凱旋門賞が終わって、俺らの帰国する日が来た。
『またあの狭い中に押し込められるの~? やだー!』
『ディープさん、我慢してもらわないと。元居た場所に戻るためにもですね』
『やだやだー!』
この駄々をこねている馬はディープインパクト。長時間飛行機に乗りっぱなしはまぁ嫌だろうよ。
帯同馬のピカレスクコートも、なんとか宥めようとしているが。
あんまり効果ないな、アレ。行きがどんなだったか、なんとなく想像できるわ。
しかし、これは仕方ないことだ。
どこ〇もドアがあるわけないし、日本に戻るためには我慢してもらわないと。
『あんまりワガママ言うな、ディープ。向こうに戻るためには、飛行機に乗らなきゃいけねぇんだから。あんまりワガママ言うと、お前だけ置いて帰る』
『乗る、乗る! シャロさんとお別れ嫌!』
なんだその変わり身の早さは。
さっきまで嫌だ嫌だと言ってたのに、置いて帰ると言った瞬間すげぇ勢いで乗り込もうとするじゃねぇか。
柏崎さんと壱河さんびっくりしてるぞ。嫌がってたお前の切り替えの早さに。
「なんか、スムーズに済みそうですね」
「はい。これもシャーロック効果、なのかも?」
「ははは。かもしれませんね、柏崎さん」
シャーロック効果、ねぇ。
今までは信じてなかったし、何言ってんだレベルだったけども。
(ここまでだと、さすがになぁ)
『凄いですね、シャーロックさん。ディープさん、さっきまで駄々こねてたのに』
『それなりに付き合いあるしな。俺も、まさかここまでとは思わんかったが』
ちょっとあるんじゃないか、なんて思い始めてきたわ。マジで今更な話だけど。
これといったごたごたもなく、スムーズに飛行機に乗り込むことができ。
『ね~シャロさ~ん。暇だよ~』
『長い時間このままだ。寝ていた方がいいぞ』
『別に眠くないもん。シャロさんのお話聞かせてよ』
『何話せばいいんだよ、俺は』
『あ、ぼくも。ぼくも興味あります。シャーロックさんのお話』
『ピカレスクまでもか。別にいいけどよ』
機内ではずっとディープ達の相手をしていた。
なんだかんだ時間を潰せたみたいなのでなにより。
日本に戻ってきたら、まずは着地検査。
検疫厩舎でも、基本的にディープ達と過ごしていた。
『走ろうよシャロさん! ようやく走れるから!』
『分かったよ。ちょっと待ってろ。ピカレスクはどうする?』
『あ、じゃあ、ぼくも。ずっと狭いところにいましたので、発散したい気分です』
やっぱり、いるだけでも違うわ。
やれる幅が広がるし、走るだけでもいろいろと発散できる。
……当然、嫌なことも。
(俺は凱旋門賞を勝った。日本の悲願を、ファンの期待に応えることができたんだ。それでいいじゃねぇか)
忘れた方がいい。消した方が幸せだ。
その方が、良いんだ。
『シャロさんには負けないぞー!』
『ピカレスク、ディープのことはこの際無視しろ。お前のペースで、走りやすいペースで走るぞ』
『はい。分かりました』
『わーい!』
今はただ、ディープ達と走るこの時間を楽しむ。
何もかもを忘れて。ひたすらに。
走ることを、楽しんだ。
心のもやもやは、晴れないまま。
◇
検疫厩舎での日々はあっという間に過ぎて。
栗東に帰ってきたのは11月になろうかって時だった。
「お帰りぃぃぃ! シャロぉぉぉ!」
(相変わらずだな。これで帰ってきたな~、って思うの嫌なんだけど)
リョーマからの熱い抱擁を虚無で過ごし。
馬房に戻って、しばらくの間ゆったりと過ごす。
主に考えることは、今後のことだな。
いろいろと情報は集まってきた。
まず、俺の引退式だが……2つの会場でやるらしい。オグリキャップか何かか?
