親愛なるシャーロックへ   作:カニ漁船

111 / 145
勝利の栄光は誰の手に

 コーナーを待たずに、メジロシャーロックが仕掛けた。

 デルトリの手綱に応えるように、位置取りを押し上げていく。

 

《外から上がるメジロシャーロックとハリケーンラン、2頭が上がっていきます! この動きを見て周りはどうするか? 内で控えるディープインパクト、この動き出しにはついていかないっ、いや、着いていくか? 迷う素振りを見せている》

《ただ、前が厳しいね。シロッコら先頭集団が邪魔になっているから、容易には上がれないよ》

《鞍上の岳寛ここはいきません。コーナーの手前ということを考えて、ここはいかない選択を取りました。シロッコら先頭集団はペースを落とさない、後方集団はまだ控える形だ》

 

 内側を走るディープインパクトは、まだいくべきではないと判断。

 

(間違いなく、シャーロックのことだからなにかしてくる。というよりも、すでに仕掛けている。だけど……ここで動くのは悪手だ)

 

 ロンシャンのコーナーは下り坂。

 加えて、前が壁になっている。抜くためには、外を回る必要があるだろう。

 ようやく中盤戦の初め。無理をして強引に抜かすよりは、最後の勝負のために温存しておくべきだと考えていた。

 

 ただ、岳の胸中は穏やかではない。

 このタイミングでメジロシャーロックが動いた。

 それ即ち、なにか仕掛けてくる合図。長年の勘と、手綱を握ってきた信頼、なによりも……騎乗しているのがあのデルトリだから。

 

(いやらしい技だ。分かっていても、ここは動かない選択肢を取るしかない。下手したら、掲示板外に沈まされる)

「厄介だよ、本当にっ」

 

 行きたがるディープインパクトを抑え込み、後方勢と一緒に静観する構えを取る。

 その間にも、メジロシャーロックはどんどん前へ。

 下り坂を利用して、加速をつけている。

 

(シャーロック最大の弱点である加速の甘さ。それを補うための下り坂、か。だとしても、仕掛けるのが早すぎるっ)

 

 油断はしない。慢心もない。

 感じるのは焦燥。間違いなくなにかを仕掛けられているのに、その仕掛けが分からない。

 考えを巡らせるが、答えは一向に出てこない。

 

 迷った末に、岳は動かない選択をした。

 ディープインパクトの勝負所はここではない。

 見誤って、勝ちを逃すことだけは避けたいから。勝負の分かれ目を見極めるために、ここで動くのは分が悪いと判断した。

 

《メジロシャーロックとハリケーンランが外から上がります。サーパーシーら後方集団は、まだ動かない。じっくりと機会を窺います》

《ハイペースで流れているから後方有利だ。3歳馬は後方に固まっているね》

《最初はいく素振りを見せていたペイパルブル、ここで折り合いがついたか? ディープインパクトに並びます。先頭集団から5馬身、6馬身離れた位置につけているディープインパクト。メジロシャーロックは先頭集団まで2馬身圏内に迫りました。ハリケーンランがぴったりとマークしています》

 

 不安を振り払い、自分の技術と馬の素質を信じて手綱を握る。

 

(春天のようにはいかない!)

 

 キッと、前を見据えていた。

 

 

 外から上がるメジロシャーロック。鞍上のデルトリは内へと視線を送る。

 壁が外れた、というよりは外した。

 間にいた馬は先頭集団に混ざったので、ディープインパクトの姿がよく見える。

 

 位置を確認。

 大まかなペースを把握した後、下り坂を一気に駆け降りる。

 

(ハリケーンランのマークは構わない。想定していたし、問題ないようにしてきた。だって……消耗戦で潰せばいいのだから)

 

 これは、メジロシャーロック唯一の弱点を補うためのものだ。

 加速が甘いという弱点を、この下り坂で帳消しにする。

 

(エンジンを温める時間。後半戦で0を100にするのではなく、50を100にできるように。準備をしっかり整えておかなきゃね)

 

 周りを見ることを怠らずに、惑わすようなペースで支配。

 マークされていることを逆手に取って、わざと乱れたペースで走っていた。

 無論、シャーロックも相応の消耗があるが。

 

(オレとの呼吸が合っている。無理やり動かしていない、連携が上手く取れているから、消耗は少なく済んでいる)

「『本当に、最高の馬だよシャロ。世界最強の競走馬、騎手にとっての理想形だ』」

 

 他馬よりも少ない消耗で済んでいる。

 それも、圧倒的に。他よりも明らかに余裕を持って進軍していた。

 

 騎乗していてつくづく思う。

 メジロシャーロックはとてつもない馬だと。

 

(馬は生き物だ。馬には馬のやりたいことがある。そのやりたいことが、オレたちジョッキーと一致するとは限らない)

 

 馬は意思のある生き物。当然、自分のやりたいこと、優先したいことというものがある。

 それをいかにしてコントロールするかが、騎手としての腕の見せ所。

 一流と呼ばれるジョッキーは、このコントロールが上手い。馬の力を限りなく100%、発揮することができる。

 100%とは言わずとも、限りなく近い数値をいかにして出すか。これが、競馬では大事になってくる。

 

 対して、シャーロックはどうか?

