はないと判断した結果、メジロシャーロックを凱旋門賞に出すことを決めたと発表。
日本からもう一度フランスへ。とんぼ返りの速さで欧州へと戻ってきた。
これにフランス市民は大歓喜。
一度はダメかと思っていたのに、観戦することが叶ったのだ。
それはもう喜びに満ちている。祝杯をあげる人もいたほどだ。
「俺は去年のキングジョージで見たことがある。メジロシャーロックのレースは、本当に芸術的だ!」
「観客を魅了し、対戦相手を惑わす魅惑の葦毛。気づいたら虜になっちまうんだ。嘘じゃない」
「メジロシャーロックは素晴らしい馬だよ。彼のレース運びはまさしく、至高の芸術だ」
人気はイギリスだけではない。他の国にも及んでいる。
フランスも例外ではなかった。
さらに、騎手の話もすぐに知れ渡った。
日本で主戦騎手を務めていた岳寛は、同じ日本馬のディープインパクトに騎乗。
メジロシャーロックの鞍は空いている状態。
一体誰が、メジロシャーロックの騎手になるのか? 世界中で話題を集めていた。
後日発表された騎手は──ステファーノ・フランキー・デルトリ。
名実ともに世界一の騎手と呼ばれる天才が、凱旋門賞の鞍上を務めることになったのだ。
「おいおい、あのフランキーが騎手だって!? こんなのもう、勝ったも同然じゃないか!」
「世界一の競走馬と世界一の騎手のコンビよ! こんなの、現地で観るしかないじゃない!」
「日本が本気で凱旋門賞を獲りに来たんだ!」
デルトリの腕は誰もが信じている。
世界トップレベル、世界一であると。
世界最強の馬と、世界最強の騎手のタッグ。
こんなの、心が躍らないファンはいないだろう。誰もが注目すること間違いなしだ。
騎乗するデルトリは、レース前のコメントにて。
「世界一の競走馬に騎乗できる最高の機会を貰えた。当然、期待に応える働きをするつもりだ」
「調教で何度か騎乗した。メジロシャーロックは全てを高水準にこなす、完璧な競走馬だ」
「自分が騎乗してきた馬の中でもトップレベル、いや。一番と言っても過言ではない」
絶賛するコメントを残していた。
果てには、自分が騎乗してきた中でも一番と言っていいほどの馬だと。
ラムタラやドバイミレニアム、デイラミにエレクトロキューショニストに騎乗してきた名手が、一番と言い張るほどに強い。
また、これだけでは終わらなかった。
「おそらくだけど、キングジョージの時よりも成長している。今が全盛期だ」
なんと、これまで素晴らしい成績を残してきたシャーロックは、今こそが全盛期であると言い放ったのだ。
いやいや、さすがに嘘だろうと。メディア向けの煽りだと疑う市民。
あれだけの強さを見せてきたのに、まだ全盛期ではなかった?
誰もが冗談だと、誇張表現だと本気にしなかった。
しかし、デルトリは至って真面目。
前よりもずっと成長していると、最後まで断言していた。
何度も言われると、さすがに疑問が出てくる。
もしかして、本当に全盛期を迎えたのではないか?
凱旋門賞で見ることができるシャーロックこそが、これまでで最も強いメジロシャーロックではないか?
「デルトリがあそこまで言ってるんだぜ? まさか本当に……」
「でも、キングジョージでも凄い強さだったのよ? アレ以上に強くなるなんてことがあり得るの?」
「どっちにしろ、俺達はメジロシャーロックのレースを観に行くだけだ! 答えは凱旋門賞当日で分かる!」
果たして、どのような結末を迎えるのか?