1つは京都競馬場。エリザベス女王杯の日に、全日程が終了した後やる予定だそうだ。
もう1つは東京競馬場。ジャパンカップの日を予定していて、こっちもレースが終わった後に開催予定。
2つやる理由は、JRAからの打診もあったのだとか。
国内の引退レースは諦めるから、せめて2回は開催してくれと言われたらしい。
(まぁ、気持ちは分からんでもないが。人はたくさん集まるだろうし)
裕二さんも辟易、というか苦笑いを浮かべるしかなかったとか。
関係者一同、JRAの必死っぷりに頭を悩ませていたらしい。
結果として、春天の開催地である京都と、秋天の開催地である東京。
天皇賞に縁のある場所として、この2つの競馬場が選ばれた。
メジロといえば天皇賞だしな。快く許可してくれたJRAには感謝だ。
もうすぐここともお別れ、か。
長い時間を過ごした。
いろんな出会いがあった。
過ごした日は数年。けれど何十年にも匹敵する濃密さ。
(……ちょっと泣けてきたな。うるっときた)
さようならしなきゃいけない。
この場所から新天地へ。種牡馬としてのお仕事が待っている。
いざ離れるってなると、もう少しだけここにいたい、なんて思いも出てくる。
(それだけ、栗東での日々が楽しかった、ってことなんだろうな)
間違いなく言える。
最高の時間を過ごすことができたと。いろんな出会いをくれてありがとうと。
栗東での日々は、俺にとって宝物だった。
(……ダメだわ。やっぱ涙が止まらん。何があった? って心配されるな)
最後の時間を、ゆっくりと迫るタイムリミットを噛みしめる。
忘れないように、と。
あんまりしんみりしすぎるのもな。なにか別のことを考えよう。
そうだ。デカいニュースがたくさんある。
それも、とびきりデカいのだ。
引退式までの間、調教をすることがたまにあった。
体が鈍らないように、ってのと、やっぱり気性難矯正として俺が役立つから。
どうかお願いします、と方々から頭を下げられたらしい。
で、その調教中のことなのだが。
いたのである。あの子が、本来ならもういないはずの、あの子が。
『あれ? シャーロックさんだ! お久しぶりです~!』
クラフトちゃん。
史実では、もうこの時期には亡くなっていた彼女が。
今も生きて、元気に走っていたのである。
びっくりした。人だったら、アホ面を披露していたと思う。
それだけ、衝撃的だったから。
『クラフト、ちゃん?』
『はい、ラインクラフトです! も~、シャーロックさん遠征ばっかで寂しかったですよ~』
クラフトちゃんが生きていて。
史実が変わっていたんだから。
『良かった、本当に良かった……クラフトちゃん……っ!』
『え、え? 何があったんですか? シャーロックさん。そんな、泣きそうにならなくても』
『良かったぁ……!』
困惑しているクラフトちゃんをよそに、泣きそうになっていたのはここだけの話。
あ、調教はちゃんとやりました。
クラフトちゃんだけじゃない。
なんと、エレクトロキューショニストも生存しているらしい。
向こうのニュースを聞いていた康夫さん達が口にしていた。
「イギリスのチャンピオンステークスは、エレクトロキューショニストが勝ったらしいで。ホンマに凄いわ、フランキーは」
「さすがは世界一の騎手ですね。馬の能力も凄まじいですが、デルトリさんの騎乗技術も」
「えらいこっちゃやで。ま、そんなフランキーが認めたんやからな! やっぱお前は凄い馬やで~シャーロックー!」
しかも、英チャンピオンステークスを勝っていた。
3馬身差の快勝だったらしい。強っ。
てか、エレクトロキューショニストが生きているとなると、向こうの血統どうなるんだろうか?