 騎手の指示に従順、かつ自分で最適解を選べる。

 喧嘩をすることはないし、無理に行こうともしない。

 自分の手足のように動かせるのだ。これほど乗っていて気持ちの良い馬はいない。

 

(常に100%の実力を発揮できる馬。その日におけるベストを披露することができる!)

 

 デルトリもまた、シャーロックに騎乗して感じた。

 底知れない強さ。周りを圧倒する知性に、突き抜けた才覚。

 全てを高水準でこなす完璧な競走馬──パーフェクトサラブレッド、と。

 

 現代競馬における最高到達点。今この世界に、メジロシャーロック以上の馬はいない。

 コーナーの下り坂を駆け抜けながら、胸の高揚が抑えきれずにいた。

 

(……っとと。ちょっとでも気を抜いたら、我を忘れて乗っちまうな。それだけの名馬、ってことなんだけど)

 

 しかし、頭は冷静に。

 自らの体内時計に従い、ペースをコントロールする。

 

《コーナーを曲がって、勝負はフォルスストレートへと入ります。先頭はシロッコ、やや脚色が鈍くなってきたか? シロッコ、エンフォーサー、シックスティーズアイコンと続いて、ついにシックスティーズアイコンらに並びました! メジロシャーロックとハリケーンランが先頭集団に追いつきます!》

《さて、早いペースで流れているけど、これは大丈夫かな? 先頭のペースは鈍くなりつつあるけど》

《メジロシャーロックから離れて2馬身の位置にペイパルブル。ペイパルブルからさらに3馬身離れてディープインパクトが単独で走っています。ちょっと外目につけているか? ディープインパクトの後ろからじわじわと上がってくるサーパーシー、サーパーシーが上がってきました》

 

 正確。ほぼ誤差なしで刻めている。

 確認する術はない。けれど経験則で理解できる。

 

(さて、後はじわりと上がり続けるだけ。内側は、もう終わりだ)

「ゴー、シャロ! カケヌケロ!」

 

 全てを理解した上で、デルトリはゴーサインを出した。

 フォルスストレート。偽りの直線と呼ばれる場所であり、最後の直線ではない。

 残りは約800mほど。下り坂で加速していたことを考えれば、スパート距離はもっと長いだろう。

 

 ロングスパート。先行争いをしながら、変則的なペースを刻みつつのロングスパートだ。

 求められるスタミナは尋常ではないだろう。

 

 それでも、デルトリはいけると確信していた。

 シャーロックならばできる、シャーロックならばやれる、と。

 期待を込めて、デルトリは手綱を緩めてゴーサインを出す。

 

 シャーロックは──躊躇なく動く。

 

《フォルスストレートに入ってっ、ここでメジロシャーロックがさらに仕掛けたぁ! メジロシャーロックが果敢に行きます、じわりとまたペースを上げようとした先頭集団、その虚をつくスパートだぁ!》

《ここで仕掛けるのかい!? スタミナは保つのか!?》

《仕掛けたメジロシャーロック、追うハリケーンラン! 2頭がグングン上がってっ、ついにシロッコを抜きましたメジロシャーロック先頭! ハリケーンランが必死に追いかけます、メジロシャーロックを追いかける! ディープインパクトはどうか! ディープインパクトは外に振らされている!》

 

 元から動くつもりだった。

 そう言わんばかりに、位置をさらに上げていく。

 

 ハイペースで走らされた。

 シロッコら先頭勢は、体力が枯渇しつつある。

 

 後方勢は追い上げてくるだろう。

 シャーロックの体力は十分、届かないだけの差を広げるだけだ。

 

 残る敵は──ハリケーンラン。そして、内側で息をひそめ続けたディープインパクト。

 

(ハリケーンランは直に落ちる。ディープインパクトは、あの分だと)

 

 内を一瞥した後、デルトリは前を見据える。

 前に誰もいない。自分達がロンシャンを先頭で駆け抜けている。

 