期待でさらに胸を膨らませることになる。
とはいえ、ポジティブな話題ばかりではなく。
レース前に、オーナーである喜多野裕二から残念なお知らせが告知された。
「凱旋門賞をもって、メジロシャーロックは現役を引退します。今後は種牡馬として、舎台で繋養する予定です」
凱旋門賞で引退。
第三次競馬ブームを起こし、その輪を海外にまで広げたアイドルホースが、ついに引退の時を迎えたのである。
阿鼻叫喚。
欧州はおろか、世界中でファンは嘆き悲しんだ。
「嘘だろ、凱旋門賞がラストラン!? 日本は、日本じゃもう走らないの!?」
「ちょっとお父さん! なんとしてもフランス行きのチケットを手配して! シャーロックのラストランを現地で観るのよ!」
「有馬記念も走ってくれー! お願いだー!」
どんな時でも、推し馬の引退は悲しいもの。
覚悟はしていたが、いざその時が来たら泣きたくなる。
「うっ、うっ……つっても、もう走るレースなさそうだしな」
「そもそも、対戦する相手がいねぇよ。世界最強なんだからさ」
「有馬走って! お願いだから!」
メジロシャーロックの引退に、誰もが涙を流す一幕があったのは、ココだけの話である。
いろいろな話題が飛び交う凱旋門賞。
シャーロック以外。対戦相手の方は、もはや腹は括っている。
「やれるだけのことはやる。世界最強のタッグを相手に、勝つ気で挑むさ」
「当然、メジロシャーロックをマークする。勝つためにはそれが最善だ」
「こうして戦えることが光栄だね。全力を尽くして挑ませてもらうよ」
一時は開催が危ぶまれた凱旋門賞だが、最終的には13頭が出走予定。
豪華なメンバーが集まっていた。
前年度王者のハリケーンランを筆頭に、コロネーションカップ覇者のシロッコ。
サンクルー大賞でハリケーンランを破ったプライド。ニエル賞を制したレイルリンク。
ヴェルメイユ賞を勝ったマンデシャ、英ダービーを制したサーパーシー。
他にも猛者が出走予定。
世界最強馬に挑もうと、欧州でも指折りの実力者が揃っている。
それだけではない。
日本からも最強の馬が出走を決めた。
メジロシャーロックと同じ無敗の三冠馬。
フォワ賞で見事な捲りを決めて、ハリケーンランやシロッコ、プライドらを下した鹿毛の競走馬。
ディープインパクト。
日本近代競馬の結晶、英雄と呼ばれた馬が、凱旋門賞に出てくる。
騎手は岳寛。メジロシャーロックの主戦騎手でもある人物。
エクリプスステークスとキングジョージ。4回挑んで、4回とも手綱を握り、4回とも制した。
シャーロックにとって相棒と呼ぶべき人物が、シャーロックに牙を向こうとしている。
どうしてメジロシャーロックではなく、ディープインパクトを選んだのか?
ファンは気になった。実際に対決した際、ディープインパクトは敗れている。
それでもなお、ディープインパクトを選んだ理由は何か?
岳寛の答えは。
「シャーロックを負かすには、この馬を置いて他にいないと思っているからです」
「春の天皇賞では、手も足も出ずに負けました。それは事実であり、悔しくて仕方なかったのも事実です」
「だからこそ、同じ馬の手綱を握って挑みます。シャーロックに黒星をつけるのは、僕でいたいので」
ディープインパクトならばシャーロックに勝てる。春天の時と同じだった。
(今相棒に対して酷いこと言ってなかったか?)