成功するとは限らないが、場合によっては活躍馬を輩出したりしてな。
変わらないものもあれば、変わったこともある。
史実よりも悪いこともあったが、より良い結果にもなることもあった。
いろんなところで影響が出ているようだ。
だからこそ、考えるのは。
(後継問題、だよなぁ。つか、これからの生活だよなぁ)
『どうなる、っていうか、間違いなくやべーことになるというか。なるようにしかならねぇけどよ』
未来のこと。とりわけ、種牡馬事情だ。
来年から俺は種牡馬として働くことになる。
自分の血を次世代に繋げるため、俺の母であるメジロコナン、そしてメジロラモーヌの名を残すため。
母だけじゃない。最推しメジロマックイーンや、オグリキャップの名前もだ。
たくさん残したい名前がある。
活躍馬を輩出できればいいのだが、こればっかりは分からん。
俺の種牡馬としての能力は未知数。どれだけ走るかは不明だ。
(肌馬に関しては、良いのが集まる可能性は高い。なんせ世界最強の馬で、G1を13勝した馬だ。こぞって良い牝馬をあてがうはず)
パーソロンという、主流から外れた血統だとしても。
人気と実力を考えれば、俺の需要は超高いんだ。
初年度からでも、有名な繁殖牝馬は集まるだろう。最悪うすめ液でもいいわけだし。
だが、良い肌馬が集まるからといって、活躍馬を出せるかはまた別の話。
ぶっちゃけて言うと……運だ。
(頼みます、本当に頼みます! どうか次世代に繋がる血を~!)
後継はマジで死活問題だ。
俺が活躍したからと油断はできない。俺の次がいなければ、メジロ存続は成し遂げられないのだ。
(いや、一応俺の産駒が走るまでは、牧場を畳まない宣言しているけども。それでも心配は心配なんだよ!)
『おまけに、相手がディープにキンカメ、ハーツと多種多様だからな~。アイツらに種牡馬成績で勝てんのか? 俺』
全員揃いも揃ってバケモノ成績。
ここに比肩する、とまでは言わないが、存続できるだけの産駒が走って欲しい。
頼む、本当に頼みます。競走成績がよくても、産駒成績がダメなんてこと普通にあるんだから。
(永世メジロ帝国のためにお願いします神様! 遠い未来にメジロを繋ぐためにも!)
神頼みしかできない。
俺自身じゃどうやっても介入できないから、こんなことしかできないのだ。
どうか届いてくれ俺の祈り。届いたことほとんどねぇけど。
ついでだが、グルーヴさんとかスティルさんってどうしてんだろ。
種付けして受胎した、なんて話は聞いているが。
(初年度はキンカメだっけか。ま~サンデーじゃないから安牌だわな)
ここは史実通り、キンカメの仔を受胎している。
無事に産まれるといいな。健やかに長生きしてほしい。
(そうなると……スティルさんがどうなるか、だな。スティルさんも、長生きしてほしいが)
『グルーヴさんも早逝だし。どっちも長生きしてほしいもんだ』
本当に。心の底から願うことだ。
さて。そろそろ放牧の時間か。
「シャロー! 放牧に行くぞー!」
「ヒヒン(はいよ)」
テンションが高いリョーマに連れられて。放牧地へと向かう。
あれこれ考えても、なるようにしかならない。
せめて少しでも良い方向に。
(祈るだけ、か)
「今日も元気そうだな~……でも、あと少しでお別れなんだよな……嫌だぁぁぁ!」
「ヒヒィン(うるせぇ)!」
放牧地で走るか。
◇
そして、引退式の日があっという間にきた、のだが。
「イギリスの女王陛下からお言葉を頂戴しております。今この場を借りて、読み上げさせていただきます」
(なんっっっでだよ!?)
京都競馬場では、女王陛下からお言葉を貰った。さすがに現地には来れなかったのか、手紙だけど。
そこまで魅了されてるとは思わねぇって。胃が痛いわ、本当に。
「──素晴らしき名馬、メジロシャーロックのこれからの馬生に。多くの幸があらんことを」
なんか、肌馬も見繕ったみたいだし。
俺のためだけに用意した牝馬とのこと。ヤバすぎる。
(大丈夫だろうか? 俺)
願わくば、普通の子であることを祈る。
で、東京競馬場ではというと。
「天皇陛下よりお言葉を頂戴しております。この場を借りて読み上げさせていただきます」
(そっちもかよぉぉぉ!!)
こっちはこっちで大変なお方からお言葉を貰った。
なんだって俺みたいな馬に言葉を贈るんだよ。いや、ド派手なことやったって自覚はあるけどさぁ!