《フォルスストレートを駆け抜けるメジロシャーロック、さぁメジロシャーロックだメジロシャーロックだ! ハリケーンランが必死に追い縋る! 少し遅れてハリケーンランが追いかける展開! ディープインパクトもやや反応が遅れた! 追走していますがっ!》

《先頭集団が垂れてきたね! これは、外に回らざるを得ない!》

《外を回るディープインパクト、しかし外目につけていたことが功を奏しました! さぁ加速するディープインパクト、後続もギアを上げてきた! 先頭はメジロシャーロック、メジロシャーロックが最後の直線に先頭で入ってきましたぁぁぁ!》

 

 先頭集団はすでに散り散り。

 粘っていたが、メジロシャーロックは容易く振り払う。

 

(うん、これは)

「ジ・エンド。終わりダ」

 

 鞭は入れない。最初から最後まで、ずっと。

 自分が指示をする前に、意図を理解しているように動くのだ。

 入れる必要がない。仕掛けどころもペースも、手綱だけで伝えられる。

 

 メジロシャーロック先頭。ハリケーンランが半馬身後ろで追い縋るが……その脚色は、鈍かった。

 当然だ。乱れたペースで走らされたのだから。

 スムーズにペースを変えていたシャーロックに対し、後手で変えざるを得なかったハリケーンラン。

 車で言えば、急発進と急停止を繰り返していたようなもの。体力が持つはずがない。

 もはや、気力のみで走るしかなかった。

 

 そして、気力だけで走って追いつけるほど──メジロシャーロックは甘くはない。

 

《メジロシャーロックが突き放す、メジロシャーロックが突き放す! ハリケーンランはここまでだここまでだ! ハリケーンランが落ちていく! 先頭勢と同じように落ちていくハリケーンランここまでだ!》

《頑張ってマークしていたけれど、これは厳しかったね。メジロシャーロックのペースで走れなかったか!》

《突き放すメジロシャーロック、2番手ハリケーンランとの差を4馬身、5馬身と広げていく! 後続からディープインパクトがようやくシロッコらに追いついた! サーパーシーらも上がってくるが、これはメジロシャーロックに届くか!?》

 

 突き放される。差を広げられる。

 無慈悲に、冷酷に。

 メジロシャーロックとデルトリが描く芸術の、一つにされる。

 

 大歓声に包まれるロンシャン競馬場。

 もはや勝負は決したと言わんばかり。

 競馬場のファンだけではない。映像を見ている、世界中のレースファンが思ったことだろう。

 

 もう番狂わせは起こらない。

 差が広がるだけ。すでに勝負は終わった。

 追いつけるはずがない。完全で、完璧なまでの勝利。

 

《残り200を切ってその差が6馬身、7馬身と開く! メジロシャーロックが差を広げて走ります! 8馬身ほど差を広げてここでようやくディープインパクトとサーパーシー、レイルリンクが2番手に浮上! 2番手争いは接戦、2番手争いは接戦! しかし1着は変わらない変わらない! これは圧倒的なウイニングランだ!》

《いやぁ、強すぎる、強すぎるよいくらなんでも! これがメジロシャーロックの強さか!》

《メジロシャーロック先頭! メジロシャーロック先頭! 他馬を圧倒するこの走り、この強さこそが!》

 

 危なげなく。最後の直線では、一切競り合いに持ち込ませなかった。

 対抗として挙げられていたディープインパクト。内側に閉じ込めて、外に回らざるを得ない状況を作り。

 自分達の動きを一切悟らせず。余力を十分に残した状態で、最後の勝負へと持ち込んだ。

 

 差は縮まらない。

 マックスのスピードを出せるメジロシャーロックが垂れることなど、万が一にもない。

 

 誰かが言った。

 

「シーバード*1の再来だ!」

 

 誰かが口にした。

 

「生涯最高の芸術が、凱旋門賞で描かれた!」

 

 レースファンが確信した。

 

「メジロシャーロックこそが世界最強だ!」

 

 最後の最後まで盤石。

 安心できる、不安を感じさせない圧勝劇。

 

《メジロシャーロックだ、メジロシャーロックだ。メジロシャーロックだァァァ! 第85回凱旋門賞を制したのは現代競馬の最高到達点、至高の芸術! クオリティオブパーフェクト、神に愛された競走馬! メジロシャーロックだァァァ! 並みいる強豪馬を圧倒、全く寄せ付けないままに勝利を手繰り寄せました! これが強さ、これが世界最強の走り! 盤石のレース、全く不安を感じさせない走りだァァァ!》