(負けさせるなら自分でいたいって、大概重い発言な気が)
(ディープインパクトを選んでおいて、なんて発言をするんだ)
さらっと元相棒に対して酷い発言をしていた気がするが、当人はスルーである。
勝つ気で挑む。今度こそ負けはしない。そのための対策はしてきたつもり。
インタビューでは、シャーロックを一番注目しているとコメントを残した。
実際、ディープインパクトはメジロシャーロックに勝てるか? という問題についてだが。
有識者の間では、2:8で別れている。8が否寄りだ。
勝てると考える側は、ディープの才能に注目している。
「ディープインパクトの才能もまた凄いものだ。メジロシャーロックに劣らない」
「前で勝負出来ればあるいは」
折り合いがつけば五分の勝負ができる。
そう判断していた。
対して否定側は、あまりにも不利だと論じる。
「折り合いがつけばというが、それがいかに難しいかはこれまでのレースで分かっているはずだ」
「折り合いがついたところで、ペースを自在にコントロールできるシャーロックに勝つ術はない」
できることの差が大きすぎる。
ディープインパクトの不利は覆らない。
フォワ賞の勝利があってもなお、勝つのはメジロシャーロックだと断言した。
もっとも、そんなことは走る側からすれば関係がない。
「不利がどうとか、才能がどうとかあまり興味はないですね」
「僕はディープインパクトで勝ちに行く。日本の栄光を、一番欲しいタイトルを勝ち取りに行くだけですから」
「メジロシャーロックのことを世界で一番知っているのは僕です。だからこそ、負けるつもりはありません」
岳は勝利に自信を深めており、勝つと宣言。
相棒だろうと容赦はしない。本気で負かしに行くと口にする。
「後、僕以外が騎乗するシャーロックの勝つ姿が嫌なので。どうせなら僕が鞍上の時に勝ってほしいです」
……そこまで嫉妬するなら、メジロシャーロックに騎乗すればいいだろ、と。誰もが思ったが。
口にはできなかった。大真面目な表情で、凄まじく醜い感情を向ける岳寛に。
そんなこと、口にできるはずがなかった。
注目が集まる日本馬2頭だが、現地勢も負けてはいない。
キングジョージで敗戦を喫したハリケーンラン陣営は雪辱に燃えている。
「またリベンジの機会があって嬉しい限りだ。今度こそ、勝たせてもらう」
同厩舎の馬を3頭出し。こちらでは珍しくないことだが、本気で勝ちに来ている。
3頭全馬が一線級。G1を制した経験がある。
ハリケーンランを軸に、メジロシャーロックの神話を止めると意気込んでいた。
欧州馬の意地を見せる。先着は許さない。
徹底的にマークする。神話はもう終わりだ。
陣営はメジロシャーロックを意識するコメントを残した。
そして、凱旋門賞の出馬表が公開される。
凱旋門賞
| 枠順 | 馬名 | 牡/牝 | 人気 |
| 1 | ハリケーンラン | 牡4 | 4 |
| 2 | サーパーシー | 牡3 | 6 |
| 3 | ディープインパクト | 牡4 | 2 |
| 4 | ベストネーム | 牡3 | 10 |
| 5 | マンデシャ | 牝3 | 5 |
| 6 | レイルリンク | 牡3 | 8 |
| 7 | プライド | 牝6 | 7 |
| 8 | ペイパルブル | 牡3 | 12 |
| 9 | シロッコ | 牡4 | 3 |
| 10 | メジロシャーロック | 牡5 | 1 |
| 11 | アイリッシュウェルズ | 牡3 | 11 |
| 12 | シックスティーズアイコン | 牡3 | 13 |
| 13 | エンフォーサー | 牡4 | 9 |
1番人気はメジロシャーロック。
ブックメーカーでも凄まじい倍率を叩き出し、ほぼ全てのファンは彼が勝つと予想していた。
次点で人気を集めたのは、同じく日本のディープインパクト。
フォワ賞での勝ちっぷりが評価されての人気だ。ただ、1番人気のシャーロックからはかなり離されている。
3番人気にシロッコ。
フォワ賞2着で、前年度凱旋門賞馬のハリケーンランに先着したことが、評価された要因か。
1番人気と2番人気を日本勢に譲ったが、気合いは十分。
負ける気は毛頭ないと、気合いが入っていた。
近づく凱旋門賞。勝利の栄光は、世界最強の座は誰の手に渡るのか?
ファンは待ちきれない気持ちで、日々を過ごしていた。
◇
もうすぐ、凱旋門賞だ。
幸いにも、俺とディープの体調は問題ない。
ピカレスクコートも、風邪なんて引かずに元気だった。
つまり、万全の状態で戦える。
(これでディープとの対決は二度目。そして、正真正銘最後の戦いだ)
『負けるわけにはいかねぇ、絶対に』
ディープも進化していることだろう。
春天の二の舞は、絶対に避けたいはず。同じ作戦は通じない、と考えていい。
フォワ賞でどんな勝ち方をしたのか、俺は知らない。
もしかしたら、先行策で来るかもしれない。
……そうなったらそうなったで、俺としちゃいいんだけどな。
(負けねぇよ。誰が相手だろうと)
凱旋門賞は明日。
決戦は、明日だ。
次回 凱旋門賞