ちなみに、東京競馬場の引退式では。
『あれ? シャロさんもレース走るの!? やったやったー! 負けないぞー!』
『いや、俺はレース走らねぇぞ。別の用事でここに来たんだよ』
『えー!? そんなのやだやだ! シャロさんも一緒に走ろうよ!』
『無茶言うな! 後顔を舐めるな! 俺に言われたってどうしようもねぇだろうが!』
直前にディープに絡まれた。
どうも俺がレースを走るもんだと思っていたらしい。
飛び跳ねそうなほど喜んで、今すぐにでも走りだしそうな雰囲気を出していた。
もっとも、俺はレースを走る予定できていない。
丁重にお断りしてその場を去った。めっちゃ必死に追いかけられたけど。
余談だが、ディープはジャパンカップを勝った。着差までは聞いていないが、圧勝だったらしい。
いろいろあったものの、どちらの引退式も特に問題なく終わって。
「もっと走ってー、シャーロックー!」
「祖父が走った笠松競馬場に来てくれー!」
(無茶言うなや! 走れるレースがねぇよ!)
……まぁ問題なく終わった。
やたら俺の現役続行を望む声が多かったが、無理なもんは無理である。
ファンからの温かい声をたくさんもらって。
最後は岳さんが俺に騎乗して、東京競馬場を一周した。
「これで、レースではお別れだね、シャーロック。最後の最後に、キミを選ばなかったこと……本当にごめん」
(気にしてねぇよ。岳さんの気持ちも分かるから)
岳さんの独り言。
俺に乗りながら、凱旋門賞の時の心情を教えてくれた。
本当は乗りたかったこと。俺の鞍を誰にも譲らなかったこと。
でも、俺に勝ちたいって気持ちと天秤にかけて……俺に勝ちたい気持ちの方が、強かったことを。
「だけど、フランキーの時の方が強かった気がするのは……許せないな。君の強さを一番引き出せるのは、僕でいたいのに」
(こえーよ。どんだけ嫉妬してんだよ)
「いつか君に会いに行くよ。忘れられないようにね」
ついでに嫉妬された。ついで感覚でデルトリさんに嫉妬の感情を向けるな。
走り終わったら、康夫さん達からも労いの言葉を貰って。
「ホンマにっ、ホンマにえらい馬やった。シャーロックに携われたんは、俺の調教師人生最大の幸運やった。ホンマのホンマにありがとうなっ、シャーロック」
「……お疲れ様。向こうでゆっくり、元気に過ごすんだぞ、シャーロック。たまには会いに行くからな」
「おつ、お、おつか、れさま、シャロぉぉぉ! 向こうでも元気でなぁぁぁ!」
「レース頑張ったね、シャーロック。途中からあなたのお世話をしたけれど、とても楽しい時間だった。またね、シャーロック」
お世話になった人達から。
「お疲れ様ー、シャーロックー! 元気で過ごせよー!」
「ありがとうー! シャーロック! いろんな夢を魅せてくれて!」
「いつまでも語り継いでいくからなー! グッズも、たくさん買うからなー!」
「シャーロックマジサイコー! シャーロックがさいきょーっしょ!」
ファンの人達から。たくさんのあったかい言葉を貰った。
俺の新しい門出を、祝福してくれた。
思う。
(いろいろあったけど……幸せだったな)
これまでのレースのこと。
G1レースに絞っても、いろいろとある。
美弥さんのために、死力を尽くした日本ダービー。
死の淵に立っていたリョーマのためと走った、1回目の春の天皇賞。
イギリス国民を虜にした海外遠征2戦目、キングジョージ。
包囲されて、マジで終わったかと思った秋の天皇賞。
転生する上で最大の障害だと思っていた、ディープインパクトとの直接対決、2回目の春天。
ハーツクライ達と死力を尽くして戦った、2回目のキングジョージ。
(どれも忘れることのできない、かけがえのない出来事だ。本当に、幸せだったっ)
『最近、涙もろくなったな。泣けてきたわ』
この日を忘れることはない。
みんなの温かい声を聞いて、自分は愛されていたのだと改めて知った日。
最高の日だった。本当に、幸せだった。
レース生活の終わり。新しい生活の始まり。
(……種付け、本当にどうしようかな。俺、ちゃんとできるか?)
一抹の不安を抱えながらも。
少し先の未来に俺は──期待せずにはいられなかった。
どうせもう、レースを走ることはないのだから。
考えるだけ、無駄だ。
ドキドキ!?種牡馬編