《生で観れて、最高だよ! 他の馬も強かったけど、メジロシャーロックはさらに強かった!》

《2着入線はレイルリンク、サーパーシー、ディープインパクトの3頭! 3頭は写真判定へともつれ込みました!》

 

 万雷の喝采と、祝福に包まれて。

 誰かの歓声につられて、ほぼ全員が歓声を上げるパリロンシャン競馬場で。

 メジロシャーロックが、凱旋門賞を制した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうしてだろうか。

 

(すげぇ量の声援と、拍手を貰っている)

 

 ファンの人達から祝福されている。

 俺が勝って嬉しいんだ。

 いつものことながら、俺も嬉しくなる。

 

(デルトリさんから褒められている)

「ヤッパリ、キミは最高の馬ダ!」

 

 撫でてくれて、目一杯褒めて。

 それだけ嬉しいんだって気持ちが、伝わってくる。

 

 ウィナーズサークルでは、康夫さん達が涙を流して喜んでいた。

 

「ホンマのホンマに、日本にとってのデカい壁でした。デカい壁やったけど、シャーロックが壊してくれましたわ! ホンマ、シャーロックに携われたことが、自分の調教師人生最高の誉れですっ」

「日本にとって浅からぬ因縁があるレースでした。そのレースをね、こんなにも大きく差をつけて勝つことができてね。本当に、本当に感無量ですっ」

「えらいね、頑張ったね、シャーロックっ」

 

 みんな嬉しいんだ。俺が勝って、抱き合って喜んでいるんだ。

 スピードシンボリから始まった挑戦。阻まれ続け、エルコンドルパサーの惜敗を経て。ついにこの日を迎えた。

 勝利の日を。それも、圧倒的で、文句のつけようがない勝利だ。

 日本人だけじゃない。いろんな国の人が、俺の勝利を祝福してくれている。

 

(……なんでだ?)

 

 凱旋門賞を制した。

 俺は、みんなの期待に応えることができた。成し遂げたんだ。

 

 もう、後腐れなく引退できる。

 満足したまま、レース界から去ることができるはずだ。

 少なくともレース前は、そう思っていたんだ。

 

 なのに。

 

(どうして俺は、こんなにも)

 

 なのに、俺は。

 少しも盛り上がっていない。高揚した気持ちが沸き上がらない。

 

 あぁ、勝ったんだなとか。呆けた気持ちすら湧いてこない。

 

 あるのは、たった一つ。

 

(虚しさを、感じているんだ?)

 

 虚無感。何の感情も沸き上がらない。

 

 どうした? 俺。

 みんなの期待に応えることができたんだぞ。

 喜んでいいだろ。もっと、嬉しさを爆発させろよ。

 

 ほら、みんな俺におめでとうって言ってくれてる。

 

「おめでとうー、シャーロックー! やっぱお前が最強だー!」

「『最高の名馬、メジロシャーロック! 感動するレースを、ありがとーう!』」

「『お願いだからもっと走ってー! 貴方のレース、本当に感動的だわー!』」

 

 言葉が分からなくても伝わるじゃねぇか。

 今のファンがどんな気持ちでいるのか、聞いているだけで伝わってくるだろうが。

 

 喜べよ。嬉しがれよ。

 なんでだよ。どうして、どうして俺は。

 

(……虚しさしか感じねぇ)

 

 凱旋門賞の凄さは分かっている。

 数多の名馬達が阻まれた高い壁。俺の生きていた時代では、ついぞ制覇する馬は現れなかった。

 そんなレースを勝ったんだ。嬉しいに決まっている。

 

 ファンの期待に応えられた。デルトリさんの要求に応えられた。

 康夫さん達の期待に応えられた。全力を尽くして、ディープ達の期待に応えられた。

 

 応えた。応えた。応えた。

 ずっとずっと、今までもずっと応え続けてきた。

 その度に嬉しくなった。もっと期待に応えたいと思うようになった。

 その先に幸せが待っている。そう信じて疑わなかった。

 

 際限なく人々の期待に応え続けて。

 勝ちを重ね続けて。辿り着いた先にあった景色は──虚無。

 

(は、はは。なんで、だろうな? 俺、どうしちまったんだろうな?)

 

 なんにも、ない。

 あると思っていたものは当然なくて。

 

(勝ってすげぇ嬉しいはずなのに。いつも通り喜ばしいことのはずなのに)

『少しも、嬉しくねぇ……』

 

 ただひたすらに、虚しさだけが残っていた。

*1:
凱旋門賞と言えばなご存じやべー奴。1965年の凱旋門賞馬




いや~勝ちましたね。圧勝ですよ圧勝。ほら、笑えよ。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。